Scene2 ファーストコンタクト
やっと会話してくれる。早くいちゃこらとかしてほしいですね。
「いらっしゃいませー」
来店を知らせる音楽が聞こえ、反射的に挨拶をする。いつも通りの仕事を熟しながら、客が来る度視線を這わせるが、あの人はまだ来ていない。
腕時計へ目をやると針は既に二十二時を指していた。シフト終了まであと一時間ほど。これくらいの時間にいつも来る客がいる。
肩口あたりで柔らかそうな黒髪が切りそろえられ、身に着けるものなどはシンプルだが品の良さそうな雰囲気。あいにく古着ばかり好むのでブランドに明るくないが、おそらく値段も良さそうだ。私よりはいくつか年上だろうけれど、一回りまでは離れていないように見える。
来店時間や見た目から考えるに、仕事帰りかと思われるその人は、いつも店内を妙に真剣な顔つきでぐるりと回り、籠の中へ適当に食料品を放り込んでいく。最後に飲料コーナーへ赴くと缶酎ハイや発泡酒などを三、四本手に取りレジへやってくる。
ここ最近は寒さもあってか、つまみであろう食べ物はおでんを買っていくことが多い。チョイスにバラつきはあるが、大体四つほど具材を選ぶと、汁多め、薬味は柚胡椒二つ、箸も二膳。
恋人と同棲する働く女性といった印象だった。
この時間にシフトに入っているのは木曜のみであるからして、今日は週に一回彼女に会える日なのだ。
別に好意を覚えているわけではない。彼女の雰囲気から鬱々とした気配を感じ、それが妙に気になるのであった。
顔も整っていて、経済的にも困ってなさそうで。恋人もたぶんいて。見た目の印象だが、いかにも仕事だって出来そうな彼女が、自分の目にはどうしてあんなに不幸せそうに見えるのか。
不思議でならない。人には誰だって悩みがあって、どんなカーストに身を置いていたとしてもその人にしか計れない不幸せや幸福があるものだと知ってはいるが、どう見ても彼女の方が世間的に私よりも幸せそうなのに。それとも私自身がもっといまの現状を憂いるべきなのか。
大学中退のコンビニアルバイト、週三回のバイト以外はほとんど引きこもりで、おまけに孫の顔も見せる気はない親不孝者。恋人どころか友達も碌にいない。でも別に、不幸じゃない。少なくとも自分では不幸だなんて思ったことはない。
「瀬戸君、もうそろそろ上がりじゃない」
唐突に声を掛けられ驚いた。もうそんな時間か。
「あぁ、はい。でも交代の人まだ来てないんじゃ」
「やだな、山田君ならさっきレジ前通ってもう奥に行ったでしょう! 瀬戸君疲れてるんじゃない? あと同僚なんだから“交代の人”何て呼び方じゃなくてさ……」
無駄に青春だとか友情に厚いタイプの店長は、こういうことに対して妙にくどい。こうなると長くなりそうなので、手早く「気をつけますね! お疲れ様です」と挨拶してスタッフルームへ引っ込んだ。
店長はまだなにか言いたげだったが、気付かないことにする。スタッフルームでは山田が準備を終えた様子でスマートフォンをいじっていた。
「……お疲れっす」
「あぁ……お疲れ様」
そそくさと店内へ行く山田。たぶんあいつもどちらかといえば私と同じく大して仲良くなければ過分な干渉は不要なタイプだろう。
レジ内で店長は爽やかに何やら熱心そうに山田へ語りかけているが、彼の方は覇気の「ハ」の字もない返事をしているようだった。
あまり長居してはこちらもまた店長に捕まることになるかもしれない。こうしちゃいれない、さっさと身支度をすることした。
制服から着替え、ロッカーの中を整理する。適当に忘れ物のチェックをした後にレジ内の山田や店長に軽く会釈をして店を出た。
今から帰れば、一時間後には暖かな布団の上でゆっくり動画サイトでも眺めていることになるだろう。
スマートフォンで時間を確認し、駅の方へ視線を向けた。
「……あ」
あの人だ。いつもより遅いからか、疲れた様子の彼女が前から歩いてくるのが見えた。見えたからどうということもないのだけれど。
十メートル程先の街頭に照らされ、こちらへ少しずつ近づいてくる。とはいえ別に私をめがけて来ている訳ではない。私自身彼女の居る方面へ歩いている訳なのだから、互いの距離は淡々と狭まっていく。
淡い色合いのコートに、先週は巻いていなかったマフラーを纏い、俯きながら歩いている。その角度もあって、長いまつげがよく見える。ふと、まつげがよく見える程の距離まで近づいていたことに気がつき、そして彼女の瞼が震えるのが見えた。
まずい。顔を上げようとする気配を察したが、彼女の目元に視線は縫い付けられたままだった。
目が合う。
彼女は瞠目する。不思議そうな表情を浮かべ、軽く会釈をされた。反射的にそれを返す。ここでそうしなければ、深夜の道端でちょっとした不審者になりかねない。
お互い半身になってすれ違う。以前何かの本で見たが、女は見知らぬ人とすれ違う際に大多数が相手に背を向けるのだという。一種の防御姿勢なのかもしれないが、それでは背後から襲いかかられたらどうするのだろう。当然彼女からすると私は"見知らぬ人"な訳で、例に漏れず背を向けられてしまった。
コートの上からでもわかる細い腰が目につくが、頭を振る。当然襲いかかろうなどと不埒なことは全くないが、見知らぬ不審者にならぬべく、懸命にのっぺりした店長の顔を思い浮かべる。そうでもしないとつい話しかけてしまうような気がしたから。
『今日は遅いんですね』とか、『寒くなってきましたね』とか。
『なんでそんな不幸せそうなんですか』とか。
そんなことをすれば、いくら同性とはいえすぐさま悲鳴でも挙げられて、一夜にして犯罪者のレッテルが貼付けられるだろう。そんなのはごめんだ。
そのまま歩みを進める。ここで立ち止まったり、振り返ったりはしてはいけない。万が一それで向こうに不信感でも抱かれたら、まずい。
どうしよう、もう木曜日に会えなくなったら。
「あの……」
背後から声が掛けられた。恐る恐る振り返ると、これまた恐る恐るといった様子でこちらを窺う彼女が見える。
「あ、えっと、はい。なんですか」
「もしかして、公園側のコンビニの……?」
「そうです。あ、すみません急に会釈とか、こんな夜に知らん奴からされたら気持ち悪いっすよね。あの、よく来る人だなって思って見てたら目が合っちゃったから、つい、その、いやそもそも見ててすいません……」
少し食い気味に返答した。続けてべらべらと言い訳のような言葉が零れた。そのまま声は段々と小さく尻すぼみになっていくが、ぽかんとした様子で聞いていた彼女が小さく噴きだした。
「あ、ごめんなさい、でも可笑しくって。私も目が合った時、どこかで見たことあるなって思ったんで、大丈夫です」
「あ、あぁ……いや、丁度さっきまでバイトしてて、今日は来ないなって思ってたんですよ」
「えぇ、すごいのね。お客さんの顔よく覚えてるんだ?」
目を丸くして言う彼女を見て、案外子供っぽい顔をするんだなと思う。
「あー、まあもちろん全員じゃないですけど。大体いつも同じ時間に来る人なんかは。いつも木曜に私が上がるちょっと前くらいに来るんで、お姉さん来たらもうそろそろ仕事終わりだなって思ってて。今日は遅かったんですね、お仕事ですか」
にこにこと話を聞いていた彼女だが、途端に表情が曇る。踏み込み過ぎただろうか。
「あぁ……うん、まあそんなとこ」
困ったような顔をさせてしまった。私の放った言葉の何かが彼女の琴線に触れたのは間違いなかったが、ここから何をどう取り繕えばいいのかもよく分からなかった。親とバイト先くらいでし会話していない人間には少々難しい。
「……すみません、なんか引きとめちゃって」
「あ、ううん、大丈夫。そしたらまた、木曜日に」
綺麗な愛想笑いと会釈で、彼女は歩き出した。しばらくその背をぼうっと見ていたが、背後から来た通行人の浮かべる怪訝な顔にはっとした。
いけない、これじゃ彼女じゃなくとも別の人から不審に思われかねない。
慌てて駅の方へ足を向け早々歩き出した。木曜は車の出入りが多いからと、店ではなく駅前にバイクを停めている。面倒だと思っていたが、今日は話せて良かった。
話してみると思っていたよりも取っ付きやすい人だった。それに表情もころころと変わり、感じていた不幸せな印象などはすぐさま霧散していった。美人は憂い顔が似合うというものだし、そういうものだったのかもしれない。
心なしか足取りは軽く、その妙にふわふわとした心持は、帰宅後、母に「なんだかご機嫌ね」と水を差されるまで続いた。
出逢いました。
瀬戸ちゃんから彼女への印象が明らかになりましたね。
この瀬戸ちゃんがダブル主人公(ヒロイン?)の片割れになります。可愛がってあげてください。
あと山田はたぶん今後一生出てきません




