賢い選択
屋敷を後にしたネイベルは、周囲の探索を始めた。
あの屋敷は存在自体が罠だった。
あんな黒鉄の骨兵士の大軍など、処理しきれる人間はそう多くないだろう。
ただの商人であり、にわか冒険者であるネイベルには、到底無理な話だ。
それよりも食料だ。
ここから草原へと戻っても良いのだが、ネイベルはそうしなかった。
それでは一向に前進している気がしないからだ。
なんとしてもここで食料を見つけて、先へ進みたい。
そう考えたネイベルは、屋敷からそれなりに離れた一帯を、さらにくまなく探索し続けた。
やがてネイベルは、屋敷から歩いて一時間ほどの場所に、いかにも怪しい建物を見つけた。
広い敷地を柵で囲いながら、細長い小屋と一軒家が連なっている。
小屋の方からは生き物の声が聞こえる。鶏か何かを飼っているのだろうか。
――こんな墓地で?
ネイベルは訝しがりながらも、調べてみることにした。
一軒家の方から探索を開始したネイベルだが、少し困った事になっている。
ランプが急にゆっくりと明滅し始めたのだ。
今までこんな事は一切なかった。
ふたを開け閉めすると、ランプの光を点けたり消したり出来るのだが、それ以外で操作する事は出来なかったはずだ。
しかし、これはこれで素敵だなあ、とネイベルは思った。
――いけない。気を抜いたら、また酷い目にあってしまう。
優しくランプを撫でながら、気を引き締める。前回の屋敷のような、大型の罠はそうそうないだろう。
だが、ああいうタイプの罠がこのダンジョンでの一般的な罠、という可能性も捨て切れない。
なので、今回は探索を終えたら外に出て野宿をする予定だ。
幸いこの空間は、怪物が闊歩していないらしいことが分かっている。
一軒家の探索を続ける。
ここは、見た目通りと言うべきか、一般的な家庭の家といった感じだ。
極々普通にありふれた家具が配置されており、食器や備品といった類の物は、特に目を引いたりはしない。
逆に言えば非常に落ち着いた雰囲気であり、どこか心地良さを感じる。
ネイベルは、長椅子にゆったりと腰掛け――危ない所だった。
非常に危ない。
なんという危険な罠なのだ。
そう、これは罠に違いない。
魔法か何かだろうか。しっかりと注意していたはずなのに、今また同じ失敗を繰り返しそうになった。
ネイベルは、明滅するランプを撫でながら語りかける。
「分かってる、今度は罠を踏み抜くことはないよ」
ただ、一番大きな部屋にあった暖炉のそばに、一枚の絵画を見つけた時だけは、思わず硬直してしまった。
骨だけになった鳥が、血に塗れた嘴で人間の奴隷を突き刺しているのだ。
所々白いカビで汚れている。
ネイベルは完全に理解した。
これは撤退したほうがいい。逃げるが勝ちというのはまさにこの事だ。
恐らく絵画の内容からして、ここで一息ついている間に、隣の鶏舎と思われる建物から骨の怪物が襲ってくるのだろう。
間違いない。
短剣も打撃も通じない相手には、取れる手段がないのだ。
もう臨死体験はごめんだ。あの花畑は自分の意識が消えかけていたし、危険すぎる。
骨兵士は棍棒だからまだよかった。鳥の嘴が鋭いのだとしたら、臨死体験どころの話ではないだろう。
ネイベルは急いで出口へ向かった。
これが賢い選択というものだ。
何か対策を準備してから隣の建物を探索しよう。
そう考えながら扉のノブを回すと――ネイベルは出口の扉へ勢い良くぶつかった。
尻餅をついたネイベルは、口をぽかんと開けて、ぱちぱちと瞬きをした。
そして冷や汗が一気に噴き出すのを感じる。
――まずいっ!
既に出口は封鎖されていた。
こんなはずじゃなかった。どうしてこうなった。
そもそも敷地内に入った時点でもう駄目なのだろうか。
ネイベルは、はやる気持ちを抑えながらも、必死に思考を巡らせた。
大丈夫、まだ慌てるような段階じゃない。
前回はしっかりと睡眠を取るくらいの時間を挟んでからの襲撃だった。
なのでまだまだ余裕があるはずだ。
とりあえず窓を探そうとしたネイベルは、探索中に一つもそれらが見つからなかった事を思い出した。
そういえば何かおかしいと思ったんだ。またか、また窓がないのか。
――そうか、閉じ込めるためか……。
自分の愚かさを何度呪えばいいのか分からない。
しかしネイベルは、すぐさま思考を切り替えた。大丈夫、今までだって何とかなってきた。
まだ俺は生きてる。
次の手を考えよう。
暖炉があるという事は、煙突から外に出られるかもしれない。
ネイベルは我ながら良い案だと思い立って暖炉のある部屋へと足を踏み入れた。
暖炉の中には灰が大量に積もっている。
何かに使えるかも知れないと思ったネイベルは、水を入れていた皮袋の中一杯に灰をかき込むと、残りの灰は無視して体をねじ込み、上を見上げてみた。
――びちゃっ
ネイベルの鼻の頭に、何かが落ちてきた。
反射的に身を引いたネイベルは、鼻の頭に付着している物質を指で拭った。
「なるほど、全てお見通しっていうことか」
やや粘着質で白っぽい、とても香ばしいコレの正体は、ネイベルにはさっぱり分からないが、運が付いたに違いないと気持ちを切り替えた。
それに、これはダンジョンの中で生成された物質なのでただの魔力の塊だ。
大丈夫だ、全く問題ない。
右手を腰の辺りで拭いた後に、ちょっとランプにも擦り付けてやった。
一蓮托生だ。
ほんのり早めに明滅しているようなランプを撫でながら、ネイベルは相棒の抗議の声を無視する。
上が駄目なら下はどうだろうか。大体こういった家にはどこも地下室があるものだ。
そこに隠れていれば、やがて諦めてくれるのではないか。
それに床下収納には秘蔵のお酒なんかがあったりするしな、とネイベルは考えて、早速探索を開始した。
台所の床に薄くつもった埃の一部に、少し違和感を感じたネイベルは、その辺りを丹念に踏んで音の違いを確かめていた。
床下収納と言えば台所だろう。
一発で正解を引き当てたネイベルは、思惑通り少し運が向いてきたと感じている。
そして、床の隙間に鉄の短剣を挟み込み、勢いよく跳ね上げた。
――なるほど、そういう罠ってことね。
たくさんの鳥の骨の集団と向き合ったネイベルは、わざわざ自分から罠を踏み抜いた事を理解して、跳ね上げたふたの上に乗りながら、どうするべきが考えていた。
どうにもなるわけがなかった。
考え得る中でも最悪に近い状況だ。あいつらの相手は絶対に出来ない。
とは言え逃げる事も出来ない。
暖炉も駄目、外への扉も駄目、鶏舎への通路も一応あるのだが、死地へ飛び込むようなものだ。
完全に八方塞がりである。
それに足元のふたを突き破る勢いで嘴を突き出しているに違いない、今もがたがたと常時揺れている。
ネイベルは覚悟を決めるしかないと思った。
今までは運も味方してくれた。だがこの嘴はだめだ。
さっき一目見ただけでも、相手を一撃で昇天させる鋭さを兼ね備えていると分かった。
今から考えれば、スターラビットの子供相手に苦戦していた頃はまだ良かった。
命を掛けはしたが、結果的に死ぬほど痛い思いをするだけで済んだ。
成体を相手にした時ですらまだマシだったと言えるかもしれない。
骨は数本折れたし尋常じゃない痛みは伴ったものの、死を覚悟した段階までで済んだ。
屋敷の罠にかかった時は、骨を粉々に粉砕された上で意識をなくし、臨死体験をするというほぼ死ぬ寸前までは連れて行かれたが、何とか死なずに済んだ。
――だが、今回の相手は駄目だ。
嘴がウサギ共の比じゃない程に鋭くて硬いのは火を見るよりも明らかだ。
ネイベルはランプを撫でながら語りかける。
「前回、死の淵から呼び戻した上で、俺のことを回復してくれたのはお前なんだろう」
ランプはその呼びかけに、こう答えた。
――マリョクチョウダイ。
ネイベルは思わず笑ってしまった。
今まで何回も覚悟をしてきたが、今回だけはもうどうしようもない。
恐らく痛みに耐える暇もなく一撃で昇天する。
臨死体験をしている暇すら与えられない、地獄への特急券だ。
「お前が満足いくまで魔力をあげるよ」
ネイベルはそう言うと、ランプを優しく撫でながら、目を瞑った。
――先生、俺はここまでです。
ネイベルの視界は暗転した。ネイベルは意識を失った。
ネイベルは昏倒のプロ。
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