番外編 恋人たちの日
こちらは過去にカクヨムでサポーター先行限定公開になっていた『君を探して 白羽根の聖女と封じの炎 クリスマス記念SS』をキミサガ一周年記念で本編に追加したものです。
サイドストーリーとしてお読みいただければ幸いでした(*ᴗˬᴗ)⁾⁾
三人称形式
冒険者ギルド → 貪竜の尻尾 → 宿に戻った日の夜のお話
ミストピアの宿でホムラがぐっすり寝ついたあと
フェレシーラ主催のお勉強会での一幕でした
「そういえばフェレシーラの使ってる装備品ってさ。やっぱ全部、聖伐教団の支給品とかなのか?」
それは陽もミストピアを囲む山肌の彼方へと落ちきり、夜も更け始めた頃のこと。
「ん? なによ、いきなり……」
突然やってきたフラムの問いかけに、ニスの効いた樫のテーブルから、フェレシーラが視線をあげてきた。
「いやさ。今日は俺、『貪竜の尻尾』で一通りの防具を新調させてもらっただろ? これから旅を続けていくなら、必要に応じてそういうこともやっていくんだろうけど。その場合、フェレシーラは街の店で買い物とかしないのかなって。そう思ってさ」
勉強会の途中、そろそろ集中力も切れてきたのだろう。
背凭れつきの椅子の上で器用に胡坐を掻きながら、フラムがそんなことを口にしてきた。
ちなみに本日の授業内容は、『神殿』で用いられているに階級制度についてだった。
「ああ、なるほど。そういうことね……唐突に話が変わるから、びっくりしちゃったじゃない」
「いやいや、一応『神殿』絡みの話だぞ。完全に無関係ってほどでもないだろ」
「それはそうだけど」
言いながら、フェレシーラも羊皮紙と羽根ペンを片付け始める。
あまり一気に知識を詰め込むのも良くない、との判断からだ。
彼女からしてみれば、これまで殆ど『隠者の塔』の中で生活してきたフラムは、多少常識に欠ける部分こそあれ、生徒としては非常に優秀に思えた。
なのでここで無理をする必要は一切ない。
旅程こそ影人の出現により止まってしまっていたが、そこも手は打ってある。
問題ない。
むしろ気がかりなのは、彼の精神面に関してだったが……
初めて出会った時は、どこか心を閉ざしているような、捨て鉢になっているような印象も強かったとはいえ、それもここ数日で随分と変わってきていると感じている。
「森から出て環境が変化して、いろんなことに目が向き始めたってところかしら。いい傾向ね」
「む……お前こそいきなりだな。なんかその言い方だと、まるで俺が――」
言葉の途中、不意にフラムが椅子の向きを変えて無言となった。
フェレシーラの言葉に腹を立てたから、ではない。
その理由はただ一つ。
勉強会の片づけを終えたフェレシーラが椅子から立ち上がり、自分の荷袋に手を伸ばしたからだった。
その気配を感じ取り、フラムが更に態勢を変える。
テーブルとほぼ180度、正反対の状態となってから、彼は再び口を開いていた。
「……で? 実際のとこどうなんだよ。お前の使ってるものってさ」
「そうねぇ……まあ、大体の物は神殿と教会から回してもらっているかしら。装備品に限らず、こういった衣類の類もだけど」
「ふーん……」
微かな衣擦れの音を背に、フラムが興味なさげにいつもより豪華な部屋の壁を眺め続ける。
湿度の高いミストピアでよく用いられる、つるりとした石壁だ。
フェレシーラは着替えの真っ最中だ。
暇を持て余したフラムは、なんとなく落ち着かずに目を閉じてしまう。
別にこの神殿従士の少女は、丸裸になっているわけではない。
街着にしていた法衣から、就寝用の寝間着に着替えているだけだ。
下着の類だけ、先に神殿で湯を浴びた際に替えを済ませているはずだ。
だからそれでなんの問題はないのだ。
まったくもって問題はない。
ただなんとなく、初めて彼女がそうした時に何も考えずに眺めていたら、物凄く困ったような顔をされて、普段とはまったく違った様子でチラチラと伏し目がちに視線を送ってこられて以降というもの……
なんとなくこうしてどこか余所を向いて、彼女の着替えが終わるのを待つようになっただけだ。
特に意味はない。
そうフラムは思っている。
強いて言うのであれば、フェレシーラがなにか嫌がったり、困るのであれば、そういう行動は控えるべきだ、と感じていただけだ。
深い意味はない、と彼自身は思っている。
「お待たせ――って」
最近かなりスムーズとなってきた着替えを終えて、フェレシーラが振り向いてきた。
「なによ、また律儀に待っていてくれたの? 貴方も一緒に済ませたらいいのに」
「別に……二人して着替えてたら、なにかあったときに対応出来ないだろ。俺たちだけならともかく、ホムラだって守ってやらないといけないんだぞ」
「あー、それは確かに。それじゃここからは私めが見ておきます故。どうぞゆるりと御着替えなさってくださいませ、小さなナイト様」
「ぐ……っ! 小さなは余計だろ、小さなは……っ!」
どこか愉し気な響きのある少女の声を背に、フラムが着替えにとりかかる。
……大丈夫だ。
今日はしっかりと湯を含ませた手拭いで、汗は拭き終えている。
下着だって、その時に替えておいた。
最近はフラムにも、自分の汗臭さや肌や髪の油分といったものが、妙に気になり始めているという自覚があった。
師匠と一緒に生活していた頃は、そうしたことを特に気にしたこともなく、かといって不衛生にしていたわけでもなかったのだが……
「歳もやってることも大差ないのに、なんでこんなに差があるんだよ……ったく……」
「ん? なにか言った? もう振り返っちゃっても、いいのかしら?」
「な、なんも言ってないし、まだだよ! わかってるだろ、それぐらい!」
慌てて声を荒げると、クスクスとした含み笑いが彼の耳へと届いてきた。
自分は大人しく待っていたというのに、ひどい話だと思う。
……もしかして、ニオイを気にしていることがバレているのだろうか、とも。
「お待たせー……」
「うんうん。似合ってるじゃない。露店に丁度いいサイズのがあって良かったわ」
「ん……」
やわらかな綿のシャツとズボンに着替え終えて、フラムがその場を振り向く。
昨日立ち寄った露店で、フェレシーラが購入していてくれたものだ。
当然フラムも彼女に「値の張るものは不要だ、手持ちの物で良い」と言ったのだが……「がさがさの生地とか、私が嫌なの」と言われてしまい、根負けする結果となっていたのだ。
その場ではしっかりと礼を言ったフラムだが、しかしなぜだか今はそれが出てこない。
「それじゃ、少し早いけど……今日はもう寝ましょうか」
視線を宙に泳がせてまごついていると、フェレシーラが告げてきた。
フラムが無言でそれに相槌をうち、正面へと向き直る。
見れば彼女は、純白のネグリジェ姿となり寝台のシーツを整えていた。
やっぱり違う。
そうフラムは思う。
自分は「臭い」なのに、彼女は何故だか違うのだ。
ふわりと鼻先をくすぐり掠めてきた甘い「匂い」を感じつつ、ひっそりと溜息をつく。
「今日は大きめの部屋が空いていてよかったわ。なんでもミストピアでは特別な日らしくって、湖の見える眺めのいい場所も予約でいっぱいだって聞いていたのだけど。偶然キャンセルが出たらしくって」
「……そういうのって、普通もっと大人数で泊まる客を優先するもんじゃないのか」
「私もそう思ったのだけど。宿の主人が『いい部屋が空いてますよ!』って手もみしながら熱心に推してくるから……つい、お言葉に甘えちゃったのよ」
「へー……まあ、飯が部屋で食えて豪勢なのはよかったけど。お前が知らない記念日とかどんだけマイナーなんだよ」
「むぅ。折角良いお部屋をとっておいたのに、なによその言い草。私だって、知らないことも沢山ありますよーだ」
しまったと、フラムは思った。
別にいまのやり取りで、本気で彼女が怒ったなどとは思わない。
だが今回は、少しばかりタイミングがわるかった。
どうもこの時間帯になると、フェレシーラとのやり取りが難しくなるように思える。
反省しながらも、彼は使い古したナップサックへと手を伸ばした。
「さてと。そろそろ寝ないとね。明日からは忙しくなるから。あまり夜更かしもしていられないもの」
彼女にしてみても、微妙な雰囲気にしてしまったという、自覚はあったのだろう。
フェレシーラが一人大きな寝台の前に立つと、就寝の合図を切り出してきた。
「フェレシーラ」
「……?」
少年の声に、少女が振り向く。
見れば、どこか不安げな、しかしどこか気恥ずかしげな面持ちとなった少年が、手を前に突き出してきた。
「え――」
「やる。お前に」
フェレシーラが「ぽかん」と口を開けて、それきり微動だにしなくなる。
フラムのぶっきらぼうな物言いにではなく、その手の中にあった真っ白なポーチに目を奪われて。
「これって……」
「尻尾の店主が、いい物があるから見ていけって。特別に安くしておくから、なんか……頑張れよ、って言ってくれて。それで、まだ俺が持たされていた銀貨、残ってたから……」
しどろもどろとなりフラムが説明をする間にも、フェレシーラの視線は革製の真新しいポーチに吸い込まれるようにして、ピクリとも動かなかった。
「その、お前の小銭入れとか、その手のやつだけ、教団のやつじゃないのかなって、なんとなく、普段見ていておもってて……愛着があるとか、なんか特別なものだっていうんなら、無理に換えなくても――」
「ううん」
少年が手を引っ込めかけたところで、少女がそれを遮ってきた。
自信無さげとなっていた掌に、指先が重なる。
それから暫くしたあとに、白いポーチがネグリジェの胸元へと収まっていた。
「嬉しい……」
「……そっか」
しんと静まり返った部屋の中で、二人がそれだけを口にする。
昨日まではあれだけ騒がしかった階下でのお祭り騒ぎも、何故だか今日は一切聞こえてはこない。
聞こえてくる音といえば、床で毛布にくるまっていたグリフォンの雛があげる、可愛らしい寝息ぐらいのものだ。
逆に言えば、それがあるから時折周囲から響いてくる声も音も、二人の耳には入ってこないのだが。
ともあれ毛布で作られたその巣は、どちらからともなく持ち上げられた。
「おやすみ、フェレシーラ。今日もありがとう」
「はい……おやすみなさい、フラム。明日も、また……」
大きな寝台に横づけられていた、水晶灯の火が落ちる。
向い合せとなったその中心で、小さく可愛らしい巣が営まれる。
やがて密やかに手と手が結ばれる音に続き、それが微かな寝息へと移り変わっていく、その最中。
霧の街に古くから伝わる習わしの日が、静かに過ぎ去っていった……
『君を探して 白羽根の聖女と封じの炎』クリスマス記念SS
「恋人たちの日」 ― 完 ―