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言の葉の綾織 古山茶

作者: 綾瀬紫陽

 綾という名の書店がある。俺が贔屓にしてる書店だ。個人が経営する書店にしてはかなり大きく、扱っている書籍も幅広い。俺の好きなラノベも、よく入荷される。

 建物の外観はさっぱりをしていて、誰でも気軽に立ち寄れそうな雰囲気だ。デザイン自体は全く違うのだが、代官山にある有名な書店と似た雰囲気、というのがいいだろうか。

 中に入ると、すぐに大量の本が目に飛び込んでくる。所せまし、とまではいかないが、やはり圧倒される量の本達だ。

 俺は、まず真っ先にレジへと向かった。無論支払いをする本など持っていない。

「綾さん、綾さん」

 レジの奥で、椅子に座って読書をしている男の人がいた。彼に声をかける。

「あ、今日も来たんだ、ゼーレ君」

 綾さんは顔を上げると、そう言った。

 ゼーレという名を呼ばれたことに、俺は少し苦笑いをする。

 これは俺の名前ではない。普通に考えて、平凡で純粋な日本人に、そんな名前の人は居ない。ゼーレというのは、俺がネットで使っている名前、そしてペンネームである。

「今丁度お客さん居ないから、奥でお茶でも飲んでく? 進捗聞かせてよ」

 俺に笑いかけながら、綾さんは言った。

 彼の好意を、素直に受けることにする。

 綾さんは、一人でこの書店を切り盛りしている若い男だ。高校生の俺と比べても、容姿的に年齢差はあまり感じられない。実際の年齢は聞いたことがないので、何とも言えないが。物静かそうな顔立ちで、眼鏡をかけている。何故かいつも亜麻色の和服を着ていて、背は俺よりも少し低い。一六五センチくらいだろうか。

 彼はレジ裏への柵を開け、俺を招き入れた。そしてそのまま奥の部屋へと入っていく。

 その後について、俺も歩いていった。

「さ、座って。そこのお菓子、好きに食べてていいよ」

「ありがとうございます」

 奥の部屋は、とても赴きのある和室なっている。入ってすぐに上がり框のようなところがあって、そこで靴を脱いだ。

 お茶を入れる為に、綾さんは台所へと向かった。

 部屋の真ん中に卓袱台が置いてある。その周りに置かれた座布団に座った。

 周囲を見回す。

 部屋の三方にある窓から、初春の陽光が差し込んできていた。それはとても温かで、休日の昼間には相応しいものだ。

 窓の外には、整えられた庭がある。日本庭園風の落ち着いたもので、梅や椿がとてもきれいに咲いていた。

 ふと視界の隅で何かが動いたような気がして、俺はそちらに首を振る。だが、その先では椿が咲き乱れるばかりで、動くものは何もなかった。

「どうかしたのかい?」

 二つの湯飲みが乗ったお盆を持って、綾さんが戻ってくる。

 恐らく気のせいだったと思い、俺は首を振った。

「いえ、なんでもないです。お茶、ありがとうございます。牡丹、綺麗ですね」

 お盆を下げた後、綾さんは僕と同じように卓袱台前に座る。服の所為か、彼は胡坐が妙に似合っていた。

「そうでしょう? 他所から譲り受けたものなんだ。樹齢もかなり長いらしいよ」

「へえ」

 俺はお茶を受け取り、再び牡丹を眺める。

 話を聞いたお陰で、さっきまでただの牡丹にしか見えなかった木が、なんだかとても荘厳なものを纏っているように見えた。

「調子はどうだい?」

 綾さんが、俺に聞く。

 思わず、俺は苦笑いを浮かべた。

「微妙ですね。なんか、どうしても思った通りに表現できないというか、なんというか......」

 俺が言っているのは、ネットに上げるつもりで書き始めた小説のことだ。この春から、俺は小説を書き始めた。小説家や、人気物書き志望というわけではなく。妄想の開放先として、小説を選んだ、という感じだ。

 言い淀んだ俺を見て、綾さんはニヤリと笑みを浮かべる。

「轆轤の上の粘土が、勝手に曲がってっちゃうような感じじゃない? もしくは、紙を綺麗に折ろうとしてるのに、どうしてもずれちゃう感覚」

 その例えに、俺は手を打った。

「そんな感じです。自分の頭には、めっちゃ面白い空想小説が浮かんでるのに、文字に起こすとなんか面白くなくなっちゃって......」

 綾さんはお茶を一口飲む。

「自分は好きで書いてるのに、好きなものが書けない。まあ、読みはするけど書いたことがない僕が言うのも変な話かもしれないけど、どんなものだって、最初はそんな感じだよ。赤ん坊は目に入る物全てに興味を示す。けど自力じゃ動けないから、その興味は中々満たされない。そして、その興味を満たす為、地面に立つことを覚える。いい向上心じゃないか......一読者として、作者に話の内容を聞くのは失礼かもしれないけど、どんな話を書いてるんだい?」

 長々と話した後、綾さんはまた俺に問いかけてきた。店の常連となってから、俺は綾さんとよく話をするようになった。話の内容は、殆どが読んだラノベの感想だ。綾さんは、最早知らない本はないのではと思うほど、どの本について話しても何らかの話が返ってくる。こんな風体の男が、異世界ハーレムのヒロインや、熱いバトル小説を語っているのは、正直なところかなり意外だった。偏見かもしれないが。

 最初小説を書き始めた頃は、その事を綾さんにはいっていなかった。そして今まで通りに、読んだ本についての会話を綾さんとしていた。だがその会話の最中で、綾さんは俺が書き始めたことに気づいてしまう。とても驚いて、彼に根拠を聞いてみると、

「君の感想に、書き手としての視点が混ざってたからだよ」

 という答えが返ってきた。無自覚だったが、こと細かく思い返していくと、綾さんの言う通りだった。

「典型的な異世界ものです。主人公も決めました。でも......」

「でも?」

「世界観の設定が、妙にうまくいかないんですよね。設定自体は作れるんですが、そうすると話のほうの枷になってしまって......」

 ファンタジーなら、世界観の設定は練りこむ要素の一つだろう。多分、これ一つで話の面白さが大分変る。

 俺も、初めてではあるが、何となくそういうものの設定を組んでみた。魔法はどういう仕組みだとか、どういう種族がいるのかとか、どんな国があるのか、等を纏めたのだ。だが練っていくうちに、「これがないと設定に穴が開くが、あるとやりたいことができなくなってしまう」というものが出てきてしまうのだ。例えば、こういう効果の魔法を出したいのに、それは魔法の原理の設定に合わなくなってしまい、出すことができない、といった感じに。

 そんな事が起こる設定なら、もう一度組みなおせばいいのではないか。そう思ってやり直してみたのだが、どうもうまくいかない。

「悩みどころ、というか、よくある悩みだねえ」

 綾さんは言った。

「僕は小説を書いたことはないけど、知り合いの作家も、同じような事で頭を抱えてることがよくあるよ」

 やっぱそうだよなあ、などと呟きながら、俺は唸り声をあげる。

「上手くいく方法......というか、何が駄目なのかわからないんですよ」

 軽く溜息をついた。

 そんな俺を見て、綾さんは立ち上がる。

 部屋には本棚が置かれていて、綾さんはそこに向かった。本を取りに向かったようだ。少し手元を迷わせた後、彼は俺のところに戻ってくる。

「一つ、雑学でもどうだい?」

 そう言って、綾さんは本の一ページを俺の前に置いた。

 置かれた本は、浮世絵の画集のようだ。

 開かれたページには二枚の絵が載っていて、綾さんは右側のページを指さしている。

 俺は、身を乗り出して本を覗き込んだ。

 なんだかよくわからない絵だ。小さな建物の前に、注連縄のあるひょろ長い木が生えている。そしてその横側に、大きな葉っぱが積み重なったような塊があって、一番上には、大きな花のようなものが付いていた。

 左上側の開いたスペースには、何やら文字が書かれている。

「フルヤマチャの霊?」

 題名らしき文字を読み上げた。「古山茶の霊」と書かれていたのだ。

 すると綾さんは、首を横に振る。

「山茶と書いて、ツバキと読むんだ。だからこれは、古山茶フルツバキの霊って読む。この浮世絵は、安永八年に鳥山とりやま石燕せきえんという浮世絵師によって書かれたものなんだ。さっき丁度椿の話題が出たし、丁度いいんじゃないかと思ってね。名前の横に書いてある説明文、読める?」

 最後俺に尋ねた時、綾さんはちょっと悪戯っぽい顔になった。

 もう一度目を凝らして説明文を見てみるが、殆どがミミズののたくったような線にしか見えない。かろうじて、山茶ツバキせいや、妖といった文字が読めるだけだ。

「全く読めないです」

 降参、といったように、俺は言った。

「『ふる山茶つばきせいあやしきかたちして、人をたぶらかすことありとぞ。すべて古木こぼくようをなす事多し。』って書いてある。古文だけど、意味は分かるんじゃないかな?」

「『古いツバキの精が妖怪になって、人をたぶらかすことがある。他の古木も、妖怪になることがある』って感じですよね?」

 綾さんは、そのとおり、と言いながら頷く。

「僕が何でこの妖怪を持ち出したかはあとでわかるから言わないとして、大分大雑把な説明だと思わない?」

 まるで勉強を教える家庭教師のように、綾さんは僕に何度も質問してきている。勉強なんかよりもよっぽど面白い話が聞けるのが殆どなので、全然苦ではないが。

 改めて説明文の内容を確認して、俺は肯定した。見たところ、この画集は妖怪の図鑑のようなものになっているらしい。その中にある一つの妖怪の説明にしては、確かに抽象的過ぎるものだと思う。怪しき形が何なのか、どのようにして人をたぶらかすのか、その辺の事が、説明文からも、絵からも読み取れないのだ。

「これじゃあ、どんな妖怪なのか、よくわからないですよね?」

 俺の言葉に、綾さんは満足そうな顔になった。

「確かにそうだね。でもこの妖怪は、この説明が一番しっくりきてるんだ。なにせ、いくつもあるツバキにまつわる怪異を、一つに纏めてるわけだからね。椿に関する怪異の伝承ってのは、全国の色んなところに広がってるんだよ」

 それは初耳だった。あまり知ろうとする機会が無かったのもあるだろうが、ツバキについて、そんな事があるなんて聞いたことがない。

「伝承が伝わってる地域も、何か特殊だったり、共通点があったりするわけではないんだ。ならどうして、こうやってまとめられてるんだと思う?」

 今度の綾さんの質問は、少々意味の理解に苦しむものだ。

「どうして纏められてるといっても......椿が妖怪になる伝説が多かったから、とか?」

「でも解説文の最後には、『全て古木は妖をなす事多し』って書いてあるよね?」

「あそうか。椿だけ特別扱いみたいになってるってことか......」

 そこから先、何て答えたらいいのか分からずに黙ってしまった。

「石燕は、計三シリーズの妖怪画集を描いたんだ。まあかなりの数の妖怪が収録されてるわけだけど、植物として絞ったものは、これとあと一つ、芭蕉精ばしょうのせいくらいなんだ。そうやって見ると、ゼーレ君の言う通り特別扱いになってるんだよね。それは何故か」

 俺は眉間に皺を寄せて唸った。椿なんて偶に見かけて綺麗だと思う程度で、何かあるなんてことは全く感じた事がない。

 暫くすると、俺が答えを出せないのを見越した綾さんが口を開く。

「難しい事考えずに推測するなら、昔の人が椿に対して特別な感覚......それも、妖怪に通じる何かを感じていたって事になるよね?」

「ま、まあ」

 ヒントを出されて、何か記憶の底にあるものが見えかけた気がした。昔、親か誰かが椿について言っていたような気が......

「あ! 思い出した。椿って、あまり贈り物にしていい花じゃないんですよね?」

 綾さんは、大げさに頷く。どうやら、彼が期待していた回答だったようだ。

「その通り。椿は桜みたいに、花弁をひらひら舞わせて散るのではなく、花が全てぼたりと落ちるんだ。それが首を切る様を連想させるから、縁起が悪いとされてる。人を花に例えた有名な曲があったりするけど、それと同じ感覚かな」

 俺は、ほへえ、といった感じのちょっと間の抜けた感嘆の声を上げた。

「そういうイメージなら、確かに妖怪にされるのはわかるなあ。それに、あの赤を黄色の感じも、みようによってはちょっと不気味なイメージもあるような。人に例えるなら、妖艶な雰囲気の女の人、みたいな」

「お、いいとこ突くねえ。椿の伝説の中には、花が女の人に化けるものも多いんだよ」

 またも感心したように綾さんは言う。

 図星をついていたことに、俺は少し驚いた。

「正直いってここからが本題みたいな感じなんだけど......つまりこの妖怪って、ツバキという元々あるものに対する、人間のイメージが多く含まれてるのはわかるよね? この考え方、ある意味じゃ、創作においても大事な考え方になるわけだ」

 どういう事かさっぱりわからない。俺の顔にはあからさまに疑問符が浮かんでいたようで、綾さんはかるく肩を竦めてみせた。

「何かに対して、どういう理屈を紐付けするか、それは自由なんだよ。過去の人たちが牡丹の花が落ちるのを見て、斬首を連想させたように。更に言うと、それ一つで創作の世界はおろか、僕たちが居るこの世界ですらも全く別ものに見える。君が何か書きたいものがあるなら、それ全てを残せるようなものを想像すればいい。簡単に言ってくれるなって思うかもしれないけど、それが簡単じゃないって思ってる時点で、難しく考えすぎて、想像の幅が狭まってるということになってしまう。まあつまり......」

 一気に話したあと、少し間を貯める綾さん。

「気楽にやってけば、いつか必ずうまくいく。焦らず悲観せず、想像をこねくり回してみなよ」

 彼が言い切ったあと、いつの間にか開いていた窓から風が吹き抜けていく。

 爽やかな雰囲気の中、俺は後ろに手を突き、天井を見上げた。

「そうですねえ......変に気張っちゃ駄目だなあ」

「読めるのを楽しみにしてるよ」

 そう言って、綾さんは俺に笑いかけた。そして空になった湯飲みを下げるため、席を立つ。

 一人になった俺は、体を起こして部屋を見回した。

 窓の外には、美しいツバキが花開いている。

 その横には、赤い和服を着た女性が、一人佇んでいた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 深いですわー!作者様に役立ちますね! [一言] 僕の以前の記憶よりも上手くなったように思えます。
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