第九十二回帝国会議
視点:メビウス・レッドフィールド
帝国領ルトラウト。
帝国の堂々たる首都であるこの街の栄華は、この世界でも有数の文明的な、また技術的な先進性からなっている。
下水道、インフラの整備はもちろんの事、法律の完全性や、それを行使する衛兵の質も他国のそれとは比べ物にならない。
また、体制的な完全さに加え、街全体の美しさも他の追随を許さない。ただの民家一つをとっても、設計図段階から国の芸術規定をクリアしなければ建築を許されない。
それゆえ、立ち並ぶ家々や商店街などは、一つ一つが王の宮殿に匹敵する壮大さと繊細さを持つ。街全体が一つの芸術品のように扱われ、景観を崩す者は厳しい罰を、時には死をもって償うことになる。
とりわけ帝国の真なる中心に建つ皇帝の宮殿は、世界中を旅した高名な詩人でさえ「高く天にそびえるその景観に勝るものなし。一見を以てしては言葉にならず。三度の邂逅を経て、天を刺す一槍なりと例えむ」と言わしめる程の景観的完全さを備えている。
その宮殿の頂点にほど近い皇室のバルコニーから、深い黄金色の髪の少女はこの美麗なる街を一望していた。美しい景観はもちろんの事、真摯に仕事に勤める者や、それを監督する衛兵、その一人一人の充実した表情を──米粒のごとく小さくしか見えないが──眺めては、自らの統治が行き届いていることに大いに満足した。
「閣下。こちらでしたか」
背後から少女に声をかける者がいた。聞きなれた部下の声を受け、少女は背後に向き直り、自分の背丈の二、三倍はあろうかという長身の男に、少女なりの威厳たっぷりに胸を張って答えた。
「どうしたガーデッド。何か問題か?」
ガ―デットと呼ばれた部下は少女にきびきびと再敬礼し、靴音を鳴らして休めの態勢をとった。
「聖アストラ―ナ連合王国から、閣下に詔勅文書です」
「詔勅文書じゃと?連合の誰がそのような無礼を働くのじゃ」
「わかりません。使者が文書を持って参りましたが「君主以外にはお渡ししない」と。」
「ただならぬな」
「議会が収集されています。閣下も御出席しては如何かと」
「わかった。今行く」
部下が一礼して立ち去ると、少女は室内に戻り、宦官が用意した黒金の荘厳な軍服を着て、その見映えを鏡で確認した。
整った目鼻立ち、孔雀緑色のガラス玉のような瞳、夕日に照らされて輝く小麦畑を凝縮したような美しい髪色。その美しい姿に、少女は感嘆の声を漏らした。
「ティア・・・こんなに美しくなって・・・」
宦官が控えめに「よくお似合いです」と言うと、少女は満足げに微笑み、宦官に
「鏡でしか成長を見れないのが悔やまれる。お前の目が羨ましいぞ」
と答えた。
宦官が「差し上げられれば良いのですが」と世辞を言うと、少女はその見た目に似つかわしくない「ハンッ」という不愛想な笑いを上げた。
少女が皇室を出て、速足で宮殿の廊下を歩くと、部屋の外で待機していたガーデッドを始めとした六人の近衛兵が続いた。
あまりに広いこの宮殿の中では、この少女は人形のように小さく見えた。少女自身もそれを自覚しており、できるだけ自分を大きく見せようと胸を張って歩くのだが、どうしても可愛らしさが勝ってしまう。さらには、自身の小さな歩幅からなる早い軍靴の音と、大柄の近衛兵たちのゆったりとした軍靴の音との差異が、少しづつ彼女を苛立たせた。
ようやく長い廊下を終え昇降機にたどり着くと、三人の近衛兵が先に乗り込み、その後少女が三人の前に立ち、少女を挟む形でまた三人の近衛兵が乗り込んだ。
近衛兵の一人が昇降機のレバーを引くと、その場を昇降機の駆動音だけが支配した。
密室の中に重苦しい沈黙が流れる。
ふいに少女が口を開いた。
「この部屋、こんなに広かったかのう」
ガーデットがその場で動かずに答えた。
「改修工事案ではこの昇降機は候補に挙がりませんでしたが。いかがいたしますか?」
「やらんでよい。狭くていいことなどないじゃろ」
「失礼しました」
この昇降機内で交わされた言葉はこれだけであった。
一分後、昇降機が宮殿の地上階につくと、今度は昇降機に入ったのと逆の順番で昇降機を降りた。
昇降機を出ると、巨大な空間に出た。宮殿の広間である。中央に敷かれた幅の広いレッドカーペットの両脇にずらりと鎧を着こんだ帝国兵が規律正しく立ち並び、帝国兵一人一人の背後にはバディの機動兵が控えている。
機動兵。機械で動く兵。その動力は蒸気機関である。
帝国を訪れる旅人の誰もがこの国のテクノロジーの進歩に目を見張るが、特に旅人たちを驚嘆させるのはこの機動兵である。
金属の体に鋼の心臓、そして蒸気の血で動くこの兵士は、人間を相手取って有利に立てるよう、その身長を人間より大きく──正確には2.5mに──設定してある。腕を破壊されようと胸を一突きされようと、痛みを感じることもなく、また、恐怖で逃げ出すこともない。この無敵の兵こそ、この国の君主たる少女の一番の誇りであり、この国の技術の進歩の象徴であった。
訓練を終えた帝国兵はバディとしてこの機動兵を与えられる。帝国兵に求められるのは通常の戦闘技術だけでなく、あらゆる戦術的座学の他、もっとも重要なのはこの機動兵の管理技能である。
訓練兵は機動兵の破損を直す方法、指示の与え方、また、機動兵を私的な暴力に使わない倫理的正しさを徹底的に叩き込まれる。しかし、機動兵の製造方法、特に心臓部の中身は決して教えられず、暴くことも許されない。心臓部の解剖を図ることは重い罪であり、厳しく罰せられる。これは他国にこの技術が流れるのを防ぐ目的のためである。
少女はこの、人と鉄の壁を一瞥し、満足してニヤリと笑うと胸を張って大股でレッドカーペットを進んだ。
レッドカーペットの中ほどの所には玉座が用意してあった。
彼女の身長に不釣りあいな巨大さと、この空間で一番華美な装飾を備えたそれは、この玉座に座るものがいればどんな惨めな乞食であろうが威厳あるものに見せることができる。
そこに座れるのはこの国の皇帝だけであり、彼女はその玉座に躊躇うことなく座した。
彼女が座ると、四体の機動兵が玉座の角の取っ手を持って運び出した。玉座の周りにはランスで武装した近衛兵たちが馬に乗り、玉座の前、横、後ろにそれぞれ二人ずつついて玉座を守り、その周りを規律正しく並んだ帝国兵がバディとともに守る。そのさらに外側にシミターを持った浅黒い肌の奴隷たちが構え、ようやく皇帝は移動の布陣を完成させた。
軍団長が「皇帝陛下出場!!」と叫ぶと、宮殿の楽団が高らかにラッパを鳴らして宮殿の入り口を開門した。
先ほどまで一人で服を着替えていた小さな少女は、次第に人々が後に続き、今は巨大なパレードの中心となっていた。
彼女は年に数度、この宮殿と帝国議事堂を行き来する。成人男性が歩けば1分程度の距離。宮殿から出て中央通りをまっすぐ行くだけである。
それだけであるのに、皇帝は常にこのパレードを形成しなければ外を移動することができない。皇帝がただ議事堂まで歩く姿を民衆には見せられない。皇帝は世界の中心であるのだと常に民に感じさせなければいけない。「なんだ。あれが皇帝か。皇帝というのはもっと神のごとく威光を放つのかと思っていた」などと、誰一人にも思わせてはならないのだ。
街道には帝国市民が皇帝に歓声を送るために集い、歩くのもままならないほどの巨大な人だかりができていた。だが、民衆は決して皇帝の宮殿から帝国議事堂までの道を遮りはしない。このパレードは、いつ何時も皇帝の前を遮ることはできないのだと肌で感じさせる。店棚の肉を盗み、店の主人に追われた猫でさえ、皇帝の前を遮りはしない。この人だかりを人の海とするなら、神が海を割ったがごとくのありさまだった。
人々が帝国旗を掲げて皇帝に歓声を送る。その熱心さに多くの旅人たちは圧倒され、いつの間にやら行商人から帝国旗を買い、帝国民と一緒になって歓声を送りだす。
皇帝がたった一分移動するだけで、この付近の商業は爆発的に活性化する。割高と思える帝国旗が飛ぶように売れ、皇帝に投げるための花束を売るために娘たちが籠いっぱいの花をもって飛び出してくる。
それだけの影響力と恩恵を「ただいるだけで」与えるのが皇帝たるものだと、玉座に座る少女は自負していた。
「皇帝陛下入場!!」
刹那のパレードを終え、軍団長が号令を出し、帝国楽団が高らかに天皇陛下入場のラッパを鳴らす。民衆は、帝国議事堂に入場していく皇帝のその姿を街道まで見送ると、しばらくして解散し、皇帝の熱心な支持者は皇帝の帰り道も見送ろうとその場に留まった。
少女を乗せた玉座が帝国会議場に運ばれると、会議に出席していた高官達が起立し、少女に敬礼した。
皇帝の為に用意された大壇上に玉座が下ろされると、少女は「諸大臣は着席し、帝国会議を開会せよ」と命じた。
それに応じ、大臣達は腰を下ろし、それを確認した進行係が開会の宣言を発した。
「これより、第九十二回帝国議会を開会致します。本会は臨時会議につき、開会申請者であるルドルフ=クリフトフ国防少将より開会目的の説明がございます」
帝国は一般に君主制の体制をとっているが、帝国の発展に努める諸帝国市民の連携強化という名目で定期的に会議を開会する。しかし、今回は例外的に「国防将校」からの申請が受理されて議会が収集されたのだ。
その意味を推し量るのは、最も愚かな下級将校であっても難くない。
この場にいる者達の視線が国防将校席に集中する。帝国の重役を担う剛強な面々の視線を一身に受けて尚、国防将校は臆することなく起立し、堂々と発言した。
「国防少将のルドルフ=クリフトフです。今回の会議は国防将校の総意によって開会を希望、受理されたものであります。して、その目的とは──」
彼が部下に目配せすると、青年将校が会議場の扉を開き、絢爛な鎧を纏った騎士を迎え入れた。
騎士は皇帝が座る玉座に向くと、一瞬の動揺の後、語り掛けた。
「貴女がこの国の君主であるか」
刹那、場が騒然とする。
「貴様!栄えある帝国の皇帝陛下に向かって貴女とは何たる不敬か!」
諸将校がこの騎士を紛糾した。騎士はなぜ自分が責められているのかわからず、身の危険を感じて腰に下げた剣に手をかけた。
それを見た警備兵がマスケット銃を兵士に向け、場が一触即発の緊張に包まれる。
「静粛に!皆さま!静粛にお願いいたします!」
進行係が諭すが、誰一人聞く者はいない。いよいよ糾弾の嵐が強くなり、騎士が剣の刃を覗かせ、警備兵が銃の引き金に指をかけた時、一言。たった一言がその場を沈黙させた。
「次に喋った者は殺す」
玉座に浅く腰掛け、頬杖をついて議会場を冷たく見下ろす少女の一言に、百戦錬磨の剛毅たる帝国将校は沈黙した。
場が完全に沈黙して一分間。あまりに長い一分間。会議場は物音一つしない、空気が鉛に変わったような重い沈黙に支配された。
そんな中、騎士は剣を鞘に戻し、玉座が置かれた壇の下に立って少女を見上げ、胸当てから一巻の巻物を取り出して、沈黙に言を放った。
「私はアストラ―ナ聖堂騎士団のジャン・ライヌだ。先ほどの発言に不敬があったのであれば謝罪したい。だが、私は、神王より承ったこの詔勅文書を・・・貴方様にお渡しし、その御返答を祖国に持ち帰るという大任を果たすまで、この命お渡しすることはできない」
しばしの沈黙の後、少女が口を開く。
「さきの言葉は撤回しよう。だが、またつまらん言葉狩りで会議の遅延を図る者は謀反の意があると見做す」
少女の目は眼下の騎士ではなく、自国の高官と将校たちに向けられていた。普段は部下に恐れられ、鬼教官と揶揄されるような諸々の将校でさえ、この場この時だけは悪戯が親に露見した子供の様に縮こまっていた。
ジャンと名乗る騎士は少女の発言の撤回に感謝の意を示し、胸に手を当てて一礼すると、詔勅文書をお渡しするために壇上に上がってもよいかと尋ねた。
帝国の将校たちは再度、この騎士の不遜な態度を叱咤したい衝動に駆られたが、少女が一瞬、自分たちを一瞥したことに萎縮して誰も言葉を発す者はいなかった。
騎士が玉座への階段を登ろうと足を踏み出すと、少女はそれを制した。
「待て。そちらのに預けるのじゃ。それ以上は近づくな」
騎士の前に進行係が歩み出て、恭しく手袋をはめた手を差し出した。騎士は「よろしく頼む」と、進行係に巻物を渡し、玉座から下がった。
進行係は文書を受け取ると、玉座を向いて跪き、少女に文書を差し出す動きをすることで、形式的に少女に文書の所有権を移した。
「確かに受け取ったぞ。返事はしばし待つがいい。その間、案内役をつける。帝都を自由に見て回るとよいぞ。」
少女は騎士を見据えて言った。
騎士は少女に一礼し礼を言うと、颯爽と会議場から去っていった。
再び会議場に沈黙が舞い戻る。少女が国防少将のルドルフに目配せすると、彼は慌てて起立し、開会目的の説明を再開した。
「こ、今回の臨時会議は、そちらの文書の内容の返答についての総意を確認するためのものであります。栄光ある覚醒戦争以降、連合と我が国は相互に不干渉を貫いてまいりました。しかし、今回、連合の元首からの正式な文書を受けましては、我が国の対応は万象の関心を集めるものかと。」
ルドルフが着席すると、玉座の少女は真剣な表情で頬杖をついた。
「ともかく、文書に何が書かれているかわからんことには始まらんじゃろ。開けてみよう」
進行係が畏まって「それでは、開封いたします」と宣言し、進行席で封を開いた。巻物を丁寧に開いて少し眺めると「謹んで御拝読いたします」と言って起立し、会議場全体によく通る、権威づいた声で読みあげた。
それは形式的な挨拶から始まり、連合が今までどのようにして民を統治し、今日までの歴史を築いてきたかの簡単な推移の説明をした後、さて、と前置きして本題に移った。
「偉大なる神に与えられし、朕が領域マレスが狂炎に包まれ、民が命を落とすという痛ましい事件が起き、宮廷は悲しみに暮れている。これについて、忠良たる我が民の多くが言うには、貴国の組織的な凶行であると。無論、朕はそのような疑いを抱いてはおらず、我が民が貴国に謂れのない疑いをかけてしまったことは深く遺憾であり、七国の君主として陳謝する次第である。しかし、無辜の民がこのような主張をせざる負えなかったのは、ひとえに不安からである。朕は彼らの不安を取り除き、平穏に過ごせるように努める使命がある。故に、貴国の君主たるあなたに、我が宮殿において無実を証明していただきたく──」
「いいかげんにしろ!!」
一人の青年将校が机を叩いた。
玉座の少女は青年将校を睨みつけ「余の言葉を忘れたのではあるまいな?」と強い語気で威圧した。すると、他の将校たちは彼を擁護して、「彼の怒りはもっともかと。」「あまりに侮辱が過ぎます。自らの悪政が招いた結果の必定の民の不満を、我が国に押し付けるつもりなのは明白です。」と、各々の言い分を述べた。
少女は他の将官の擁護の言葉を聞きながらも、青年将校から目を逸らさず、瞬き一つせずに見つめ続けた。その緊張から、思わず青年将校は深々と頭を下げ、謝罪の言葉を述べた。
それを見て、少女は侮蔑をこめて鼻を笑うと「フリードリフ・ロイマン中尉よ。」と、青年将校の名を前置きして「お前は軍学校からの推薦組だったな。初期階級は少尉だな?」と、彼の身の上を言い当てた。
「は、はい!確かにそのとおりであります。しかし、それがいかがいたしましたか・・・?」
まさか一国の主が自分の事を認識していると思わなかった彼は、たじろぎ、目を丸くして玉座の少女を見つめた。少女は彼の質問には答えず、眉をひそめて言った。
「将官は常に冷静に戦場を見極め、自らを律して下士官の手本とならねばならぬ。お前にはその資質が欠如しているようじゃ。一等兵からやり直せ。」
降格の宣告。明らかに理不尽な人事異動。だが、逆らえない。青年将校は歯を食いしばって俯き、歯の隙間から何とか「はい・・・」と言葉を絞り出した。
一見すれば馬鹿げた光景だ。幼い少女の決定に、大の大人たちが右往左往するさまは滑稽に映るかもしれない。だが、この国では絶対なのだ。彼女が死ねと言えば死なねばならない。
彼女が持っている権力や、武力を抜きにしても、逆らうことはできない。
なぜなら彼女は少女などではないのだから。
「下士官には下士官の職務がある。貴官の情熱は敵兵を一撃の内に葬り去ることができる煉獄の炎と心得、一層職務に励むように。さて、将官は会議を続行せよ。」
青年将校が席を立ち、肩を落として会議場を退場すると、進行係が文書の朗読を再開した。この後、進行係が文書を読み終え、以上、と言い終えるまで、一言も発す者はいなかった。
この文書を要約すると「マレスの火事について、帝国に疑惑がかかっているから、私の前で無実を証明してみせろ」ということを、大げさに、神の威を借りて言っているだけであった。
「さて、貴官らの意見を聞こう」
少女が足を組みなおし、将官たちに問うと、彼らは恐る恐る挙手して、進行係に指名された者から発言した。
「エーファ・スぺイデル大尉。」
「はい。率直に言えば、これは帝国への侮辱であり挑発です。一切の証拠がないにもかかわらず、連合国民の民の中に広がる疑念だけで我が国に疑いをかけたことは、我々の威信にかかわる重大な外交問題であると認識し、早急に抗議文を作成するべきかと具申いたします」
玉座の少女は、その性癖から顎を撫でて考え込み「抗議文を叩きつけて、それでどうするのじゃ?連合がそれで納得し、素直に謝罪して我々への疑念を解くとおもうか?」と、彼女──スぺイデル大尉──の更なる思慮を煽った。
スぺイデル大尉は言葉に詰まり「思慮が足りませんでした。再考いたします」と謝罪して着席した。
「ヴィクトール・エーゲル大佐。」
「はい。しかし、彼らの要求は飲めません。そもそもやっていないことをやっていないと証明することなど不可能です。それが我が国のような巨大な国であれば尚更であります。」
「ふむ。それもそうじゃのう。臣民全員のアリバイなど証明できようはずもない。」
会場全体が思考の海に沈んだ。しばらくの沈黙の後、白ひげを蓄えた初老の将校が挙手した。
「ノーマン・シュベルツェンベック憲兵大佐」
「はい。皇帝閣下に恐れながら申し上げます。」
「なんじゃ?」
「我々は、無意識に、我が国が凶行を犯していないことを前提に会議を執り行ってしまっているのではありませぬか。」
会場全体の誰もが息を飲んだ。
皇帝が意外そうな顔で言う。
「では、お前は、帝国内のどこかに凶行に及んだ組織が潜伏しているというのか」
「はい。さらに言えば、軍内の何者かが徒党を組んで凶行に及んだ可能性は無視できませぬ」
スぺイデル大尉が挙手せずに発言する。
「その根拠は?憲兵隊は控えめに言っても身内を疑いすぎる傾向があります。今回も自虐的な妄想なのでは?」
シュベルツェンベックはスぺイデル大尉をしばし睨んだ後、皇帝の目を見て発言した。
「推測の域をでませんが、我が国に疑いがかかったということは、逆に考えれば、それ以外の可能性が潰れているということです。連合は恐らく、証拠の確保に失敗したのです。一つの村を壊滅させておきながら、一切の目撃者も証拠も出ないということは、訓練を受けた組織の凶行である可能性が高い。そして、それを実行するうえで立地的に最も近く、可能性が高いのは、自ずと我らが帝国であります」
シュベルツェンベックが話し終えると、スぺイデル大尉が挙手し、発言権を獲得した。
「一見もっともらしいようですが、やはり自虐的妄想です。確かに帝国自体は連合と国境を接触しておりますが、帝国にはラガ、バリニュス二大公国とダ=カール族領が含まれるということは無視できません。そのうち、ラガ公国は完全に連合と国境を接触しております。仮にシュベルツェンベック憲兵大佐の意見を酌むにしても、容疑がかかるのはラガ、バリニュスの両公国軍、そして我らが帝国軍です」
玉座の少女は なるほど、と頷くとシュベルツェンベックに話しかけた。
「ノーマンよ。手すきの憲兵はどれほどじゃ」
「お望みならば、全て。」
「仮に、ラガ、バリニュスと我が軍の中に凶行に及んだ組織があるならば、見つけ出すまでにどれほどかかる」
「お望みの時間内に。」
「ならん。多少の日を要しても完璧に洗い出せ。犯人が見つからなかったことを、我々の潔白とするのじゃ」
「では、五日以内かと」
「では、完了次第報告せよ。その後に再度、臨時議会を開く。今回はこれで終いじゃ」
皇帝が解散の号令をしようとした時、一人の将校がそれを遮って挙手した。
進行係が、この発言を許可していいものかと皇帝の顔色を窺うと、皇帝は顎で承諾したため、この将校は立ち上がって発言した。
「仮に、その組織が本当に我が軍にいた場合、どうするおつもりですか」
少女は足を組みなおして不敵に笑った。
「いなかったことにしようではないか」