第4話 **人間との親密さについて**
「ティーちゃんはティーくんじゃない~、ティーくんはティーちゃんじゃない~、ティーちゃん、ティーくん、ティーちゃん、ティーくん~」
ほぼ毎回、メガネの奴がこんな妙な節回しで人間の言葉を歌いながら近づいてくると、我輩はすぐに早足で逃げ出すのだ。もし我輩「カテイ」が逃げ遅れたら、メガネの奴に抱き上げられ、その奇妙な歌声を耳元で延々と聞かされる羽目になる。それが嫌だというわけではないのだが…本当に、ニャー。
この2年余り、我輩「カテイ」はこのメガネの奴とそのぽっちゃりした恋人と共に「共に暮らし、共に食事し、共に砂の中で用を足す」生活を送ってきた。その間に、我輩は「感情と関係の管理」の原則を少しずつ理解し始めた。猫として人間と関わる際、この管理は一種のアートと科学であり、人間は一生をかけても猫が日常的に行う行動の背後にある論理を理解することはできないだろう。ニャハハ~。
実際、理由なんてものはほとんどないのだ。例えば、物を落としたり、ファンを止めたり、コンピュータのモニターやキーボードの上に座ったり、ソファやベッドのカバーを引っ掻いたり、人間の腹の上で丸くなったり、朝に猫ならではの方法で起こしたりする活動など、すべてが人間とのインタラクションだ。しかし、我輩たち猫にとって、これらの活動の目的は退屈を紛らわすだけでなく、日々の親密さを高めるための手段でもある。そして、これらの行動は、人間たちに対して「世界にはまだまだ人間がどうしようもできないことがたくさんある」というメッセージを伝える手段でもあるのだ。つまり、「複雑な問題にとらわれず、もっと前向きに、そして楽観的に物事を捉えろ」と猫たちは言いたいのである。「物事はただ適切な時を待っているだけかもしれない。だからすべての問題を解決不可能な悩みと見なさないように、ニャー」(しかし、餌や水が少なくなったり、おやつが減ったりすれば、我輩たち猫の「信頼の輪」の中での関係が損なわれる可能性があるので、気を付けるように、メガネの奴らよ。ニャハハ~)
もし、「猫たちは人間との間に愛情や親密さを感じているのか?」と問われたら、我輩「カテイ」は自信を持って短く答えるだろう。「もちろん!我輩たち猫は、忠誠心があり、誠実で、豊富な資源を持つ人間には愛情と親しみを感じるものだ」…と言っても、資源が少ないからといって愛が減るわけではないのだ。少なくても多くても、我輩たちは日々さらに深く愛情を感じる。しかし、猫の本性として、犬のようにあからさまに愛情を表現することはあまり好まない。はっきりと表現することがアートやサイエンスとはかけ離れているからだ。メガネの奴も我輩と同じ考えではないか、ニャハハ~。
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(第5話に続く)