9018列車 自然に入る人の手
幌加内町にあるあじよし食堂でお昼ご飯を食べる。僕はかけそばを頼み、高槻は肉蕎麦、今治は山菜蕎麦と天丼を頼んでいた。しかし・・・。
僕はあじよし食堂の写真を眺めていた。外には積雪の記録がかかっていたのだ。それを思わず写真に撮ったのだ。1階と2階の間にそれはさがっていた。看板の内容は「北海道積雪記録 324cm 2018,2,25↑」。北海道積雪記録と324cmの間には赤い線が一本は知っている。そして、2018,2,25の右にある赤い矢印がその線をさしているため、今年の2月25日にそれだけの積雪を記録したと言うことだろう。
1階は完全に埋まっている。
「・・・さすが日本有数の豪雪地帯だな・・・。」
これだけの雪が降れば、交通機関などまともに機能するはずもないな。政和から幌加内に抜ける国道275号にも大きなバリケードが路肩にあった。これだけ積もればそりゃ除雪を諦めたくもなるだろう。そして、道が完全に雪に閉ざされた幌加内に深名線が果たしていた役割の大きさを垣間見ることが出来る。
それをこの写真1枚から思い知らされた。
ご飯を食べ終わると時間は12時40分くらいになろうとしている。車を少し走らせ、深名線幌加内駅が合った場所を写真に収め、さっさと幌加内町を後にする。と言っても幌加内町を脱出するのは当分先になるが・・・。
あじよし食堂→北海道旅客鉄道深名線幌加内駅跡
北海道旅客鉄道深名線幌加内駅跡→北海道旅客鉄道深名線第三雨竜川橋梁
来た道を75キロ近いスピードで駆け戻り、道の駅森と湖の里ほろかないを出てすぐに見えた第三雨竜川橋梁の近くへと行く。第三雨竜川橋梁の近くは広いスペースが存在しており、車を止めることが出来た。僕はいったん車を降り、第三雨竜川橋梁を写真に収めて、その場を後にすることにした。
「・・・。」
紅葉の中にポツンとたたずむ緑の鉄橋。この碑文明的な部分に鉄橋が出来たのは昭和6年のこと。今から90年くらい前の話だ。ここで作業をしていた人間は気がきじゃなかっただろうなぁ・・・。いくら冬は作業をやらないにしても-41.2度を記録するような極寒地帯。10月の今でさえ十分すぎる寒さを奮っているここに人の手を入れたことは想像を絶する。
北海道旅客鉄道深名線第三雨竜川橋梁→北海道旅客鉄道深名線添牛内駅跡
鉄橋を写真に収め、道の駅森と湖の里ほろかないの脇を通過。政和の街を通り過ぎしばらく走ると添牛内という駅跡がある場所へとさしかかる。信号がなく、曲がる場所にはつぶれた廃屋敷かない場所を左に曲がると添牛内の駅舎が見える。
駅舎の扉と窓は目張りしてあるようで中には一切入ることは出来なさそうだ。特に整備はしていないのか駅舎右側の屋根の縁が曲がっている。雪の重さにやられたのだろうか・・・。その後ろは元々ホームの筈だが、今は自然に帰っている。
車を降りて、駅舎に近づいてみる。中に入ることは出来ないし、中を見ることも出来ないけれども・・・。元々出入り口だった場所にはチャック付きの入れ物がかかっていた。中にはノートとボールペンが入っている。駅ノートって奴か。中を明けると結構な人がここを訪れ、ノートにそれぞれ思い思いに書き込んでいる。
「僕もかき込んどこうかな。」
ボールペンでさらさらっと書き込んだ。「これから美深の方へ向かう」と・・・。
北海道旅客鉄道深名線添牛内駅跡→北海道旅客鉄道深名線朱鞠内駅跡
幌加内に行くときに通り過ぎた信号のある交差点、そこを左に曲がり朱鞠内方面へと車を走らせる。道井外皮との手が入っていないような風景が時速75キロで後ろに通り過ぎる。ここら辺の風景は本当に自然そのもの。あの大雪がそれを阻んだと言ってもいいくらい代わり映えのない風景が延々と続く。
それが終わったかと思った頃、そこは朱鞠内になる。
朱鞠内の街中を少し走って、道をいったん外れる。建物の前に線路が敷かれ、駅名標に「しゅまりない」と書かれた看板が見える。ここが深名線の拠点駅の一つ朱鞠内駅跡かぁ。それを車から窓を開けて写真に収める。
「ここも駅跡なのか。」
「そうだよ。」
「・・・見た漢字大きい駅っぽいけど・・・。まぁ、北海道の割にはだろうけど。」
「まぁ、朱鞠内は拠点だからなぁ。」
「ほう・・・。朱鞠内のとなり「こはん」ってなっているけど、もしかして湖のとなりにあったりするのか。」
「ああ・・・。あれ。」
「行こうか。」
「いや、待って。別にそれくらい答えてくれてもいいだろ。」
「お察しください。」
「お察しって・・・。まさかとは思うけど、こはんなのに湖の畔にないのか。」
「その通りだよ。」
「名前詐欺も大概にしろよ。」
「大丈夫、北海道には生涯ずっと名前詐欺がいるから。」