第四話 新しい発想
手早く準備を済ませて、質素な食事が全員に行き渡った。
「みんな、食べる前にちょっと聞いて」
遠慮がちとはいえ、はっきりとリジッタは持ちかけた。
「普段なら乾杯だけど、葬儀のあとだし献杯って宣言したい」
「献杯ってなんだ?」
クラムが、自分の口元まで持ってきたコップを留めて聞いた。
「亡くなった人に献上する杯のこと。あとはいつも通りでいいから」
「死体が飲み食いするのか?」
と、尋ねるクラムは意地悪なのではなく単に初めて触れる言葉だからに過ぎない。
「そうじゃなくて、気持ちの問題だよ」
「ふーん。よく分からんが、まあいいだろう」
「ありがとう。じゃあ、献杯」
「献杯」
一同が唱和して、発酵乳を飲んだ。
商売柄、真水は貴重品だし腐りやすいので発酵乳を飲む。それは分かる。リジッタにとっては、生まれて初めて飲むアルコールだった。水に等しい薄さながら、甘いとも苦いともつかない味を舌の上で確かめる内に顔に血が昇ってきた。
「ところで」
と、食事のさなかにミガンが切りだした。
「これからどうする?」
ミガンのみならず、全員の視線がリジッタに集中した。常にはっきりした方針を示し続けるのは責任者の義務である。
頭の中で言葉をまとめる前に、一匹の蝶が食卓に紛れ込んだ。手の平サイズで、黄色い地に黒と青の水玉模様がついた羽根をしている。
「ああ、コエモの生まれ変わりかもしれないね」
リジッタがふと口にしたのは、迫られた決断から逃れるためではなかった。考えを整理する余裕が欲しくて自然にでてきた台詞で、そうした感覚が転生した世界にもあるのは最初から知っていた。
「占ってみましょうか?」
ヌボの提案も、珍しい話ではなかった。例えば、生まれて間もない子供を亡くした夫婦がたまたま目にした野良犬をその子の生まれ変わりと信じて飼うことにするという具合に。
返事をする前に、蝶は食卓を離れて飛び去った。
「ヌボ、輪廻って普通に起きるのよね」
「宗教によっては否定的ですが、一般にはそうです」
「自分が希望するように生まれ変わるって……できるのかな?」
悪魔は、そこまではリジッタに伝えていなかった。純粋に彼女が思いついたことだ。
「できなくはありませんが、非常に複雑で高等な儀式が必要です」
「それは人間の場合でしょう」
「つまり、鳥や兎に生まれ変わるなら簡単だと聞きたいのですか? 確かにその通りですが、人間は人間に生まれ変わりたいのでは」
「余りにも辛くて苦しいことばかりで、いっそ鳥にでもなりたいと思う人もいるかも」
「文学や神話ならそうかもしれませんが……」
仮面越しにさえ、ヌボの困惑はありありと伝わってきた。
「どうせ輪廻って何回でも起きるんでしょ? なら、お金がない内は魚でも亀でも転生して、最終的に人間を目指せばいいじゃない」
「す、すげえ発想だな」
ミガンが目を丸くした。
「ヌボ、あなたはできるの?」
「できるとは?」
わざわざ聞き返すのは、答えを予想した上で控え目に反対する気持ちがあってのことだろう。
「亡くなった人を転生させることが」
「犬猫くらいまででよければ。それでも相当な資金がかかります」
「それは……あなたの腕にということ? それとも儀式かなにかの準備に?」
「両方です。更に申しますと、こうした問題を繊細に捉える人々もいるでしょう」
「反対する人に押しつけるつもりはないよ」
「それだけですむとは限りません」
当然ながら、皆が皆善意に解釈してくれるはずがない。中にはそうした知識や技術を悪用する手合いも現れるだろう。
「承知の上だよ。先代のやり方も正しいけど、あたしはどうせなら誰もが思いつかなかった商売をしたい」
ヌボを説得しつつ、リジッタはかすかな良心のうずきを感じてもいた。結局それは、悪魔が課した条件をできるだけ早く満たすための方便に過ぎない。
さりとて自分自身の身の上をぶちまけてどうする。多少は同情してくれるかも知れないが、いくら先代の指名があったからといってわざわざつき合うはずがない。
「で、たくさん儲けて公爵家を復活させるにぉん?」
ニャンが意外に真面目な表情になっている。
「論外だよ。あたしまだ殺されたくないし」
それはリジッタの本音そのものだった。
「じゃあつまんないにぉん」
「お宅は無責任に面白がりたいだけだろうが」
ミガンがニャンを軽く睨んだ。ニャンは首をすくめ、慌てて発酵乳をちびちび飲み始めた。
「では、託宣を得ましょう」
ヌボが新たな提案を上げた。
「託宣?」
なんとなく意味は分かるが、占い師なら自分で占えばすみそうなものだとも思える。
「皆さんご承知の通り、本来なら先代はここから半日ほどの距離にある祠を目指していました」
滞在していた街を離れて次の街へ進む途中で、神殿や祠があればたち寄って商売繁昌を祈願したりすることもある。それ自体はごくありきたりな話だ。
「なあ、託宣ってやっぱり……」
ミガンが胡散臭そうに眉根を寄せた。
「はい、ミガンに巫女をしてもらいます」
「うわあああ! やっぱり!」
ミガンが大袈裟に頭を抱えた。
前世で巫女といったら、女の子にはそれなりに人気のあるバイト先だった。何故これほど嫌がるのだろう。
「べ、別に生け贄にされたり変な儀式をしたりするんじゃないでしょ?」
「お宅は知らないだろうが、リジッタ、巫女ってすげー恥ずかしい服を着なきゃならないんだぞ!」
下着もどきな服しか身につけていないミガンが力説しても、余りピンとこない。悪魔からもたらされた知識は、言葉の印象通りのことをするといったくらいで具体例までは頭になかった。
「俺は気に入ってるにぉん。とってもかわゆ……」
再びミガンの視線を受け、ニャンは卓上の水差しから発酵乳を自分のコップに注いだ。
「そんなに嫌がるなら、無理にいかなくても……誰か他の人を雇うとか……」
「隊商が新しい商売を始めようとするからには仲間全員で託宣を受ける、これは基本中の基本です。その際は仲間内から巫女をだす方がいいに決まっています」
にべもなくヌボが断じた。
「どんな格好なの?」
「知らなきゃ教えてやるよ。まずカツラをかぶるんだ。ドラゴンのたてがみみたいなやつ」
「あ……そっちの方の恥ずかしい、ね」
「それだけじゃないぜ。何千年前か知らんが古くさい甲冑を着こんで剣舞するんだ」
「由緒正しい竜騎士の舞いだ」
クラムが腕組みしながらぼそっと口にした。
今いる世界で、邪神を倒す為に竜と一体化した騎士が活躍した神話が語られているのは事実ではある。ただし、どちらかというと子供に聞かせるお伽噺の類と見なされていた。
「じゃあクラムがやりなよ」
「男は巫女になれん」
「竜騎士って女性だったの?」
好奇心を刺激されたリジッタはつい口をはさんだ。
「男だよ。ドラゴンの方が女で、巫女がやる時はあくまで女」
「なら別に……」
「性別の話じゃなくて、純粋にカツラと甲冑が気にくわないんだよ。俺のセンスじゃない」
「しかしちゃんと保管していますね」
発酵乳を一口飲んで、ヌボは指摘した。上品にも左手の平にコップの底を乗せ、右手でコップを軽く掴んでいる。
「そりゃあ、粗末にしたらバチが当たるかもって……」
大真面目にミガンが述べたせいで、リジッタは危うく笑いだしたくなった。それはさておくにしても、想像する限りではなんとなく立派な姿に思える。立派過ぎて恥ずかしいということだろうか。
「とにかく、したくはないがやるということですね?」
「ああ、やるよ。したくはないけどな。やりゃあいいんだろ」
「ありがとうございます」
律儀にヌボは感謝した。
半日後。
夕暮れ間近なタイミングで、祠に無事到着した。西陽は大して厳しくない。幌馬車を引く馬については自然にさばけたし、道のりもすぐ頭に浮かんだ。そういう意味では悪魔の力は確実だった。
いざ目にすると、荒野にぽつんとたたずむ石造りの建物は意外に大きく思えた。高さも幅も百歩以上にはなろうか。横倒しにした四角い柱にあちこちヤスリをかけたり金槌で打ち据えたりした格好だ。
辺りには精々子供の握り拳くらいの石しか見当たらないのに、祠を造るのは一つ一つが大人の胴体くらいはあった。
飾りらしい飾りはないものの、正面にたつと建物の中身が四角くくりぬかれているのが分かる。大人が六、七人並んでたてるくらいのスペースがあった。
廃墟に等しいがらんどうながら、大抵の旅行者達は少なくとも場所くらいは知っていた。花を添えたり賽銭を投げたりすれば、ちょっとした幸運に恵まれたり発想が閃いたりすることがたまにある。なにか特別な光景が浮かんだり音が鳴ったりするのではないが、備え物はすぐに消えてなくなってしまう。それが逆に、誰にとっても興味深さをかきたてていた。
託宣は、巫女が祠の中に入って舞えば下される。金品は特にいらない。
問題は、先客がいたことだ。
うつ伏せに倒れているその人物は、少し離れていても相当に身なりがよいとすぐに理解できた。