111. 型を破る
「ぬ!?」
端正な唇より驚きの声を発して、イアンニがこちらを迎え撃つ。
刃のない剣を棍棒のように振るい、短剣での侵攻を阻みにかかる。
横薙ぎの一撃が、風鳴りの音を立てて繰り出される。
大振りなようでいて、こちらの踏み込みに合わされた一撃だ。
武器と自身のリーチを把握出来ていなければ、こうはいかないだろう。
俺はそれを、突進の勢いを殺して空振りに終わらせる。
しかしそこから一気に距離を詰めることは叶わない。
振り子のように返されてきたイアンニの剣が、それを許さなかったからだ。
再びの一撃に、そこまでの鋭さはない。勢いもない。
ない、が……
なまくら同然の剣といえど、並外れた膂力を誇る彼が扱えば立派な凶器だ。
触れた相手の守り諸共、標的を叩き潰す恐るべき武器だ。
しかし――
「刃が無くても……剣は剣、だ!」
己を鼓舞するようにそう叫び、俺は三度振るわれてきた剣に向かって身を投げ出していた。
踏み込んだのは、イアンニの剣が俺の左肩口を掠めた、その直後。
逆袈裟に振り抜かれた切っ先と、肩当の留め金とが火花を散らしたその瞬間――俺の背中に、少女の声が届いてきた。
「フラム……!」
大丈夫だ。
そう答える代わりに、俺は短剣を手に加速する。
姿勢は可能な限り低く、頭部を下げて敵の間合いに踏み込む。
相手の返し刃……その剣速は掴めている。
多少の誤差は問題ない。速すぎなければいい。速さだけは勝てると信じろ。
間合いも既に測り終えている。体が覚えてくれている。
逃げ回り続けたことは無駄じゃない。
ただ一つ、問題だったのは……
次にやってくる、連携攻撃。
逆袈裟斬りからの、左斬り上げ。
俺がイアンニの懐へと潜り込むよりも速く振るわれてくるであろう、渾身の一打。
即ち、こちらの跳躍を合わせるべきあちらの攻撃を「如何にして誘導出来るか」に、すべてがかかっていた。
「ぬん!」
気合の声と共に、イアンニの右上腕が膨れ上がる。
狙いは最も近く、かつ、ポイントも得られるこちらの頭部。
剣閃が閃く。右下から左上へと最短に。
模擬戦の場においても、一切の加減を交えぬ必殺の一打。
それは彼が、気の遠くなるほどの修練により身につけた「型」なのだろう。
恵まれた体格故に膂力には秀でながらも、決して俊敏とはいえぬ自身の肉体を苛め抜き。
無駄を削ぎ落として身に付けた、止まぬ連打の型。
それは本来であれば……
俺などが絶対に踏みつけることは叶わぬはずの、「鎚鉾」を振るうためだけに培われた型だった。
「なんと……!」
イアンニの目が見開かれる。
本来「剣を振るうための型」であれば、即座に返されていたであろう刃の腹を蹴り。
斬風巻き上げ振り抜かれた己が刀身の、その遥か上空へと跳躍に次ぐ跳躍を果たしていた敵対者の姿を目の当たりにして、彼は感嘆の声をあげていた。
「そのような曲芸で……!」
驚愕からくる戸惑いを?き消すかのように、イアンニが叫ぶ。
既に落下の体勢に入っていた俺へと向けて。
威嚇のための声をあげ、振り上げていた剣を構え直す。
跳躍の後には、多大な隙が待ち構えている。
相手の攻撃を避けようとも、その後に致命打を受けてしまえば元も子もない。
だから彼は俺の着地を狙い、そこを狩ろうとする。
故に彼はその瞬間のために、その場に留まることを選択する。
生粋の重戦士故に、そしてその正々堂々を旨とする信条故に……
彼もまた、ミグと同じく退こうとはしなかった。
剣を手に、長身の従士が狙いを定める。
標的の己は直上。
待ち構えて突き殺すには、格好の位置関係。
瞬間、宙空に白刃が閃く。
上から下に、くるくると小さな弧を描いて。
イアンニの剣が動く。
突きではなく、右から左に。俺が放った短剣を薙ぎ払うために。
短剣が弾かれる。硬質な響きと共に。
俺からポイントを奪うはずであった、イアンニの剣に。
俺からポイントを取らせぬために、反射的に彼の剣は振るわれていた。
「く……!」
「残念! でも……どうせなら、左手で弾くべきだったな!」
刃のない短剣は、しかしそれでも試合上の扱いでは剣に当たる。
それが如何に肌を叩くに留まり地に落ちようとも、それが彼になんの痛痒を与えなかったとしても……
それが喉首に届けば、致命打扱いの一撃と化す。
もしも彼が完全に反撃体制に移行していなければ、軽く身を捻るだけで短剣の投擲は避けられていただろうが……そこは連続で変化する状況に、あちらがどれだけ冷静に対処してくるかの賭けだった。
ともあれ彼は、既に手持ちの武器を振るい終えている。
残されていたのは、籠手に覆われた左腕が一つ。
対する俺には――自慢の右足が残されていた。
「さ、せぬ……!」
「おせぇ!」
左手で顔面を守るイアンニに向かい、俺は踵蹴りを見舞う。
落下のエネルギーが集約された一撃が。
一点集中の踏みつけが。
イアンニが守りにいった顔面ではなく、帷子で守られた右の肩口を捉えていた。
「おいおい……まるで猿だな。型破りにも程があるぞ」
「ひょえー……すごいッスね。パイセンの振りの『溜め』を突くことは思いついても、あれはやれないッスね。軽装の勝利って感じッス」
呆れ顔となっていた観客たちを、眼下に望みながらも。
みしりと骨の軋んだ感触を踏み台にして、俺は三度目となる跳躍からの自由落下を果たしていた。
迫る石床に爪先から降り立ち体を屈み込ませて、着地の衝撃を抑え込む。
背後からは、口惜し気な呻き声。
「ぐぅ……!」
「せぃっ!」
振り向きざま、俺はそこに足刀蹴りを叩き込む。
まともに確認をしている暇はない。
短剣を拾いに行く余裕などない。
攻めるなら、いましかない。
速度重視で放った蹴りが、イアンニの背中に吸い込まれてゆくも。
しかしそれは、鎖の鎧を派手に鳴らすにのみに留まっていた。
「いっぽ――い、いえ! そのまま、続行を!」
その結果に、審判が降しかけていた判定を覆す。
当然だろう。
この程度の攻撃が、この偉丈夫に対して有効打になるとは毛ほども思っちゃいない。
完全にこちらの思惑通りにいけば、先程の踵蹴りは頭部に叩き込まれるはずだった。
それをイアンニの左腕がさせてはくれなかったのだ。
故に俺は狙いを逆側の右肩へと切り替えた。
いかに帷子に守られた部員とはいえ、全体体重と落下のエネルギーを乗せた一撃だ。
鎖骨を砕くか、罅ぐらいは入れられたはずだ。
だから俺は、そうと信じて攻勢に出る。
体勢を整えられれば、同じ手は二度と通用しない。
跳躍での回避は成否の可能性以前に、来るとわかっていれば単なるカモだ。
一発こっきりのビックリ箱に二戦連続で頼ってきた。
あちらに俺の情報がないのは利点の一つだった。
しかしそんな戦法に頼ってきた時点で、正攻法ではこちらに一切の分がないと自白したにも等しい。
なのでイアンニからしてみれば、ここさえ凌げば勝ちとなる。
再び真っ向からの勝負になれば、覆しようのない実力差を前に、こちらは詰みとなる。
「シィッ!」
「ぐ……ごはっ!?」
よろめきながらも振り向こうとするイアンニの両の脇腹、そして膝下へと、立て続けに左右の連続蹴りを叩き込む。
転倒狙いの足刀蹴りでは、効果が薄かった。
体格差が……重量差があり過ぎるのだ。
ならばこちらは、体勢を崩し続けるための蹴打を積み重ねるしかない。
ここで勝負を決めたかった。
否。決めるしかなかった。
このまま優勢に試合を進めて、堅実にポイントを取る。
それだけでは、勝てない状況だった。
二本先取で勝利を得るとなれば、一旦試合が仕切り直しとなってしまう。
そうなれば、またこいつと正面から斬り結ばねばならないのだ。
いまこうして遠慮なく蹴りが出せているのは、流れに運と勢いが重なり、後ろを取れたからに過ぎない。
そんな状況はもう二度と作り出せない。
是が非でも、ここで決定的一打を加えておく必要があった。
しかしそれは……イアンニからしても、お見通しというヤツだったのだろう。