114. 欲張りな手を握りしめて
「合わせて二本! 勝者……旅人フラム!」
フェレシーラの手が、高々と掲げられる。
締めが入りきる前に有効打をカウントされた形だ。
床に手をついたイアンニは、朦朧状態でそれを受け入れている。
二本連取によるストレート勝ち。
結果的には無傷で勝利した、という形だが……
旅人旅人って連呼されると、結構キツいなこれ……!
「うーん……フラムくん、本当に勝っちゃうとは驚きッスねえ。それにしてもパイセン、まさかのいいとこ無しとは……従士魂とは一体……ぐぬぬ」
「言ってやるな。あんな奴に格闘戦を挑ませた俺のミスだ」
「流れでタックルが完全に入ったのに、ダメでしたもんねえ……わけわかんねぇッス」
長椅子の上で唸るミグとハンサを横目に、俺は二本の得物を拾い上げる。
短剣と長剣。
そのうちの、剣先が歪んだほうの刀身を持ち、俺は片膝をついたまま動けずにいたイアンニに、長剣の柄を差し出した。
「ぬ……どういうつもりだ、貴公」
こちらのとった行動を、イアンニが訝しげな面持ちで見上げてきた。
その眼光の鋭さに一瞬尻込みしかけつつも、俺は彼に向かって頭を下げた。
「もしかしたら、こういうのは神殿従士の間ではマナー違反なのかもしれないですけど……ありがとうございました。イアンニ・カラクルス三級神殿従士」
「……フン。称号を付けるなら、後ろにではなく、前にだ。田舎者め」
「う……! す、すみません、ちょっといまのやり直しで――」
「良い。単なるへらず口だ。今回は俺も勉強になった。ミグと同じくな」
フェレシーラからの『治癒』を受けながら、イアンニは剣を受け取り笑みを見せてきた。
血で汚れた口元も、額に浮かんだ珠のような汗も、彼の持つ高潔さを損なうことはない。
むしろそれが、一種造り物じみていた彼の容貌に強烈な存在感を与えているようにすら思えた。
やっぱこの人……めっちゃ美形だな!
あとやっぱり、むちゃくちゃデカい。
膝立ちの状態でこっちを少し見上げてきてるだけって……
いや、もうここら辺でやめとこう。
間近で色々と比べてると、試合に勝った気がしなくなってくる。
「治療は完了致しました。フラム、あなたはこちらへ」
「あ、うん……」
ごちゃごちゃと余計なことを考えていると、フェレシーラが開始円よりやや離れた位置から手招きをしてきた。
そこにイアンニが一礼を行い、白線の外へと向かう。
籠手を外しているところをみると、そのままでは『治癒』が出来なかったようだ。
それほどの負傷で、あれだけの動きを維持してきたということの証明だ。
今更ながら、紙一重の勝利だったことを実感させられてしまう。
「気をつけろよ、フラムとやら」
剣を手に立ち去る従士が、すれ違いざまに声をかけてきた。
「ハンサは、俺やミグとは違う。勝負を捨てるつもりがないのであれば、気をつけろ」
「……わかりました」
遠ざかる背中を見送り、俺はなんとか言葉を返した。
「お疲れッス、パイセン! いやー、ピョンピョンピョンピョン目まぐるしくって、凄かったッスね。実際にやりあった感想を、今度一緒に皆に――あでっス!?」
「貴公はいい加減に、神殿のしきたりぐらいは覚えておけ。己の敗北を喧伝してどうする」
長椅子の前へと戻り、まずは後輩に拳骨を喰らわせてから、
「申し訳ありませんでした、副従士長」
イアンニは、長剣を支えに待ち構えていたハンサへと頭を垂れた。
そしてそれ以上、なにも言わずに着座する。
ハンサも顔色一つ変えてはいない。
イアンニが、一度だけ深く溜息をつき、長椅子の上に置かれていた大型兜へと手を伸ばした。
……また被るんだ、その兜。
「……む」
――って、アレ?
なんか、一度は手に取った大型兜が、また椅子の上に置かれたんだけど。
しかも妙にゆっくりと、物音一つ立てず丁寧に。
「うん? パイセンなにやってんス……ああー、なるほどッスね。それでどこにも見かけなかったし、鳴き声もしなかったんスね」
その横で、ミグが一人うむうむと頷く。
……うん。
いまの反応でわかった。
ウチのホムラがお邪魔してたみたいですみません、イアンニさん……!
どうりで俺が勝ったのに、なんの反応もなかったわけだ。
そういや、いつもこの時間はお昼寝タイムだったもんな……!
というか、イアンニの対応が紳士的すぎる。
あとでしっかり、そのバケ――じゃない。
お兜、謹んで洗わせていただきますので。
ご配慮、本当にありがとうございます……!
「お疲れさまでした、フラム」
「……フェレシーラ」
俺が近づくと、フェレシーラは右手を前に重ねてお辞儀をしてきた。
それから手をこちらの肩にあて、傷の確認を行ってくる。
負傷部位を見極めて、術法を施す。
彼女の話によると、神術による治療にもそうした判断が重要となってくるらしい。
「右腕と右肩ですね。すぐに治します。楽にしていてください」
「ん。頼むよ……」
その言葉に従い、俺は姿勢を楽にして瞳を閉じる。
あてずっぽうに『治癒』をかけても、回復力の増大はそう望めない。
そう言われれば、こちらとしては専門家に従うのみだ。
少女の詠唱を耳に、右半身に意識を集中させる。
そこに、温かな熱をもった掌がかざされてゆく。
重く身体を鈍らせていた痛みが、溶け消えてゆく感触があった。
「座られてください。右の足首もです」
「バレてたか――いや、ごめん。そう睨むなって。お願いします」
「まったく……脛も痣だらけではないですか。考えなしに鎧の上から攻めるから、こうなるのです。あそこまで蹴りを多用されるのであれば、更に防具の追加も考えねばなりませんね」
「あー、たしかにいまのスタイルだと、正面だけでも鋼板なり仕込まないと蹴りが効かない可能性があるか」
「効く効かないの話ではありません。あんな無茶な戦いかたでは、いまに自滅しますよ」
相変わらず口調は丁寧に、しかしぶちぶちと文句を言い続けながらも。
フェレシーラは俺の全身の傷を、くまなくチェックし続けてくれていた。
それこそ床にダイブしたときの擦り傷まで、徹底的にだ。
まあ、模擬戦が始まってからずっと、イチバチな戦法ばかりとっていたからな。
それになによりこちらの身を案じてのことだから、感謝こそすれ文句など言えるわけもない。
観念して、俺は膝を抱えた姿勢で話を聞き続けていたが……
しかしそれでも、フェレシーラの怒りは治まらないようだった。
「あのとき……剣を踏みつけたあとに、イアンニが下がっていたらどうするおつもりだったのですか。それに、足を掴んできたのが左手でも十分不味かったのでは?」
「そこら辺はなぁ。少しでも分のいい賭けを選んだつもりだったけど……ま、ぶっちゃけ運任せだったな。どこかで勝負するとなると、その二つだった感じだし」
「では、その後の突撃は? あちらが体当たりに頼ることを、想定しての動きだったのでしょうが……下手をすればただ吹き飛ばされて、そこから馬乗りなり踏みつけなりで終了だったのでは? なにより支えにした鎖が掴めなかったり、千切れでもしていたら――」
それから暫くずっと、彼女はこちらの手を握りしめて話続けていたかと思うと……
「……申し訳ありません」
フェレシーラは、唐突に謝罪の言葉を口にしてきた。
顔を俯かせた彼女を前に、俺はチラと視線を横にやる。
そこでは三人の従士が、腕組み、胡坐、頬杖と、各々に異なる姿勢と面持ちで、こちらを――
「それにしても、フラムくんがここまでやるとは思わなかったッスねえ。聖女さまに聞かされたお話だと、もっと素人感溢れるイメージだったのに」
「うむ。私も貴公との試合を見て、それが過ちだと気を引き締め直したつもりであったが……副従士長は、どう思われますか」
「どう思うもなにもな。結果がすべてだろう」
いや……
あれ、俺だな。
皆して、俺のほうばかり見て話てるし。
申し訳ございません、いま暫くお待ちを。
この人、なんか試合が始まってから……いや、ちょっと前から、いつもと様子が違うんですよ。
もう少し話がしておきたいので、ご勘弁を……!
などと心の中で詫びを入れていると、またもフェレシーラが頭をさげてきた。