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克服の紫煙 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 つぶらやは、副流煙が大丈夫な人か? そりゃあ良かった。

 最近さあ、ウチの職場でも喫煙者が増えている気がするんよ。仕事の朝礼が終わると、各自で会社の各所を掃除するんだが、ベランダの喫煙所。毎日、毎日が大盛況だぜ。スタンド型の灰皿のふた、開けてみたらもう、吸い殻なり黄色く染まった水なりで、生き地獄がそこにあんよ。

 たばこも酒と同じでさ、ハマる人は徹底的にハマっちまうよな。依存効果があるらしいというのは科学的な見地だが、それ以上にスピリチュアル的なものが関わっているのかもな。

 お前も聞いたことがあるだろ? たばこというのは、魔除けのひとつになり得るということ。実は俺の地元でも、以前、たばこをめぐってひとつの事件があったらしいんだ。

 こうして久しぶりに会ったわけだし、土産として持って行けよ。

 

 じいちゃんがまだ年端もいかない子供だったころ。

 近所に兵隊さんの格好をしながら、たばこを吸っているお兄さんがいた。年齢は二十になるかならないかといった若さだけど、外で見かける時には必ず火のついた紙巻たばこをくわえていたほどで、むしろたばこを吸わない時間なんてあるのか、とウワサされる人だった。

 首にはひもをつけた印籠を垂らしていて、灰皿代わりにしているという徹底ぶり。ただ、腹が立つ時があるのか、時折、まだ長いたばこを吐き捨てて、ぐりぐりと踏みにじり、そのまま放ってしまう時もあったらしい。

 たばこの臭いを追いかけたなら、きっとお兄さんにたどり着く、と陰口を叩かれるくらい、四六時中、紫煙をくゆらせるお兄さん。

 何がお兄さんを、ここまでたばこにかき立てるのか。じいちゃんは直に尋ねなかったが、じいちゃんの友達が聞いたところ、こんな話があったらしい。


 お兄さんが小さい時。夕飯の支度を始めた時に、買い忘れに気づいた親御さんが、お兄さんをお店に走らせることにしたんだ。お兄さんが財布を握って靴を履きかけたところで、親御さんは、数本のたばことマッチ箱をお兄さんに持たせてきたらしい。


「もう夕暮れ時。あんたが買った品。もしくはあんた自身に狙いをつける、見えない何かが出てくるかもしれない。そんな時にはこれに火をつけ、遠慮なく吸いなさい」と言葉を添えながら。


 買い物を終えて、家に帰ろうとするお兄さん。すでに辺りは暗くなり始めている。

 けれども、いくら進んでも家につかない。町内の三丁目を示す、当時は珍しかったコンクリート製の電柱。そこを右に曲がって三件目が、自分の家のはずなんだ。

 ところが電柱を曲がっても、一向に家の門扉が見えてこない。並ぶのはブロック塀と、それを道路に対する堀として、内側にたたずむ平屋たちのみ。そのいずれにも、やはりお兄さん側から入ることができそうな戸はない。そして、まっすぐ進んでいくと、先ほど曲がったはずの、町内三丁目を示す電柱と右折できる道が。

 にわかに信じられないお兄さんは、意地になって何度も曲がっては歩いたけれど、結果は変わらず。西日はすでに、わずかな光を残して沈みかけている。それほど時間は経過していないはずなのに。


 もしかして、使うべき時? そう考えたお兄さんは電柱に寄っかかり、マッチをつかってたばこに火を点けると、恐る恐る口に含んでみた。

 ひと吸いで激しく咳き込み、頭がくらくらしてきたお兄さん。こんなもの、大人はよく吸えるもんだ、とその場に吸い殻をポイしてしまったらしいけど、今回、曲がった先はいつもの家並み、いつもの自宅が待っていたんだ。

 家の前でふと空を見た時、先ほどまでの暗さが嘘のように、だいだい色に染まった空を、カラスたちが列を成して飛んで行くのが見えたのだとか。

 その日の買い物の中には、油揚げも混じっていて、「きつねがやってきたのだろう」と親から聞かされたらしい。

 その日から、お兄さんは一日も欠かさず、たばこを口にしているらしい。二度と同じ目に遭いたくない、という思いから。


 どこまで本当か分からない体験談。しかし、年がら年中お兄さんがたばこを吸っているのは確かなこと。きっと類する何かがあったんだろうな、とはおじいさんも思った。

 お兄さんの暮らしを詳しく知る人はいない。町中に部屋を借りていて、昼間はずっと外にいるのだが、帰ってくるのはいつも夜。時折、ドカタで働いている姿を見るものの、一緒に働く人ともその場限りの付き合い。あとはぶらぶらと外を歩いている。たばこをくわえながら。

「この町全体をたばこで臭い付けするつもりじゃなかろうか」。「人の手が入っていない林の木々さえも、あいつのたばこは知っている」などとウワサをされながらも、お兄さんは町を練り歩き続け、ちょっとした名物男となっていた。


 ある日、じいちゃんが友達と町はずれの野原で遊んでいた、帰りのこと。みんながすっかり去ってしまった後、じいちゃんも帰ろうとした時、ふと背後の林の中からたばこの臭いが漂ってきた。お兄さんがいつも吸っているものの臭いだ。

 またこんなところまで散歩しているのか、火事とかにならないといいな、と思いながら、じいちゃんは久しぶりにお兄さんを眺めるか、と思ったらしい。林に近づくにつれて、足が長くなっていく草をかき分けながら、木立の中へまっしぐらに突っ込んでいくじいちゃん。

 いっそうたばこの臭いが濃くなったけど、そこにいたのはお兄さんではなかった。


 キツネだった。いずれも人が抱きかかえるには大きい、お年を召したキツネが五頭。むきだしの地面の上に寝そべっていたんだ。でも、驚くべきはそこじゃない。

 たばこ。彼らはいずれも、火がついたたばこをくわえていたんだ。

 かなり短く、途中でしわくちゃに折れかかっているものもあったが、そこから立ちのぼる臭いからして、お兄さんが吸っていたのと、同じものに思えた。

 彼らはじいちゃんという闖入者に対し、一斉に目を向けたものの、逃げようとはしなかった。泰然と寝そべり、微動だにしない様は、蒸し風呂に入る人たちを思わせた。

「さっさと出ていけ」とばかりににらまれ続け、じいちゃんは静かにその場を去る。家族にも話したが、そんな馬鹿なことがあるか、と笑い話のたねにされたらしい。


 数日後。たばこのお兄さんは行方不明になった。昼間に姿を見かけた人はいたが、夜になっても部屋に戻らなかったんだ。それが何日も続き、部屋を貸している大家さんにも連絡がなかったから、家族にも連絡した上で捜索されたものの、見つからずじまいだったらしい。

 あのキツネたちは、昔にお兄さんを化かし損ねた連中なのではないか。だから、たばこに負けぬようにああやって修練を積み、とうとうお兄さんを化かして引き込むことに成功したのだろう。

 じいちゃんは、俺にそう話してくれたよ。

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