神秘的な世界
やかんの素晴らしさを共有できたネイベルは、ちょっと満足している。
「初めからこうだったわけじゃないけどね。まぁその通りだよ。あと、食べ物はこれがあれば問題ない」
ネイベルはそういってリュックサックの中から骨を取り出した。半分に割ってカルーダへ投げて渡す。
「これは何だ? なにかの骨だろうが……」
「ああ、それを食べるんだ。すごい美味しいよ」
ネイベルが目の前でガリガリと骨をかじる様を、カルーダは信じられないとばかりに見つめている。
「ふふっ、あなたも騙されたと思って食べてごらんなさい」
カルーダは手に持った骨を見つめると、それを口に入れて恐る恐る噛み砕いてみた。
ゴリゴリと音をさせながら骨を噛み砕くカルーダの顔が、信じられないといったものから、ほころんでいくのが分かる。
「これは良い。うめぇし何より軽いのが良いな。持ち運びも楽だ。ネイベル、もっとくれ」
「いやだめだ。もうそろそろ無くなるんだ。最近俺だってまともな食事をとれていないからな。これはうまいし、日に一本も食べれば十分なんだけど、そろそろ肉が食べたいよ」
リュックサック一杯に詰め込んでいた骨は、もう底をつき始めている。
リンは特に食事がいらないので相当長持ちした方だと思うのだが、いよいよ何か対策を考えないといけない。
あの巨躯の怪物を倒したらピスソ陛下に頼んでみようと考えるネイベルであった。
ネイベル一行は、順調に砂海を探索している。
遠目に見える巨躯の怪物は放置だ。こちらからはとりあえず近づかない。
全体の広さを把握するために壁際を歩いてはいるが、キリが無さそうだ。
どこまでも砂の海は広がっている。
合間に怪物も退治しているが、大して強いものはいなかった。
「この砂の海で泳いでる魚みたいな魔物は、一体なんて名前なんだろうな。ネイベルは知ってたりすんのか?」
槍で一突きしたカルーダが聞いてくる。
「ん? ああ。地上にある海でとれる魚に似ているな。イイアジだったかな?」
「馬鹿かおめぇは。味の話はしてねぇよ、種類を聞いてんだよ」
「だからイイアジだって言ってるだろ」
「それはおめぇ個人の問題だろうが! うめぇかどうかは俺が決める」
「いやだから――」
リンがくすくすと笑い出す。二人は言い争いをやめてそちらを見るとリンが笑い出したわけを教えてくれた。
「ネイベルが想像しているのはね、アジっていう名前の魚よ。それをお店の人が『良いアジ』だと言って売っていたのを勘違いしたんでしょうね」
そういってまた、リンはころころと笑い出した。
相変わらず道中では、大したことのない怪物が出てくるくらいだ。ネイベルが妨害魔法をかけて、カルーダが突き刺している。
リンは後ろ手を組みながらその様子を楽しそうに眺めている。
アジという魚に似ている怪物以外には、一応鋭い角を持った大型の魚みたいな怪物や、胴体がずんぐりしていて白い牙が曲線を描くように美しく伸びているような怪物がいた。
硬い外殻をもつ蟹や貝のような怪物は、ネイベルが棍棒で粉砕していった。
水はいくらでも飲めるし、携帯食の骨は軽いし、装備も最低限の持ち歩きで済んでいるので、寝るとき以外は一日中歩き通しだ。
薬湯で体力もある程度回復しているようで、カルーダも行程に付いて来れている。元々の鍛え方が違うのもあるだろう。
探索は順調も順調で、カルーダもなかなかご機嫌であった。
そうやって数日をかけて壁際を歩いたが、特にめぼしい収穫はなかった。
延々と砂海がひろがっていて全容はつかめないのと、遠方で悠々と砂海を泳いでいる巨躯の怪物以外には大した怪物がいなかったのを確認した。
ネイベル達は、とりあえずそれだけでも報告する事にして来た道を戻っていった。
単調な作業というのは、時として人を愚鈍にする。
ネイベルもカルーダも、少し緊張感に欠けていた。
問題にならない強さの怪物しかいなかったし、普段はそれを咎めたりもするリンでさえ、壁際を歩いていればすぐに終わりそうな平和な探索のせいで気が回らなかった。
ネイベルが何となくふわっと歩いていると、突然砂海が大きく弾けた。
足元が一瞬で暗くなり、細かい砂の粒が大量に降りかかってきた。
両手を顔の前に出すが、目を開けることが出来ない。
腹に響くような重たい振動が足元を激しく揺らし、脳へとうるさく警報を鳴らす。
冷や汗がとまらない。
ややあって目をあけると、ネイベル達一行の前に、横に長いその口を大きく開けた怪物が迫ってきているのが分かった。
――だめだ、間に合わない!
妨害魔法を使う暇もなく、全員まとめて飲み込まれてしまった。
怪物の口内で、ぐちゃぐちゃと砂混じりの粘液まみれになりながら、ネイベル達はどうする事もできずにいた。
何故か鋭い歯に突き刺されることもなく、胃袋の中へと飲み込まれることもなく、三人とも酷い姿ではあるが、何とか生きていた。
「これは一体どういう事なんだろうな。おめぇらは何か分かるか?」
「なぜこの怪物が私達を口内に閉じ込めておくのか、という事なら分からないわ」
「じゃあリンは他に何か分かったことがあるの?」
「あの怪物の姿が、地上の海で『鯨』と呼ばれている大型生物に似ていた、という事は分かったわ。それに亀のような甲羅も一瞬見えたわね」
リンの目には砂が入らないのかも知れない。ネイベルはそこまで観察することが出来なかった。
「ほぉ……地上にはこんな馬鹿でけぇ生き物がいんのか」
「海といってね、ここの砂が全部水になったような場所があるのよ。湖をもっとずっと大きくしたような感じの場所ね。そこの奥深くに普段は潜んでいて、たまに浮上してくるのよ」
「でもここまで大きくはないよね?」
ネイベルはリンに確認してみる。ネイベルも鯨という生物は見たことがない。
「どうでしょうね、もしかしたらいるかもしれないわ。海というのは未だにほとんど開拓されていないし、不思議な場所なのよ」
「まぁとにかく、その鯨っていう化け物の口の中で、俺達はどこかへ移動してるってわけだな」
「そういう事になるわね。鯨というか亀というかはちょっと分からないけれど」
「下手に刺激して吐き出されでもしたら、砂に埋もれておしまいだし……結局何も出来ないね」
ネイベルは不安になってちょっと弱気な発言をする。
それにしても、毎回同じ反省をしているわけだが、どうしても探索中に気が緩んでしまう瞬間があるのだ。
そしてダンジョンはその瞬間を決して許さない。
命の危険はいつだって気の緩みから発生している。
「でも、なんで口内で生存できているのかが、さっぱり分からないわね」
ネイベル達は、口内に閉じ込められたまま、どうやら砂海の中をどんどんと移動しているらしい。
しばらくすると、閉じられていた胃袋への道が開き、いよいよ飲み込まれるのかと身構えた。
しかし、そこから大量の砂が口内へと流れ込んできて、ネイベル達三人は外へと吐き出されたのであった。
吐き出されたネイベル達は、とんでもなく広いであろう空間に、ずっと高い天井から光が差し込んでいるのを目にした。
舞い上がった小さな砂粒が、差し込む光を反射して、幻想的な風景を作り出している。
全体的に白っぽい空間は、いくつもの太い柱に支えられているようだ。
その柱自体もウネウネとしていて、空洞がボコボコとあいており、同じ形をしたものは一つとして見当たらない。
おそらく自然に出来た物だろう。神秘的な雰囲気を醸し出している。
まるで御伽噺の中にいるみたいだ。
ただし現実は厳しいようだ。
背後から、腹に響く音がする。美しい風景に一瞬気を取られたネイベル達であったが、急いで後ろを振り返った。
自分達を飲み込んだ鯨の頭が、砂海から顔だけを出している。ここは海岸のような場所みたいだ。
砂海と白っぽい地面の境目が見える。ネイベル達は、地面のほうに吐き出されていた。
そして、この壮大な光景を見て、足がすくんでしまった。
――あまりにも巨大すぎる。
顔の大きさを見るだけで、全体の大きさは信じられない程になるだろうと簡単に予想が出来る。
その時、背後から再び強烈な気配を感じた。
ネイベルは、恐る恐るまた振り返る。
暗闇から何か大きなものが、ゆっくりこちらへ近づいてくる。
ややあって、差し込んだ光がそれらを照らす。
背中の甲羅が七色に光を反射していてとても美しい。
ネイベル達が飲み込まれた鯨と同じような見た目だが、大きさは半分程度だろうか。
その怪物が、少なくとも五体は見えた事を確認した。
大きな鯨の子供か何かだろうか。
ただ、こちらの怪物の胴体からは手足が生えており、爪で地面を捉えて歩いている。
そして三人を完全に囲うようにして、ゆっくりと止まった。
運ばれた先にある空間は神秘的でした。絶望から逃れる方法はあるのでしょうか。
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