第五話 先客の始末
老若男女はまだはっきりしない。
「迂闊に近寄るなよ」
クラムが幌馬車を降りながら、背中の大剣に右手を回して鋭く警告した。
「こんな出来事は初めてです」
ヌボが、クラムに半歩遅れて続きながら言った。
「でも、助けたら金になるかもにぉん」
幌馬車の出入口から顔だけだしつつ、ニャンが恐々と口にした。
「ああもう、ただでさえややっこしいのに」
ミガンが、幌馬車から降りるが早いか車体を盾代わりにしながらボーガンに矢をつがえた。まだ出発前の姿だ。
「お嬢は自分の幌馬車に隠れてろ」
祠から数歩の距離で足を止め、振り向かないままクラムは指示した。右手は剣の柄に添えたままだ。
「うん」
足手まといになるのは避けねばならないし、餅は餅屋だ。リジッタは素直に応じた。
「呪いや魔法にかかわる仕かけは感じませんね。物理的な罠は分かりません」
クラムの背中にヌボは告げた。派手な呪文や道具を使ったわけではない。一目で判断が効くくらいの実力があるということだ。
返事の代わりにクラムはかがみ、左手で小石を拾って膝を伸ばした。倒れたままの先客にそれを投げつけると、首筋に当たったもののなんの反応もない。
クラムは大剣を背中から外した。右肩で担ぐようにしながらじりじり近づき、ゆっくりと降ろした切っ先で先客の腕を軽くつついた。傷ができるほど強くはしていないこともあってか、小石の時と結果は変わらない。
クラムは祠の中に踏み込み、先客を小さく揺すってから仰向けにひっくり返した。遠目にもだらんと手足が伸びたままだ。
「死体だ。若い女」
ひっくり返した先客の手首で脈をとり、クラムは説明した。ミガンが自分の両肩をほぐすように回しながら、ボーガンから矢を外した。
「死んでから大して時間はたっていませんね」
クラムに続いて祠の中に足を降ろしたヌボが呟いた。
「死因は?」
大剣をまだ持ったまま、クラムはヌボに尋ねた。
「精神的なショック死です」
「あたしもそこにいっていい?」
リジッタは幌馬車から顔をだして聞いた。好奇心もなくはないが、隊商の責任者として確認するのは当たり前だ。
「構わないが、気をつけろ」
クラムが応じ、リジッタは祠に入った。
横たわっているのは、クラムやミガンと同じくらいの年頃とおぼしき女性だった。見覚えはない。背も肉づきも地味で、肩まで伸びた栗色の髪がいくばくか、整った顔だちにまとわりついている。なにかに驚いたように目を開けていて、紅をさした唇は半開きになっていた。
「一人でここまできたのかな……」
さすがに気の毒に思いながら、リジッタは首をひねった。
「なんともいえません」
ヌボの台詞は無難な一方で遺体の身の上など突き放すような響きがあった。
「ヌボ……今すぐ、彼女を輪廻させられない?」
「託宣をあと回しにしてですか?」
さすがのヌボも驚きを禁じ得ないようだ。
「あたしが面倒を見るよ。かなり乱暴だけど、まともな身寄りがあったらこんな亡くなり方はしないし放っておかれてもいないよね。それに、こうやって巡りあったのは一つの機会だと思う。あと、ゆくゆくは人間になったら真相が分かるかもしれない」
「ふむ……」
顎を右手で撫でながら、ヌボはしばらく考えた。
「いいでしょう。ただ、簡単な儀式しかできないので犬や鳥にはなれません。それから、個人的に報酬を頂戴します」
「うん、いいよ。いくら?」
ヌボが示した金額は、隊商が今抱える財産の五分の一に当たった。庶民が数ヶ月は遊んで暮らせる金額だ。そして、腕輪の値は四に減る。
「ちょっと……高くない?」
「最初から異例だらけの状況で、託宣も得ないまま実行するので上乗せしました。値切りには応じません」
「うー……払うよ」
こういうとき、金をだし惜しみするのは三流のやることだ。それは、リジッタにも分かっていた。
「それで、どんな生き物に輪廻させますか?」
「うーん、そうだね……」
昆虫はすぐに死ぬし、両生類は水辺から離れられない。爬虫類なら頑丈だしそれなりの寿命がある。
「亀がいいな」
「かしこまりました」
女性の亡骸がたちまち消え去り、代わりに一匹の亀がのそのそ動き回った。大人の握り拳二つ分くらいの大きさで、緑色の甲羅をしている。
「え? も、もう終わり!?」
「爬虫類一匹くらいなら。それに、祠が私の呪力を一時的に増幅させたようです」
「じゃあ、結果的に託宣を得たようなものかな」
「恐らく。ちなみにその亀はメスで、雑食性のおとなしい品種です」
「ありがとう」
リジッタは、両手でそっと亀を包むように持った。亀は手足をばたつかせたが、すぐに甲羅の中に引っこんだ。
「名前はどうします?」
ヌボの質問は、至極もっともではあった。
「そうだね……オタカラってどう?」
「オタカラ? 変わった名前ですね」
「う、うん、ゲンを担いで」
「まあ、いいでしょう」
「じゃあ、お金を払うから一緒に幌馬車にきて。クラムはニャンとミガンを呼んでたち会ってくれる?」
「承知」
「恐れ入ります」
少しして、リジッタの幌馬車に全員が集まった。亀のオタカラは適当な空き箱に入れてある。室内の宝箱からヌボの要求通りの金額を皆の前で払い、新リーダーとして初めての支出となる。そして腕輪の数字は、音も光もなく『四』になった。
「それで、結局託宣はどうします?」
報酬を懐にしまってから、ヌボが再び確かめた。
「おい、せっかくうやむやになりかかったんじゃないか」
ミガンがぶすっと不平をこぼした。
「それは……」
リジッタが口を開きかけたとき、なにかがひび割れる音がビシッと響いた。いっせいに皆が聞きつけた方向へ顔を向ける。オタカラの棲家になっている箱からだ。
「こ、甲羅にヒビが入ってる!」
それこそ衝撃の出来事がナンセンスなほど唐突に起こり、リジッタは腰から力が抜けかけた。
「お持ちください。いや、これは……」
リジットの肩越しにオタカラの甲羅を目の当たりにしたヌボは、珍しく強い興味を示した。
「え? なにか、分かるの?」
「はい。甲羅託宣です」
「甲羅託宣?」
おうむ返しになりつつも、なんとなく言葉から察しはつく。
「簡単に説明すると、甲羅のヒビから託宣を読み取られます。この場合は地図ですな。ここから一番手近な街を示しています。アタイルか……今日は陽がくれますし、明日の朝出発すれば午前中にはつきます。そして、サイコロやルーレットを暗示する模様……賭博場ですか」
アタイルの街は、隊商として何度も滞在した。治安もほどほどによくそれなりに賑わっている。
「博打をさせる託宣なんてあるのか?」
ミガンがいかにも胡散臭げに顔をしかめた。
「そもそも、博打は占いから発展したものです。占いは託宣から発展したものです」
「でも、あたし賭け事なんてちっともやったことないし……」
リジッタでなくとも、それがまっとうな感覚だろう。
「なにも破産するまで賭ける必要はありませんよ。極端な話、一番最低の金額で一回だけでも賭けは賭けです。儀式のようなものですから」
「そうなの。でも、オタカラの身体が……」
芯から心配するリジッタの前で、オタカラの甲羅は少しずつ塞がり始め、ついには完全に元通りになった。
「ええっ?」
「甲羅託宣は、決して元の生き物を傷つけません」
「早く言ってよ!」
「申し訳ありません」
「じゃあ、とにかくそこへいくんだな?」
ミガンは嬉しさを隠しながら念押しした。
「うん、じゃあ今夜はここで泊まろう」
「そうしましょう。ただ、腕輪の件は人にバレるとまずいので街中へ行く時は必ず長袖の服を着るか何かして人目につかないようにしてください」
「真夏でも?」
「はい、真夏でもです」
「分かった」
「では、夜営にとりかかりましょう」
夜営そのものは、隊商である以上一度街をでたら毎日やっている手順なので黙々と行われた。馬の世話や幌馬車の点検から見張りの順番まで。
リジッタ自身も仲間と全く同じように働いた。責任者として帳簿のつき合わせをニャンとおこなったが、それもすらすら進んだ。それらは悪魔がもたらした知識を実行すればよかった。
昼と同様、簡単な食事をすませると就寝だ。朝が早いので睡眠時間は無駄にできない。
改めて幌馬車の中を見回すと、先代、即ちコエモの遺品と自分自身の私物がまぜこぜになっていた。無駄にしてよい品はないので、使える物は使うし不要なら売る。
一応、自分とコエモのベッドは薄いカーテンで仕切られてはいる。親子だしずっと一緒にいたのだから、少なくともこれまではプライバシーには大してこだわらなかったのだろう。
仲間達の幌馬車もそうだが、車内には簡単なシャワーとトイレまで一つずつあった。 真水が貴重なのでシャワーは数日に一回使えばいい方だが。ちなみにトイレは水洗式で、シャワーの排水ともども汚物は魔法で処理される。無から真水を生みだす魔法はさすがに高すぎて備えられないが、それを差し引いても相当に値段が張る。加えて、シャワーとトイレを全ての幌馬車に備えたこと自体がコエモの手腕や人柄を現してもいた。
葬儀があったし、祠では全く予想していなかった出来事もあった。せめて髪くらいは洗いたいが、節約とは使いたいときに忍耐が試される。
とにかく、初日は終わった。極端に危険な地域ではないからパジャマに着替え、ベッドに入る。それからすぐ眠りについた。