二つの死体と杖の話
視点:セリナ
フレシアさんがストライキを起こしたあの日以降、フレシアさんはまた新しい体に差し替えられ、さらにはあの日の記憶も失ってしまったようだった。
折角彼女と親密になれたのに、また死霊術師の弟子とメイドの関係に逆戻りだ。それでも、私は彼女に親し気な態度をやめることはなかった。なぜ彼女が記憶を失ってしまったのかわからないけれど──おそらくノワール様が意図的に引き起こしたのだろうことは容易に想像できる──また新たに関係を築けばいいのだから、そう悲観することでもないはずだ。
そして、曜日が二周ほどしたある日、ノワール様は私を塔の地下室に案内した。ノワール様は「フレシアの件のご褒美よ」と言って私を二つの棺の前に促した。
ノワール様が棺に埋め込まれている宝石を軽くなでると、2つの棺の蓋が滑るように退き、棺の中のそれぞれ男と女の死体が姿を現した。
「この2体には防腐の術を施しているわ。これ以上腐ることはないから安心して使いなさい}
ノワール様はそう言い残して立ち去ろうとした。私は思わずノワール様を呼び止めてしまった。
「あの、ノワール様!使うって・・・何にですか?」
ノワール様は立ち止まらずに「何にでもよ」と言って部屋から出て行ってしまった。
部屋に取り残された私は、とりあえず二つの死体を観察してみた。
男の方は髪の毛が抜け落ちている事と片眼がない事と・・・それから、その・・・ペニスがない事を除けば体に損傷はなく、筋肉質な体は使役するうえでとても有用なように思えた。
女は左手を失っているけれど、それ以外は眠っているのかと思うほど奇麗なままだった。
2人は一糸纏わない姿で胸に手を置いた状態で棺に納められている。私はこれをどうしたものかと思い悩んでいた。今まで人間の死体を使役したことがなかったからだ。
倫理観が私を責めた。彼らの魂を穢し、肉体を使役することに抵抗があった。
でも、そうしなければ死霊術師にはなれない。私は以前、講義の中でノワール様に質問したことがあった。
「なぜ人間の死体を使役するのですか?動物ではだめなのですか?」と。
曰く、霊界から呼び出した霊魂を最も有効に扱うには、汎用性の面からみて人間の体が一番なのだという。
もちろん、空からの情報を得たいならタカやワシが適しているし、匂いを追跡したいなら犬が適している。
でも、そういう限られた場合じゃないなら、器用な指を持ち、脳が大きく、命令への理解力が高い人間が選択肢として挙がるのだという。
私は深呼吸して意を決し、死霊使役の呪文を唱えた。籠手袋の液体魔力が光とともに消費され、男の死体が呻きを上げゆっくりと起き上がった。
死体は生気のない目で私を見た。そして、何かを語り掛けるように喘ぎ続けた。多分、その呼びかけに意味なんてない。霊界から呼び出された喪魂は明確な意思を持たない。ただ虚ろを彷徨うばかりのそれは、使役し命令を与えるまでは常同行動を繰り返す事で現世での活動に慣れようとするのだという。
続いて女性の死体を使役した。彼女──というより中身の喪魂──は左手のない体に慣れないらしく、起き上がるのに少々時間を要した。その後立ち上がると、天井を見つめ苦しそうに呻き続けた。
その後、私は男の死体をオスカー、女の死体をジュリーと名付け、それぞれに自分の名前を呼ばれたら返事をするように言い聞かせた。
「オスカー」私がそう呼ぶと、彼はグルルと喉を鳴らした。返事のつもりらしい。「まぁいいわ。じゃあ・・・ジュリー?」今度はジュリーを呼んだ。すると突然、彼女は耳をつんざくような金切り声で絶叫した。部屋全体が震えるほどの大絶叫に、私は耳を塞いだ。
「ジュリー!ストップ!ストップ!!」私の声が聞こえないのか、彼女は絶叫をやめなかった。いや、違う。私が言っている意味が分かっていないのだ。霊語で命令を与えなければ。「レイス!」私がそう叫ぶと、彼女の絶叫はピタリと止んだ。そして何事もなかったように私を見つめた。私は床にへたり込み、ため息をついて、まだ起こってもいない今後の苦労について頭を悩ませた。
それからまた数日経ち、私はノワール様に言われて城内の庭園で薬の調合材料を採りに来ていた。
意外にも、そのころには私の心の中から死体を使役する罪悪感は消え失せていた。
この数日彼らを使役し、私は様々なことを学んだ。まず、同じ霊魂と死体といえど、彼らにはそれぞれ得手不得手があるのだということだ。
オスカーは肉体労働や単純労働が得意だが、命令に対する理解度が低く、しかも飽き性なせいで命令を取り違えたり、勝手に遊びだしたりしてしまう事がままある。
対してジュリーは命令に忠実で、複雑な命令も難なくこなすことができる。けれど、命令に忠実すぎるせいで加減がうまくいかない。例えば「服をとってこい」と命令すると、クローゼットにあるすべての服を運んできてしまう。だから「私が着る分の服をとってこい」と伝えなくてはいけない。ただでさえ伝えるのが面倒なのに、しかもこれを霊語で訳して命令しなくちゃいけない。楽をするために使役しているのに、その使役が面倒なのだとなれば本末転倒だ。
「アアア・・・」
オスカーが花の束を小脇に抱えて私のもとに戻ってきた。オスカーは私の足元に無造作に花を投げ捨て、また命令どうりに赤い花を摘みに行った。
正確には欲しいのはメリー・ジェンヌという深い紅色の花弁を5枚持つ花なのだけれど、そんな細かい指示をオスカーに与えても混乱させるだけ。だから、赤い花ならば何でもいいということにしておかなければならない。
さて、ここからはジュリーの仕事だ。知覚能力と学習能力が比較的高い彼女は、メリー・ジェンヌとそうでないものを見分けることができる。彼女はオスカーが置いて行った花の山の中からメリー・ジェンヌを選び出し、指定した場所に積んでいった。
私はというと、地面に座り込んで霊訳書を読み耽っていた。死体達が仕事をする間、私は本で霊語の語彙力を高める。これぞ一端の死霊術師というものだ。
私が鼻高々に学習に勤しんでいると、背後から女性の声が語りかけてきた。
「こんばんは、セリナ譲。お外でも学習とは恐れ入ります」
振り返ると、グレース村のエイズ騒動で奴を仕留めた吸血鬼部隊の女隊長、エイリーンが花畑の中に立っていた。
「げっ・・・」
私は面倒が舞い込んできた事に気づき、自分の浅はかさを悔いた。また彼女の猛アプローチにさらされなければならないの?こんなことならかっこつけて庭園で読書なんてしなければよかった。塔の中で待っていればよかった。
エイリーンはあの一件以来、度々私を訪ねてノワール様の研究塔に顔を出すようになっていた。そんな時、私は基本的に塔から出ず、フレシアさんに頼んで「セリナ様は用事で出かけております」と嘯いてもらい、居留守をすることにしていた。
「今宵はよき夜であります。あなたを訪ねて塔に向かったのですが、入れ違いになってしまったとメイドに伝えられた時はなぜもっと急がなかったのかと自分を責めたものです。しかし、失望の中でも帰路につく私の目は、この庭園の中に麗しく咲く一輪の花を見逃しはしませんでした」
ああ、案の定始まった。これから彼女の私に対するアプローチが夜更けまで続くに違いないわ。早々に立ち去るべきね。とはいえ、ここで無言で立ち去ってしまうわけにはいかない。
「ああ、ごめんなさい。もう帰らなくてはいけないわ。その興味深いお話はまた今度聞かせてもらえる?」
私がそう言って立ち上がると、彼女は慌てて私を呼び止めた。
「あっ・・・そ、そうですか・・・いえ、いいのです。ただ、これを受け取っていただきたく・・・」
彼女は後ろ手に隠していた一本のリボンの巻かれた杖を差し出した。
「これは?」
私が少し驚いたのを見ると、彼女は心底嬉しそうな表情で説明を始めた。
「かの有名なマーシャル=ロック工房のマーシャル=ロック氏が直々にデザインして作られた杖です。限定3本しか制作されておりません。少々手に入れるに苦労しましたが、あなたのために──」
反射的に私はそれを彼女から、半ば奪い取るように受け取り「ありがとう」と笑顔で言ってしまった。言った直後、私は自分の過ちに気づいた。彼女──正確に言えば吸血鬼──が喜ぶようなことはしないと決めていたのに。親切にされたら親切で返してしまう。ノワール様曰く、私の悪い癖だ。
私の好意を勝ち取れたと思ったのか、エイリーンは嬉しそうに続けた。
「もっとよくご覧ください」
私は言われるがまま、杖を観察した。杖は私の体ほどもあり、全体的には?のような形をしている。先端には魂石をはめ込むための台座がついていて、中腹には何か文字が刻まれていた。
──エイリーンよりセリナへ。愛をこめて──
うわ。余計だ。まぁ、杖自体はうれしいけれど。
「お気づきになりましたか?あなたのために腕のいい彫刻家に掘らせました。これでこの杖はあなただけのものです」
ありがとう。私はもう一度そういうと、ジュリーとオスカーを呼び出し帰路につこうとした。そのとき、エイリーンが私を呼び止めた。
「あ、言い忘れたことがあります」
私は振り返った。
「何?」
「杖の上下を持ち、ゆっくりと引いてください」
なんだろう?私は疑問を持ちつつ彼女が言ったとおりに杖の上部と下部を持って伸ばすように引っ張った。すると、スラリと細い刃が姿を現した。
私が呆気に取られていると、エイリーンが誇らしげに解説した。
「仕込み杖になっております。触媒としての機能には差し支えませんのでご安心ください」
「これ、何に使うのよ」
「それはもちろん、油断している相手の喉を掻き切るのにお使いいただけます」
吸血鬼ってやっぱり野蛮ね。私は刃をしまうと、彼女に別れを告げ、2体を連れて塔に帰った。
「あら、あなた。いいもの持ってるじゃない」
「へ?」
塔の中に入った瞬間、ノワール様は私の杖に目を付けた。
「マーシャルの杖ね?」
「わかるんですか?」
「当たり前でしょう?私を誰だと思ってるのかしら?」
ノワール様は私についてくるように促し、塔の中腹の扉の前まで連れてきた。
扉を開くと、奥が見えないほど長く天井の高い通路にずらりと壁一面に並べられた様々な杖。でも一つとして同じものはなく、私はその膨大な量に自分が小さくなったような感覚を覚えた。
「うわ・・・こんなに必要ですかね・・・?」
私が言うと、ノワール様は自嘲気味にクスクスと笑いながら「一回しか使ってないものもあるのよ?」と言った。それから、私の方に振り返り「でもそれはまだないのよ。どうしても手に入らなかった」と羨ましそうに、うっとりと私の杖を見た。
「あ、あげませんよ!」
私が杖を背に隠すと、ノワール様はまた、今度は私を侮蔑するようにフッと笑って「いらないわ。そんな落書きされた杖。機能に問題はないようだけれど、私に言わせればゴミね」と吐き捨てた。どうやら、杖に掘られた私への刻印が気に食わないらしい。逆に言えば、これが彫られていなければ没収され、この膨大なコレクションの一つにされてしまったのかもしれないということ。その点については、運がよかったと思う。
それはさておき、私は純粋にこの膨大な量の杖が疑問だった。魔法使いと言えば、確かに杖を持っているイメージだけれど、こんなに持っているということは、何か違いがあるのだろうか。
「ノワール様、杖によって魔法の質が変わったりはするんですか?」
「ええ、もちろんよ。触媒は魔法と密接に関わる重要な要素よ」
ノワール様は膨大な量の杖の中から、白い流木に美しい金の装飾がなされた一本を魔法で取り出し、手に取って舐めるように眺めながら解説した。
「触媒というのはいわば霊界と現世とを繋ぐ門よ。そして門を魔法が通るとき、霊界と現実との差異に耐えられず何割かは消滅してしまうの。それをできるだけ円滑に、無駄なく現実に適応させる為に杖を使うというわけ。これはアストレウス聖協会の大司教が作った『ジネブラ』という杖よ。奇跡に特化した杖で、信仰心をほぼそのまま奇跡魔法に変換できるわ。でも、製作者の意向で呪術が使えないように、呪術回路が封印されてる」
ノワール様はジネブラを宙に浮かせ、また別の杖を取り出した。
「こっちは作者も作品名も不明よ。ただ、いわくでは『レ・ヴェントン』というらしいわ。ジネブラとは正反対で、効率よく代償を呪術に変換できるうえに・・・ほらここを見なさい?」
そのまま杖の底が針になっているのを見せてくる。
「針になっていますね。しかし、これでは杖本来の役割は果たせないのでは?」
ノワール様はクスリと笑うと、今まで見せたことのない、風を切るような素早さで私の喉に杖の針を突きつけた。
「レ・ヴェントンの針はね、中が空洞になっていて、これを生贄に突き立てるとその血を吸いだして代償に変換できるの。杖ではなく大きな注射なのよ」
可愛い動物でも見るみたいな顔で、ノワール様はしばらく私の喉に針を這わせ、何かの気まぐれで喉に針を突き立てられるのではないないかと怯える私のひきつった顔をじっくり堪能した後、スッと針を引き、2本の杖をもとの位置に戻した。
「さぁ、博覧会はもう終わりよ。メリージェンヌを私の部屋に運ばせたら今日は帰りなさい」
はぁ・・・殺されるかと思った。冷や汗で気持ち悪い。背中がびっしょりだ。でも、それを悟られないように笑顔で返事をする。
「はい。ノワール様。ごきげんよう」
幸いこの部屋は暗い。だからゆっくり歩いて余裕を演出したって背中に服がぴったりくっついているのはばれない・・・はずだけれど。実際にはどうかわからない。ノワール様が目隠し越しに世界をどう見ているのかがわからないもの。
私は部屋から出ると、すぐに右折して背中を見せないように努めた。部屋の扉が音を立てて閉じると、私はすぐにオスカーとジュリーを呼んだ。塔の下の階からジュリーのうめき声が聞こえる。どうやら暇を持て余して自由行動を始めたらしい。命令で呼び出すと、オスカーはまだしっかりとメリージェンヌの束を抱えていた。私はそれを「王妃の寝室」に運ばせ、その後地下の彼らが元居た棺に寝かせると「解呪」の呪文を唱えて彼らの体と霊魂を切り離した。
帰路の馬車の中で、私はエイリーンからもらった杖を改めて眺めていた。
「台座はあれど、魂石がないのよね・・・」
呪術を使うには代償が必要だ。初めにノワール様に貰った魂石分の魔力はオスカーとジュリーの蘇生分に使ってしまった。次の代償を探さなければならない。一番いいのは魂石だけれど、あれは人の魂を宝石に閉じ込める行為だ。できればやりたくない。なら、どうすればいいのかな。
そんなことに頭を悩ませることにさえ、私はどこか高揚感を感じていた。少しづつ私が魔術に精通していく感覚が、どこか非日常的な冒険のように感じられた。
馬車から顔を出すと、暖かい夜風に撫でられながら眼下にグレース村の暖かい光が見ることができた。淡くて、幻想的な風景だ。少し前までの私は夜に対する畏怖を感じていた。暗く、薄暗いことを恐れていた。
でも、今は違う。暗闇の中でこそ最も尊いものの光を感じられる。すべてを光で照らすなんてナンセンスなことだ。なんて。ちょっとセンチメンタルなことを考えながら、私は息をひそめて昇る朝日を眺めていた。