第六話 最初の街
車体を叩くか蹴るかする音がして、目が覚めた。まだ真っ暗だ。自分の見張りの番がきた。
「少し待って」
幌越しに頼んでから服を着替え、外にでた。そして自分をこの世界に導いた悪魔と対面した。下半身が山羊になった方の姿が、半透明ではなく実体化している。
『初日から気苦労の連続だな』
『見張りは!?』
『こうやって話をする間は認識されないようにしている』
『なんの用?』
愛想良くする筋合いは一つもない。思いきり冷ややかに質した。
『甲羅託宣とは意外な展開だったな。とにかく、輪廻サービスとやらをするならヌボの力が成長するまで貧乏人を相手にした方がいいぞ』
『なにそれ。わざわざ助言するならもっと早くしてもよかったじゃない』
『本来は余り干渉しない主義だ。お前が失敗してくれた方がてっとり早い。ただ、次の街で博打を打つなら『カードの目覚め』だけはやめておくんだな』
一方的に言葉を続けてから、悪魔は消えた。それまで悪魔のいた位置にミガンがたっていた。
「交代だよ。どうした、寝ぼけたのか?」
「え? ええ、ごめんなさい。お疲れ様」
「じゃあ頼んだぜ」
ミガンは自分の幌馬車に入った。
見張り自体は、リジッタの二の腕くらいはある大きな砂時計をひっくり返してから始まる。焚火はかえって目だつので普通ははしない。砂時計そのものは暗くなると自然に少しだけ光るように出来ているので心配いらなかった。あとは砂が尽きるまでたっていられるかどうかだ。
つい昨日までは……仮に時間の軸が一致していたらの話にせよ……学校とアルバイトと自宅を往復するだけの、またそれでそれなりに幸せな日々だった。家庭環境が環境だったせいで、同級生達とは互いに緩く気を遣い合って深くはつき合わないようにしていた。その反面、いじめだの嫌がらせだのは全くなかった。空いた時間はひたすら死や死後の世界について調べたり想像したりしていた。カルト宗教の類には一切触れないように気をつけてもいた。
ただ、それらにかまけて自分がどんな人間なのかを自分で考えたことはなかった。皮肉なことに、悪魔がもたらしたこの事態が最初のきっかけになっている。
などと思い返す内に、砂は尽きた。
次の見張りをニャンに引き継ぎ、今度こそ眠りについた。
翌日。夜明けと共に支度をして、昼前にはアタイルに到着した。大抵の街は城壁で自らを守るようになっているが、ここも例外ではない。もっとも、人口は一万人そこそことずば抜けて大きいわけでもなかった。
幌馬車は街中を走るには大きすぎるので壁の外側にいる専門の業者に預け、徒歩で宿泊区へ進む。特に予約はないが、宿泊区の至るところに宿屋の看板があった。空き部屋やサービスの内容などが随時更新されるようになっているので大して苦労はしない。
宿泊費は隊商の金庫から支払われる。その代わり、飲食は慰労金を支払った上で自腹だ。金庫そのものも幌馬車から外してリジッタがリュックに入れて持っていく。帳簿はニャンが預かったままだ。街に着くたびに、リジッタは慰労金としてある一定のまとまった金額を自分自身も含めて全員に配らねばならなかった。それやこれやで腕輪の数字は『三』になった。
そうして入った『松やにランタン亭』は、男女を分けた上で相部屋になった。個室は高いしそもそも構えている宿屋が少ないものの、シャワーは部屋ごとにあった。上下水道のような社会的生産基盤は、魔法だと際限なく金がかかるので物理的な工学技術で作られている。要所要所で魔法を使うこともあるが、稀である。
賭博場は夜にならないと開かないので、日没までは自由行動となる。陽が沈んだら松やにランタン亭の一階ロビーに集まり、全員で出発する。
「あーっ、疲れた。先にシャワーへいけよ」
部屋に入るなり、荷物を床に降ろしたミガンは背伸びした。
「先に入っていいよ。あたし、長いし先にオタカラの世話をするから」
「そうか? じゃあ遠慮なく」
軽く手を振り、ミガンは着替えを左手に抱えてタオルを右肩にひっかけた。
「ごゆっくり」
ミガンを見送ってから、リジッタは窓越しに通りを眺めた。転生する前とはまるで違う。なにもかもが珍しく、一人で自由に歩き回りたくなってきた。と、そこで自分の荷物からがさごそ音がして我に返った。
「オタカラ、ごめんね」
慌ててリュックを開け、小さな木箱をだした。窒息しないよう蓋に穴が開けてある。ついでもう一つ、更に小さな鉄の箱も手にする。
それらを窓辺に起き、まず木箱を開けると緑色の甲羅から手足と首が伸びた。箱のへりをまたいで窓際を歩き始める。
「ご飯だよ」
オタカラの目の前で鉄箱を開けると、干した小魚が数匹入っていた。指で摘まんで箱からだし、口の前に置くとゆっくり食べ始める。
唐突に、兄との生活を思いだした。好き嫌いがなく、リジッタ、いや、利津子が作った料理は……時々焦げたり塩加減を間違えたり安売り惣菜を皿に広げただけになったりしたものの……いつでも喜んで食べていた兄。ろくな身寄りもなく、施設にでも引きとられそうかというのを断固拒絶して必死に働く兄。そんな兄の孝を支えるために、まだ大して働けないこともありせめて安くて栄養のある料理を覚えようと必死になっていた自分。
兄もまた利津子と家事を分担していた。しかし、料理を作ってくれた覚えはない。そんな兄の真意を、ある意味で自分の立場を尊重しているように思っていた。
「お先」
身体から湯気を昇らせ、ミガンがでてきた。服は着替えたはずだが結局似たような格好になっている。
「うん、じゃああたしも」
オタカラは干し小魚を食べ終えていた。
「亀なら俺が面倒を見とくよ。ずっと狭い場所じゃ運動不足になるだろ?」
「いいの? ありがとう。助かる」
最初は刺々しいミガンだったが、一度打ち解けると頼りになりそうだ。それに、今更ながらに気づいたが隊商では女性はお互い同士しかいない。
「ああ、任せろ」
「頼むね」
リジッタもシャワー室に入った。
さすがに、幌馬車のそれに比べればはるかに充実しているのが一目で分かる。洗面所に置かれた香油の入りのビンからして白磁に青の洒落た唐草模様が目を引いた。
入浴をすませて戻ると、ミガンが窓際に椅子をだして座っていた。右手で頬杖をつきながら、左腕にオタカラを乗せて歩かせている。
「ミガン、お待たせ」
「ああ、いい湯だったか?」
「うん」
「ちょっと考えたんだが、オタカラの家を買いにいかないか? このまま箱暮らしじゃ可哀想だろう」
「そうね、その通りだよ。いこう」
買い物自体を楽しむ感覚は大して持たないリジッタだが、オタカラには出来るだけ快適な生活をもたらさねばならなかった。雑食性なだけあって、餌は野菜の切れっぱしや干し小魚で構わないから余り神経質にならなくていいのが助かる。
「予算はどのくらいかける?」
「そうだね、頑丈でオタカラが自由に歩き回れるくらいの水槽かなにかが欲しいし……隠れ家とか水飲み場とか餌場とか……」
それやこれやを賄うと、手持ちの慰労金は何割か消えていくことになる。だからといって粗末な棲家をあてがうつもりはなかった。
「なら、ペットショップがいいな。商人通りにいこうぜ。オタカラにはちょっと留守番してもらおう」
「うん」
二人はすぐに宿屋をでた。
商人通りまでは大して時間がかからなかった。その名の通り、軽食スタンドから他所いき用の衣料店まで様々な店が軒を連ねている。もっと大きな街に比べるとやや地味ながら、金さえあれば地下迷宮の探索から貴族のパーティーに至るまで大抵の基本的な品をそろえられた。
ペットショップ『首輪』は、宿屋探しと同じ要領ですぐに分かった。想像していたよりは地味な構えだったが、中に入ると極彩色の小鳥が鳥籠から可愛らしい少女の声で挨拶した。
店内には犬猫もいれば見たこともない獣もいる。その反面、臭いや吠え声はほとんど感じられなかった。
「いらっしゃい、お嬢さん方」
抑えられてはいるが低く太い声で挨拶があった。姿は見えない。きょろきょろしていると、いつの間にか目の前に店主とおぼしき人間がたっていた。リジッタの胸ほどの背丈しかなく、顎ひげをたくわえ筋肉質な身体つきをしている。
悪魔があらかじめもたらしていた知識で、彼がドワーフの一員だと理解できた。
人間と概ね変わらない部分もある一方で、極端に小柄なせいか目だちにくい面もある。宝石や貴金属に目がなく大地にまつわる神々を崇拝している。女性は滅多にドワーフ以外の種族と顔を合わせようとしない。ちなみに寿命は人間より少し長い。
「あれ? いつの間に……」
リジッタは目を丸くした。
「親父さん、亀を飼ってるんだけど飼育箱を探してるんだ」
ミガンが要件を述べると、店主は黙ってうなずき背を向けて歩きだした。
二人がついていくと、店主は飼育箱をまとめた棚まできて足を止めて振り返った。
「亀の種類や性別は?」
店主の質問に、リジッタが覚えている限りの特徴を説明した。
「予算は?」
妥当なところで、慰労金の二割ほどの金額をリジッタは示した。
店主はうなずき、腕を伸ばして手の平サイズの箱をだした。
「そいつを亀の前に置けば、自動的に適度な大きさになる。隠れ家や水飲み場もついている。亀をだしたら今のように縮む。汚れは気にしなくていい」
「ありがとうございます」
「大将さん、助かったよ」
二人が口をそろえて礼を言ったのに対し、店主は軽くうなずいた。それから支払いになり、代金と引き換えに簡単な包装を施された飼育箱を受けとった。
「いやー、もっとデカい箱でも押しつけられるかと思ったらドワーフの店だけあって便利だなあ」
店をでるなりミガンが満足気に背伸びした。
「うん、持ち運びしやすくて便利だね」
「まだちょっと時間があるから、他の店でも冷やかして回るかい?」
「そうしたいけど……夜から」
と、台詞の途中で腹が鳴った。
「まずお昼にしよう」
「賛成だ」
まさにそれが満たせる区域だ。
「じゃあ、お勧めを案内しようか? ちょうど近くにあるし」
「ありがとう。お願い」
ミガンの案内で、小洒落たレストランに入った二人は思う存分胃を満たした。特に高価ではないが本格的な食事として、リジッタからしても特に違和感のあるものではなかった。
「ふー、食った食った。ところで、リジッタは博打をやったことないんだろ?」
空の皿を脇に押しやって、ミガンは確かめた。
「そうだね……でもちょっと賭けたらすむ話だっていうし」
「宿屋に戻って少しだけ練習しておくか? いや、金は賭けないからさ」
「それ、いいね」
やはり、右も左も分からないまま進むのは不安だ。
「じゃあ、善は急げだな」
「うん、オタカラのお家もあるし」
こうして、二人は『松やにランタン』亭に帰った。
「ただいま、オタカラ。引っ越しだよ」
『首輪』で買ってきた飼育箱を前に、オタカラを元の木箱から引っ張りだした。