青天の霹靂
ネイベルは目を覚ました。
徐々に意識が覚醒していく。
「む……」
血液が循環していく音が聞こえる様だ。周囲は静寂に包まれている。
ゆっくりと熱を帯びていく頬が、生きている実感を少しずつ沸かせていく。
霞んでいた視界は、冴えていく脳内と共に次第と鮮明になっていった。
――生きているのか、俺は。
そうだ、罠を自分で踏み抜いたんだった。ネイベルはようやく思い出した。
とりあえず体を起こしたら、周囲の状況を確認しよう。
一体何が――。
「あら、目を覚ましたのね。そろそろだと思ったわ」
体を起こしたネイベルの目の前には、一人の女性がいた。
目は大きく丸いのだろうが、まぶたが半分ほど閉じている。
印象的な泣きぼくろに加えて、少し釣り上がった眉毛が強気な雰囲気を醸し出している。
人によっては機嫌が悪いように見えるかもしれない。
黒髪は肩まで、鼻と口は控えめに。
とてもきれいな女性だとネイベルは思った。
彼女は、全体的に白くて半透明だった。
「えっ……あ、あなたは……なぜ、いや……あなたが私を助けてくれたのですか?」
色々と疑問が口をついて出そうになったのだが、なんとかこらえる事が出来た。
俺もダンジョンに慣れてきたのだろうな、とネイベルは思った。
そして、一番気になっていた事を初めに尋ねてみる事にした。
その答え次第では、しっかりとお礼を言わなければならないからだ。
「殊勝な心がけね。ええ、そうよ。あなたが今も生きているという点については、私のおかげかしら」
可能性の欠片を拾い集めて繋ぐ作業を繰り返した結果、彼女は花畑で見かけた白いもやそのものだとネイベルは判断した。
声質というか、雰囲気というか、音から感じ取れるものに加えて、見た目が全体的に白っぽいのと半透明な部分からそう判断したわけだが、果たしてなんて声を掛ければいいのだろう。
この気持ちをしっかりと失礼のないように伝えたい。ネイベルは心から感謝していた。
「あなたの考えはそのまま正しいわ。それに対価も頂いたしお礼は結構よ」
なるほど、推測は正しかったようだ。そして感謝の気持ちもしっかりと――え?
「あら、脳内で一緒に繋がっていた仲じゃない。当然の事よ」
なるほどなるほど。ネイベルは即座に理解した。
確かに白いもやの声は脳内に直接響いていた。
ならばこちらの考えもしっかりと伝わるという事か。
ひとまず感謝の気持ちがしっかりと伝わったのは良かった。
「あなたにいくつか、ちゃんと伝えておかないといけない事があるの」
あらたまってどうしたのだろう、とネイベルは思った。
あの白いもやはランプの霊的な何かだったわけで、その正体が目の前にいるきれいな女性で、彼女のおかげで俺は生きているのだ。
「あなたの魔力を限界以上に吸い上げながら、ここに沸いた怪物に対処したわ。その際に少しあなたの――それはいいわね。とにかく、そう。あなたは私に、好きなだけ魔力をくれると言ったわよね?」
確かにネイベルの最後の記憶には、そういった事を言ったというものがあった。
「そうよね。なら大丈夫よ。こうやってあなたと話せる状態まで存在を昇華させるのに、少しだけ無理をしてしまったの。それを謝りたくて……」
なるほど。確かにあのランプには、込められる魔力に限界が訪れる気配は一向になかった。
――いや、もはやあれはやかん型ランプではなく、ランプ機能付きのやかんと言うべきか。
魔力を込めるほどに存在が強くなっていく、といった感じなのかなとネイベルは考えた。
「そうね、それに私のことを『ランプ』と呼びながら、光源として扱っていた人間なんてほとんどいないわよ」
それに私で殴りつけたり、ふたを盾にするなんて、と言いながら彼女は妖艶に微笑んだ。
「すみません、僕も必死だったんです……」
生き残るためだったとはいえ、ネイベルは確かに酷い使い方をしていたかもしれない。
顔が赤くなるのを感じる。
「ええ、分かっているからそれはいいわ。それよりもね、ここからが大事な話なのよ。良く聞いて頂戴」
彼女は真面目な顔で、ネイベルをしっかりと見つめながら語り出した。
「草原でウサギにやられて傷つく度に、私の魔力を使って回復速度を上げていたのは何となく気づいているわよね。あれは残存魔力で対処できる程度に抑えていたから良かったの。問題は屋敷の罠にかかった時よ」
ネイベルは、池の水やウサギの肉以外にも何か理由があると考えていたので、彼女の説明は腑に落ちた。
「あのままでは命を落とすのが分かっていたから、必死に呼びかけたのよ。残存魔力量を考えればあれで精一杯だったの。ネイベルの脳内に他の声が混じってしまった結果、あなたは全ての声に耳を塞いでしまって……本当にどうしようかと思ったわ」
あの時の甲高い音に紛れていたのか……ネイベルは聞き取れていなかった。
「それで、あなたは私の中に聖水を注いだ事が何度かあったでしょ、しかたなくあなたを助けるために私も魔力を注いだわ。それでも屋敷の時のあれは少し無茶が過ぎたわね。その後は……分かるわね」
ネイベルにとって、あの光景はトラウマだ。忘れたくても忘れられない。
「そうやってあなたが臨死状態になった時に、最後にもう一度だけ声をかけてみようと思ったの。私達はね、対象から無理やり魔力を吸い取る事が禁じられているのよ。相手から承諾を取るか、お願いされた時しか魔力を受け取れないの」
ネイベルは深く記憶を呼び起こしてみた。確かに、困ったときの最後の頼みの綱はいつもやかんだった。
白いもやを払って宝箱を開けた時も、そういえば願った気がする。
魔力が欲しいと言われた時も、しっかり承諾していたのを思い出した。
「それでね、臨死状態のあなたを救う為には、私に奉納されていた魔力だけでは全く足りなかったのよ。あなたは屋敷の前で一月倒れていたと思っているわよね。そして今回の件も同じ位だろうと考えているでしょう?」
いや、まさか……晴天の霹靂であった。
言われるまでネイベルはまったくその可能性を頭に入れていなかった。
魔時計は、共通大陸暦を表示しないのだ。
「違うわよ」
少し迫力のある声で彼女はそう言った。
「良いかしら? 落ち着いて聞いて。あなたがダンジョンに閉じ込められたのは、1185年4月3日よ」
ネイベルは確かにそのくらいの時期であったと記憶している。
「今は1191年8月10日。あなたがダンジョンに閉じ込められてから、もう六年以上が経過しているわ」
ネイベルは、頭を鈍器で振りぬかれた様な衝撃を受けた。
六年……そうか、そんなに時間が経っているのか。
という事は……。
――今年で三十一歳?
ネイベルは、じめじめとした地面の上で、そして埃が積もった床の上で、長い時を過ごしたまま二十代を終えてしまったのだ。
心への衝撃は計り知れない。
「地面の上だけに、じめじめってね、ふふ」
そうだ、いつまでもじめじめした気分でいるのは良くない。
ネイベルは、すぐに気持ちを切り替えた。
これはネイベルが自分で認めている数少ない長所の一つだ。
男は三十代から輝くのだ。
それに命を落とす代わりに生き残れたのだから、むしろ儲けたくらいではないか。
彼女は全力を尽くしてくれた。感謝こそすれ、恨みなどは微塵もない。
「私はネイベルのそういう所が好きよ」
彼女はネイベルの頬に右手を添えながら妖艶な眼差しでネイベルを見つめた。
先ほど、一瞬だけ空気が冷えた事は既に彼女の中ではなかった事になっているらしい。
「や、やめろって。俺は硬派なんだよ」
「ふふっ。でもね、ネイベル……身体の状態を維持しながら、臨死状態の回復を行う為に二年。罠への対処と私の存在を昇華する為に三年。この短い期間で、それだけの寿命を魔力として奉納してもらう事になったわ」
彼女はそう言いながら目を伏せた。長い睫毛が妖艶さに拍車をかけていて、ネイベルは心を奪われそうだ。
「私を顕現させる事が出来るような人間っていうのはね、本来あなたよりずっと魔力が豊富な、極々限られた人間だけなのよ。光らせる所までは到達できたっていう人間は何人かいたわね。でも凡人ではそれが限界なのよ、普通はね」
そう言って、彼女は流し目を送ってくる。ネイベルの鼓動の高鳴りは、全力疾走した後みたいだ。
「だから、あなたが『ランプ』として私を使い始めた後も、しっかり魔力を奉納し続けてくれた事は、本当に嬉しかったわ」
ネイベルこそ、こうやって大好きだったランプ……いややかんと意思の疎通が出来るようになって、心から嬉しいのだ。
ネイベルのほうが喜んでいると胸を張って言える。この想いは彼女にしっかり伝わっているはずだ。
「それと、これは副次的効果というものなのだけれど」
彼女は少し照れている様に見える。
だからなのか、急に少し難しい単語が出てきたが、要するに酒を我慢すれば小銭が儲かるといった感じかな、とネイベルは考えて続きに聞き入った。
「普通の人間は、あれほど魔力の枯渇が原因で昏倒なんてしないの。魔力は生命力そのもの、と言ってもいい程に大事なものだからよ。ただ、枯渇状態に陥る度に、魔力保有量の上限が跳ね上がるのも事実なの。そしてあなたは、その枯渇状態を五年も継続した事になるのよ。つまりね」
そう言いながら、彼女は今日見せた中で一番の魅力的な笑顔をネイベルに向けながら続けた。
「あなたは今、世界有数の……いえ、恐らく世界で一番、魔力の保有量が多い人間になっていると思うわ。それも群を抜いて、ね」
ようやくリンが登場しました。
そしてネイベルは真実を知ってしまいます。昏倒しそうでしたが耐えました。
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