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その1

 音を立てて蒼穹の空が引き裂かれていく。

 裂いているのは小さな点だ。水蒸気の雲を引いて飛ぶ黒点が、この世のあらゆる摂理と法則をくぐり抜けて、ただ己の推進力で空を裂いて駆け抜ける。


 島の澄んだ空を見上げていると、飛行機は何物にも縛られない優美な天使のように思える。

 だがその実、翼の下で渦巻く空気は一瞬の操作ミスで機体を引きちぎる壁に変わる。

 重力は常に翼をもぎ取ろうと絡みついてくるし、遠心力すら小さな機体のなかで猛威を振るう。

 方向転換ひとつするためにも、肉体がバラバラに潰されそうな圧力と戦いながら行わなければならない。

 世界は敵だらけだ。


「それでも、私は空を飛ぶんだ」


 あらゆる摂理と法則を、くぐり抜けて。

 デルタ型をした鋼鉄の天使が頭上を通り過ぎていく。世界に戦いを挑むような、ジェットエンジンの咆哮を響かせながら。


「……お? ミオさん見てくださいよあれ。ラキのやつ、またグランドレースに出るらしいですよ」


 空に馳せていた思いが、あっという間に色褪せる。

 うへえ……空に集中しすぎた。

 辟易しながら顔を向けた先では、予想通りの相手がいる。鮮やかな赤髪を花火みたいに絞ってまとめた少女が私を指差して笑っていた。


「よぉラキ! 今度こそ憧れの飛行機に乗り換えてきたんだろうな? でなきゃレースにならないぞ!」

「うっさいマローナ! べつに憧れてない! 愛機を変えるわけないでしょ! 今度こそ私がレースに勝つから!」


 ひとつひとつキッチリ反論しておく。

 だというのにマローナは手を打って大笑いだ。


「相変わらずっすねラキのやつ! まだミオさんに勝てる気でいやがりますよ!」


 腰巾着が嬉しそうに話しかける当の相手は、少し迷惑そうに眉をひそめた。長いディープブルーの髪を払って、切れ長の瞳でマローナをにらみつける。


「うるさい」

「っす。すんません!」

「謝罪の声もでかい。静かに言って」


 マローナは自分の手で口を押さえてカクカクと頷いた。

 ミオは小さく息を吐いて、読んでいた本を閉じる。


「レースに参加する以上は誰であれ敵なのよ、マローナ。油断はしない」

「でもミオさん。いくらなんでも、ラキには負けないっすよ」


 ちょっと声のボリュームを落としたマローナが、私を見てにやにやする。


「機体を創出するジェネレーターは旧式のオンボロ。そのうえ、アイディールの形状は自由自在思うがままだっていうのに、肝心かなめの機体のフォルムですよ。スピードとは程遠い『アレ』じゃあ……」

「マローナ」


 ミオはゆっくりと言った。


「同じことを言わせないで」

「……っす」


 マローナはぴたりと口を閉ざしてうなずいた。

 静かになったマローナから視線を外して、ミオは私を見た。


「……ミオ」

「いいレースにしましょう」


 氷の表情をぴくりとも動かさず。


「っ!」


 悔しさに怒りが燃え上がる。

 優しさでも、親切でも、仲間意識でもない。


 徹底した無関心だ。


 空の女王。

 グランドレースの連覇記録保持者。

 圧倒的に誰よりも速いスピード・クイーン。


 彼女の目に私は映っていない。


 私が応えてないことにも気づかない無表情で、ミオは私に背を向けた。マローナが私に舌を出してミオを追いかけていく。

 握りしめていた拳を開く。

 悔しい。

 でも、事実だ。私はまだ彼女の前を飛んだことがない。


「待ってろ。あんたの飛行機から見える景色を、私の機体で塞いでやる」


 固めた決意を改めて拳に握りしめる。


 今日のレースこそ勝つんだ。




「……ラキ、またミオさんに絡んでたの?」


 レースを待機するバックヤードの整備場で、頼れる相棒のはずの相手からそんな言葉を聞かされた。

 だだっ広い平地に屋根を立てただけの整備場では、機体の整備やらなにやらでひっきりなしに轟音がする。聞き間違いかと思ったが、座ったまま私を見上げるロニーの視線でよくわかった。本気で言ってる。


「絡んでたって何よ。絡まれたのは私の方なんだけど」

「まわりはそう思わないってこと。空の女王には、空だけじゃなくて地上でも誰も近づけないんだから」


 私の相棒――ロニーはゴーグルを額に上げて、グローブの黒い油をオーバーオールにこすりつけている。チャームポイントの頬に散ったそばかすにも油がついていた。

 机の脇に押しのけられていた布を取って、ロニーの頬をぬぐってやる。


「動いてない相手には追いつけるでしょ。勝手に止まる方が悪い」

「ラキ……そういうとこだよ」


 頬をぬぐわれるままのロニーは相変わらず不満そうだ。


「空の女王に絡むわりに優勝争いに絡めてない、って馬鹿にされるんだから」

「たまたまよ。たまたま! 今日こそは勝つ!」

「高望みしないほうがいいよー……」


 相変わらずロニーは弱気だ。

 私は彼女が工作していた机に目を向ける。

 鉄板の上で加工されていたのは、六角形のフレームで守られた機構の中心にエメラルド色の宝石を埋めた機械。創出装置(ジェネレーター)だ。


「そんなに調子悪いの?」

「調子は大丈夫だと思う。今回もレース中はベストを出せるようにしてある。だけど」


 ロニーの表情は暗い。


「メーカーが廃業してずいぶん経つし、そろそろ替えのパーツが見つからない。もうレースの参加は今回が最後かも」

「そっか。ありがとう!」


 私は笑ってロニーを抱きしめた。


「今回のレースだけ持てばいいんだよ。だって、今日こそ勝つから!」

「それ前回も聞いた……」

「今日こそ本当!」


 私はロニーを抱きしめたまま答える。

 離れられなかった。

 胸にわきあがった不安を潰し切るまでは、ロニーに顔を見せられない。


 無理をしてることは分かってた。いつか限界がくるだろうと覚悟していた。

 だけど、

 思っていたより一万倍も重たく心にのしかかった。



 ……今回が最後。



 震えそうな手を握りしめて、心の覚悟をきっちりと丁寧に結び直す。


「勝つんだ」


 ロニーは抱きしめられるまま、抵抗しなかった。私の背中を叩いてくれる。


「そうだね。きっと勝てる」




 人の想像を実体化する技術『アイディール』の確立に伴って、世界はその様相を大きく変えた。

 その代表例のひとつが、空に浮く島の存在だ。

 グランドレースは世界最大規模の浮遊島、【グラナ・エスタ】で行われる。

 そして、グランドレースの主役になるのが、変化した世界のもう一つの代表例。


 個々人の想像力によって生み出された乗り物たちだ。


 スタート地点には、参加者たちがくじ引きによって決められた配置に並んでいる。しかしあまりに多くの人がすし詰めになっているせいで、順番もなにも感じられない。


「ラキ、今回のレースも頑張ろうね!」


 スタート地点の近くに顔見知りがいた。

 オールドイングランド風の貴婦人のドレスを着た少女エリザベートだ。彼女はにっこりと笑って、私のものよりさらに旧式の骨董創出装置(ジェネレーター)を掲げる。


「同じアンティーク愛好家なんだし、今回こそ一緒に飛ばない?」

「ごめん。今回だけはできない」

「もう。いつもそうじゃないの。つれないわね」


 ぷくっと膨れるエリザベート。

 確かに、毎回似たようなことを言って断っている気がする。


 でも仕方がない。

 彼女はアンティークで「飛ぶ」ために、このレースに参加しているだけだから。


「次回……次回は、一緒に飛べるかも」

「……ラキ?」


 表情を曇らせたエリザベートがなにか言葉を続ける前に、人混みの中で騒ぎが起こった。怒りと悪態の声が上がったのだ。

 人混みを押しのけるように、二頭立ての馬車型アイディールがぬっと姿を現した。


「あらラキさん。ご機嫌よう」


 馬車に座ってパラソルと羽団扇をあおぐドレス姿のお嬢様。高貴な血筋を誇るような碧眼が私を見下ろして笑う。


「今日もわたくしの飛行に釘付けでしたわね。そんなに羨ましいなら、わたくしの下でパイロットとして雇って差し上げますわよ?」


 今朝がたの優美な飛行機。あれに乗っていたのは彼女だ。

 彼女は華美な見た目とは裏腹に――いや、貴族と誇るプライドに相応しいだけの実力を持つ、優勝候補の一人だった。

 とはいえ、空の女王がレースに君臨して以来、「優勝候補」と「二位争い」は同義になってしまったのだけど。


「素敵なお誘いありがとう、レディ・アルメリア。でも乗る機体は自分で決めるよ。……それに」


 敬意と戦意と、ちょっぴりの侮蔑を込めて笑い返す。


「あんたのパイロットになるってことは、くじ引きでいいスタート位置を取って譲る係になるのと同じでしょ? そんなつまらないレースはしたくない」

「獅子は兎を狩るにも全力を尽くす。それだけのことでしてよ」

「空の女王の機体を真似っこすることも?」


 お嬢様は怒りを露わにして立ち上がった。


「……行きますわよ」


 憮然として言い放ち、再び馬車に腰を下ろす。

 彼女とてパイロットだ。どんなときでも振る舞いはクールに。でないと機体が空中分解してしまう。

 笑みに含める敬意をちょっと増やして道を譲る。

 馬車は悠然と進み、スタート地点の前の方へと進んでいった。


「うぅ……本物のお嬢様は苦手ぇー。よく相手できるよね、ラキ」

「そう? ま、空じゃ血筋も家柄も関係ないからね。地上だとエリザベートも貴族に見えるよ」

「よしてよ、私のはコスプレだから!」


 貴婦人姿の情けなくも愛らしい叫びに笑って、空を見上げる。

 そろそろ、と思ったまさにその時、空に白い花火が打ちあがった。


「準備の時間だ。それじゃラキ、また空でね!」


 挨拶もそこそこに、エリザベートは創出装置のスイッチを押した。

 エメラルド色の光があふれ、渦を巻いていく。虹色に光る粒子が膨れ上がりながら広がっていった。

 彼女だけじゃない。私の周囲に立つ参加者たちも次々と自身のアイディールを顕現させていく。

 私も創出装置を手に取り、中継するドローンカメラを見上げて、息を吐いた。


「ありがとう、ロニー。私をこの場所に立たせてくれて」


 スイッチを入れる。

 同時に、私の脳裏へと私が思い描いた設計を広げる。

 丹念に、克明に、細部まで緻密に描き抜いた真の意味での私の理想。


 私の、私による、私のためだけの愛機を。


「アイディール・ジェネレート!」


 溢れだした光が足の下に積み上がり、私を高く持ち上げていく。

 周囲を埋め尽くす光が硬質化し、物質化して、この世の物となっていく。

 光は床に。フットペダルに、そしてシートに。握ってみれば操縦桿に。目の前に広がるのは周囲を歪みなく映し出す魔法のような一枚鏡。


 右足で立ち、左足で支え、右手を出し、左手を握る。

 首を巡らせて、全身に宿るエネルギーを双眸にみなぎらせた。

 背負っているのは、万全という他にないジェットパック。補助翼の可動も想像通りだ。


 アッシュホワイトの装甲に身を包んだ私の機体は、周囲を見下ろして余りある高さを持っている。


 私の創った人型ロボット──【アシェンプテル】だ。

浮遊島、エアレース、人型ロボットは最高だよなぁ!


何もなければ明日更新いたします

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