Scene5 二度目の木曜日
田所はいい奴です。
廻って再び木曜日が訪れていた。
「あぁ、瀬戸君。おはよう今週も早いね」
店長は例の如く、いつものカップでコーヒーを飲んでいる。
「ええ、なんで今週も一服行ってきます」
「あ、そしたらこれあげるよ。期限来月までだから売り場からは下げたけど、全然飲めるから。冷たいけどね」
渡された缶コーヒーは以前何かのコラボで発売されたものだった。確かに良く冷えている。
「ありがとうございます」
ひらひらと手を振って応える店長に背を向け、スタッフルームを出た。
途中、レジで先週と同じく田所が新人の女の子へちょっかいを掛けてるのを見かけたが、あまり見ていてはまた邪魔だと手で払われるだろう。さっさと通り過ぎた。
火をつけ、貰った缶コーヒーを軽く振ってから開けた。
駅から歩いてきたので、まだ少し身体は温かく冷たいくらいが丁度良かったかもしれない。
ゆっくり肺を煙で満たしていく。少し風があり、首を上着へ縮込ませた。気温はそれほどではないが、やはり風はやや冷たい。
見ると、店の裏手の木では鮮やかに色づいた葉が揺れていた。最近では秋が終わるのが早すぎて、紅葉が気候に置いて行かれている節がある。
場所によっては綺麗に紅い山が見られるのだろう。少し遠出して行くのも良いかもしれない。
「おっ、瀬戸も一服か」
「……あぁ、田所さん。研修終わったんすか?」
田所の手には同じく店長から貰ったのであろう缶コーヒーと、煙草があった。
「おう。んで俺はこれから休憩入ったらお前と同じくらいに戻って、シフト作りな」
「あー、お疲れ様っす」
店舗にもよるが、大体は店長がシフトを作る筈がうちでは田所が作ることが多い。店長は今時珍しいくらいの機械音痴で、シフト表一つ作るのにやけに時間が掛かるのだ。早くにシフトが知りたいバイトも多いため、都合が付く場合は田所が担当している。もっとも彼もフリーターなため、自動的にほとんど彼の仕事になるのだが。
「まあ、別にそんな疲れねえからいいんだけどね。あ、今日山田が遅れるらしいから瀬戸のあと交代俺ね」
「そーなんすか、了解です」
一本だけ吸うと、田所は「ちょっと家に一回寄って来るわ。忘れ物した」と先に店へ戻っていった。
確か徒歩五分足らずの所に住んでいるのだったか。気軽に帰れるを羨ましくも思うが、なにも私だって家の近くにコンビニが無い訳ではない。バイク通勤せずとも問題ないのだが、家の近くで働くことはそれ以上にデメリットの方が多かった。
近所の人と繋がりの多い母を持つと、有り難い(迷惑な)ことに声を掛けてくる人も多いのだ。
そんな状況で働こうものなら、フリーターであることを無神経にちくちくと刺してくる奥様方がいそうで。いや、必ずいる。
未だに実家にいる中学時代の同級生も会うかもしれない。
そんな些末的ストレスを気にするのは嫌だったため、こうして数駅先のコンビニで働いている。
なんだかんだ、面倒見のいい先輩もいることだし、バイクに乗るのもいい運動になる。半引きこもりには丁度良い職場だろう。
そんなことを考えていると、建物の影から店長がひょっこり顔を出す。
「あ、瀬戸君。ちょっと早いけどレジ入ってもらっていいかな? 僕新人さんに内勤業務の説明するから」
「今行きます」
缶コーヒーを呷り、飲み干した中に吸殻を押し込んだ。
店内へ戻ると、すれ違った新人に会釈してさっさとレジ内へ潜り込む。下手に仲良くなると、以前いたバイトのようにシフトを変わって欲しいと頻繁に言い出されても面倒だ。それに加え田所の好みそうな子と来れば、より一層最低限の関わりに留めておくべきだろう。
「いらっしゃ――あぁ、なんだ。おかえりなさい。何取って来たんすか」
入店音に答えようとすると、入ってきたのが田所であることに気が付いた。
「なんだってことないだろ。スマホだよスマホ。先週連絡先聞きそびれたから聞こうと思ってたのに、置いてきちゃったから。まだいる?」
主語もへったくれもないが、あの新人のことだろう。
「スタッフルームにいますよ。店長が内勤業務教えるって言ってたんで」
「店長め、俺が教えようと思ってたのに。ちょっと行ってくるわ」
別に店長は田所さんと違って、やましい気持ちないんで大丈夫ですよ。と、私の口が滑る前に、田所はそそくさとスタッフルームへ向かった。
おそらくシフト作りが後回しになることは間違いない。まあそう掛かる仕事でもないと言っていたし、今回は変更が多くないのだろう。
「いらっしゃいませー」
気を取り直してレジ業務に励む。まだ時刻は十九時を回ったばかり。あの人が来るまでまだ大分ある。
レジ対応、煙草の補充、レシートロールの交換など日々変わらぬ業務を淡々とこなしていく。時折イレギュラーな問い合わせなどもやってくるが、そこはコンビニバイト歴の長くなってきた分、そう苦労せずに捌いていく。
田所がレジへやって来たのはそれからしばらく経って、客の波が疎らになってきた頃だった。
「お疲れー、どうよ? 今日のあれの売れ行きは」
「あれってなんすか」
「あれよ、あれ。新発売のお菓子。店長が馬鹿みたいに仕入れたやつ」
レジから見える売り場を指さしながら聞いてくる。
「まあ、想像通りって感じっすね。あんなのパッケージに使われてるアイドルのファンしか買って行かないでしょ」
「ったく、店長自分が好きだからってあんな仕入れて。どーすんだっての」
嘆息しつつバックヤードに残る在庫のダンボールを数えだす田所。思わず苦笑する。
「まあ、いんじゃないすかね。店長も自分でも買ってるみたいだし」
「それにしたって限度があるだろ限度が! あぁ、もう。今度から俺も仕入れ表チェックした方がいいかな」
真剣に悩みだす田所。ここまでアルバイトに取り組める人が、なんで私と同じフリーターなんてやっているのだろうか。いつも不思議に思う。
「いっそのこと、田所さん社員試験受けたらどうです? もうそんなやること変わんないでしょ」
「そんなこと言うなら、空いた枠はお前がやってくれるんだろうな?」
一瞬言われた意味が分からず、へらへらと返事をしかけたが踏みとどまった。
「え、バイトリーダーやれってことですか? 勘弁して下さいよ」
現状の田所の仕事がすんなり回っているのは彼の力量だ。
よく“コンビニバイトは誰にでも出来る仕事”なんて聞くが、実際長く働いているとそんなことはないとすぐ分かる。
単純な業務が多いからこそその中で効率化を図ったり、職場の雰囲気を守ったりなんて中々難しいのだ。
田所が人間関係やそれぞれの力量をしっかり見た上でシフトを組んでいることを知っていた。とてもじゃないがほいほい話を受けることは出来ない。
「なにも無理にとは言わねえけど、お前はもっと責任感のあることを請け負うべきだよ。そしたらたぶんもっとやる気っていうか、自信がつくんじゃねーの」
珍しくそんなことを言って恥ずかしくなったのか、田所は頬を掻きながら「わかんねーけど」と付け加えた。
来店を知らせる音が鳴る。
「いらっしゃいませー」
杖を突きながら入ってきた常連のお婆さんは田所の顔を見て笑みを浮かべた。
「あら、今日はお兄さんもいるのね。ちょっとお尋ねしたいんだけど……」
はいはい、とレジを抜けお婆さんの元へ向かう田所。照れくさい所に来た助け舟にすぐさま飛び乗ったようだ。なにやらコピー機の使い方について懇切丁寧に教えている。
よくああやってコピー機の使い方を訊いてくるが、何度教えてもまた振り出しに戻るため、忙しい時に来られると少し迷惑な客だった。
対応が終ったのか、お婆さんは頻りに頭を下げ帰って行った。
「お前も食う? 婆ちゃんからすげーいっぱい貰っちゃった」
差し出された饅頭を一つ受け取り礼を言う。田所はもっと持って行けよ、と半分押し付けると、しゃがみ込んでこっそり食べだした。
「店長には内緒な。どうせ一口サイズだしすぐ終わるべ」
「……やっぱ私、田所さんみたいに出来ないな」
「なに、さぼり方?」
「違いますよ」
店内を見回し、客もいないことや時間を確認して田所の隣へしゃがみ込んだ。この時間なら店長は、一度店舗二階の自宅に戻って夕食のはずだ。
「さっきのお婆ちゃんですよ。あの人何回教えても覚えないじゃないですか。いい人だけど、私あんなに親切に対応できないっす」
「……そりゃ俺もいつもあそこまで出来るわけじゃないぞ。忙しい時もあるし、そういう時は待たせちゃうし」
いつの間にか自分の分を食べ終えた田所は、更に私の膝の上からもう一つ手に取ると包装を剥きだした。
「でもさ、あの婆ちゃんいつもすげえお礼言ってくんのよ。確かに操作は中々覚えてくれないけど、俺らの顔は覚えてんの。さっきも俺の方に聞いてきたろ? それは俺のが教えてもらった回数分、婆ちゃんが安心して訊けるって判断してるわけじゃん。そう考えるとさ、やっぱちゃんと丁寧に教えてやんないとなって……まあ、報酬も貰ってるわけだし?」
田所はまた照れくさくなったのか、最後は少し茶化して饅頭の包み紙を揺らしてはにかんだ。
「……そうですね。私も今度からはもっとちゃんと対応します。賄賂、食べちゃったし」
妙に二人して照れくさい気持ちになって、けらけらと笑っていると、客が来たようだ。すぐさま立ちあがり声を掛ける。
「……あ、いらっしゃいませ」
あの人だった。あちらも覚えがあるのか、きちんと目が合った。思えばしっかり目が合ったのはこの前の帰り道くらいなもので、こうも明るい中でというのは初めてだ。瞳の色素が薄いなとぼんやり考える。
「こんばんは」
「こんばんは」
軽い会釈を受け、慌てて返すと微笑んで店内へ向かっていった。
時計を見ると二十二時を少し回ったところだった。いつもより少し早いが、範囲内と言えば範囲内。今日は田所と一緒だったからか、いつの間にかこんな時間になっていたようだ。話し相手がいる時間は早く感じる。
そういえばと思い下へ目をやると田所のじとっとした目線とかち合う。
「……なんすか」
「お前いつの間にあんな美人と挨拶する仲になってんだよ! 聞いてねえぞ」
器用にも小声で怒鳴りつけてくる田所。先ほどまでの頼りになる先輩らしい雰囲気は欠片も感じられない。思わずため息を吐きそうになるが、そうなるとまた煩そうなのでそっと飲み込む。
「別にそういうんじゃないですし、特に言うことでもないじゃないっすか」
田所はじめじめとした視線はそのままに、ふーん、とわざとらしく鼻を鳴らしながら立ちあがった。
「ほーん」
「なんすか」
「へー?」
「だからなんなんすか。田所さんが思ってるようなことはなんもないっすよ」
「わかんねえじゃん! あるかもしんねえじゃん! あっなに溜息ついてんだよ、こら」
先ほどの頼りがいのある姿がどんどん塗り変えられていく。思わず堪えられなかった溜息に目ざとく反応する田所に、更に深いため息を吐いた。
とはいえ、こうしてなんの偏見もないところがまた彼のいいところではある。もっとも空き時間にそそくさと雑誌のグラビアページを開いて「お前どっち派? 俺こっち!」と聞いてくるデリカシーのなさはどうにかしてほしいが。
「……仲良しなのね。これ、お願いできる?」
「あ、すみません! すぐに」
いつの間にかレジ前に来ていた彼女に笑われてしまった。恥ずかしさが溢れる。
田所は少し距離を取り、隣のレジからこちらをちらちらと見てくる。先週の田所のようにレジ下でしっしと手で払ってやろうかと思ったが、一応は先輩なので止めてやることにした。
手際よくカゴの商品をレジに通していく。
「年齢確認ボタン、お願いします」
「はい……あと、おでんお願いします」
順々に挙げられる具材を容器に入れていく、最後に汁を入れ、蓋をしっかり閉じた。
「あと、薬味は柚胡椒二つで。それと」
「箸も二膳入れときますね」
彼女は少し目を丸くさせたが、はい、と微笑んだ。やや気持ち悪かったかもしれない、と後悔したが、良かった。
「合計で一一二四円です……はい、丁度ですね。ありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ……じゃあ、またね」
軽やかな足どりで彼女は帰って行った。なにか良いことでもあったのだろうか。先週まで感じていた鬱々とした空気はもう一切感じなかった。
「……ほらね、何もないでしょ? だって箸二膳っすよ。たぶん恋人でもいるんじゃないですか?」
田所の方を振り返り問いかけるが、首を捻っていた。
「いや……? いやいや、あるぞこれ。もしかするともしかするんじゃないか瀬戸」
「なんすか。ないって言ってんでしょ。だいたい…」
そんな都合よく女もイケるわけない。なんて続きは口をつぐんだ。勤務時間にするような話でもないし、あんまり後ろ向きなことを言うと田所は無駄にお節介なので要らない励ましをしてもらうことになってしまう。
そんな私の気遣いも露知らず、田所は何を感じたのかいやいやと頻りに呟きながらニヤついていた。
妙な様子にこちらも首を捻るが、女性絡みになると田所が変なのはいつものことだと思い直し、一人業務へ戻った。
田所大活躍ですね。早く瀬戸ちゃんには田所じゃなく彼女と仲良くなってほしいです。




