113. 見慣れた鎖
「おおー……遂に出たッスね。パイセンの補助武器。新人潰しのベアナックル。試合場で見るのは俺も初めてッスよ」
試合場の中心でファイティングポーズをとるイアンニをみて、観客席のミグが感嘆の声をあげてきた。
「いや……いやいやいや! それ、補助武器とかじゃないだろ! 人類共通、標準装備の……れっきとした主力武器だろ!? こんな隠し玉、聞いてないぞ!」
「やー。それ言ったら、フラムくんの頭突きと蹴りも同じッスからね。先に見せてくれてるぶん、パイセンのほうが紳士的ッス」
「ぐ……!」
続けてツッコミを放ってきたミグに迎撃されて、俺は口を噤んでしまう。
まずい。
これはちょっと……というか、完璧に予想外だ。
実のところ俺には、素手同士の戦いの経験がまったく足りていない。
師匠には様々な武器の扱いを教えてもらっていたが、向こうは杖を使うか魔術を用いた攻防に専念していたからだ。
一応『隠者の森』で影人相手に取っ組み合いはしていたが、格闘技術を修得した人間相手では、まったく勝手が異なることは明白だ。
しかも相手は2mを越える大男、イアンニときている。
直前の試合でのダメージがあり、右手が半分死んでるとはいえ……
否。
だからこそ俺は、彼がそのまま剣を使ってくれていれば、圧倒できると判断していたのだ。
剣の一撃を掻い潜り、短剣でポイントを取る。
それが不可能なら、掴まらないうちに距離を取り、また機会を窺う。
俺がイアンニから一本を取る形は、基本的にこれしかない。
だが、イアンニは違う。
彼ならば剣を捨てても、ポイントを取る方法は幾らでもある。
拳に足に、体当たり……
体のどこでもいい、どこかを思い切り俺に当てたなら、一撃でポイントを奪える。
それだけのパワーが彼にはある。
当たるまでごり押し出来るタフネスもあるし、リーチも圧倒的に上だ。
大人と子供ほどの体格差があるのだ。
おそらくこれまで拳を主に使ってこなかったのは、なにかしら主義や拘りがあるのだろうが……
それも既に、ハンサの一声で吹き飛ばされてしまっている。
再び剣を手にしてくることは、期待出来ないだろう。
……ああ、くそっ。
少し有利になって余裕ぶっていたら、すぐこれだ。
また戦い方を練り直さないといけない。
我ながら、自分の甘さがイヤになる……!
「その様子だと、貴公もまだまだやれるようだな」
「……どこをどう見たら、そう思えるんだよ」
イアンニが不敵に笑い、上体を揺らめかせて間合いを狭めてくる。
基本的なリーチはあちらが断然上。
しかしそれは――
「こっちは余裕ゼロだってのに――よっと!」
あくまでも、拳と拳で打ち合えばの話だった。
拳と足では、さすがにこちらに分がある。
俺が出した結論は、そういうものだった。
「ぬ……!」
こちらの繰り出した前蹴りに、イアンニが僅かに退く。
丁度股間の部位を掠めようかという、最短最速の蹴りだ。
防具で守られているにしても、打撃が響けば手痛いダメージとなる。
クリーンヒットでポイントが取られでもすれば大事だし、まともに喰らうのは勘弁というところだろう。
「おっーと、これは鋭い前蹴りッスねー……って、あれ? ウチの試合だと、金的って禁止じゃなかったッスか? 解説のハンサさん」
「誰が解説だ、誰が。まあ、原則的には故意に当てれば反則だがな。あの小僧だと、体格的にああなるのは仕方もあるまい。兜と同じで、ハンデと見ておけばよかろう」
……マジか。
ならさすがにもう当てにいくのはやめておこう。
ありがとう、実況と解説の人。
などと思いつつ、俺は再び前蹴りの構えを取っていた。
「そう何度も……!」
それを見て、イアンニが拳の握りを解く。
こちらの右膝が跳ね上がるタイミングで、前足を掴みにくる。
だがその掌が、俺の蹴りを捉えることはなかった。
「な――」
「そうだな……!」
こちらも続けて同じことは、やってやらない。
読みを違えたイアンニに、俺は意気を返す。
両腕を空ぶらせたイアンニへと前蹴りを見舞う、その代わりに。
俺は軸としていた左の足で二度、素早く地を蹴っていた。
全身が、石床の上を滑るように前へと進み出る。
前蹴りをフェイントにしての、瞬足の踏み込み。
それを用いて、俺は巨漢の従士の懐へと飛び込んでいた。
短剣が、一度は打ち据えた首筋を狙い伸びる。
イアンニの腕が持ち上がり、それを阻もうとする。
俺を掴めば、即一本に繋がる。
しかし失敗すれば、二本目を奪われ敗北が決定する。
「ぬ――おおおおっ!」
その両方を天秤に賭けて、体が動いたのだろう。
従士の巨体が、なんの前触れもなくこちらに弾け跳んできた。
体当たりだ。
いまだ健在であった脚を活かしての、体当たりだ。
防御と攻撃を兼ねる、彼が取れるであろう最善最速の反撃手段だ。
少しでもタイミングを間違えば、自ら短剣に喉首を差し出しす結果に終わったであろうそれは、俺の体を正面から捉えていた。
「ぐぅっ!」
「――フラム!」
右肩からやってきた衝撃を、少女の声が押し込めた。
だが、勢いは殺しきれずに体が宙に浮きかける。
右手にあった短剣は、弾き飛ばされてしまっている。
当たり前だ。
助走なしとはいえ、あのイアンニの体当たりを受けたのだ。
必然、軽量なこちらがそれに抗しきれるはずもない。
だから俺は――その勢いを利用してやることに、端から決めていた。
「う、おぉ――!」
「なにっ!?」
グンと、突然強い力に胸元を引き摺られて、イアンニが驚きの声をあげた。
その肩には、俺の左手が掛けられている。
そこに絡みつく鎖を、俺の五指が掴んでいた。
絡みついた、鎖と指。
革製の手袋の表皮が擦り切れてゆく最中、イアンニとの間に接合点が生まれる。
それを支点として、俺は宙に弾き飛ばされる。
浮き上がりざま、帷子の前面を右足で蹴りつけて上に飛ぶ。
イアンニの防具は、鎖帷子だ。
それも、前面と関節部の装甲を補強したカスタム品。
その構造は、実のところ……
俺が毎日のようにお目にかかっている、白羽根の刻まれた胸甲と酷似していた。
その両方が、おそらくは聖伐教団からの支給品なのだろう。
胸甲には、脱着用の肩紐と鎖。
鎖帷子にもまた、追加の装甲を取り付けるための鎖。
共に、多少の余裕がある構造をしていた。
「わりぃな――」
その事実に、心の内で感謝をしながら――
「そこの扱いには……こっちはもう、とっくに慣れきってんだよ!」
俺はイアンニの直上で、振り子のように身を翻していた。
「ぐ、お……っ!」
イアンニの巨躯が、僅かに後方へと引き摺られる。
俺の体が、その背後へと落ちてゆく。
既にその左手は自由だ。
支点に用いた、繋ぎ鎖は必要はない。
必要なのは……このままこの巨漢の従士に、背後から組みつくことのみ!
「ば、かな……!」
「馬鹿じゃねえ! こちとら必死で考えたんだよ! 本気のあんたを出し抜く方法をな! お猿さん、舐めんなよ!」
背後に取り付いたこちらを、なんとか引き剥がさねばと考えたのだろう。
イアンニが、必死で背後に腕を伸ばしてくる。
その喉首へと、俺は渾身の力でもって腕を喰い込ませる。
傍から見れば、まるでおんぶされているみたいだろうけど……
この際、贅沢は言ってられない!
「は、はなせっ……離さぬか……!」
「誰が、離すかよ!」
イアンニの腕から頭だけを捩って逃れながらも。
俺は正面で勝負を見守っていた審判の少女を前にして……フェレシーラを前にして、叫んでいた。
こちらの狙いは、締めによる失神狙いだ。
体当たりを受けた時点で、短剣はどこかに吹きとばされている。
頑健なこの男を仕留めるとすれば、これが最後の攻防となる。
例えここで後ろに倒れ込まれて、彼の巨体に押しつぶされようとも……
離すつもりは、毛頭なかった。
「イアンニさん……! 最後に一言、あんたに言っておきたいんだけどさ……!」
「な、なん、だ……旅人、フラムよ……!」
目潰し狙いで伸びてくる指を必死で避けつつ呼び掛けると、律儀にも返事がやってきた。
それを耳に、俺は背筋を反らす。
そうして最後の力を溜めながら、
「俺の頭突き、通用しないとか言ってたけどさ! 身長差がありすぎて、元から届かないんだよ! こうでもしないと――なっ!」
「ぐごっ!?」
俺は抗議の頭突きを、イアンニの脳天へとお届けしてやることに成功した。
その一撃で、二人もろとも前のめりに倒れてゆく。
「う、おっと!」
「一本! 旅人フラム!」
審判のコールを耳に、俺は膝から崩れ落ちるイアンニから飛び退き離れていた。




