その2
「隣で見ると本当にでけぇな!? これがウワサの人型ロボットか!」
隣で垂直離着陸機に乗った男が、私を見上げて声をあげる。私の視線に合わせて動いた機体の頭が、私の分まで男を見下ろした。
「飛ぶ邪魔をしないでね。踏み潰しちゃうかも」
「しねぇよ。飛びっぷりを見物させてもらうぜ!」
男はそういってガハハと笑った。
私は笑って空を見上げる。
『さァ、今年もこの時がやってまいりました、グランドレース!』
カメラを乗せた自律飛行アイディールが、複数機で編成を組んでスタート地点を空撮している。その映像を観客席の巨大スクリーンに映しながら実況者が熱のこもった声を乗せていた。
『浮遊島グラナ・エスタで開かれる空の祭典! 選手たちはスタート地点に集まってやる気満々という様子ですッ!』
定められたチェックポイントを通過することでコースの代わりとするレースであること、コースは民間旅客機で何時間の総距離があること、その難易度のあまり完走するだけでパイロットとしての技量が認められるほどであること……。
私は息を吐いて司会の声を脳裏から締め出した。
レースと題打っているものの、本当に速さを競う参加者はほんの一握りだ。
お祭りの一つとして参加している者のほうが多い。
思い思いにアイディールを創出してコースのなかを思う存分飛び回る。それがレースに参加する最大のモチベーションだ。
なかには最初から飛ぶつもりさえないアイディールも混じっている……板を腕に巻いた鳥人間男とか、多連結無限ペットボトルロケットとか。
レースを完走した参加者の最遅レコードは三日だと記録されている。多くはその前にジェネレーターが限界を迎えてリタイアだ。
空を舞台に雌雄を決するのは、速さに魅せられた命知らずだけ。
空の女王ミオ、その腰巾着マローナ、貴族のお嬢様アルメリアをはじめとする優勝候補パイロットたち……。
そしてもちろん、私もそう。
ぱぱぱんっ、と花火が飛ぶ。スタート直前を示す花火だ。
さしもの実況者も声をひそめる。
私は深呼吸して操縦桿に指を巻きつける。ペダルを踏んでエンジンを高める。
遠くて見えないスタートラインと、精密に計算された花火の発射装置が号令に備えているのだろう。
エンジンを高める音が鳴り響く。
なのに、生唾を呑む音すら聞こえそうなほど張り詰めている。
嫌が上にも緊張感に締め上げられた。
唾を呑もうとして失敗する。口が渇いていた。給水ストローで口を湿らせる。
「ふう、よし。勝てる」
自分を励まして、正面のスクリーンに目を凝らす。
まだ、
まだ……、
………………、
花火が飛んだ。
破裂。
「行けぇっ!!」
スロットルを全開に叩き込む私の周囲で、何機かがいち早く飛び立つ。
誰よりも速く飛び出したのは二機だ。
銀色に光るダーツのようなデルタ翼の戦闘機、空の女王ミオの機体と。
「っへぇぇぇぇ――――――い!」
まばゆいばかりの燦光を機体の末尾から吹き上げて、轟音とともに空に発つロケット。
「ミオォオオオオオオオッ! グランドレースでただ一人、てめぇの前を飛んだことがある男ッ! このドガード様がッ! 今日また再びてめぇの前を飛ぶからよォオオオオオオ!!」
ぴったりと機首の先端を揃えた同速度。まるで制止しているかのように見える二機が蒼穹への導線を引いていく。
フ、とミオは笑っていた。
「……うるさい男」
「てめぇミオッ! 飛行機のくせに俺より速ェェなんて許さねェッ!」
ミオは二度も返事せず、操縦に集中したようだった。
じりじりとほんの僅かずつ、ロケットから機体の先端を引き離していく。ミオはロケットよりなお速い。
私も見上げている場合じゃない。
「っと! 危ない」
私の機体は片足を持ち上げて、突っ込んでくるヘリを踏みつけた。
直後に機体を傾けて、空に飛びあがっていく飛行機の空中分解を避ける。推力をあげて急いで上昇。
レースでもっとも事故が多いのは、全レース中でもっとも機体数が多く、かつ密集している状態――スタート直後だ。
いい加減な設計の機体が事故するのはもちろん、スタートダッシュを狙った大型機同士で気流が干渉して失速することもある。
人型ロボットは飛行能力に気流を用いていないから、この点で有利だ。
下を見下ろせば、一次大戦期のレシプロ機がじっとスタート地点に鎮座したまま動いていない。アンティーク趣味が大いに現れた機体選択はアンゼリカらしい。
待っているのも作戦だ。周囲の機体が減るまで待っている。
その選択を採っている者は優勝候補のなかにも珍しくない。他の参加者に突進されてジェネレーターを損壊するほど馬鹿馬鹿しいリタイアもないからだ。
「でも私は飛ぶ! そういうのが得意な機体なんだ!」
右にかわし、左に避けて、飛んできた破片は払いのけて、ときには機体を踏みつけにして。
四肢を生かして、いち早く団子状態の上空に脱する。
「ミオは!?」
見上げれば二機はずいぶん遠くまで進んでいた。
「ああああああああ! くっそ、こんにゃろぉ!」
ロケットの機体がいつの間にか短く小さくなっていた。ばつんとジェットを切り離して、円錐形の操縦席が空に取り残される。
「先を飛べなかったぁぁぁぁあああ……」
「じゃあね、ドガード。次のレースでは隣も飛ばせないと約束するわ」
ミオはさらりと言い残して、補助推進装置を切り離す。緑の輝きに分解していく部品を置き去りに飛び去っていった
ロケットのドガード。すべての推進剤を燃やし尽くす絶対的なスタートダッシュにより、グランドレース中でただ唯一、空の女王の前を飛んだ『ことがある』男として有名人になっている。
しかし当然、多段式のロケット推進が終われば彼のレースも終わる。
ドガードは未だ一度たりともレースを完走していない「出オチ男」でもあった。
面白おかしく扱われるドガードだが、ミオは彼に敬意を持って接していた。
速さを追い求める彼女にとって、たとえスタート直後の数十秒だけであっても彼女に比肩するドガードは、隣を許すに足る存在なのだろう。
「私にも、そんなふうに声をかけさせてやる……!」
離れていく銀の光を見上げて、私は操縦桿をきつく握りしめた。
私よりも早く銀光を追いかけるのはお嬢様のアルメリアだ。力強いアフターバーナーの輝きを曳いて、ミオを懸命に追い上げている。
「いつまでも先頭ばかり飛ばせませんわよ」
ミオは答えない。彼女は背後に飛ぶものなど気にかけない。
アルメリアですらそうなのだ。彼女たちを遠く見上げている私など。歯を食いしばって速度を増す。
その私を、影が風のように抜き去った。
「頑張りすぎだぜ、レディ・アルメリア。そんなふうに推進剤を無駄遣いしたら、この先で息切れしちまうぞ」
軽薄な言葉を吐きながら、平然とアルメリア機に追いつく。
へんぺいな機体に薄い翼。
まるで子どもがパチンコで打ち出すオモチャみたいな形の飛行機だ。偵察機、と呼ばれるジャンルの飛行機らしい。
あの飛行機乗りは知っている。彼も優勝候補のひとり。
「レナード……! スタートを遅らせてたのに、もうここまで!!」
軽やかに、まるで風で気ままに浮いているかのような機体。その軽やかさを反映したような軽薄な声が向けられる。
「機体の調子は大丈夫か、ミオ? 今日はテストフライトしていなかったようだけど」
「当然よ」
フ、と小さく笑ってミオは答えた。
「敵に手の内は見せないわ」
お嬢様が顔を真っ赤にして操縦桿にかじりつくのが目に浮かぶ。アルメリア機のアフターバーナーの輝きは消えることなく灯ったままだ。
アルメリアは朝から入念に入念を重ねたテストフライトを繰り返していた。
ミオの機体を研究して作り上げた、まったく同じデルタ翼の戦闘機を使って。私やほかのライバルに観察されることも厭わずに。
「僕は、大事だと思うけどね。テストフライト」
肩をすくめる仕草が伝わるような軽い調子。
レナードの偵察機はひらりと機体を傾けると、アルメリア機を追い越して、ミオ機を追いかけていく。
「この先は危険な乱気流空域だ。機体を大事にしろよ! 後ろで血気盛んなロボットのお嬢さんも!」
アディオス、と私にすら声をかける余裕っぷりで、偵察機はミオ機を追いかけていった。
アルメリアも彼を追いかけていく。
後発スタートの飛行機たちがちらほらと空に上ってくる。
そのうちの一機、頑丈そうな大型戦闘機が私を挑発するように翼を左右に振った。マローナだ。
「まだだ。まだ大丈夫……私のレースはまだ始まってない」
はやる気持ちを抑え込む。
最高速度ではどうやったって飛行機に勝てない。航空力学によってエンジン推力を前進のみに使っている飛行機と、落ちないための推力も必要となるロボットとでは、構造的に覆せない。
だから、私はそこで勝負しない。
前を飛ぶアルメリア機が、「がくん」と右に滑って高度を落とした。機首を下げて姿勢の回復を図る。
「来た!」
乱気流空域。
空を飛ぶ島グラナ・エスタが逗留する近くに存在する、偏西風と山脈の吹き上げと大海の上空を走る海風が混ざり合った危険な空域だ。風が運ぶ大気の気温差によって常に乱気流と積乱雲が形成される、嵐のなかを飛ばねばならない。
チェックポイントは空域の向こうにあるため、アイディールの造形に自信がなければ迂回することもできる。実際レナード機は回り込むようで、空域すれすれを飛んでいる。アルメリア機は風の境界を見誤ったのだ。
だがこの嵐を突っ切るのが、チェックポイントに向かう最短経路になる。
銀光が雷雲に呑まれる姿が見える。
ミオ機の姿を私が捉えた。
速度を重視するあまり強度に欠けるミオ機は、荒れ狂う乱気流に揉まれて無事に済むはずがない。ミオの卓抜した風を読む技術だけを頼りに、乱気流のなかを突き進むのだ。
それでも、風に流される。これまでの速さを保てない。
私は違う。
推力任せの飛行は気流の状態に左右されない。四肢の駆動に耐える装甲強度も充分だ。嵐のなかだろうがなんだろうが、問題なく突き進める。
「さあ、私のレースの始まりだ……!」
私もまた乱気流に突っ込んだ。
上下左右から揺さぶる風を突き抜けて、巨岩のような雷雲へ飛び込んでいく。