捕捉
「……じゃあ、仕方ないかぁ」
志々尾が残念そうに呟いたのを見て、俺はようやく諦めたかとほっと息をついた。
しかし次の瞬間、素早く俺の背後を取った志々尾が、音もなく右腕を俺の首に回した。
しまった、と思った時にはもう遅かった。
そのまま右手で左肘を掴み、左手で後頭部を圧迫してくる。
通称リアネイキッドチョーク。
相手の意識を落とす絞め技である。
完全に油断していた俺は咄嗟に対処することも出来ず、そのままの状態でずるずると椅子の前まで引きずられ、座らせられた。何とかして抵抗しようと思ってはいるものの、段々と意識が朦朧としてきて行動に移せない。
ちなみに、俺は近接格闘でこいつに勝てたことは一度もない。身長や体格もそこまで違わないのに、だ。
「はいそこの人!手錠!」
「へ!?へいっ」
志々尾は近くにいた坊ちゃんの部下に命令(!)し、シートの端の方に並べられた頑丈そうな手錠を取らせーーー坊ちゃんめ、拘束具まで用意しているとは、こうなることを予想してたなーーー椅子に座った俺の両腕を後ろ手で拘束した。それからついでに足も。
結局、抵抗虚しく生贄として捕捉されてしまった。
何とも無様な姿に我ながら情けなくなってくるが、こうなってしまってはもう逃げられない。
頭を振って意識を覚醒させ、恨みを込めて志々尾を睨み付ける。
「てめぇ、志々尾、覚えとけよ」
ところが奴は全く意に介さず、いつも通りの飄々とした様子で、
「だからごめんて。なるべく早く終わらせるからさ。おれたちの生活費のためにも頑張ってよ」
無責任にそう言い放つと、さっさと道具選びへと移って行った。
一連のやり取りを楽しそうに眺めていた坊ちゃんも加わり、2人は顔を寄せ合いながら和やかに相談し始めた。
「さーてと、どれ使う?どれがいいかな」
「これとかいいんじゃない?肉を捌く用のやつだよ」
「ん〜でも使ったことないやつはなぁ」
「売る部位はどうする?」
「あ〜高くつくやつがいいな」
「じゃあ肝臓あたりかな」
会話の内容と雰囲気がミスマッチ過ぎる。
俺はと言うと、目の前で繰り広げられる拷問器具選びに気がおかしくなりそうだ。刻一刻と地獄に近づいているこの感覚。だが悲しいことに動くこともできない。今すぐ脱兎の如くここから逃げ去りたいが、それは叶わぬ夢だ。ガチャガチャと鳴る手錠が耳障りに響く。
そうこうしているうちに、相談は終わったらしい。
「よし、これにしよ!」
志々尾が遠足に持っていくおやつを選ぶかのようにそう言って取り上げたのは、刃渡りの大きなサバイバルナイフだった。
「やっぱ使い慣れてるのが一番だと思って」
ヒュン、と刃を振る。
俺の背中を冷や汗が流れる。
「慣れてるって……何十年前の話だよ」
「80年くらいかな?でも身体が覚えてるから大丈夫」
その言葉を体現するかのように、ジャグラーのようにくるくるとナイフを回してみせる。
空中に放り投げ、パシ、とキャッチすると、
「んじゃ、やろっか」
そう言って嬉しそうに笑った。
志々尾がこの笑顔の時はヤバイ。永い付き合いだから知っている。今まで色々な場面で見てきた顔だ。
いつのまにかシートの周りには男達が群がり、皆一様に刃物に視線を注いでいる。
何度も言うが、見せ物じゃねーんだぞ。
「待て、心の準備が」
「じゃ、いくよー」
軽々しい掛け声で、志々尾がナイフを振った。
「ちょ、待ーーー」
制止の声も虚しく、血も涙もない男によって、ずぶ、という嫌な音とともに、鋭い切っ先が腹の少し上に差し込まれた。
「ぎ、」
一瞬置いて、焼けるような熱さと痛みが同時に襲ってくる。
「ぎあああぁぁぁっ!!!」
喉の奥から咆哮が迸る。
長らく忘れていたこの感覚に、身体中の細胞が悲鳴を上げている。
「あぁぁぁっ!!!くそっ、痛えええぇ……っっ」
息、息ができない。
「動かないでよ。うまく捌けない」
「志、し尾、死ぬ、っから」
「だいじょーぶ、死なない死なない。わかってるでしょ?」
はははと笑いながらナイフを操る志々尾に、痛みに悶えながらも明確な殺意が湧いてくる。
「っクソ、この、あぁぁっ悪魔がっっ!!!」
「はは、懐かしい、昔言われたよねぇ」
刃が一層奥に差し込まれ、息が止まりそうになる。
はっはっと短い呼吸でやり過ごそうとするも、そんなことではどうにもならないほどの激痛が襲う。
意識があるのに動けずに、ただ黙って身体を切り裂かれる地獄の苦しみ。
こんな痛みは「あの時」以来だ。
あの時……どの時だ?
たくさんありすぎて思い出せない。
でもどこかの時代であった気がする。
思い出せない。思い出したくない。
そんな意思に反して古い記憶の中から探るように、戦いの景色が次々とフラッシュバックする。
銃弾が飛び交う戦地、
立ち込める土埃、
硝煙の臭い、
鉄の臭い、
槍、弓、刀、
鉄砲、大砲……。
色々な映像が映っては消え、時代も飛び越えて場面が変わり、彷徨い、また戻る。
やがて映写機のように映し出されていたそれが唐突にプツリと途切れ、目の前が真っ暗になった。
そうして俺はようやく意識を手放すことができた。




