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君を待っていた

作者: 霜月 悠華

実際の人物、事柄などには一切関係ございません。

「大切なものはね、自分のものにして大事にしなきゃなんだよ」

 僕は独り言のようにそう言う。

 君と友達になって三年が経ったね。もうそろそろ、僕の限界なんだ。

 道路沿いに立つ君を後ろからぽんと押す。五歳の僕にはこれくらいしか出来ない。

 君が赤く染まった。その光景と赤いものの匂いと君の声に、僕は多大な幸福感に包まれる。

 これで君は僕のものだ。

 

 □■□■

 

 僕は死んだ。誰になんと言われようと、僕は間違いなく死んだんだ。僕はなんの悔いもなく、事故死した。

 そりゃ家族はいたし、親族もそれなりにいたし、想い人だっていた。でも不思議と悔いはなかった。父はいつも僕に怒って、母は僕から逃げるように不倫を続けて、弟は母と同じ理由で外泊ばっかで、親族は変な人が多くて、一番大切にしていた幼馴染はもうこの世にはいない。

 そんなろくなことしかない人生だったが、僕は幸せだった。

 

 だって僕には彼女が全てだったから。

 

 彼女が僕に笑いかけてくれるだけで、僕の人生は彩られた。彼女が僕に言葉をかけるだけで、彼女が僕に触れるだけで、友達であっても恋人であっても、僕は一喜一憂した。

 そのくらい、友達であった彼女も、恋人であった彼女も、心の底から愛していた。

 でも悔いはなかった。これが僕の宿命であると、そう割り切って死んだ。

 そんな僕でも、死んだらなにもかもがリセットされて終わりかと思っていたけれど違ったらしい。

 死んだ全員が今の僕みたいになるのではない。実際、このよく分からない空間には僕しかいない。

 僕が死んだとき、口元に黒い布を巻いて、黒いローブで身を包んだちゃんと人の形をしている自称死神が言った。お前はここで待ってろ、と。

 そのせいで僕はここで何かを待っている。何もないこの空間と呼んでいいのかすらも分からない場所で何秒、何分、何時間、何日、何ヶ月、何年経ったかは全く分からない。待っている最中に何かが登場するやら、下界が見えるようになるやら、そんな物語はなかった。ただひたすらここに座ってぼーっとしている。

 僕の不思議な体験を語るならこれまでだけどこれじゃあ面白くないから、僕の過去の話でもしようか。まぁ僕の過去も面白くないと思うけど、暇つぶしにでも聞いて欲しい。

 でも、お父さんが理不尽に僕を怒る話だとか、母や弟の恋愛のことだとか、変な考えしか持ってない親戚の話とかするのは気が重い。だから、彼女の話をしよう。大切な大切な、彼女の話。退屈させないよ、きっとね。

 

 彼女が僕の視界に入った瞬間、僕というものが飲み込まれてしまった感覚に陥った。

 肩までの風になびく茶髪、くるんと長いまつげ、普通の人よりも少しだけ大きな目、ぷるんとしたくちびるに、華奢な体。そして何より、普通の人とは違う落ち着いた声。

 彼女の存在が僕には圧倒的で、目に入った瞬間から目が離せなくなるくらい、彼女は僕の全てになった。

 人生で初めて勇気を出して話しかけて、友達になった。彼女のそばにいたいがために彼女の趣味にも手を出して、二人だけの世界でその魅力について意気揚々と語り合った。

 今までモブのような存在だった僕が、まるでドラゴ〇クエストとかスーパー〇リオとかに出てくるかのようなお姫様と話している。話している間、触れている間、僕はずっと夢の中にいるような感覚で。

 それが抜けきることのなかったある日、彼女は言った。二人で映画を見に行こう、と。

 それに対して僕はこくりと頷いて、それから決意した。

 僕らは映画を見たあと、デパートの屋上にあるベンチに座った。それから雑談をした。

 そして僕は切り出した。僕の本心を彼女に伝えた。一緒にいたい、と。

 彼女は一言返事でそれを肯定し、僕を抱きしめた。僕はそれに応えた。

 それから幸せな日々が一年ちょっと。

 ……そう、それが続いたのはたったの一年だった。

 一年何ヵ月か経ったあの日。聖夜と謳われ、空が人工物の光によって覆い尽くされるあの日。

 周りがクリスマスソングの音と話し声で溢れかえり、人々の笑顔が垣間見える。

 僕らもこの遊歩道に来て、クリスマスという行事を楽しんでいた。僕は彼女へ、月と太陽をモチーフのネックレスをプレゼントした。

 それから彼女と僕が用意したちょっと高いお店のディナーを楽しんだ。ディナーの途中、少し寂しそうな目をしていたから、帰り際には抱きしめてあげよう、なんて考えていた。

「ごめん、好きじゃなくなった」

 彼女は確かにそう言った。

 帰り道。人工物が光り輝くあの遊歩道で、君は悲しそうに微笑んだ。僕らは離れることになった。

 それから三ヶ月後。僕は命を落とした。小さな女の子を守るために道路へ飛び出して。僕にこんなことが出来るのか、と死にかけの頭で心底驚いたものだ。

 僕はトラックに衝突されて即死。

 こうやって考えると僕の人生は本当に呆気ない。そう思わないかい?

 でも最初も言ったように、この呆気ない人生に悔いはなかった。

 だって、彼女はあんな『嘘』を吐くような人ではないから。

 嘘は君らしくない。もし嘘であるのなら、あと一度だけ、あの笑顔でこちらに微笑んでほしい、なんて思ったのは遠い昔の話のよう。

 ずっとずっと君のことを想っている。

 この空間で、何もすることがない状態で、気がつけば君との過去を思い出している。

 初めて話したときのこと、ちょっかいを出し合ったときのこと、いっぱい話したときのこと、語り合ったときのこと、映画を見たときのこと、告白したときのこと、君に抱きついたときのこと、頬をつねり合ったときのこと、初めて喧嘩したときのこと、君とキスをしたときのこと……君の香り、君の体温、君の手、君の頬、君の唇……そして君を。

 気持ち悪いと思われるかもしれない。言われるかもしれない。だけど、僕は。

 

「待った?」

 

 ……理解するのに時間を要した。この世界に時間がないことはさておき。

 突然響いた、自分からは発せられていない声。僕の大好きな、落ち着いた声。聞き間違えるはずなどない、彼女の声。

 僕は声がした方へ反射的に振り向こうとする。しかしそれは阻まれた。彼女の手が僕の目を覆い隠す。僕はそれに対して抵抗せず、動きを止めた。

「……どうして、ここに」

 ここに彼女がいるということは、必然的に一つの結果に辿り着く。

 彼女が命を絶ったということ。

 僕が待っていたのは確かに彼女であるけど、彼女にはここに来て欲しくなどなかった。だってそれは彼女の死を意味するから。本来ならば彼女の死は、彼女より先に死んだ僕が知らなくて良かったものだ。

 少し沈黙して彼女は口を開く。

「……なんで先にいなくなっちゃったの」

 ……まるであの時の声だった。今までにないくらいの激しい喧嘩の中で別れる? なんてことを僕が口に出して、なんでと儚い声で僕に問いかけたときの声。……今にも消えてしまいそうな声。

 それを聞いて僕は、自分の目元に覆い被さる手を振り払って後ろを振り返る。

 そこには驚いた表情でこちらを見つめている彼女がいた。彼女の目には涙が溜まっていた。今にも零れてしまいそうな大粒の涙。彼女は最後に見たときよりも細くなっていて、血色も悪い。

 僕はそれを見て、彼女を抱き締める。きつく抱き締めるのが好きではない彼女を包むように、僕は彼女の腰に手を回した。変わらない彼女の香りが僕の鼻腔を刺激する。久しぶりに彼女を抱き締めたせいか、僕の目に涙が溜まる。

「……ごめん、ごめんな」

 僕は絞り出すように声を出す。

 あんな簡単に手放さなければよかった。一つ返事で別れた僕は、彼女の幸せを心の底から願っていた。だって彼女は本来僕なんかといるべきじゃない、心のどこかでそう思っていたから。

 だけど。

 自分がこんなに愛を感じる人に、こんなに愛をくれる人に、会えることや話が出来ること、そんな人と当たり前のように過ごせていたことは、奇跡なんだ。

 痛感した。離れてから当たり前が分かった。当たり前は幸せを薄らげるもので、それでいて幸せを感じられるものだ。そのことをその当たり前の中で分からなかった僕は、本当に阿呆だ。

「……私、本当のこと、言うつもりだったの。なのに、なのに君は……!」

 僕は彼女を落ち着かせて、二人でその場に座る。僕はゆっくり僕自身の事について話し始める。

 彼女のためを思ってすぐに別れを告げたこと、小さな女の子のために飛び出したこと、誰かを待つためにここにいろと言われたこと、そして未だに彼女を想い続けていること。

 彼女は時々頷きながら、そして涙を流しながらその話を聞いていた。僕が話し終えると彼女は静かに言った。

「……知ってる。君が私を想ってくれてたことも、君が優しい……いや優しすぎることも。だから、今度は私の話聞いてくれる?」

 涙を拭いながらそう言う彼女の背中を優しくなでる。彼女はありがとうと短く言って、話し始めた。

「私、君と付き合い始めて少し経ったくらいに倒れたの。君には心配かけたくなくて何も言わなかったけどね。それで病院に行ったら、もう長くないって言われちゃって。短くて一年長くて三年、だとかよくある小説みたいな展開になっちゃって。

 だから私、そのときに決めたの。君の前では死にたくない、って。君がいたらきっと私は甘えちゃうから。だから、別れることにした。君が傷つくんじゃないかだとか、私のこと嫌いになっちゃうんじゃないかだとか考えちゃって、一年ぴったりには別れを切り出せなかったんだけど。

 だけどそれで、君がすんなり私と別れたから不安だった。でも私にはもうそんな権利はないし、君は君の人生を歩んでいくんだ、私がいなくてもきっと幸せになれるんだ、って思ってあと少ししかない私自身の人生をゆっくり終わらせていくつもりだった。

 それから三ヶ月経って、君のお母さんから電話がきた。君が亡くなった、って。私、もう、泣き崩れちゃって。私が君と別れたの知ってるのに、君のお母さんは君に愛してくれる人がいてくれてよかったって言って、お通夜にも葬式にも呼んでくれて、私は君の死を実感せざるを得なかった。そして棺の中で綺麗な顔で眠っている君を見て、私もこうなるんだ、って思った」

 彼女はそこまで話して、僕の手を握った。そこから彼女の体温が伝わってくる。あたたかい。

 僕が彼女の方を見ていると、彼女が僕に目線を合わせてきた。彼女の目の周りは赤く、頬には涙の跡がいくつもあった。ここには光もないはずなのに、彼女の瞳とその跡だけはキラキラと光っていた。

「私、自分が死ぬ前に君に言おうと思ってたの。なのに、なんで君が先に死んじゃうの……。どうして……っ」

 そこまで言って彼女は再度涙を溢れさせた。さっきと同じ大粒の涙をぼろぼろと僕らが足をつけているところへ零していく。

 気づくのが遅かったんだ。僕も、君も。大切な人ほど直ぐに消えてしまう、何も伝えることが出来ずに。それであとで後悔するんだ。

 こうやって彼女が隣にいると、今まで考えないようにしてきた後悔がだんだんと溢れ出てくる。悔いがないなんてただの強がりだったんだと、自分が自分を笑った。……やっぱりこの人を僕のものにしたかった。

 彼女の頬に唇を落として、僕は言う。

「僕も君に、伝えたいことがあるんだ。……聞いてくれる?」

 すると突然、目の前が真っ白になった。彼女が見えなくなった。瞼の裏に焼き付けた彼女、今いちばん大切な彼女の姿さえも消えていく。

 彼女が頷きもしない間にまるで時間切れだと言うようなタイミングで、僕は意識を失った。

 またね。

 そう言った僕の声は、大切な人への想いは、ちゃんとあなたに届いただろうか。

 君へ伸ばした僕の手は空を切った。


 ■□■□

 

 俺は死神。人に死を与えるための存在。

 そんな俺でも誰かを待っていただなんて、言えるはずがない。

 下界で笑う貴女を。俺ではない、あいつとキラキラと輝く遊歩道を歩いている貴女を。

 一目惚れをした俺を、貴女は知らないだろう。そんなことは分かり切っている。

 俺は貴女には似合わないあいつの魂を引き取った。変なタイミングに死んだあいつを面倒な手続きをして手元に置いていた。それはもちろん貴女のため。

 それから少し経って、貴女が俺の名前を呼んでくれた。あいつが俺を貴女に教えていたんだろうか。まぁそんなことはどうでもいい。こんなことがあるなんて夢にも思わなかったから、俺は心底嬉しかった。

 だけどその時、貴女は言った。

 あの人に待っていて貰えるよう頼んでおいて欲しい、と。

 俺は彼女に代償を求め、渋々あいつの魂を留めた。

 そして貴女が死ぬまで待っていた。あいつもきっと、貴女が死ぬのを待っていた。

 しばらくして、貴女が死んだ。

 貴女とあいつが再会した。話は詳しく聞いていなかったけど、あいつが最後に言った言葉は聞こえた。

 またね。

 ……笑ってしまった。だってもう、貴女はお前のものじゃない。

 なぜか。代償を払う代わりに身を捧げて死んだ貴女は、今じゃ俺のものだから。

 お前は昔からそうだった。大切なものは自分のものにってよく言ってたな。……もう、遅いんだよ。

 俺が忘れるわけない。お前があの日、俺を殺した日を忘れることは無い。

 だから、ざまぁみろ。

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