その3
まるで虚無に揉まれるようだ。
洋上の乱気流は嵐に発達し、広範囲に渡って雨風と雷を腹のうちに閉じ込めている。
浴びせかけられるような雨が、横のみならず下からも吹き上がってくる。大小の雷が暗雲を走って、暗く閉ざされた嵐の不気味さはいや増していた。
「ぐうぅ……! わかっちゃいたけど、やっぱキツい……!」
操縦桿を固く握りしめて、吹き飛ばされそうな機体姿勢を保つ。
前方ではミオ機の推進炎が嵐の合間に輝いている。
ミオ機は巧みに風をかわし、それ以上に風に乗って、文字通り嵐の中をかき分けていく。
軽量化を究めた高速戦闘機がなぜ空中分解しないのか、不思議で仕方がない。
「それでも、ミオですら風に流されるのは避けられないんだ」
私は落雷で途切れがちな計器を見据える。
この嵐。コースを塞ぐこの嵐こそが私の勝機だ──最短経路を見失わなければ。嵐の中をまっすぐ突っ切れるのは私の人型ロボットだけなのだから。
ミオ機を羅針盤としないよう意識を外す。計器飛行、それも嵐によってズレる計器を脳内で修正しながらの飛行。強行突破以外の何物でもない。
(でも、やるしかない!)
見え隠れするミオ機の光はじりじりと近づきつつあった。
ふと、そのとき。
ガン! と機体装甲が跳ねた。
(──? なにか、ぶつかっ、……)
一つを皮切りに、次々と音もなく迫ってくる。
カン、ガン、ガガン!! 衝撃が機体を打ち据える。跳ね返った音が眼前を横切って、正体がわかった。──石だ。
「遊礫!?」
空飛ぶ島を構成する岩石が風雨に削られて、嵐の中を弾丸のように舞っている!
この嵐にどこかの小さな浮遊島が巻き込まれているのだろう。私の機体装甲は頑丈だから問題ない。
「でもミオは!!」
極限まで軽くされた機体は、石の弾丸に翼を射抜かれていた。
悶えるように機首を上げた瞬間、乱れた風がミオ機の両翼をもぎ取っていく。
空力を失って、飛行機が呆気なく落ちる。
空にある資格を簒奪された。空を舞う力が失われた。
風に巻かれて落ちていく──空の女王が。
「ミオっ!」
操縦桿を繰ってブースト方向を変える。雲間を突き抜けてまっすぐ。雲を抜けた。
雲の下は凄まじい雨と風だった。夜のような暗雲の下、雷の鳴る大嵐だ。
横殴りに吹きつける大雨に洗われて、水の膜で前が見えない。機体各部のカメラを複合して正面スクリーン映像を再構築。
翼のないミオ機がくるくると回って落ちている。
「緊急脱出も再創出もしないなんて。意識がないの?」
懸命に追いかけて手を伸ばし──捕まえる。
ブーストを直下に。吹き下ろしを受けた海面に水柱が立って、間一髪の高度に肝が冷えた。大きく立った波が機体の足にぶつかり、引っ張られた姿勢を慌てて戻す。
「とにかく、どこかミオを機外に出せる場所……!」
レーダーやセンサで手当たり次第に周囲を走査。なんとか見つけた島に向かう。
「うう……ひどい雨だ! なんにも見えない」
今回のグランドレースは赤道沿いの海上開催だ。スコールのような滝雨が、独特な植生の葉を叩く。飛沫だけで霧のように視界が隠されてしまう。センサ頼りでちょうどいい洞窟を見つけ、機体を着けた。
機体を飛び降りてミオ機に駆け寄る。
機体の腕を庇代わりにしたけど、なんの意味もなさない。すだれのように雨水が滴る。あっという間にずぶ濡れになった。
大破したミオの飛行機には、キャノピーの緊急開放レバーが設けられていてミオのこだわりが伺える。しゅうっと音を立ててキャノピーが開いた。
「ミオ!」
ミオはぐったりとシートにもたれて意識を失っている。
ほっそりした首がぞっとするほど蒼白い。雨が流れ込む中、ミオの全身を確かめる。パイロットスーツに血がにじむほどの外傷は見当たらない。
「よし、とりあえず無事! ミオ、ミオ! 起きて!」
ミオは眉間にシワを寄せて呻いた。薄目を開けようとして、跳ねた雨粒にぎゅっと目を閉じる。
「ミオ、近くに雨宿りできる場所がある! 運ぶから、アイディールを分解して!」
ミオは意識がハッキリしないながらも、私の指示どおりにジェネレーターを指先で手繰った。ミオの飛行機が翡翠の輝きに溶けて、崩れていく。
その中に手を突っ込んでミオの体をすくい上げた。
「ふん……ぬっ!!」
四股を踏むみたいに踏ん張って、ミオの身体を抱えた。洞窟を振り返ろうとして、ミオの長い足の爪先が地面に引っかかる。
「待って……」
ミオが細い声で耳打ちする。
「逆向きに抱えて。右側だとバランスが取れない」
そう言って右肩を上げてみせたミオには──腕がない。肩から先が空白に立ち消えている。
ミオは隻腕のパイロットだ。
「ごめん、抱き直す腕力はない。このまま行くね」
「……わかったわ。止めて悪かったわね」
「私もごめん。右腕のこと知ってたのに」
ミオの長い足の爪先を引っ掛けながらも、なんとかバランスを崩さずに洞窟まで運び込む。
幸い、洞窟の奥はあまり濡れていなかった。広いところを選んでミオを寝かせる。
「ふぅっ! はあっ! 重かった!!」
「重くはないわ……人より軽いほうよ」
ミオが唸るように言う。ミオは額に左手を当てて顔をしかめた。
「痛む?」
「平気。大した怪我はないわ。水が冷たかっただけ……」
ぐったりと涸れた声でミオはつぶやく。万全ではないようだ。
「とにかく休んでて。すぐ戻るから」
私は濡れたまま機体のシートに戻り、人型ロボットを立ち上がらせる。
機体の腕を伸ばし、近くの木の枝を編みあわせて洞窟に庇を作った。洞窟の入り口に土塁を作り水の逆流を止める。薪を集めて洞窟に集めた。
「木が濡れてるから、着火剤から引火するまで時間がかかると思うけど」
洞窟に戻った私が、サバイバルパックから固形燃料を取って火をつける。
ミオはジェル飲料から口を離して、つぶやいた。
「いろいろできるのね」
「え、まあ……優勝者インタビューで、言ってたから」
言ってる途中で恥ずかしくなったが、ミオの視線に促されて最後まで言う。
「グランドレースはスピードレースじゃなくて、スタミナレースだ。だから、突発的なアクシデントに対応できるレーサーが勝つ……って。ミオが」
「言ったかもしれないわね」
ミオはどうでもよさそうに呟いて、ジェルに口をつける。
「ミオ、食べる前に服脱いで。水出さないと体が冷える」
「……そうね。確かに」
ミオは何を考えているのか、曖昧な顔のまま、器用に左腕だけでフライトジャケットを脱いだ。袖から水が滴る。
肌着姿になったミオは恐ろしく美女。
すらりと長い手足は、鍛えられて引き締まっている。元の肌が白いだけに人形めいた美しさが溢れていた。だからこそ丸みを帯びた右肩に、寒気がするほど倒錯的な妖艶さを感じさせられる。
妙にドギマギしてしまう。
焚き火に当てて乾かそう、と持ちかけようとした私の前で、下着姿の美女は腰のジェネレーターに手をかけた。
「ジェネレート。ヒートブロワー」
ミオの手に、緑の光から現れるドライヤーが収まった。
ブオオオオと熱風で服を乾かしていく。
「なかなか水を飛ばすのは大変ね。外の雨で、湿気があるから」
「そ、そうですね……」
「あなたの服も乾かしてあげようか?」
「あ、お願いします……私、そういう便利なの出せないんで……」
私の服もミオに乾かしてもらった。