涙雨
1995年1月17日 午前5時46分に思いを馳せて。
母が死んだ。
「おはよう。」
毎朝早くから僕の弁当を詰め、振り向きざま、にっこりと笑う花のように美しい母の笑顔は、あの日の朝、一瞬にして散った。
あの日から、もうはや、23年を数える。
その日の朝は、未明から冷たい雨が降り続いていた。
そぼ降る雨の中、僕はつくねんと其処に立ち尽くしていた。
ー子を残して死ぬ親より、子に先立たれた親の悲しみはいかばかりー
と聞く。
だが、齢60にして、子を残して亡くなった母の悲しみの深さは計り知れず。
どれだけ心残りであったろう。
できることなら、僕も逝きたかった。
何度、此処から飛ぼうと思ったかしれない。
けれど、死ななかった。死ねなかった。
人は前を向いて歩いて行くしかない。
どんなに辛くとも、どんなに悲しくとも。
日は巡り、時は流れる。
抉れた傷はやがて瘡蓋となり、癒えていく。
「お母さん、痛かったろう。悲しかったろう。どんなにか無念だったろう…。」
23年経った現在もこの気持ちは風化しない。
そして、母と僕の涙雨は、あの日、逝った人々の弔いのごとく、しとしとと降り続いた。
手向けた白い花が、降りしきる雨の中、しっとりと泣き濡れていた。
阪神淡路大震災で逝った亡き叔母を偲んで書きました。
合掌。
作者 石田 幸