万感の想い
「ここは……なんか不思議な空間だね」
ネイベルの目には森が広がっているように見えるのだが、何故か足もとには水が顔をのぞかせている。
陸地部分には木が生い茂り、大きな島が点在しているような地形だ。
「良かったですね、ネイベル様。この空間は見覚えがあります。地上は近そうですよ」
カドがほんのりと口角を上げながらそう言った。
「えっ本当に! カドは分かるの?」
「はい。以前に、じぃと来た空間に似ています」
ロンメルが頷きながら言葉を引き継ぐ。
「我々は樹海と呼んでおりました。一風変わった木々が生い茂る、湿原地帯が広がっております」
「へぇ、それほど深くはないみたいだから、一応そのまま歩けるみてぇだな」
カルーダが恐る恐る足を水中へと踏み入れている。腰には紐を巻いていた。反対側は、ボンさんの体に結ばれている。
当の本人は、ジャブジャブと音を立てながら、歩きたい方向に歩いている。
「時期によって高さが変わるらしいのですよ。以前私共が来た時の水位は、腰のあたりでしたな」
「ここには怪物がほとんど出ないのです。その代わり、とんでもなく広大です」
そういってロンメルとカドも歩みを進める。
「これだけ探索を進めてきたのに、未だに初めての空間があるなんてね。やっぱり良く分からない所だよなあ、ダンジョンって」
隣にいるミネルヴァへ言葉を投げながら、ネイベルも彼らの後に続く。
「そうね、それより地図を出してみなさい」
ネイベルは言われた通りにする。
「ここから歩き始めて、いま少し進んでココに来たわけよ。つまり、あっちが北ってことね」
全員が足を止めてミネルヴァの話に耳を傾けていた。
「あんた達ね、どっちの方角に進むかも考えずに歩き出すなんて、ちょっとカルーダの影響を受けすぎよ」
そう言って彼女は両手を腰に当てて、胸をそりながら息をはいた。
「まぁ俺ほどの男になればよ、影響を受けるなっていっても、それは無理ってもんだろうな」
「褒めてないわよ、ばかね」
ミネルヴァの発言を受けて、ロンメルやカドでさえ顔色を悪くしながら、ぞっとしているのであった。
「と、とりあえず東に行こうか。イストを目的地にしよう。ロンメルさんやカドがいれば、ボンさんが居ても入国させてもらえそうだし」
「そ、そうですな。そうしましょう……あちらが東ですかな」
カドは未だ固まっている。
「ほら、あんたも早く歩きなさい」
ミネルヴァがカルーダのお尻を叩きながら歩いている。
「すっかり仲良しね」
リンがそう言いながら彼らを見ている。
言葉とは裏腹に、顔から覇気を感じない。眉毛も目尻も口元も、元気なく下がっている。
ネイベルはその寂しそうな横顔を見ながら、何だかポッカリと、心に大きな穴が空いているような気がした。
「ちょっとなめてたなあ。こんな広いとは」
ネイベル達は、陸地で休憩している。
「でも魔物が出ない分、楽とも言えるんじゃないかしら」
ミネルヴァは頬杖をつきながらそう答えた。
すると、カドが全員の顔を見渡しながら話はじめる。
「それは少し違うのです、ミネルヴァ様」
全員がカドを見ている。
「この空間の恐ろしい所は、魔物が出ないことなのです。時期によっては腰まで水に浸かりながら、広大な空間をひたすら歩くのは、恐ろしい事なのです」
全員が少しだけ、はっとした顔をした後に、納得している。
「水と食料の問題だね」
ネイベルがみんなの気持ちを代弁した。
リンとミネルヴァは特に食事を必要としないし、そもそもネイベル達は、やかんのお陰で水も運ぶ必要がない。
最近では食料を始めとして、何でもやかんに収納出来るので、忘れかけていた感覚だ。
「その通りです。広域型ダンジョンの場合、食料の補充が出来ない空間を突破する事は、非常に厳しいと言われています」
「ちょっと、やかんに慣れすぎてたな。俺も長年経験があるから、それは分かるぜ」
カルーダが頷きながらそう言った。
「この空間は、端から端まで歩くのに数ヶ月必要だとか、一年かかったとか、そういう話を良く聞きます。それすら本当かどうかは分からない。つまり樹海は、未だに全容が知れないのです」
カドの発言を受けて、ロンメルも会話に加わる。
「まず、この鬱蒼と茂る木々のせいで、とにかく階段の発見が困難です。怪物も出ないので、冒険者にとっても美味しい部分がありません。広大すぎる事も併せて、調査の遅れている要因と言われています」
確かにその通りだろうとネイベルは思った。
「特に面白い事もねぇしよ、さっさと抜けてぇな」
「そろそろ見覚えがありそうな場所も見つかるでしょうし、もうすぐですよ」
カドの話を聞くと、何だか気分が高揚してきた。
「次の空間は――」
そこまで言いかけて、ネイベルは慌てて口をつぐんだ。
思わずそこへ両手を添える。
リンが微笑んでいる。
ミネルヴァも、カルーダも、ロンメルとカドさえ、優しい笑顔でネイベルを見つめている。
ボンさんはスヤスヤと休んでいる。まだゆっくり休む時間が多めに必要らしい。
優しい時間が流れている。
「楽しみだね」
そう言って、ネイベルは笑顔を返した。
「はぁー何だかもう見慣れた光景だなぁ」
「イストに一番近い入り口は、この草原に繋がっているんですよ」
カルーダとロンメルが会話をしている。
ネイベルも、少しがっかりしてしまった。困難な空間が良かったわけではないのだが、草原はもうお腹いっぱいだ。
「入り口付近ってことは、敵も弱いんだろう?」
階段を上がる度に、手ごたえがなくなっている、という実感がある。
「ネイベル様にとっては、視線一つで終わるような戦いしか起きないでしょうね」
カドの言葉を聞くと、やっぱりネイベルは少しがっかりしたのだった。
「だけどよ、俺は初めて見る地上の世界だからな。やっぱり楽しみだぜ」
「水を差すようで悪いけどね、案外あんたの想像通りだったりするわよ。過度な期待はやめなさい」
「へぇ、そうかよ。楽しみだな」
「人の話は、せめて理解しようとしなさいよ」
「楽しいかどうかは、俺が決めるんだ」
そう言ってカルーダは、年季の入ったシワをさらに深くした。
ミネルヴァはそれっきり何も言わない。
ここからでは表情が見えないが、両手を強く握り締めている。その部分だけ白っぽく色が変わっていた。
怒っているんだろうか、それとも――。
「ネイベル、行くわよ」
リンが呼んでいる。
「ああ、今行くよ」
「そろそろ彼らにも起きてもらおうか」
ネイベルはリンを見た。
「魔力の話をしたら、全員喜んでそのまま眠ることにしたんでしょ?」
「マリーなんて、数年はこのままにしてくれって言ってたわよ」
「彼女なら純粋な理由なんだろうけど、他の奴らはカルーダのシゴキが嫌になったんじゃないの」
ネイベルはちょっと意地悪を言った。
「ネイベルの鍛え方のほうが、よっぽどキツそうに見えたけど」
ミネルヴァが横から口を挟む。
ロンメルとカドは、ネイベルと視線を合わせようとしない。
「――え?」
「ほ、ほら、もう早く起こしちゃいましょう」
何だか納得がいかないが、リンがこちらを見てそう言うので、はっきりと頷く。
彼女がやかんへ手をかざして魔力を込めると、一層妖しく光りだした。
するとまるで蒸気を吐き出すかの様に、シューっと音を立てながら、人間が放物線を描き、勢い良く空を飛んでいった。
「何だかこれを見ちゃうと、色々思う所があるな。――こう、何が、とはうまく言えないけど」
「分からなくもないけど、結果的に彼らはこれで、大陸でも有数の魔力保有量よ。マリーなんかは、ネイベル以外じゃ歯が立たないくらいよ、きっと」
ミネルヴァがそう言うのを聞きながら、ゆっくりと体を起こしていく彼らを見ている。
結局、半年どころか九月以上は眠り続けていたことになる。
ロンメルとカドの提案にしたがって、地上への出入り口がある程度近づいたら、感覚を取り戻すために彼らを起こす事になっていたのだ。
これからしっかりと動きを確認しつつ、地上を目指すことになる。
「さて、ネイベル。魔時計を確認したほうが良いんじゃねぇか」
地上への出口を目の前にして、カルーダはそう言った。
言われるまでもない。すでに取り出している。
――現在の日時は、10月10日9時40分だ。
全員がこちらを見て笑顔になっている。
――あっ!
「そうか、今日は俺の……」
魔時計を持つ手が震えている。
おめでとう、という声が沢山重なって鼓膜を震わせる。
心の底から、じんわりと暖かいものが這い上がってきた。
そのまま胸を優しく包み込んで、鼻の奥をくすぐる。
顔をゆっくり赤く染めて行くと、流れる様に瞳から出て行った。
「――ありがとう」
しっかりと言えただろうか。
なんだか色々な想いが、ぐちゃぐちゃに混ざっている。
ダンジョンに飲み込まれたのは1185年4月の事だった。
魔道具が敵を寄せ付けない効果があると知って、浮かれてバレスト大森林に踏み入ったのが始まりだ。
――あれから十一年と半年か。
ネイベルも随分と年をとった。今日で三十六歳だ。
鼻毛に白いものが混ざっていた時は、大いに驚いた。
心なしか、手のシワも深くなっている気がする。
若気の至りだった、と言って済ます事が出来ないほどの時間だろう。
やかんは妖しく光り続けている。
ネイベルは瞳を閉じて、その場に立ち尽くしていた。
全員がその姿を見ながら、思い思いに彼を見つめている。
リンの頬に、一筋の涙が伝った。
ついにネイベルは、ダンジョンからの生還を成し遂げます。
これからも宜しくお願いします。




