38 男装事件
夕日が沈んだ後「そろそろ帰ろう」とヘンリーさんに手を引かれて歩き、馬車に乗り込んだ。
馬車の中ではさっきのしんみりした雰囲気が嘘のように、ヘンリーさんはよく話した。ユリアにも話を振り、私の昔の話を聞き出している。
「お嬢様は学生時代に男装して舞踏会に行かれたのです。その姿はどこからどう見ても見目麗しい王子様のように完璧でした。そして、その場にいた御令嬢方をみんな虜にされ……すぐにお嬢様のファンクラブができました」
あははははっ、ヘンリーさんはお腹を抱えて笑っている。私は恥ずかしくて下を向いている。
「ミシェルちゃん、面白すぎるっ。でも君が本気で男装したらきっと他のしょうもない男達は霞んだだろうね」
「だから、学校内では男性方からは目の敵にされていらっしゃって不憫でした。こんなに優しくお美しいお嬢様の本来の姿を誰もみないなど私からしたら腹立だしかったですわ」
「ちょっと、ユリア余計なこと言わないで。褒められてるのか貶されてるのかよくわからないし」
私はもうこれ以上話されては困ると話を止めた。
その男装事件は、実は私を傷つけた例の『背の高い女は嫌だ』男に密かに復讐しようとして、私が完璧に着飾りあの男の意中の御令嬢のダンスの相手を奪い取ったのだ……でも結局復讐しても虚しく悲しかった。
「ユリアちゃんの言う通りみんな馬鹿だね。こんな素敵なレディが近くにいるのを見逃すなんて」
ユリアはそうですよ、とうんうん頷いている。
「まあ、俺としてはラッキーだけどね」
「何がラッキーなんですか?」
「ミシェルちゃんの良さをわかる男が少ないとライバル減るし」
「ええっ?」
私はそんなことを言われて戸惑いを隠せない。その時、ガタンと馬車が止まった。
「あーあ、残念だけど着いちゃったね」
「今日はありがとうございました。屋台もクレープも美味しかったです」
「こちらこそ。忘れられない誕生日をありがとう」
ヘンリーさんは腕のブレスレットを触りながらお礼を言ってくれる。その後、彼はじっとユリアに視線を送っている。
「……お嬢様、先に馬車を降りますね。すぐに出てきて下さいませ」
「わかったわ」
ユリアが馬車を降りた瞬間、彼にもう一度強く抱きしめられる。
「今日はすごく楽しかった。本当は帰したくない」
耳元で甘く囁かれゾクゾクしてしまう。彼は私の額に軽いキスをひとつ落とし体を離した。
「本当にありがとう、また遊びに行こうね」
「はい」
ヘンリーさんは蕩けるような笑顔を見せ、そのまま馬車から降りるためにエスコートしてくれた。
「ロレーヌ伯爵、ただいま戻りました。本日は大切なお嬢様を私などにお貸しいただき、大変光栄でございました。ではミシェル嬢、また騎士団でお会いしましょう」
ヘンリーさんは急にキッチリした言葉でお父様に挨拶をし、去っていく。
ユリアは見送ってきますとヘンリーさんを追いかけて行った。
「あと少し遅ければ乗り込んでるところです」
「ははは。最後以外も君が止めたい場面は沢山あっただろうに見逃してくれて感謝するよ」
「お嬢様が本気で嫌がれたら、後ろから刺してでも止めます」
「ふっ、ユリアちゃんは彼女にとって最高の侍女だね」
この時二人の間でこんなやり取りがあったらしいが、私は全く知る由もなかった。




