右に出る者はいない
そもそも目が覚めた時点で、どれほど眠っていたのか気になりはしたのだが、それよりも知りたい事が多すぎて後回しになってしまった。
だがリンの言い方を聞くと思い当たる節がある。
「さすがに気になるわよね」
「ああ、二年くらいじゃないかと思っている」
あら、と言ってリンは少し驚いた。
「すごいわね、ネイベル。さすが意識を失う事にかけては右に出る者がいないだけあるわ」
声が笑っている。
「今はね、1194年10月上旬くらいよ。そういえばネイベルの誕生日って……」
「ああ、環境が環境だったからね。10月10日ってことにしてるよ」
「そう、そうなのね。それじゃあちょうどあなたの誕生日くらいってことね」
ただし二年経っているけれど、とリンは言った。
「はあ……それじゃあついに、意識がないまま気づいたら三十四歳ってことか」
「一応身体の機能は維持したままになっているわよ。今回はかなり大変だったけれど、やかんの中っていうのもあってやりやすかったのよ。だから二年で済んだとも言えるわね」
なるほど、そういう事もあるのか。
「でもそれじゃあ、なんで体が動かないのかな。この理由だけはちょっと思いつかなかったよ」
「ああ、やかんの中だからよ。あなたの心と体は今、別々の存在となってここにいるのよ」
ちょっと理解が追いつかないが、そういう事もあるのだろうか。現にはっきりと意識はあるのに体は動かない。
「やかんの外に出れば元通り動くはずよ。空気の層を纏う必要があるけれどね」
ネイベルは、そんなものか、と一旦納得しておく事にする。
「それで、外の様子は分かるの?」
「ええ、そのあたりも問題ないわ。二人を起こしてから一緒に説明しましょう」
「そうか。それじゃあ二人を起こそうか」
「そうね、今までの事は確認のためにネイベルが説明してあげて頂戴」
わかったよ、とネイベルはリンに言った。
それからしばらくすると、ミネルヴァの声が、そして間もなくカルーダの声が聞こえてきた。
「あら……なんだか懐かしい感覚がするわね――」
「ん……俺は一体……」
ミネルヴァとカルーダが目を覚ました所で、ネイベルはリンから聞いた話を彼らに伝えた。
「そうか、そんな事になってたんだな。確かに俺は妖しい光が視界に飛び込んだ後の記憶がねぇ。だが、まさかそのまま二年も寝てたとは――」
「私はむしろ二年済んでよかったと思うわ。リン、本当にありがとう」
ミネルヴァは心から感謝しているようだった。
「カルーダの気持ちはよく分かるよ。俺なんて意識がないままもう何年を過ごしたことか……」
「そ、そうだったな。俺なんてまだまだだったわ」
「その通りよ、カルーダ。そもそも、あんたはやかんの中で天からお迎えが来なかった事に感謝するべきね」
「んぐっ……てめぇだって一緒に気絶してたらしいじゃねぇか。憎まれ口を叩けないくらいに改心してりゃよかったのにな!」
「私は心からあんたの事を心配しただけよ。それを憎まれ口だなんて――」
この二人は元気になればいつだってこうだ。
「わかったよ、そこまでにしてくれ。とにかくリンのお陰でみんな命をつなぎとめる事が出来たんだ。よかったじゃないか」
「ネイベルの言うとおりよ。少し時間がかかっちゃったけど、心と体はしっかり守れたと思うわ」
「ああ、悪い。そうだな! リン、おめぇは本当にすげぇやつだぜ。ありがとうよ」
「私にも普段からそれくらい感謝しなさいよ」
「ミネルヴァ!」
ネイベルは頭が痛くなりそうな思いをしながらも、またこうやって楽しく一緒にやっていけると思うと、本当によかったと思った。
一通り雑談をしながらはっきりと意識が覚醒したところで、ネイベルはリンに思い当たった事を聞いた。
「なあ、リン。俺が二年寝ていたのは体を治してもらう為だったわけで、それは理解できるんだ。ただ、カルーダに関しては魔力が底をついていただけで、体はほとんど無事だったんだよね?」
「ええ、そうね。カルーダに関しては心と体の被害はネイベル程ではなかったからすぐに回復したわよ」
「それでも俺が目を覚ますまでは、寝たままにしてあったんだよね?」
リンは、ふふっと笑って肯定した。
「ええ、そうよネイベル。あなたの言う通りよ」
「なんだおめぇ、つまり何が言いてぇんだ」
「つまりね、魔力が底を付いている状態で昏倒させられて二年そのままだったんだよ、カルーダは」
「ああ、そういう事ね」
ミネルヴァは思い当たったようだ。
「簡単に言えば、こういう事よカルーダ。あんたは今、眠る前からは比べられない程の魔力量になっているはずよ。肉体年齢を考えれば魔力の回復速度は遅いでしょうから、実感出来るのは外へ出て時間が経ってからでしょうけどね」
カルーダは驚いたような声をあげた。
「なにぃっ? 本当か、リン!」
「ええ、ネイベルとミネルヴァの予想は正しいと思うわよ。魔力が尽きた状態で気絶していたのは不幸中の幸いね」
ただ、ネイベルほどの効果はなさそうだけど、とリンは言った。
「そうか――いや、ネイベル程人間を止めようとは思ってねぇからそれは良い。この年で魔力量が大幅に上がるだなんてそんな嬉しい事はねぇ」
カルーダはとても嬉しそうだ。
「やっぱり、すぐに起こさなかったのはそういう理由があったんだね」
「そうね、ネイベルが頑張っている姿を見ているだけのカルーダは、とても悔しそうだったのよ。私に出来る事をなんとかしてあげようと思っただけよ」
リンは弾むような声でそう言った。
「あぁ、魔力量さえ上がれば色々と応用が利く。本当にありがてぇ」
「よかったわね、カルーダ。それでしっかり私を守りなさいよ」
「当然だ。俺は二度と不甲斐ない姿を見せねぇ。おめぇの事だって命に代えても守ってやるぜ」
「そ、そう……期待しているわよ――」
カルーダがあれ程喜んでくれたとなると、ネイベルも嬉しかった。これからは一緒に前線で戦えるかもしれない。
そもそもネイベルより圧倒的に戦闘技術が高いのだ。ネイベルは見て学ぶ側なのだ。これは自分にとっても良い事だな、と思った。
「そろそろね」
リンがそう切り出した。
「ん、外に出るのか?」
体が動かねぇのは違和感があるしなぁとカルーダはぼやく。
「スルーレが目の前にいたりしないよね」
ネイベルは不安になってそう聞いた。
「大丈夫よ、あいつは数ヶ月に一度どこかへ出かけて七日程度は巣に戻らないのを確認しているわ」
「へぇ、そうかよ。餌でもとりに行ってるのか」
「ただの気晴らしかもしれないわよ」
「両方を兼ねているのかもしれないわね。私にはそう感じられたわ」
それでね、とリンが続ける。
「ちょうどネイベルが起きる数日前に、巣から離れていったのよ。だからあと数日は戻って来ないと思うわ」
「そうだったんだ。じゃあ俺はちょうど良い所で目覚めたんだね」
ええ、そうねとリンは言った。
「じゃあ早い所、外へ出て体を動かそうや。鈍っているといけねぇからな」
「ああ、それはあまり心配する必要はないと思うよ。何度も経験してきた俺から言わせて貰うと、リンのそのあたりの調整は完璧だよ」
「そうよ、私だって頑張ったんだから」
「あぁ……いや、悪気があったわけじゃねぇんだ。すまねぇ」
カルーダはばつの悪そうな感じでそう言った。頭を撫でている姿が目に浮かぶ。
「ふふっ分かってるわよ。それじゃあ体のほうに空気の層を纏って――外に放り出したあとですぐにあなた達の心も送り出すわね」
それじゃあいくわよ、とリンが言うと、やかんの内部が一層強く妖しい光で満ちていった。
何か水の流れ出すような音がする。
「無事に出来たみたい。それじゃあ私は後から合流するわね」
リンの声を聞きながらネイベルは、視界が白い湯気で覆われていった。
「あ、いけない! 言い忘れていたけど――」
ぐるぐると視界が回転しながら、やがて外へ放り出された感覚と共に――。
ネイベルの視界は暗転した。ネイベルは意識を失った。
これは人生で初めて書いている小説です。
前回も言いましたが、人に読んで頂けるのは励みになりますよね。いつも感謝しています。
色々と挑戦したりしつつではありますが、なるべく一話ずつ丁寧に書いています。