地下にある街
ネイベルとリンの宿に、老齢の戦士が訪ねて来ていた。
「俺は対人戦闘が得意だ。そのための訓練は欠かしていない。それに戦士を鍛え上げるのも得意だ。なんせここ数十年そればっかりだったからな」
老齢の戦士、もといカルーダはそう言った。
「この国では魔物……怪物相手にも戦えるように訓練しているのは、俺と俺が鍛えた一部の精鋭くれぇのもんだ。戦う必要があまりねぇからな。南部は立ち入りを制限しているくらいだ、覚えているだろう」
「そうね、陛下も話していたけど、この国から伸びている通路は、北部に二本で南部に一本。そのうち北部の一本は砂海っていう話だったわね」
「ああ、その通りだ。南部はあまりの過酷さに訓練ですら利用しねぇが、北部の通路は別だ。ある程度戦える奴ならなんとかなる。おめぇらなら余裕だろうよ」
「そうなんだ。どういった空間に繋がっているの?」
ネイベルは先に情報を聞いておく事にした。
「ただの草原地帯だ。今から思えば、あのプシーラが大昔に何かしてくれたっていう事なんだろうよ。出てくる怪物も牛や馬に似ててな、食用にしてるくらいだ」
ガルガッド国民の食生活の一部を支えているという事なのかな、とネイベルは思った。
「ただその草原を抜けた先だがな、あれはちょっとどうかと思うぞ」
「どういった所なのかしら」
「準備をする必要があるな。俺らは水路と呼んでいる」
カルーダに案内され草原に来てみたネイベルは、なるほど、スターラビットのいた草原そっくりだなと思った。
ここでは数種類の動物系の怪物しか出てこないらしいし、食用として利用するくらいだからネイベルなら問題ないだろう。
そしてここでも下へと続く通路は小屋の床にあった。
「なぁ、リン。俺はさ――」
「その先は言わなくても分かるわ。私だって同じ事を考えていたもの」
ネイベル達は、ガルガッド王国が地底に当たる部分だと思っていた。さすがにもう下ることはないと考えていたが甘かった。
このダンジョンには下り階段しかないのかもしれない。
「なんだよ、仕方ねぇだろ。俺だって上にいける階段があるなら、おめぇらに教えてやりてぇよ。これでも十分感謝してんだ」
「あなたのせいだとは言っていないわよ、カルーダ。ただね、ここまでずっと下り階段なのよ。私達はガルガッドが地底だと思ったの。これだけ広い空間だったしね」
階段を下りて通路を進むネイベル達であったが、降りた瞬間から少し独特のにおいがした。
「この水路って所はな、でけぇ湖になってんだ。そんでな、その水を利用しようかって考えて調査してみたらよ、どうなったと思う?」
カルーダがにやにやしながらネイベルに聞いてくる。
「ああ、しょっぱくて使い物にならなかったんだろう」
「あ、あぁ……そうだけどよ」
カルーダはちょっと落ち込んでいる。
「ふふっ、ネイベルは意地悪ね。カルーダ、ここはね、湖じゃないのよ。これが海と言われるようなものよ。正確にはダンジョン内だから湖といったほうが正しいのかしら……でも、特徴は海そのものよ」
通路を抜けた先に広がる光景を見ながら、リンはそう言った。
現在ネイベルは、必死に魔法の練習をしている。水路を調査した結果、どうやら水中を進まないといけないらしい。
ガルガッドの戦士達も、水中で呼吸をするための魔法を長時間継続することは出来ないという理由で、草原までしか攻略していないとの事だった。
船を作ればいいのではと考えたネイベルだが、この地で暮らすのなら造船技術なんて全くいらないだろう。まともな船を作れないのかもしれない。
水中で呼吸をするための魔法とやらをリンに聞いてみたネイベルであるが、水中で空気を作り出して身体に纏うイメージが上手に出来なかった。
水の中に空気なんてあるわけがない、という固定観念が邪魔をしている。
そもそも魔法なら、魔力を消費して大体のものは作り出せるのだ。水中だろうと空気は作り出せるはずだ。
「ネイベル、あなたは火と水と土の三種類なら初級程度の魔法が十分に使えたわね」
「ああ、リンに手ほどきされた事を鍛錬で続けているからね」
「でも、戦闘ではほとんど使ってこなかったわね」
「使う必要がなかったというか……妨害魔法を掛けて棍棒で殴るほうが圧倒的に安全で早いんだ」
「それは後ろから見ていたから良く分かるわ。ネイベルが今使える魔法は、全てあなたが見たことのある現象を再現したか、受けたことのある効果を再現したものだけなのよ」
ネイベルはリンの言っている意味を良く考える。
確かに、火や水は生活と密接に関わっているし、土魔法も直接食らったから分かりやすかった。というか、そのせいでネイベルの火と水の魔法は、つぶてを作るものになっている。
妨害系の魔法で使えるのも似たような効果を受けたものが大半だ。肌を焦がす空気や身を凍えさせる空気も、暖かい空気や冷たい空気を実生活で体験していたので、効果を高めることで対処できたわけだ。
「あなたは毎日、空気を吸って吐いているけれど、実際に空気を目で見る事は出来ないわよね。でも確実にそこに存在するのよ。意識しないと理解できない状態ではなかなか、ね」
ネイベルは身の回りにある常温の空気を直接肌で感じ取ることから始めた。これを再現できれば良いと気がついたのだ。
それに、普段の戦闘からもっと魔法を使っていこうと思った。実際に使わないと分からないこともある、とリンは言いたかったのではないかと考えたからだ。
「ちょっと言い過ぎちゃったかしら」
リンはネイベルの鍛錬を優しく見守っている。
ネイベルは今日も鍛錬に明け暮れていた。空気を大きく身体全体に纏い、それを難なく維持することには成功している。
「順調そうね」
リンは笑顔でそう言った。
「ああ、リンのお陰でだいぶ感覚を掴めて来た。これなら水路でも大丈夫そうだ」
「ねぇネイベル。せっかく鍛錬できる環境があるのだから、もう少しここで魔法をしっかりと練習しましょうよ」
「それは別に構わないけど、リンはただガルガッドを見て回りたいだけじゃ――」
顔を背けるリンを尻目に、久しぶりに人で賑わう街を歩けているネイベルも、まんざらではないのだった。
ガルガッド王国は南の壁からネイベルが一日かけて最北端へ到達するくらいに広い。
居住空間は中央付近に集中しているみたいだが、他の場所では農業をしていたり、家畜などが育てられている。
国中に湖から流れた川や池などがあるし、水は豊富なようだ。ここがダンジョンの中である事など忘れてしまうほどに平和だった。
かなり立派な建物が王族の居住地として中央にあり、そこから城下町ともいえる風景が広がっている。
そういえば、国民番号や職業適性を壁で聞かれた話をカルーダにしたら、大笑いされた。あれは嘘をあぶりだすための出鱈目だったらしい。
国民の数なんて細かく把握していないと言っていた。ネイベルの目から見ると一万人はいそうな気がする。
「ネイベル、この暴れ牛の串焼きという食べ物はおいしそうね」
「リンはいつも食事なんてしないじゃないか」
「それはそれ、これはこれよ。美味しいものは食べてみたいわ」
ダンジョン内の怪物だって何かを食べたりもするだろうし、そういうものかなと一応納得しておいた。
「イイアジが売っているといいわね」
そう言いながら、リンは少しからかうようにネイベルへと視線を向けた。
相変わらず上品な仕草で口元を隠しながら、笑みを浮かべている。
「リンはそう言うけどな、ダンジョンの地下深くの湖で取れる魚の中にはいるかもしれないんだぞ」
いるわけないと知りながらついつい反抗してしまった。
「ネイベル、この髪飾りとても素敵だわ」
そういってリンの指差す先には、確かに可愛らしい一品があった。
そういえば、これはどこかで見た気が――ああ、あの臨死体験の花畑で見た蝶々にどこか似ている。
青と赤の入り乱れた模様をしている羽が、波打つようにひらひらと、中央から左右へ広がっている。
少し大きめだけど、リンにとても似合う気がする。
奉納する魔力が一気に増えた結果、リンは既に全体的に白っぽく儚かった状態からは脱している。
今では、とても美しい黒髪を肩のあたりで揃えていて、肌は透き通るような白ではあるが、健康的には見えるくらいだ。
「すこし陛下からお金も頂いているし、お土産として買っていこうか」
「結構高いみたいだけど――ありがとう、ネイベル」
そうやって、満面の笑みをネイベルに向けてくる。
独占したくなるような気持ちになるが、人間ではないのだ。本当に残念すぎる。
髪飾りを左耳の上の辺りにつけると、やはりそれはリンにとても良く似合い、彼女の美しさをより一層引き立てるのであった。
「それじゃあ、行きましょうか」
揺れる黒髪は艶やかで、瞳からは妖艶さが溢れ出している。
屋台の串焼きの良い香りが、通りに充満していた。
他にも蒸した赤い芋や、ゴロゴロとした大粒の黒い豆が浮かんでいるスープなんかが美味しそうだ。
ネイベルが思ったよりも、ずっと活気がある。
「とても良い街ね」
「ああ、人々の顔には笑顔が絶えない様だし、優しい雰囲気で満ちているね」
「陛下の人柄を反映しているみたいよね」
言われてみれば、そうかもしれない。
「とりあえず宿に戻ろうか。明日また遊びに来よう」
「ええ、そうしましょう」
そうして二人は宿へと戻っていった。
イイアジを探す旅が始まる――。
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