妖しいやかん
ダンジョン内で生活をするようになってから、半年程度が経過した。
毎日飽きもせずにランプを磨いているのだが、最近は錆びがほとんど気にならなくなってきた。
鍛錬の成果か、注げる魔力が増えてきた事も関係あるのかもしれない。
とある街の蚤の市――行き交う人々もそれなりに多く、なかなか賑わっていたその場所に、ネイベルの心を奪うものがあった。
一見するとただのガラクタの様であったし、売主でさえそう考えている様子だった。
なんせ所々ひどく錆びついていたし、光沢もなく、薄汚れており、目を凝らすとひびが入っている様にも見えたのだ。
全体的に赤茶色をしたそのやかんは、他のガラクタ同然の物と一緒に、捨て値で乱雑に並べられていた。
磨けば光る一品だと考えたネイベルは、即座に購入する事にした。
毎日毎日飽きもせず、時には話しかけながら、時には一心不乱に集中して、布巾を使いながら丹念に磨き上げた。
すると、何とか汚れだけは綺麗に落とす事が出来た頃に、本当に文字通り、妖しい光を放ち始めたのである。
このやかん……もといランプだが、なんとれっきとした魔道具だったのだ。
彼がこれを魔道具であると気付けたのは、偶然が重なったからだ。偏に歪んだ愛情が生んだ奇跡とも言える。
ネイベルが知る限りでは、魔道具とは魔力を込めて何かしらの能力が発動する物全般を指して言う。
大陸全体を見渡せば、実用品からガラクタ同然のものまで多種多様に存在する。当然ネイベルも様々な魔道具を見てきたし、扱ってきた。
そう、ネイベルは商人なのである。個性的な魔道具などが大好きで商人になったのだ。
そうして大好きなランプを見つめるネイベルだったが、そのお腹の肉は、ついに筋肉へと変貌を遂げ始めている。
上半身も下半身も万遍なく鍛え上げているお陰で、ネイベルはすっかり以前とは体つきが変わった。
街へ戻れば見分けが付かない人もいるかもしれない。
短剣を扱う技術に関しても、構えから攻撃までを一連の流れとして体が理解をしているし、頭で考えるよりも早く動けるくらいになっている。
一流とよばれる人達には到底適わないのだろうが、以前のネイベルと比べれば雲泥の差だ。
スターラビットを狩り続けていた結果、攻撃の受け流しや力の逸らし方、回避行動全般、そして魔法の妨害などは実に手際良くこなせるようになった。
大量の毛皮を丁寧になめして、かなり破れてしまった服の上から、革のシャツを着ている。
ダンジョン内での気候の変化はまだ分からないが、寒くなった時の為に毛皮のマントも作ってある。
ズボンもスターラビットの革製だ。他にもグローブと靴もどきも作った。鍛錬の合間の暇つぶしだ。
金具や専用の道具などがあればもう少し良いものが作れるのだが、贅沢はいえない。
商人のネイベルから見ても、十分に性能が良いと思う。
先生の教えに従って、色々と道具を所持していた事が、こんな所で活きるとは夢にも思わなかった。
いや、夢なら覚めて欲しいくらいではあるのだが――。
ダンジョン内で生活を始めて一年が経過した。
ネイベルはいよいよ鍛錬を終わりにして本格的に脱出を目指すことにした。
この半年の間は、草原の探索と拠点移動の為の準備をしている。
そして改めて分かったことは、どうやらこの池の水は特別なものだと言うことだ。
ダンジョン内の怪物を近づけない効果があるように感じる。
いつもはネイベルを見ると喜び勇んで攻撃を仕掛けてくるウサギ達が、遠巻きに見てくるだけで近寄ってこない。
こちらから近づくと戦闘になるのだが、どうにも大分嫌がっている様に見えた。
怪我を少し癒す効果があるらしいだけでも十分だが、怪物を近づけない効果も本当にあるのだとすれば、これは貴重な情報だ。
草原を探索している時に、スターラビットの群れとも何度か遭遇した。
多対一の戦いになったが、全く問題がなかった。油断する気もさらさらないが、慎重すぎるのも良くないと学んでいる。試せる事は試しておくべきだ。
他には、重たい荷物を背負っての戦いや、両手がふさがっている状況での戦い、動けない状況下での戦い、などを実際に試してみた。
どれもウサギ達を相手にして問題がなかった。
涙の出そうな成果である。
鍛え上げた肉体から繰り出される突きや蹴りも、十分な攻撃力を兼ね備えるようになった。
そうやってこの半年に渡る探索の結果、ネイベルは草原の奥に一つの小屋を発見し、その小屋の中にある階段から下に降りられる事が判明した。
ネイベルは下ではなく上に行きたいのだが、どうやらこの小屋の階段以外にこの草原から脱出する方法はない様子で、他に選択肢はなかった。
いよいよこの楽園ともお別れだ。一年前は絶望しかなかったが、生死の境を彷徨ってからは、ネイベル自身大きく変わることが出来たと思っている。
一度きっかけさえ掴めれば、この草原は非常に良い環境であったと言える。
一年を通して過ごしやすい気候だったし、水の苦労もないし、食料も肉に木の実に果実にと、十分充実していた。
出てくる怪物もスターラビットだけだし、それも慣れれば良い運動になる程度の強さだ。
警戒していたが、罠の類もなかった。その代わり宝箱と言われるものも、ついに発見は出来なかった。
一際大きかったスターラビットの頭骨を使って兜も作ってみた。全身スターラビット装備だ。見た目は色々とアレだが、ネイベルは十分に満足できる性能だと思っている。
大量の池の水と燻製にしたウサギ肉や木の実などの食料、そしてスターラビットの毛皮に角など、たくさんの物資をリュックに詰め込んだネイベルは、小屋から階段で下へ降りるべく、一年を過ごした草原へと別れを告げた。
吹き抜ける風は心地良いし、青空も晴れ渡っている。ここは楽園だ。
階段を下りたらそこは、ジメジメとした薄暗い空間であった。
手のひらほどもある、よく分からない虫がブンブンと飛んでくる。
蝿なのか蜂なのか。それらが合わさったような虫ではあるが、ネイベルはしっかりと目で捉えながら、短剣で真っ二つにしていった。
――全く問題にならない。
魔法を使う気配もないし、尻から針が出ているのは気になるが、ネイベルに届く前にしっかりと見てから対処可能なものだった。
草原で鍛え上げた肉体は十全にその能力を発揮した。
ただ、池の水は魔物全体を遠ざける効果があったわけではなかったようだ。
虫達は全く気にしないで突っ込んでくる。草原限定の効果だったのかな、とネイベルは思った。
そのまま快調に探索を続ける。
少し足場が滑り易い事をのぞけば特に問題のあるような事はなく、例の虫以外にも、沢山の虫を倒した。
カブトムシとクワガタを合わせたような虫や、カマキリの手とムカデのような胴体と足をもつ虫や、羽の生えた色とりどりのカエルなんかがいた。
短剣を巧みに操り、攻撃をかわしながらしっかりと止めを刺していく。快調ではあるが、そこに油断は一切ない。
青白いカタツムリを相手にする時は少し苦労した。
ためしに殻を短剣で叩いてみると、甲高い音がして攻撃が通らなかった。
思いっきり左手で殴ってみても、自分の拳がひたすら痛いだけだ。
いや、正確に言えば、何度も続ければ割れたかもしれないが、時間がかかりすぎるだろうという意味では他の方法を考えるほうが良いと判断した。
と、言っても対応は簡単で、移動速度が遅い代わりに再生する触手のようなものを伸ばしてくるので、それを斬り続けただけだ。
何度か繰り返すと触手は再生してこなくなり、そのまま本体へ止めを刺した。
殻に引きこもられると厄介なのだろうが、それならそれで無視すれば良いとネイベルは判断した。
別に全ての怪物を倒す必要はないのだ。脱出できればそれでいい。そしてそれを成すだけの鍛錬は重ねてきたのだ。
草原はウサギばっかりだったわけだが、ここは虫が多いのかな、とネイベルは考えた。見たこともない固体がたくさんいる。
とりあえず上に向かいたいので、上り階段のようなものがないか探索を続けている時だった。
――あれは宝箱じゃないだろうか。
近づいてみると、粗末な木製の箱に見えた。いかにも、といった感じがする。
箱自体の横幅は、ネイベルの肩幅ほどであり、奥行きはその半分程度。高さは膝までといった所だ。
上部は平たく、思っていたよりもやや大きい気がする。これが普通なのだろうか。ネイベルには判断がつかない。
一年近くも草原を歩き回ったのに、ネイベルはついに宝箱を発見する事が出来なかった。
しかし、恐らくこれがそうに違いない、とネイベルは少し興奮している。
まだ下に降りてから大した時間も経っていないのに、随分と良い調子だ。
近寄ってから、そばにいる虫達を排除し、安全を確保した後にその場で検分を始めた。
ネイベルは、話に聞いたことは何度もあるが、現物を見るのは初めてだ。
なぜなら、冒険者はみんな、開けた後の中身だけを持ってくるからだ。
箱ごともってくる奴なんて聞いたことがない。
鍵穴が付いているので開けるには鍵が必要なのかもな、とネイベルは思った。
しかしそれらしい鍵は近くに見当たらない。
「まぁそりゃそうだよな」
ついつい一人で納得してしまう。
合鍵をそばに配置するくらいなら、そもそも鍵穴を付ける意味がない。
しかしこのまま諦めるのも何だかもったいない気がしてしまう。
ネイベルは少し考えた後に、色々と試して見る事にした。
まずは普通に開けようとしてみる。しかし、当然開くわけがない。
次に箱を持ち上げて上下左右にゆすってみる。
鍛えたネイベルにとっては大した重さではないが、一応それなりの重量感がある。
中には何か入っているような音がした。箱の大きさを考えると今より少し大きい短剣か何かだろうか。腕や足につける防具とかかもしれない。
試しに思いっきり殴りつけてみた。木製なので何とかなるかもしれないと思ったからだ。
すると、軋むような音と共に、ふた部分にわずかに亀裂が走った様な気がする。
「おぉ! なんとかなるんじゃないか、これは」
ネイベルは興奮を抑えきれずに、渾身の力を込めて何度も左手を振り下ろした。
一年も体を鍛え続けたネイベルの冒険は、すこぶる快調に。そして宝箱が――。
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