第3話 こんな7歳児は嫌だ
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「あっ……」
目の前の少女に気をとられていたせいで、直前までドアが開いたことさえ、気づかなかった。
ベリーのことだ。振り向かなかったが、どんな顔をしていたのかくらいは予想できる。少しの間は困惑して閉めてしまったが、我に返ると苦笑いしていたに違いない。
「……さっきの方はそのままで大丈夫なのでしょか?」
「ああ。忘れ物でも取りに来たんだろう。優秀なメイドで買い出しに行ってもらっているんだ。」
「そうですか」
「それで話を戻すんだが、話せそうかな?」
「……はい。実は私……」
イキシアは「ああ」という言葉とともに頷いて先を促す。
「……今までのこと、あまり覚えてなくて……」
「なるほど。それはつまり───」
「───記憶喪失なんだと思います。」
「へぇ~。なるほどなぁ」
───そういうシナリオか。
おそらく、その記憶がカギなのだろう。このNPCは、運営があらかじめクエストの重要人物として用意したのだろう。
「それで、自分の名前は分かるか?」
「ごめんなさい。覚えてなくて……」
「謝る必要はない。何か他に覚えていることはあるか?」
「……明確に覚えてはいませんが、感覚的に戦い方と懐かしいか、新しいかくらいは分かりそうです。」
「どこか行く当てはあるか?」
「……ありません」
「そうだな。ベリー───あのメイドに相談してからになるが、俺のところでしばらく生活するのはどうだ? あんまり贅沢はさせられないが、戦いが嫌じゃないならそれで俺を手伝ってくれ。」
「……はい。よろしくお願いいたします。ご主人様」
───ご主人様、ねぇ。後でいらぬ誤解を招きそうだから、止めとくか。
「イキシアと呼んでくれ。」
「いえ、恐れ多いです」
「そんなに俺は怖く見えるかな」
少女の目から読み取れる感情の中には、畏怖に近いものがある。
「正直に言ってくれいいんだよ」
「……えっと、ご主人様からは何かとてつもなく強い力───オーラとでも言えばいいんでしょうか。そういうものがビシビシと伝わってきていて……」
───やはり、呼び方は変わらないらしい。もういいか。
「うーん。すまないが、少し分からないな」
「あ、そう言えば、名前はどうするんだ? 自分で決めるか?」
「いえ、恐れながら……ご主人様につけていただきたい、です」
少女の目に含まれる感情その二が安堵だ。一つ目と相対するかのような、それは記憶を失っても心に深く刻まれている無意識が反映する、懐かしさと言ったところか。
「……そうだな。アスターとかどうだ? 呼び方はアスタで」
「素晴らしい名前をありがとうございます」
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もうそろそろ上がりきるだろう太陽の麗らかな日差しによって温められた風が髪をかき乱す。
「なぁ、君は食事の必要はないのか?」
イキシアは宿屋のまあまあ高い屋根に立ち、そこから街を見下ろす。ここにもいない、ここにもいない、と素早く確かめながらベリーを探す。
「……お腹は空いていません」
なぜ、ベリーの帰りを待たないでそんなことをしているかと言うと、イキシアのMPが底を付きそうだからだ。確かに、ベリーが埋め立てようとしていた使用済みの魔石は持っていた。それも食べたのだが、如何せん毒で減るHPを治す必要もあり、量もそんなに多くなかったためだ。
「ステータスって知っているか?」
おそらく、ベリーはそこまで計算して回収した使用済みの魔石を落ちていかなかったに違いない。アスタは未成年者だ。対してイキシアはここでは大人。犯罪に加担する気はないと言いたいのだろう。全くもって遺憾だ。誤解だと言うのに。
「それは何でしょうか」
「名前、種族、HP、MP、EP───まぁ、その対象の情報が表示される画面のようなものだな」
「ええっと……こう、でしょうか?」
イキシアは目を細めた。アスタはステータスとボックスどちらも使えるようだ。インターネットによると、ステータスのみ、モンスターの場合はプレイヤーにもNPCにも見えるようになっていて、NPCとプレイヤーの場合は相手に見せる意思がなければ、相手には原則見えないらしい。
「そうだ。自分の名前からこんなカードを出せるか?」
つまり、アスタはNPCではなく、プレイヤーに近い存在だということだ。スレの方もイキシアはチェックしているが、そこでもなかった。だから、アスタのような存在をイキシアは誰よりも先に発見できたのかもしれない。
「はい、できました。」
自然と口角が上がる。それに共鳴するかのように、ゲーマー魂が燃え上がる。
「交換したら、相手のカードをボックスにしまえ。そうしたら、ボックスにフレンドの枠が増えるだろう。これで、フレンド登録は成功だ。」
「フレンド登録とは……」
「フレンドチャットって言って、離れたところでも会話ができるものだ。試しにしてみよう。フレンドの枠にある俺の名前をタップして、そこに会話とメッセージの2つ選択肢が出てくるか───見つけた」
少し狭い、落ち着いた商店街を歩く、ピンと立った金色の狐耳と同じ色をした少し長めのボブの幼女とも言えるくらいの少女。服はやはり買い替えるほど、お金がなかったらしく、簡素な灰色のローブを羽織って、囚人服を隠しているようだ。
「あの方がベリー様なのですね」
その声は心なしか無機質だった。フレンドチャットで会話するのを楽しみにしていたのだろう。存外、人間味があるようだ。
「ああ。目立つのは本意ではないから、少し失礼するよ」
「きゃっ」
イキシアはアスタを俗に言う、お姫様抱っこで持ち上げる。荷物のように横抱えの方が両手がふさがらず、その方がいいのだが、流石にそれは夢がなく可哀想なので、それくらいは我慢する。
「な、どういうことでしょうか。」
「まあ、これから分かる」
すると、イキシアはどんどん速度を上げる。しかし、最低限の動きと「大風」で風を制御している故か、風は少し強くなったかな、くらいで収まっている。
「こ、こんなことを───ひゃっ───したら、目立ってしまいますよ!」
今までほとんど動じなかったアスタが声を上げているのは、こそばゆいからだろう。最低限の動きとは言え、微かにだが揺れるには揺れる。その微妙さが余計にむずむず、感じられるのだろう。感覚が鋭い分、こういうことが起こるのだろう。
「ほら、街ゆく人からの視線が───痛くない?」
「俺は今、アスタごと気配を消しているんだ。これはスキルじゃなくて、俺個人の技術だがな」
「そうなの、ですね」
「ほら着いたぞ」
「ありがとうございます」
「ベリー、買い出しお疲れさ───」
ベリーはイキシアの言葉を遮り、流れるように皮肉を交えて長文で攻め立てた。見た目は幼子だ。ついでにその声も可愛らしい甲高い少女の声だ。その見た目故に、さながらホラー映画を見ている気分だ。
店のおっちゃんは引いていた。呆気にとられているが、こんな7歳児は嫌だ、とでかでかと顔に書いてあった。
なんか可哀想だった。