Scene6 思ってたのと違う
瀬戸ちゃん、何が思ってたのと違うんですかね
彼女が退店し、やんやとうるさい田所を宥めてと、そうこうしている内に店長も戻り、二十三時になったため退勤。
すぐさま帰ろうかとも思ったのだが、今日は母親が法事でいないことを思い出す。手間だろうからと夕食の準備も断ったのだった。
社割もあるのだからとこのまま店内で買い物をしていくことにした。
炭酸飲料と、おにぎりも二個。レジ前に持って行き、おでんが目に留まった。先ほど彼女に取り分けた際、鼻孔を突いた匂いに胃袋が刺激されたのを思い出した。今日はおでんにしよう。
「田所さん、おでんもお願いします」
「あいよ、どれ?」
「えぇと……」
目についた具材を言っていくが、六つも頼んでしまった。空腹時は必要以上に買ってしまうものだ。今度からは気をつけよう。
「あと柚胡椒お願いします」
「箸は二膳つけるか?」
田所はにやにやとこちらを見つめてくる。
「馬鹿にして。つけないですよ」
「へいへい、したらお疲れさーん」
からかいを含んだ田所の声を背に店を出た。
全く仕方ない人だなんて思いながら、駅まで向かおうとしてはたと気がつく。
ついついおでんなんて買ったはいいが、どうやって持って帰ろうか。大体、どうせなら熱いまま食べたい。店内に戻りスタッフルームで食べることも考えたが、田所のにやけ顔を思い出し首を振る。
遅れてくるとはいえあの人ももうそろそろ山田と交代して上がりのはずだ。捕まったら家で飲みに付き合わされるだろう。ついでに根掘り葉掘りと例の客のことを聞かれるのは間違いない。もっとも掘るほど話もないが。
仕方がない、近くの公園にベンチがあったはずだ。少し寒いが、寒いくらいがおでんは美味いだろう。
思い立ったが早い。公園の方へ足を向けた。
勤めるコンビニからそう遠くない場所、駅とは逆方向へ少し行って曲がった先に公園がある。遊具などは滑り台とブランコがあるだけで、広さはそこまでない。入ってすぐの遊具寄りにベンチが二つと、それとは別の奥まったところに正方形のテーブルを囲むように二人掛けのベンチが設置されているスペースがある。
テーブルの方が空いていれば食べやすいと思うが、こんな時間だ。そもそも誰もいないだろう。
もう少しで着くというところで、声が聞こえてきた。
どうやら誰かが歌っているらしい。調子外れな歌声が聞こえる。何年か前に流行ったアップテンポのそれは随分とご機嫌な様子だ。
酔っ払いでもいるのだろうか。これが大学生たちの集まりなんかだったら踵を返して駅まで歩きながらおでんを啜ることになるのだが、今のところ声は一つしか聞こえてこない。
向こうが一人なら互いに干渉することもないだろうから、まだ良いのだが。グループとなると厄介で、大人数だと気が大きくなる人の習性に違わず、絡んでくる可能性が格段に上がる。ましてや歌い出すほどの酔っ払いなら尚更。
ゆっくり公園内に足を踏み入れると、ベンチに誰か座っているらしかった。生憎暗さも相まってよく分からないが、女性が一人いるらしかった。これなら問題ないだろう。気づくと歌声が止んでいた。向こうもこちらを眺めているようだ。
幸いにもテーブルが空いているようなのでそちらへ向かおう。必然的に女の座るベンチの前を通ることになる。こんな時間に夜の公園で飲んでるなんて、どんな女だろうか。
全くもって自分を棚にあげたことを思いながら、通りすがりについつい視線が女の方へいく。ベンチに浅く腰掛け、投げ出された足は片足がすでにヒールが脱げてしまっている。
女は俯いていたが、傍らにはいくつかの缶酎ハイとおでんの容器が見えた。
「……あれ」
思わず足を止める。見覚えのある服装、商品。
「…………? あっ」
こちらが立ち止まったことを不思議に思ってか、おもむろに上げられた女の顔は見慣れたものだった。
「ど、どうも」
「あー、いや、その…………はあ」
気まずそうに缶酎ハイを除けようとするが、どう考えても手遅れであると判断したのか、彼女は小さく溜め息をついた。
「なんか、すみません」
「別に君が謝ることじゃないでしょ」
そう言うと、彼女はベンチにしっかりと座り直し、脱げていたヒールを履きだした。そのまま流れるように新しい缶を開ける。
「……まだ飲むんすか?」
「なに、文句ある? それとも、君も飲む?」
ずい、と顔の前にたった今彼女が開けた缶を差し出される。心なしか座ったような瞳と刺すような視線が飛んでくるが、慌てて首を振った。
「あ、いえ、バイクなんで……」
「そう、ならあーげない」
ぐっと勢い良く缶が傾けられる。随分と良い飲みっぷりに呆気に取られつつ、軽く頭を下げた後、当初の予定通りテーブルの方へ足を向けた。
座って、落ち着かない気持ちのまま煙草に火をつける。思わずライターを一度取り落としたことからも、自身の動揺が窺える。
最初の印象はクールで、どこか憂いのあるキャリアウーマン。続いて、思ったより取っつきやすいことを知り、果てには公園での一人飲みに、あのあっけらかんとサバサバした様子である。驚かないはずがない。
やはり自分と違って、会社勤めの人はいろいろストレスも多いんだろうか。そんなことを考えながら買ってきた袋を漁るが、おかしい。箸が見当たらない。全ての商品を取り出し、袋を逆さに振るがビニールの音がやかましいだけだった。
ふと、レジで『箸は二膳つけるか?』という田所のからかいに対して『つけない』と言ったことを思い出した。
まさか田所も公園でおでんを食べるとは思わなかったのか、二膳もいらないというオーダーのつもりが箸そのものをいらないと判断したのかもしれない。
けれども今さら店に箸をもらいに行くのも、と考えていると、視界の端に彼女が映り込む。
意を決して彼女の下へ向かった。
「……あの」
「ん? なに、やっぱ飲むの?」
「いや、違いますよ。なんなんすか飲ませたいんですか。そうじゃなくて、箸余ってません?」
「ああ、あるよ」
無造作に脇に置かれたビニールを、これまた雑な手つきで探り、袋に入ったままの割り箸をこちらへ寄越した。
「あっ……」
いざ差し出された箸を受け取ろうというところで彼女が小さく声を上げた。
「……うわー、最悪じゃん」
「え、なんですか」
箸を持ったままの手を引っ込め、頭に両手をやった彼女はそのまま項垂れた。
「いや、急になんですか。ほんとに。くれないんですか箸」
唐突なテンションの急降下に着いていけず、思わず呆れたような声を出す。
「だって、こんな時間に一人で公園飲みしてるのだけじゃなくて、いつも無駄に二膳貰ってたことまで知られちゃうなんて、恥じゃなかったらなんだっていうの!」
「……そこまでは別に考えてなかったんですけど、そうなんですね」
私の反応から、墓穴を掘ったことに気づいた彼女が信じられないといった顔でこちらを凝視してくる。視線はそのままに、ぱくぱくと金魚のように口を開閉し、深い溜息を吐いたと思うと、力の抜けたような動きで箸を再び差し出してきた。
先程から彼女へのイメージが崩落していく勢いに、一周回って感心すら覚える。
「どうも」
これ以上ここにいると、向こうも羞恥やら何やらがない交ぜになってしまうだろうと、礼をいってさっさとテーブルへ戻ることにした。
「待って」
数歩離れたところで絞り出すような声に足を止める。振り返ると彼女が荷物を纏めていた。
「……帰るんですか?」
気まずくさせてしまっただろうかと僅かに申し訳ない感情が浮かぶが、ならば何故呼び止められたのかと首を捻る。
「手伝って。そっち行くから」
「え」
困惑していると、ほとんど無理やりに荷物を渡された。彼女は彼女で残ったものを持つと、さっさとテーブルの方へ向かっていく。
「あ、ちょっと! 待ってくださいよ」
数歩先を進んでいく彼女はこちらの制止など意に介せず、私の荷物を端に寄せると、そのままどっかりと腰を下ろしてしまった。
「なんなんですか。もう」
「それ、適当に置いといて。さっさと君も座れば?」
「いや、自由かよ」
もう我が物顔でテーブルを陣取っている。なんなんだ、この人は。
「君何歳なの? 私よりはたぶん年下よね。あっ待って! 今当てるから」
「……ほんとなんなんですか、もう」
酔っ払いのテンションに着いて行けず、さらにはどこか憧れのような大人の女性像が崩れ去った感傷から立ち直れない。キャリアウーマンという決して普段相容れない存在へ、どこか童貞心のような羨望があったのに、散りも儚く消え去っていく。
溜息を吐いて、先ほど貰った箸でおでんを食べることにした。まだ温かい汁を飲み、ほっとする。その間も彼女の話は終わらない。
「んー、二十……五! いや、もう少し下か?」
薬味はどこにやったのだろうか、先ほど箸を探していた時にはあったはずだが。
「じゃあ二十四? それとも逆に童顔なだけで私より上ってことはないよね?」
ひとしきりテーブルの上を捜索したのち、失くしそうだからとポケットに入れたことを思い出した。
「ねえ、聞いてるの?」
「あーもう、分かりましたよ! なに、年齢でしたっけ。二十三ですよ……ていうかなんでこっち来たんですか。箸のことバレて恥ずかしかったんじゃないですか?」
このまま黙っていてもこの酔っぱらいはずっと話し続けるのだろう。観念して身体を彼女の方に向け、対面する。
「だってバレちゃったものは仕方ないじゃない。それより話相手が欲しかっただけよ」
「話相手って、なにもそもそもこんなとこで飲まなくっても」
帰って彼氏と話せば、と続けようとして、そもそも箸が二膳であることが恋人の有無を予想する材料だったことを思い出す。この様子じゃ帰っても一人なのだろうと、口を噤んだ。わざわざ薮を突かなくてもいいだろう。
「……まあ、いいですけど。これ食い終わるまでだけ付き合いますよ」
「そうこなくっちゃ。ね、君名前は?」
「瀬戸です」
「セト? キラキラネームってやつ?」
「違いますよ! 名前じゃなくて苗字。瀬戸内海の、瀬戸です」
あー、なんて大げさに声を上げながら彼女は缶を掲げた。
「じゃあ乾杯しよう、瀬戸ちゃん」
「なんで乾杯、ていうかそっちも名乗ってくださいよ……いや、なんて顔してんですか」
苦いものでも奥歯で噛み潰したような、ともかくなんとも言えない顔をする彼女。
「だって、なんかナンパみたい……」
「いや、あんたが勝手にこっち来たんでしょうが」
とことん理想というか、抱えていた幻想を叩き壊してくる。クールな年上の出来るお姉さんはどこに行ってしまったのか。私の夢? 幻だったのか?
「もういいですよ、はいはい乾杯」
持っていた炭酸水を彼女の缶酎ハイに当てる。それに満足したのか、彼女も彼女で妙に良い笑顔で乾杯と声を上げた。
「ちょっと、時間考えないと。あんま騒いでると下手すりゃ通報されますよ」
「大丈夫よー、されたことないもの」
どこか自慢げな顔を見せられるが、こちらとしては溜め息が零れるばかりだった。
「まあなんでもいいですけど……」
「ねー、ほんとに飲まないの? こんなに良いロケーション無いよ? こういう日に外で飲むお酒、美味しいんだから」
顔の前でゆらゆらと揺らされる缶を手で押しのけた。
「だから帰りバイクなんですって。駅前に停めてあるんで……そんな不満そうな顔されても困るんですけど」
子供のように顔を膨らませられて困惑する。この人のどこがクールなのかと、少し前の自分に教えてやりたい。
「ええー、じゃあそのうちバイク家に置いて来てね。どうせなら一緒に飲みたいもの」
なんだそれ、と思わず発しかけた口を閉ざす。この人は一応良く来る常連さんだと自分に言い聞かせる。口の利き方には気を付けなければ、最もすでに手遅れかもしれないが。
「……そんなの、次があるかなんてわかんないじゃないですか」
私の言葉に対し、彼女は少し考える素振りをしてから口を開いた。
「カナ」
「は?」
「私の仲良い人達、そう呼ぶの。せーの、さん、はい」
「……カナさん?」
前振りに釣られ、口が滑った。最低限のマナーとして敬称は付けたが。
「んんー、まあいいでしょう! これで知らない仲じゃないんだから、また今度飲もうね!」
「なんだそれ」
今度こそ閉じられなかった口から零れた文句であるが。この時はまだまだ一時の出会いであると考えていた。軽口を叩いたところで、今度会うときはコンビニの客と店員なのだと。
「まあまあいいじゃん、ほら! もう一回、かんぱーい!」
結局その夜は私がおにぎりやおでんを食べ終わり、更には彼女――カナが酒を飲み干すまで続くのだった。
この日からしばらく経ってのことである。いつの間にか木曜日の公園が恒例化していることに私が気づくのは。
やっと名前が判明しました。
瀬戸ちゃんとカナさん、これからどうなっていくんですかね。




