第8話 **ネコの理解力について**
夜中、しとしとと雨が降る中…
「ねぇ、カテイちゃん?時々パパは心が悲しくなるんだ…どうして誰もパパのことを理解してくれないんだろうって…」
……
またか…メガネの奴 返事したくないなぁ。いい天気だし、眠りたいんだよ…ZzzzZz ニャー~
「ねぇ、カテイちゃん…まだ寝ないでよ…パパは悲しいんだよ~」
Zzzz.....Zzzzz......
「お願いだよ、カテイちゃん…パパの話を聞いておくれ~ うぅぅ…」
………
………
あぁ…仕方ない!今回だけだぞ!メガネの奴… だから、脳と心を最大限に開いて、しっかりと聞いてくれ…
……
ニャー~
……
我輩たち猫にとって、周りの世界を理解することは自然の一部だ。それは存在そのものであり、水や食べ物、空気のようなものだ。人間である君たちと同じように、そして我輩たち猫が毎日命をつなぐために消費しなければならないものでもある。(申し訳ないが、私は「君」と「私」という言葉を分けて使わなければならない。同じ世界で一つの存在であってもね)簡単に説明すると、猫が持つ物事に対する理解の器は、人間が持つ理解の枠やレベルを超えて広がっているんだ。たとえば、魚。人間も猫も「獲物=食べ物」として見ているが、猫にとって魚は単なる食べ物ではなく、我々と同じように「存在の一つ」なのだ。もちろん、猫は魚を食べ、体がそれを消化し、排泄物として出す。これは人間と同じだ。しかし、猫は「魚=食べ物=糞=排泄物=嫌い」というように、ただ「脳」で分けて考えることはしない。どうだ、またその比較する心が君たちを価値判断に導いてしまうんだ。哀れなものだ…それでも、我輩たち猫にとって「生と死」は同じものであり、コインの表裏のようなものであり、昼があれば夜があり、美しいバラにはとげがあり、幸福には常に悲しみが伴う。この理解を「脳」だけで分けて考え、さらに「好き vs 嫌い」、「良い vs 悪い」、「美しい vs 醜い」というQC(品質管理)のスタンプを押して価値を決めると、我輩たち猫の心と魂はこれらの「苦しみ=汚染」に侵され、純粋な魂がすべて蝕まれてしまう。そして、天国に帰ることができなくなってしまうんだ。身体はやがて朽ち果てるだろうが、不滅の純粋な魂は残る。それが汚染され、元の「本当の家」に帰れなくなったらどうなる?人間よ、これほど悲しく、哀れなことが他にあるだろうか?
君は誰にも理解されないから悲しいと言うが、我輩「カテイ」は君を理解し、君の存在を否定することは決してない… それは、我々が神によって「生まれ、老い、病み、死ぬ」存在として同じように創造されたものだからだ。
……
これでいいかい…ニャー~
……
おやすみなさい
………
ZzzZz……
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(第9話に続く)