後編
青風通りの入り口にある、花屋の前。
三人の柄の悪い男たちが、いつの間にかキリーブの意中の少女を取り囲んでいた。
ようやく店先の花から顔を上げた少女が、それに気付いて顔を強ばらせる。
「行った方がいいな」
こういう時のコルエンは積極果断だ。
微塵の躊躇もなく街路樹の影を出る。
「あ、待て。僕は心の準備がまだ」
キリーブが慌てて止めるが、ポロイスもコルエンの後に続く。
「キリーブ。人助けをするのに心の準備は不要だ」
「いや、勝手なことを言うな。お前らにとってはただの人助けだろうが、僕にとっては」
そう言いながら、キリーブも街路樹の影から飛び出す。
「ああ、くそ。どうしてこうなる」
店に歩み寄るキリーブたちの眼前で、三人の男に囲まれた少女が後ずさった。
「大丈夫だ、お嬢ちゃん」
男の一人がそう言って腕を伸ばした。
「痛いことはしねえから、こっちに来な」
「そうそう。少しだけおとなしくしててくれればいいんだよ」
他の二人とは少し趣が違う商人風の男が猫撫で声で言った。
「だから、ほら。こっちにおいで」
だが少女は何も答えず、強張った顔のままで首を振る。
「ようよう、おっさんたち」
コルエンが、男たちの背中に声をかけた。
「昼間っから女の子囲んで、何やってんだよ」
「あ?」
振り向いた人相の悪い男は、長身のコルエンに一瞬怯んだ顔をしたが、後に続くポロイスとキリーブを見て、すぐに彼らが子供だと気付いたようだ。
「なんだ、ガキか」
そう言って、邪険に手を振った。
「引っ込んでな。ガキが首を突っ込む話じゃねえ」
「引っ込めって言われて大人しく引っ込むほど、上品には育ってねえんだ」
コルエンは好戦的な笑顔で言い返す。
「首を突っ込むなってんなら、手でも足でも突っ込むぜ」
「なんだ、こいつ」
「めんどくせえガキだな」
男たちが舌打ちしてコルエンに向き直ったときだった。
彼らの注意が逸れたのを感じたのだろう。囲まれていた少女がいきなり駆け出した。
男たちの間をすり抜けると、コルエンたちの隣を駆け抜けて、路地裏へと。
「あ、待て!」
叫んだ男たちが追おうとするが、コルエンが立ちはだかる。
「だから俺にも話を聞かせろって」
「てめえ、邪魔だ」
さすがに男たちが殺気立った。
一人が懐からナイフを取り出す。
「怪我するぞ、ガキ」
「おう」
コルエンが目を輝かせた。
「光り物が出てきたぞ。今日は本当についてるぜ」
「そんなガキ、どうでもいい」
商人風の男が腕を振り回して叫ぶ。
「あの子を捕まえろ」
そこへ、別の路地からまた柄の悪い二人の男が姿を見せた。
「お前たち、ちょうどよかった」
商人風の男がその二人に、走り去る少女の背中を指差す。
「あの子を追え。逃がすな」
弾かれたように二人が少女を追って走り出す。
「キリーブ」
コルエンは目の前の男たちから目を離すことなく、背後のキリーブに腕を振った。
「行け。あの子を守れ。男を見せてこい」
「ああ、くそ。言うと思った。どうしてこうなるんだ」
悲痛な叫び声を上げながら、それでもキリーブは駆け出した。
「僕が求めていた出逢いは、こんな物騒なものではないのに」
キリーブと新手の男二人が少女を追って走り去った後、残った三人の男は怒りに滾った眼でコルエンとポロイスを睨んだ。
「ガキども。よくも邪魔してくれたな」
人相の悪い男がそう言ってもう一度ナイフをちらつかせる。
「ぶっ殺したっていいんだぜ」
男の言葉はあくまで脅しで、さすがに白昼に街中でコルエンを刺すつもりはなかっただろうが、騒ぎを耳にして花屋から出てきた店員がそれを目にして小さな悲鳴を上げた。
「ちっ」
男が舌打ちした時だった。
「よし、これで目撃者は確保した」
コルエンの背後から冷静な声がした。ポロイスだった。
「君にしてはよく我慢したな、コルエン。もういいぞ」
「おう」
そう言いざま、コルエンが踏み込んだ。男がとっさに反応する暇もなかった。
子供離れした長い脚が目にも止まらぬ速さで振り上げられる。
鈍い音。
狙い違わずコルエンの足は、男の手の中のナイフを蹴り上げていた。
「がっ」
男が手を押さえて呻く。
蹴り上げられたナイフは宙を舞ったかと思うと、何かに引き寄せられるようにコルエンの後方に飛んだ。
ポロイスが涼しい顔で、自分の目の前に落下してきたナイフを掴む。
「花屋は荒らすんじゃないぞ、コルエン」
ポロイスは言った。
「街の衛兵隊に引き渡せる程度にしておくんだ。さもないと、またデミトル先生が倒れるからな」
「分かってるよ」
コルエンは抑えきれない笑顔で男たちを見た。
「最低限、こいつらが自分の足で歩けりゃいいんだろ」
「な、何なんだ」
その子供離れした落ち着いた態度に、商人風の男がうろたえた声を上げる。
「ガキども、お前ら一体何なんだ。こっちは大人三人だぞ。何で全然怖がらない」
「さては、お前も島の外から来たな」
コルエンは声を上げて笑った。
「地元の人間なら、そんなことを言う奴は一人もいねえよ。ノルクの街におかしなガキがいたら、そりゃノルク魔法学院の生徒に決まってるだろうが」
その言葉に、男が目を見開く。
「ノルク魔法学院」
魔術の才能を認められた天才たちの集まる学院。初等部の生徒ですら、その魔法の実力は外の世界の大人の魔術師たちを優に凌ぐという。
今、自分たちはその学院の生徒を敵に回そうとしているのだということに、遅ればせながら男は気付いたようだった。
「コルエン。君の言葉は間違ってはいないが」
ポロイスが口を挟んだ。
「おかしなガキがみんなうちの生徒だというのは、あまり褒められた話でもないな」
「まあいいじゃねえか。さあ、来いよ。一人ずつでも三人いっぺんでもいいぜ」
コルエンは男たちに手招きする。男たちはさっきまでの威勢はどこへやら、お互いの顔を見合わせて、誰も踏み込んでこない。
「ポロイス、手を出すなよ」
コルエンは言った。
「大丈夫だ、魔法を使うなんて野暮な真似はしねえから」
「魔法を使わない方が野暮だと思うがね、僕は」
ポロイスは肩をすくめる。
「まあ、野次馬があまり集まらないうちに終わらせてくれ」
「待て!」
二人の男が少女を追いかける。
その後ろから、キリーブも走った。
これじゃまるで僕まで彼女を追いかけてる悪者みたいじゃないか。
そう考えると、面白くない。
だが、男たちと少女の距離はぐんぐん縮まっていく。
少女が苦しそうに息を切らす音までキリーブの耳に届いた。
そんなことを考えている場合じゃない。
「そこを右だ!」
キリーブが叫んだ。
その甲高い声が、まさか男たちの声とは思わなかったのだろう。少女は一瞬後ろを振り向くと、それからキリーブに言われたとおりに路地を右に曲がった。
だが、そこは行き止まりだった。
絶望的な表情で少女がキリーブを振り返る。
捕まえたと確信して足を緩めた男たちの横を、キリーブはすり抜けた。
「こっちだ!」
少女の手を取ると、キリーブは壁と壁の隙間に身体を潜り込ませた。
「あっ!」
男たちが叫ぶ。
路地の突き当りの、家同士の壁の間のわずかな隙間。そこはキリーブや少女のような身体の小さな子供ならぎりぎりで通ることのできる幅だったが、男たちにはとても入れなかった。
「くそ、待て」
男たちが隙間から手を伸ばすが、届かない。
キリーブと少女はそのまま壁の隙間を駆け抜けて、まんまと男たちを撒いた。
路地を走り抜け、気付くと二人は街外れの丘の上にいた。
はあはあと息をついた少女が、自分以上に息を切らせて喘いでいるキリーブを見る。
「ここまで来れば、もう大丈夫かしら」
「ん、ああ、だだ、大丈夫だろう」
汗を拭いながら、キリーブは盛大にどもった。
「大丈夫だ、うん」
もう一度言う。
少女はそんなキリーブの様子を不思議そうに見てから、表情を緩めた。
「助けてくれてありがとう」
そう言って、キリーブをまじまじと見る。
「この街の裏道に詳しいのね」
「す、住んでるから」
「そうなんだ」
少女は微笑む。
「この街の人なんだね」
「あ、ああ。うん」
「きれいな島だよね、ここ」
そう言いながら少女は初めて周囲を見まわして、目を見張った。
丘からは、海が一望できた。
ノルク島は海に囲まれているだけに、色々な場所から海を見ることができた。だが、この丘のように高い位置から海を一望できる場所はそう多くはなかった。
初夏の真っ青な海が目の前いっぱいに広がっていた。
「きれい」
少女は思わず呟く。
「すごくきれいな景色」
キリーブは顔を赤らめて、満足そうに頷いた。
「……で?」
夜。
寮の談話室のソファにだらしなく寝そべったコルエンが、そのままの姿勢でキリーブを見上げる。
「それから?」
「それだけだ」
キリーブはそう言うと、やるせない表情で窓の外を見る。
「二度とないような、輝かしくも切ない一日だった」
コルエンは呆れたように首を振ってポロイスを見る。
ポロイスも肩をすくめた。
コルエンたちが衛兵隊に引き渡した男たちは、商売のためにこの島に立ち寄った商人とその用心棒たちだった。
彼らの取引相手は、やはり島外から島を訪れていた商人。少女の父親だった。
貿易でにぎわうノルク島では、島外の商人同士がやって来て取引を行うことも珍しくはない。
今回の取引では、やり手の商人である少女の父親のほうが一枚上手だったようだ。すっかりしてやられ、不利な取引をさせられそうになっていた男たちは、何とか取引の期限を引き延ばすために少女を拉致して父親が島から出発するのを遅らせようと画策したのだという。
少女は、今日の夕方の船で父親とともにノルク島を去る予定だった。
「彼女の滞在していた宿が、あの花屋のすぐ近くだったんだそうだ」
ポロイスが言う。
「だから、彼女は毎日島のあちこちを見に出かけるときと、宿に帰ってくるときにあの花屋の前を通る。そうしていつもひとしきり花を眺めていく、というわけだ。その日課を男たちに狙われた」
だが、その説明をキリーブは聞いていなかった。
窓の外を見つめ、はあ、と息をつく。
「女神は去ってしまった」
キリーブは言った。
結局、丘からの眺望を眺めた後、少女はキリーブにお礼を言って帰っていった。
そして当初の予定通り、夕方の船で島を去ってしまったのだ。
「でもまあ、文通するんだろ」
コルエンがとりなすように言う。
「ちゃんと手紙の宛先は聞いたんだろ?」
「聞き忘れた」
「あ?」
「聞き忘れたと言ったんだ」
キリーブはため息をつく。
「だが、名前くらいは名乗ったのだろう。向こうからお礼の手紙が届くかもしれないぞ」
ポロイスが言うが、キリーブはそれにも首を振る。
「名乗り忘れた」
「なに」
「ついでに言えば、彼女の名前も聞き忘れた」
「お前」
コルエンが呆れた顔で言う。
「じゃあ何を話したんだよ」
「海の美しさと風の爽やかさについてだ」
キリーブはそう言ったきり窓の外を見て動かなくなった。
顔を見合わせて苦笑するコルエンとポロイスの前に、誰かが立った。
3組のクラス委員のルクスだった。苦々しい顔をしていた。
「コルエン。ポロイス」
「壊してねえぞ」
コルエンは首を振る。
「今回は何も壊してねえ」
「衛兵隊からデミトル先生のところに連絡があった」
ルクスは言った。
「無法者を捕まえてくれたのはありがたいが、少々やりすぎだと。せめて自分の足で歩ける程度にしておいてくれと」
「あれでも手加減したんだぜ」
コルエンは心外だと言わんばかりに首を振る。
「あいつらがやわすぎるんだ。大人のくせしやがって」
「ポロイス。お前がついていながら」
ルクスに哀しい目で見つめられて、ポロイスは目をそらす。
「すまん、ルクス。面目ない」
「とにかく、二人とも行くぞ」
「行くって、どこに」
「医務室に決まってるだろうが」
ルクスは言った。
「倒れたデミトル先生に謝りにだ」
「なんだよ、デミトル先生また倒れたのかよ。本当に繊細だな」
「俺だってそう思うが、お前がそれを言うんじゃねえ」
「本当にすまん。ルクス」
三人が賑やかに談話室を去った後、キリーブは一人、窓の外を見ながら今日二人で見た海を思い出していた。
青い海は美しかった。
それを見つめる彼女も。
だが本当は、あの場所から見える夕焼けが一番きれいなんだ。
次に行くときは、絶対に夕焼けの時間に。そして、楽器を持っていって僕の演奏を聴かせてあげよう。
彼女だって、また父親の商売の関係でこの島に立ち寄ることもないとは限らない。
その時こそ、勝負だ。
窓の外のすっかり暗くなった空を眺めながら、キリーブはもう次の再会に思いを馳せていた。
そして、恋多きキリーブが次の女神を見付けるまでにも、そう多くの時間はかからなかった。