あなた、普通じゃない
5分文学に挑戦(なったかな?)。
あなた、普通じゃない――
青坂のり子はショックを受けた。今までに面と向かって言われた事などなかったからだ。
のり子をそんな崖っぷちに立たせたのは友人のキリ子。少しもジッと辛抱出来ない騒がしい人だった。いつもマイペースでのんびり屋ののり子と比べると、恋多き波乱万丈な人生で華やかなのは結構だが少し派手すぎるとのり子は心の底で思っていた。
高校の体育祭も終わり。二日経った振り替え休日。男子と女子、数人のグループが集まって打ち上げをする事になった。場所はお座敷のある飲食店。お酒はノーだが、参加は大歓迎だった。合コンみたいとのり子は積極的に参加する事に した。
その帰りだった。
電車を乗り換えるために、地下街を抜けようとした折。
並び歩いていた男子グループの一人が「俺ちょっとトイレ行ってくるわ」と言い残し消えていった。それにつられて「俺も」「あたしも」と男女を問わず散らばり出す。
のり子も行こうと思った。しかし。
のり子は、皆が向かったトイレとは別のトイレへと走って行った。
(混んでそうだし。あっちにも あったはず)
のり子の思った通り、女子の皆が向かった目立つ場所にあるトイレに比べて。行き着いたトイレは人目につきにくいため極端に人は少ないどころか誰もいないようだった。
静かである。辺りには人気がない。
(ん……?)
白い壁に挟まれた薄暗い通路を通って、突きあたりの角を曲がればトイレの入り口。入って まずは右手に手洗い場。そこを突き抜けて角を曲がれば和式や洋式の個室が並ぶ……その手前。
明らかに男が一人、立っていた。
こちらを向いているわけではない。後ろを向いている。顔はわからないが頭は禿げている。
用を足している。
この女子トイレには一つだけ、男性用のトイレが設置されているのだ。母親に連れられた小さな子どもが使うためだろうか。それはわからない。
ここは、女子トイレである。
(何だろ、このおじさん……)
のり子は横を素通りした。
自分も用を足しに個室に入り、済んだら出てきてトイレから離れた。
するとキリ子がのり子の前から駆けてきて、ちょうどすれ違いになってトイレへと。
当然ながら。「キャアアアア!」
キリ子の金キリ声が遠くまで響いた。そこで初めてのり子は気がつく。
(あの人、変態だ!)
ポンと手を打ち、のり子はすぐに駅員を呼びに走って行った。
男は逃げてしまった。
のり子とキリ子はお巡りさんに聴取され、男の特徴を説明した。
ひと通り事を終えた後。男女グループが見守る中、キリ子はのり子を馬鹿に したように言ったのだ。
「あなた、普通じゃない」
と――。
帰路に着くまで、のり子の耳から離れない言葉。
のり子は考えていた。
(普通って何だろう?)
流れていく窓の外の景色を見ながら。揺れる電車に身を預けて入り口付近の手すりにもたれかけながら。
窓の外は薄曇り。一体今は何時なんだろう、夕方なのか夜に差しかかっているのかがわからなかった。
視点を変えれば窓に映る自分の顔。泣きも笑いもしない楽な顔をしている。
(つまらない顔……?)
少し離れた四人掛けの座席では、キリ子が男子を交えておしゃべりに花を咲かせている。本人はもうとっくに、のり子に言い放った事など忘却の彼方になっているのだろう。
キリ子が悪いわけではない。
悲鳴を上げなかった自分の鈍さが悪いのだと。
「元気ないね。青坂さん」
急に名前を呼ばれてのり子は振り向く。
傍に いたのは将棋部の笹島幸太。眼鏡をかけ真面目そうで、成る程、文化部と聞いても誰だって納得しそうな筋肉のない細い体格と顔をしていた。
あまりクラス内で話した事などはなかったので、のり子はとても驚いていた。
慌てて返事をする。
「普通って何だろうな、って考えてて」
のり子が答えると、笹島は「やっぱり」と納得していた。
(やっぱり、って。そんなに落ち込んだ顔をしてたのかなあ……)
ますます落ち込んでいる様子ののり子を見て、吊り革につかまっていた笹島は一つため息をつく。そして見るに見かねたのか、笹島はのり子に言ってあげた。
「あのさあ。普通って、ただの安心、って事じゃない?」
意味深な事を言う。のり子はキョトンした顔で笹島を見つめた。
ガタンゴトンと、慣れれば心地よいリズムの振動に揺られて。笹島は続ける。
「悲鳴をあげる奴もいれば、あげない奴もいる。鞄を投げつける奴もいれば体当たりでぶつかっていく奴も。逃げる奴もいれば地球型破壊爆弾を取り出す奴も、きっといる」
さらに笹島は続けた。
「気にする事はないよ。決まった反応なんて存在するわけでなし。自分にとって普通って何だろなって考えた時に、ああ当たり障りのない無難な事なんだなと俺は思っただけ」
その時、電車の緩やかなブレーキを感じた。放送が次に停車する駅名を告げる。
(そっかあ……気に しすぎたか私……)
のり子はずっと悩んでいた。キリ子に普通じゃないと言われて。ああ自分は人とは違うんだ、人かどうかも怪しいんだ、いやまさかひょっとすると広い目で見て宇宙人か、それとも幽霊なのか、それか選ばれた人間だとか待てよむしろいっそ自分は神。
のり子は、考えすぎていたのだ。
プシュウ。電車は停車しドアは開く。「じゃあね、青坂さん」
のり子はハッとして現実に戻ってきた。すぐ隣にいたはずの笹島はすでにホームに降りて階段へと歩きだしている。
のり子は焦った。落ち込んで黙ってばかりだった上に、礼の一つも言えていない。
のり子は段々と小さくなっていく笹島を目で捉えながら慌てて、何でもいいからと思いつく言葉を叫んだ。
「ありがとう 師 匠 ! 」
電車から駅出口に向かってなだれ込む人達のおよそ三分の一が。
一斉にのり子の方に注目していた。
《END》
【あとがき】
三分の一の『師匠』の方が振り向いたんです。
ご読了ありがとうございました。
※H20.11.12.語句修正しています。