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35. 偽りの従者


 名前を呼ばれてサシャが微笑む。


「ルシンダさん、起きてしまったんですね」

「サイラス先生……?」


 サイラスは自分を保健室に連れていこうとしてくれたはずなのに、なぜ海辺にいるのか。

 そしてなぜ自分は両腕を縛られているのか。


「これは一体どういう──」

「申し訳ありませんが、もう少し寝ていていただけますか?」


 サイラスがルシンダの問いを遮り、その口もとに白い布を被せようとする。しかし、ルシンダはなんとか身をよじってかわした。


 全く事態が掴めないが、大人しくサイラスに従ってはいけないことだけは分かる。


「や、やめてください……! 下ろして……!」


 必死にもがいているのに、サイラスの腕はびくともしない。


「あんまり暴れて怪我をされると困りますから、大人しくしておいてくださいね」


 穏やかな注意とともに、今度は顔全体に布を掛けられそうになったとき。何かが風を切るような音が聞こえ、ルシンダの目の前でパッと数滴の飛沫が飛び散った。


「……っ!」


 サイラスがわずかに顔を歪める。

 その頬には、まるでナイフが掠めたような切り傷が刻まれ、赤い血が滲んでいた。


「ルシンダを離せ。さもなくば今度はその腕を貫く」


 冷たく、聞く者を凍らせるような容赦のない声。

 けれどよく耳に馴染む声に、ルシンダは顔を上げて振り向いた。


 薄暗がりに浮かぶシルエットは、魔術で鋭い氷塊を作り上げながら、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。

 サイラスはそれをまっすぐ見据えながら、小さく息を吐いた。


「やっぱり、邪魔をされるとしたら貴方だろうと思ったんですよ……クリスさん」


 微かな月明かりに美しい銀髪と水色の瞳が映し出される。


「……クリスお兄様!」

「ルシンダ、必ず助けるから大丈夫だ」


 クリスが助けに来てくれた。

 さっきまで心細かったのが、クリスの「大丈夫だ」という言葉を聞くだけで、きっともう心配いらないという気がしてくる。


「……それにしても、こんなに早く追いつかれてしまうとは。もしや、誘拐の計画を知っていたのですか?」


 サイラスがルシンダを抱える手にぐっと力を込めながら、クリスに尋ねる。


「ここしばらく、両親の動きが怪しかった。影で誰かと接触し、ルシンダとエリアス殿下の様子をやたらと気にするようになったから、何か企んでいるのだろうと予想できた」

「……はあ、たしかに単純な方たちだと思っていましたが、そんなにバレやすい行動を取るほど頭が緩かったとは……。ですが私も、攫うタイミングまで当てられてしまうなんて不覚でした」


 サイラスが残念そうに溜め息を吐く。


「いや、僕もまさか学園の教師が黒幕だとは思わなかったし、文化祭の最中に堂々と攫い出すとは思わなかった。だから、ルシンダがいつも追跡用の魔道具を身につけてくれていて助かった」


 クリスの返事にサイラスは呆れたように笑った。


「追跡用の魔道具? そんなものがあったとは調査不足でした。しかし、ルシンダさんが周囲に愛されているのは分かっていましたが、あまりに過保護ですね」


 サイラスがルシンダを憐れみの目で見つめる。


「ルシンダさんも、こんなに執着されては息が詰まりませんか? マレ王国に来てくだされば、もっとのびのびと暮らしていただけますよ」


 たしかに兄や友人が過保護だと思うことはたまにあるが、執着されているだなんて考えたこともない。

 ルシンダは、サイラスの言い草に抗議するように大きくかぶりを振った。


「息が詰まるなんて、そんなことありません。それに、サイラス先生はどうして私を攫ってまでマレ王国に連れていこうとするんですか? 何か理由があるなら言ってくだされば……」

「理由ですか? それは聖女である貴女にエリアス様の妃となってほしいからです。エリアス様が次期国王となれるように」


 悪びれもせずにそう答えるサイラスに、ルシンダは両目をしばたたかせる。


「私がエリアス殿下の妃に……? なぜそんな……。それに、どうしてサイラス先生が……?」


 混乱した様子のルシンダを見て、サイラスが、ああと何かに気づいたように笑みをこぼす。


「自己紹介がまだでしたね。私はエリアス様の侍従のサシャと申します。サイラス・アボットというのは、貴女に近づくために別人の身分をお借りしたのです」


 サイラスが丁寧に説明してくれる。まるで学園での授業のように。だから、鈍いルシンダでもやっと状況が分かった。分かってしまった。


「──つまり、サイラス……いえ、サシャさんとエリアス殿下は最初から私をマレ王国に連れていくために近づいたということですか? わざわざ留学したり、身分を偽ったりしてまで……」

「ええ、そのとおりです」


 サシャの返事を聞いて、ルシンダはずきりと胸が痛むのを感じた。


 最初から聖女の力を利用したくて近づいた。


 たしかに、そういうことがありえると、ユージーンから忠告されていたし、自分でも覚悟していた。

 けれど、初めて会ってから今まで、エリアスともサイラスとも色々なことを一緒に経験してきた。


 薬草学の授業や臨海学校、夏休みに文化祭。

 たくさんのことを教わって、協力して、笑い合った。


 特にエリアスとは、心の傷を打ち明け合い、互いの距離が近づいたような気さえしていた。

 でも、それもみんな打算からの振る舞いだったのだろうか。

 これまでの楽しかった日々は、すべて偽りだったのだろうか。


 騙されていたことも悲しいが、大切な友人だと思っていたのは自分だけだったのかと思うと、心のどこかにぽっかりと穴が空いてしまったように寂しくて虚しい気持ちになる。


「……では、こうやって私を攫ったのも、エリアス殿下の指示で……?」


 ルシンダが泣きそうになるのを堪えながら尋ねた、そのとき。


「サシャ、やめろ! 何をしているんだ!」

「……エリアス様」


 主人の怒りを帯びた声に、サシャの身体が強張る。

 その一瞬の隙に、クリスが氷の(つぶて)を放ち、ルシンダを抱くサシャの手に正確に打ちつけた。


「くっ……」


 痛みに怯んだサシャの拘束が弛むのを感じ、ルシンダは思い切り身をよじってサシャの腕の中から抜け出た。そのままクリスの元へと駆け出す。

 けれど両手が縛られているせいか、バランスを崩して転びそうになったところを、クリスが駆け寄って抱きとめた。


「ルシンダ、大丈夫か? 今、縄を解いてやる」

「お兄様、助けに来てくださってありがとうございます」

「いや、怖い目に合わせてすまなかった」

「お兄様のせいではありません」


 クリスが氷の刃を出してルシンダの縄を解く。

 その様子を見て安心したように溜め息を吐いたエリアスが、乗っていた馬から降り、サシャへと歩み寄る。


「サシャ、なぜこんなことをしたんだ? 僕はルシンダ嬢を利用しないと言ったはずだ」


 エリアスの鋭い眼差しをサシャは真正面から受け止める。


「……エリアス様、どうかご理解ください。貴方が次期国王となるためには、こうするしかなかったのです。もう、時間がないのです。……王妃殿下の願いを叶えて差し上げたいのでしょう? それよりも聖女のほうが大切だというのですか? 今ならまだ間に合います。聖女を連れて国に帰りましょう」


 サシャの説得に、エリアスの瞳がわずかに揺れる。


「しかし、僕は……」

「さあ、エリアス様」


 手を差し伸べ、迷うエリアスを導くように語りかけるサシャ。

 しかし、ルシンダには、その言葉が本当にエリアスのために紡がれているようには思えなかった。


「……待ってください!」


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