第三話 清め地に蒔かれて
男性の全裸は、幼い頃に兄と入浴したのを別とすれば初めて対面する。それも遺体。
とにかく、車内の雑具箱から清潔なタオルを数枚と小さなたらいを一つだした。
ミガンをたたせたまま、最初のタオルを遺体の尻の下に敷いた。次の一枚を桶に浸してから遺体の腹を軽く両手で押すと股間と肛門から排泄物が押しだされた。桶からタオルをだして固く絞ったあと、まずそれらを綺麗に拭う。
汚れたタオルはたらいに入れ、リジッタは新しいタオルをまた湯に浸した。遺体の口を開けてから新しいタオルをさっきと同じように絞り、中身をできるだけ細かく拭き取った。
二枚目のタオルをたらいに入れた時には、ミガンは驚きと賞賛に口をぽかんと開けていた。
「な……なんだそりゃ? おまじないか? どうして死体の世話をするんだ?」
「亡くなった人にできるだけ丁寧な敬意を払うの。お金持ちじゃなくてもできるでしょう?」
転生前の世界で両親の急死を経験してから死や葬儀には興味を持っていた。兄の孝にさえ打ち明けていない、自分だけの学びだった。本や動画の見よう見まねながら、まさかこんな風に役だつとは。
「俺にもタオルを使わせろよ」
「そうね、それが終わったらミガンはでていくのよね」
タオルを渡しながら、リジッタは淡々と述べた。
「悪かったよ。俺もニャンも、コエモのことを尊敬していたし親しみも感じていたんだ。でも、お宅みたいなのがいると……こう……」
「嫉妬する?」
ミガンの分とは別の、四枚目のタオルを引っ張ったり折ったりしながらリジッタは聞いた。
「そうだ。大人げなかった」
「別に気にしてないし。それより、早くきれいにしないと先代が可哀想だよ」
「そうだったな」
そこからは、二人で作業した。ひたすら遺体を清めながら、ミガンの目尻に涙が溜まっているのがかすかに輝いていた。
「どうせなら遺体に香油を塗らないか? 俺、いいのを持ってる」
「いいね。じゃあ頼むよ」
「待ってな」
ミガンが一時的に退場し、入れ替わりにニャンが現れた。
「クラムから聞いたにぉん。公爵様の跡取りって本当にぉん?」
現れるなりニャンが質問してきた。
「そ、そうだけど……猫なら『にゃん』じゃないの?」
「それは女言葉にぉん。男は『にぉん』にぉん。ちなみに自分の名前の由来は男のいいところも女のいいところも手に入れるって意味でつけられたにぉん」
「う、うん……いい名前だね」
「それで、証拠の腕輪を見たいにぉん」
「はい」
リジッタからすれば、ためらう筋合いはない。ニャンは顔を近づけ、鼻を鳴らして匂いを嗅いだ。
「余りいい臭いじゃないにぉん」
「悪かったね!」
「そういう意味じゃないにぉん。とても力は強いけど、なにか邪悪なものとつながってるにぉん」
猫の一面があるせいか、さすがに勘がいい。ニャンのみならず、いつかは説明せねばならないだろう。
「香油を……あれ、ニャンじゃないか」
「ハッ、その匂いは!」
「忘れていた。マタタビの香油だ」
「ふにぉ~ん。ふにぉ~ん」
ニャンが猫さながらにミガンにじゃれついた。しかし、ヌボによればニャンはこの中で最年長の男性である。
「まとわりつくな、うっとおしい」
「ミガン最高~!」
「お宅は最低だよエロオヤジ!」
「ご遺体の前では静かにしなさい!」
リジッタが一喝すると、二人は居ずまいを正した。
「ニャン、大事な作業をしているから少し席を外して。クラムを手伝ってあげてね」
「了解にぉん」
リジッタの指示にニャンが応じると、唐突に室内が静かになった。ミガンは手にした薄青色の香油瓶の蓋を開け、中身を一滴遺体に垂らした。たちまち甘く爽やかな香りが満ち溢れる。ミガンと二人で香油を遺体にすりこんだ。
最後に、遺体の髭を剃り、髪を櫛ですいてから顔色がよく見えるように目の下や頬を色づけした。こうして、生前同様……いや、生前以上に美しい身体になった。
「じゃあ、埋葬だね」
リジッタは湯でない方の水で手を洗いながら持ちかけた。
「クラムを呼んでくる」
ミガンも、リジッタに次いで手を洗ってから幌馬車をでた。
その頃にはクラムがニャンと共に墓穴を掘り終え、身体中についた土や汗を外で水をかぶって洗い流してから現れた。
クラムは黙って遺体をベッドシーツでくるみ、そのまま肩に担いで墓穴に進んだ。リジッタとミガンは黙ってついていった。
墓穴は、木から少し離れて掘ってあった。掘り起こした土が盛り上げられ、スコップが突き刺してある。その脇で、ニャンがロープの輪を二束肩にかけている。
ニャンがマタタビ香油のせいで再びどろどろになったらどうしようかと心配したものの、落ち着いていたので少し安心した。
クラムが近づくと、ニャンはロープの束を一つ彼に渡した。遺体を担いだままクラムは小さくうなずいて受け取った。
もう一つは、ミガンが手にした。クラムとニャン、ミガンとリジッタがそれぞれロープの端を握り、遺体の下にロープをくぐらせる要領で支えながら少しずつ墓穴に降ろした。遺体が地面につくと、クラムとミガンがロープを引っ張って回収し、ニャンがまとめて預かった。
ニャンが器用にロープをまとめる内に、クラムはスコップを土から引き抜いた。そのまま黙ってリジッタに渡す。故人に一番近かった者から土をかけろという意味だ。
リジッタが、それまでスコップの刺さっていた土の山から土をすくって遺体にかけた。それからニャン、クラム、ミガンと一すくいずつかけてはスコップを回す。
「ヌボは……?」
唐突にリジッタは気づいた。
「遅くなりました」
ぬっと顔を突きだすように現れた仮面の男性に、リジッタは身体をすくませた。どうにか悲鳴は抑えた。
ミガンからスコップを渡され、ヌボもまた土をかけた。
それからは、順番に各自の手を経て故人の墓穴を埋めた。墓石は置かない。手元にないというのもあったが、すぐ傍にある木が代わりになる。
「故人のために、一言捧げておきたいから……みんな、聞いてくれる? 短いし」
リジッタは、自然に口が開いた。返しかかっていた一同のかかとが止まる。
「初めて伺う宣言ですが、聞きましょう」
ヌボが他の人々に言い含めるように応じた。
「ありがとう」
改めて、埋め戻されたばかりの墓を前にした。自分でいいだした話ではあるが、じっとヌボ達に見詰められてさすがに足が震えてくる。
「ひ、一粒の麦……地に落ちて死なずば、そは一つのままなり。されど死すれば……やがて豊かなる麦畑ならん」
それは転生前の世界で聖書にでてくる祈りだった。その意味では有名な言葉で、中学生の時に知ってからずっと気に入っていた。
「どんな呪文にぉん?」
首をかしげながらニャンが聞いた。
「呪文じゃなくてお祈り。私達が、コエモの志を引き継いで隊商を豊かにしましょうっていう誓いのようなものだよ」
厳密には少々意味が違う。ニャンは功利主義の強そうな人物に思えたのであえてそう伝えた。
「お見事でした。それでは、今後の方針を決めましょう」
「そうね。みんな、お腹が空かない?」
確かに、ぼつぼつ昼だ。もっとも、大した食材はない。干し果物に干し肉、あとは精々発酵させた山羊乳くらい。それは、転生してリジッタになった時から頭の中に記憶されていた。
「ああ、確かに腹が減ったよ」
クラムがぼそっと答えた。
「じゃあ、ご飯にしよう。天気もいいし、テーブルを外にだして」
「リジッタ、そりゃ賛成なんだが……なんかこう、ちょっと性格が変わってないか?」
笑うような困るような、なんともいえない表情のミガンであった。
「変わる? そ、そうかなー」
我ながら棒読みだと自覚するリジッタ。
「そうだよ。言っちゃなんだが、もっとお高くとまって澄まし顔の……」
「つまり、先入観が親しくなる邪魔をしていたということですね」
ヌボがうまく引き取ってくれた。
「そ、そうね。これからは、なるべくご飯 を一緒に食べよう」
「賛成にぉん」
元気良くニャンがうなずいた。
「でも、ヌボってご飯の時は仮面を外すの?」
「いえ、つけたままですがお構いなく」
「うん、分かった」
実際、葬儀を別とすればピクニック日和とさえいえるのどかな午後だった。