106. 模擬戦、始まるも……
「うっひー……なーんか彼、やる気な満々な表情してるッスね。どうなってもしらないッスよー……」
「ハン――いえ、副従士長。まさか受けられるつもりですか」
ミグとイアンニ、二人の神殿従士がこちらに視線を向けてきた。
自分たちのみならずハンサにまで俺との模擬戦に加わるよう、フェレシーラが要求してきたこと。
それを危険だと考えての発言だろう。
「わかりました。教官たっての頼みとあらば、ここは一役指南いたしましょう」
そんな二人を、ハンサが片手で制して告げてくる。
「ただし、やるからには御覚悟を。いかに優れた神術の使い手がついてはいても、不慮の事故というものはありますからね」
「ありがとうございます。フラムも、それでいいですか?」
「え――あ、うん。それで、俺はオーケー……です。よろしくお願いいたします……!」
……しまった、いまちょっと聞き逃してたぞ。
どうもこの修練場に来てから、いまいち集中しきれてないな、俺。
ここは一度気持ちを切り替えて、やるべきことを整理しておこう。
まずはフェレシーラの言ったように、基礎能力の確認と欠点の洗いだしだ。
だから今回の模擬戦の勝敗に関しては、そこまで気にする必要もない。
こちらは出来るだけ時間をかけて三人と戦う。
フェレシーラはそれを判断材料に、今後の俺への特訓プラン、教育課程を組む。
それを念頭に置きながら、俺は練習用の武具が納められた木製のラックに手を伸ばした。
使用するのは、刃と先端が潰された真っ平な鉄製の短剣。
刃渡り20㎝ほどのそれを手に取り、一振りする。
刺突後の引き抜きの為の血抜き溝が掘られていないこともあり、短剣というよりは「尖った定規のようなもの」といったの趣の代物だ。
しかしグリップの手入れは入念になされており、感触自体は悪くない。
「ごめんなホムラ。ちょっと長く待たせるかもだけど……俺が怪我しても、驚かないでくれよ」
「ピィ……」
右肩から心配気に覗き込んできた友人を長椅子に預けて、俺は試合場へと向かった。
そこにミグが、練習用の片手剣を手に進み出てくる。
見れば彼が差していた片刃剣と刺突剣は、向かいのラックに納まっていた。
「あれ……フラムくん、防具使わないんスか? ここならサイズが合うの、あると思うんスけど」
「いえ、これでいいです。重い装備は着なれてないし……武器さえあれば、なんとか形になると思うので」
ミグの問いかけに、俺は首を横に振り答える。
試合場の中心には、二つの円が描かれていた。
開始位置を示す、向い合せの肩幅ほどの大きさの円だ。
「なるほど、普段どおりのスタイルってわけっスか。こりゃあ中々の自信家っスねぇ。さすがは聖女さまのお眼鏡に叶うだけはある、と」
「べつに、そういうわけじゃ……」
こちらが先に円の中へと踏み入ると、ミグが右足だけを踏み出してきた。
「あ、一応言っておくッスけど」
少年の言葉に耳を傾けつつ、俺は気息を整える。
勝ちに行く必要はない。
相手は対人戦闘の熟練者。対するこちらはズブの素人。
焦らず、フェレシーラに俺の戦いぶりを観察をしてもらうのが先決だ。
「自分、先輩たちに比べたらまだまだ未熟でして」
その言葉と共に、ミグの残る左足が音もなく開始位置へと滑り込む。
「両者、構え」
フェレシーラの声を確認して、俺は短剣を順手に構える。
少年の剣が、無造作に掲げられる。
俺が短剣を手にした右腕へと、その切っ先を突きつけて。
「なので……初心者くんへの手加減。頑張らせてもらいますね」
彼は明らかな挑発行為を――
いや。「武器を狙っておいてやる」という助言行為を、こちらに見舞ってきた。
当然、そんなものにこちらが乗ってやる義理はない。
二本先取制の、有効打によるポイント奪取。
ポイントの基準がやや不明瞭だが……
実剣での致命打ないし、行動不能となる形が妥当だろう。
短剣の握りはそのままに、それをほんの少し高く構える。
見据えた少年の、よく動く口の高さに合わせて……その首筋僅かに覗く鎧の隙間を狙い、息をゆっくりと吸い込む。
落ち着いて、動きを見て行け。
速度で掻き回して、隙を作りだしてゆけ。
そうすれば……きっとどこかで、ポイントを取る機会はある……!
「――始め!」
開始の声に重なって、「ダン!」という音が俺の足元で鳴り響いた。
「お?」
一瞬にして、標的の懐に飛び込む動き。
一直線に敵の首級を獲りにゆく踏み込み。
それに合わせて、少年の剣の切っ先がヒュンと風を切る。
こちらの突進に合わせた、カウンターの一突きだ。
予測済みであったその刺突を、俺は直前で体を沈ませて右側面へと回り込む。
そこにミグが、右足を引いて軸を合わせてくる。
速く、しかし大きく動く相手に、最小限の動作で対応する。
再びのカウンターを見舞うための、迎撃態勢の裏を掻く。
短剣を捨て石に、剣を逸らしきってからの接近戦に持ち込み、体術での有効打を勝ち取る。
そうして裏を掻く、つもりだった。
「――ぐっ!?」
右手に走った重い痺れに、声が洩れた。
遅れて、刃を持たぬ短剣が掌から零れ落ちる。
「一本! ポイント、四級神殿従士ロードミグ・レオスパイン!」
審判の声に重なり、ガランという敗北の音が石床を叩いた。
声もなく、俺は痺れに震える自らの右手を見つめる。
右の手甲に打ち込まれたのは、ミグが振り抜いてきた剣の腹だった。
「あっちゃー……手に当たっちゃったッスね。スンマセンね。思ってたより派手に動いてきたんで。狙い、狂っちゃいました」
気付けば少年の声は、頭上からやってきていた。
手甲をもろに叩かれて、知らぬまに片膝をついていたこと。
軸合わせのみと見せた右脚で、瞬く間に踏み込まれていたこと。
彼の宣言どおりに、無様にも得物を失っていたこと。
あれだけ冷静にと考えていたのに、あっさりと頭に血を昇らせていたこと。
……端から相手との実力差を、わかっていなかったこと。
それらの事実が折り重なるようにして、俺を打ちのめしにかかってきていた。
「えーっと……そういえば、試合中の治療行為ってどうなるんスかね? 今回はハンデでオーケーもありありだと思うんスけど。やっぱ普通に、リタイア扱いッスか?」
「そうなりますね。ですので、このまま構えが取れなければ彼の負けです」
「あうち。それはほんとに、ミスっちゃったッスねー……折角のテストだったのに、すぐ終わっちゃって。ま、張り切り過ぎた報いってことで。今後に活かしてもらえたら嬉しいッス」
フェレシーラとのやり取りを経て、ミグがその足を白線の外へと向けた。
当然それは、試合の放棄を……敗北を意味している。
こちらが続行不能を宣告される前に、彼はそれを行ってくるだろう。
公国を守護する神殿従士である彼にとって、降ってわいてきた模擬戦で、俺に失格負けすることなど、どうでもいいことなのだ。
そんなことよりも、素人同然の相手に本気を出して重傷を負わせることのほうが。
身の程も知らぬ、格下をいたぶるような行為のほうが。
彼にとっては、よっぽど恥ずかしい行いなのだ。
その事実を、今更ながらに思い知らされながら――
「まっ……て、くれ……!」
ざり、と音を立てて、冷たい石床をブーツの底で踏み鳴らして。
ぎりぃ、と悔しさを飲み込むように歯噛みをして。
俺は未だに強い痺れを残す右手を、残る左の掌でもって無理矢理に握りしめていた。
霊銀の手甲を用いて見様見真似で『治癒』の神術を用いれば、復帰は容易なレベルだろう。
だがしかし、フェレシーラは模擬戦で使用する武器に手甲を含めてこなかった。
だからこの場でそれに頼るのは、ルール違反だ。
例え誰が許そうとも、俺はそれを許容できなかった。
「あー……頑張る人は嫌いじゃないッスけど。マジで無理しないほうがいいッスよ。そういうの、興奮してるうちは感覚が麻痺してわかんないもんッスから。骨に罅ぐらい入っててもおかしくないんで、ここは一旦治療を」
「待てって……言ってるだろ!」
地に落ちた短剣を左手で拾い上げて、痺れの元にあてがい気を吐く。
少年の歩みが、ピタリと止まる。
その右手にはだらりと下がった剣が一振り。
「はぁ……自分、どうも喧嘩売られてるっぽいんスけど。コレって買っちゃってもいいんスかね。フェレシーラさま」
「本人の意思であれば、構いません。引き続き、御指導をお願いいたします」
「うっひゃー……どうなっても、自分知らないッスよー。この手のタイプって、加減したら逆効果なんスから……!」
審判とのやり取りを経て、彼はこちらに向き直ってくれた。
その剣先は、既に俺の手中に合わさっている。
どうあってもこちらの短剣を跳ね飛ばして負けに追い込んでやろうという、気遣いとプライドの表れだろう。
ありがたい、話だった。




