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34. 幕は上がって


 文化祭二日目。ついに『白百合姫』の上演日だ。

 午前中にクラス全員で舞台のセッティングとリハーサルを済ませ、あとは開演の時間が来るのを待つばかりだった。


「もうすぐだね……」


 あと10分ほどで幕が上がる。

 緊張のせいかランチもなかなか進まず、好物のプリンも残してしまった。


「ルシンダ、緊張してるの? 大丈夫よ、リハーサルの演技もとっても良かったわ!」

「ありがとう、ミア。でも、大勢のお客さんの前でやるのは初めてだから、失敗しちゃったらどうしようと思って……」


 さっき客席を覗いてみたら、アーロン、ライル、エリアスの客寄せ効果のおかげで、すっかり満席になっていた。

 最前席にクリスとユージーンが座っているのを見つけたのは嬉しかったが、こんなに大勢の観客に見らるのかと思うと不安が押し寄せてくる。


 緊張のせいで冷たくなる指先をぎゅっと握りしめていると、その上から温かな手がふわりと包み込んできて、ルシンダは顔を上げた。


「大丈夫ですよ。ルシンダがもし失敗しても、私がフォローしますから」


 煌びやかな舞台衣装を身にまとったアーロンが優しく励ましてくれる。


「アーロンの出番までだいぶあるだろう。安心しろ、ルシンダ。俺とエリアスも一緒だから」

「ライルは一人で僕のセリフまで取らないでくれるかな」


 ライルとエリアスも心配して来てくれた。


「みんな……」


 三人の優しさに勇気づけられ、青白かったルシンダの頬に赤みが差す。すると、ポンと今度は頭の上に温かな重みを感じた。


「大丈夫だ。元々が突拍子もないオリジナルの脚本なんだから、少し間違えたところで気にならないだろうさ。ここまで頑張ったんだから、あとは楽しんでこい」


 決して気負わせまいとするレイの言葉に、ルシンダはさらに緊張が解れるのを感じた。レイの後ろで、サミュエルとサイラスも微笑んでくれている。


「みんな、ありがとうございます。おかげで気持ちが落ち着きました。私、楽しみながら精一杯頑張りますね!」

「ええ、頑張ってね。ほら、そろそろ開演の時間よ」

「うん、行ってきます!」




『お母様、お許しください……私は何もしておりません』


 さすがに最初のセリフは緊張したものの、始まってみれば意外に楽しく演技することができた。


 物語の中盤あたりから、慣れてきたせいかアーロンが台本にはない甘い言葉を発してきたり、急に頬に触れてきたりしたのには焦ったが、アーロンなりのファンサービス的なものだったのかもしれない。


 実際、観客の女子生徒たちが息を呑み、憧れの溜め息を吐く音が聞こえてきた。同時に、最前列から寒々しい冷気のようなものも感じたのだけれど。


 そうして、たまに入ってくるアドリブに臨機応変に対応しつつ、練習以上の演技ができて内心で喜んだりしながら物語は進み、ようやく最後のシーンを迎えていた。


『──民を顧みない女王は去りました。これからは私が民を守り、この王国を導いていきます』


 ルシンダ演じるリリィが輝く王冠を戴き、王笏を掲げる。


『新たな女王陛下に栄光あれ!』

『リリィ女王陛下に忠誠を!』


 三人の男主人公である狩人、エルフ、隣国の王子、そして臣下たちに祝福され、リリィが微笑む。

 ……そうして、白百合姫の物語は大団円のハッピーエンドで幕を下ろしたのだった。




「みんな、本当にお疲れ様! 素晴らしい劇だったわ!」


 ミアが瞳を潤ませながら皆を労う。


「アーロン殿下はちょっとアドリブが多すぎでしたけど、おかげで盛り上がったので良しとしましょう」

「申し訳ありません。リリィ姫の衣装を着たルシンダがあまりにも愛らしいので、つい役に入り込んでしまって」


 そう言って爽やかに弁明するアーロンを、エリアスが鼻で笑う。


「君の場合は、役に入り込んだんじゃくて、素が出ただけだろ?」

「……そういうエリアス王子こそ、ルシンダと見つめ合う時間が練習のときよりだいぶ長くありませんでしたか?」

「あれは本番の雰囲気で、もっと時間をとったほうが観客にも情感が伝わりやすいと思ったまでだよ」


 憎まれ口を叩き合う二人を、ミアが取りなす。


「まあまあ、お二人とも。演技論はこの後の打ち上げでぶつけ合いましょう。片付けもありますし、まずは着替えて……」


 ミアがアーロンたちを捌けさせようとしたそのとき、ガシャンという物音が聞こえた。何事かと振り向いてみれば、ルシンダが手にしていたはずの王笏が床に転がっている。


「ルシンダ、落としたわよ……って、大丈夫!? 顔色が真っ青よ?」


 ミアが慌ててルシンダに駆け寄る。


「あ、ごめん……。なんだか急に気分が悪くなっちゃって……」

「劇で緊張したせいかしら……。とにかく、すぐに休んだほうがいいわ。一緒に保健室に……」


 ミアがルシンダの肩を支えようとすると、ずっと舞台袖に控えていたサイラスがやって来た。


「私が連れていきましょう。私なら薬の処方もできますから」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」


 サイラスがうなずいて、ルシンダの体を抱き上げる。


「さぁ、ルシンダさん、行きましょう。すぐに良くなりますから、安心してくださいね」

「はい……すみません、ありがとうございます」


 ぐったりとするルシンダに、サイラスは優しく微笑みかけると、静かに扉の向こうへと消えていった。



◇◇◇



 それから二十分後。

 着替え終えたアーロンたちが片付けの手伝いのために舞台へと戻ってきた。それと同時に先ほどまで劇を観ていたユージーンもやって来る。


「あれ、ルーは?」


 ルシンダを探してきょろきょろと辺りを見回すユージーンにミアが答える。


「ルシンダは気分が悪くなっちゃって、保健室で休んでます。サイラス先生が付き添ってくれているので大丈夫ですよ」

「そうか、それなら良かった」

「暇してるなら舞台の片付けを手伝ってくれませんか?」

「……いいけど、なんか君、日に日に僕への態度がぞんざいになってきてないかい?」

「やだ、そんなことありませんよ。さ、早く片付けを終わらせてルシンダを迎えに行きましょ!」


 ミアに先導され、みんなで舞台へと向かう中、エリアスが何かに気づいて足を止めた。


「これはルシンダ嬢の王笏か。こんなところに転がったままで……」


 片付けようと手に取った瞬間、エリアスはその手触りに違和感を覚えた。すぐに持ち上げて、慎重に匂いを嗅ぐ。


「これは……!」


 間違いない。この匂いはヴィスリア草の毒。触れれば目眩に襲われ、意識を失ってしまう。

 自分はこういう類いに多少の耐性があるから大丈夫だが、ルシンダはそうではない。以前にも同じ毒で倒れてしまったことがある。


 ……きっと、さっき舞台後に気分が悪くなったのはこのせいだったのだろう。

 そして、こんなことを仕掛けようとするのはただ一人。


「……サシャ」


 エリアスは何かを堪えるように拳を握りしめると、そばにいたアーロンを呼んだ。


「……すまない、君に頼みがある」



◇◇◇



 夕暮れ時。だんだんと影が濃くなる寂れた旧道を、一台の幌馬車が走っていた。


(彼らに気づかれてしまう前に、早く済ませてしまわなければ)


 マレ王国第六王子付きの侍従サシャが、傍らで苦しそうに目を瞑る少女を静かに見下ろす。


 彼女に悪い感情は持っていないが、今のエリアスを王位に押し上げるには《聖女》の存在が不可欠だ。

 初めは彼女がエリアスを慕うように仕向けるつもりだったが、なかなか思うようにいかず、しまいにはエリアスが彼女に心を傾けるようになってしまった。


 エリアスは聖女の存在無しで王位を目指すと言っていたが、マレ王国の情勢を見るに、そう悠長に過ごしている時間の余裕はない。今動かなければ、先を越されてしまうだろうことは火を見るより明らかだった。


 だから、隙を作って聖女を攫うことにした。


 幸い、協力者がいたおかげでスムーズに事を運ぶことができた。


(きっと、エリアス様の不興を買ってしまうだろうな)


 不興どころではなく、恨まれることになるかもしれない。

 けれど、たとえ恨まれ嫌悪されたとしても、サシャはエリアスを次期国王にしたかった。


 昔、優れた知識を持つ薬師であったにもかかわらず、村人から魔女だと疑われ、家に火をつけられて酷い火傷を負った母。

 夫に捨てられ、住む家も失い、途方に暮れていた母と自分を救ってくれたのがエリアスだった。


 自分たちに偏見の目を向けることなく、病がちだった王妃殿下の力になってほしいと頭を下げ、住む場所を与えてくれ、自分には高等教育も受けさせてくれた。

 数年後に、サシャの母親が火傷の後遺症が元で死んでしまっても、変わらず面倒を見てくれた。


 自分より何歳も年下で、ときには不敬ながら弟のように思うこともあったが、身分を笠に着ない清廉さと情け深さを心から尊敬していた。


 彼に信頼してもらいたくて、彼を支えられる存在になりたくて、薬師としての知識や技術はもちろん、マナーや教養に至るまで必死になって学んだ。


 彼の願いである王妃殿下の治療のために、そしてゆくゆくは彼に国王の座を用意できるようになるために。

 彼のような人物こそ、国王となって王国を導いていくべきなのだ。だから自分はそのために生きていこう。


 そう思えばろくに寝る時間のない日々も苦ではなかった。


 ……しかし、自分はエリアスの母親を亡くならせてしまった。最善は尽くしたつもりだが、エリアスの期待を裏切ってしまった。


(……だからこそ、今度は失敗しない)


 馬車が停まった。あとは聖女を連れて、海路でマレ王国へと戻るだけだ。エリアスにも至急帰国してもらえるよう遣いを出してあるから、自分さえ捕まらなければ問題ない。


 眠る聖女を抱きかかえて馬車を降りる。

 もうだいぶ日も暮れた。東の空は藍色に染まり、白く小さな星たちが瞬いている。


「綺麗だな……」


 感傷に浸ってそんなことを呟いてしまったせいか、冷たい潮風に吹かれたせいか、腕の中の聖女がわずかに身じろぐ。

 そしてゆっくりと瞼を開け、ぼんやりとした眼差しをこちらへ向けた。


「あ……私、気を失って……。あれ、ここは外……? 保健室に連れていってくださるはずじゃ……。どうかしたんですか、サイラス先生?」


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