how to hunt 中編
エイズはゆっくりと血の匂いを辿った。
彼女は次第に強くなる血の匂いと、すぐそこで何かが喚く声で、ずっと追跡していた獲物が近くにいることを感じ取った。
だが、彼女の野生の勘が、いつもとは違う周りの様子を警戒していた。地面は土ではないし、周りから木の香りもしない。代わりに、今までに何度嗅いだことのある、人間の香りが漂っていた。
こういった時、彼女は通常ならば罠を警戒して獲物を諦める事もある。だが今は、エイズ特有の血への執着を抜きにしても、早急に血が必要であった。
「グルル・・・」
思わず声が漏れた。少し前に襲撃してきた吸血鬼との戦いで、彼女は深手を負っていた。故に、自らの傷を癒すための血を欲していた。一般に知られていないことだが、エイズは血を飲んだ直後の数秒間、非常に治癒能力が高まるのである。彼女は傷を癒すための秘薬としての血を求めているのだ。
彼女は近くに硬い壁を見つけると、そこに背中を擦りつけ、身体に刺さった吸血鬼共の剣を抜こうとした。しかし、返って深く剣が身体に侵入してしまい、新たに強烈な痛みを伴った。
剣を抜くのを諦め、また獲物の追跡を再開した。その追跡に、最早鼻は必要なかった。至近距離で獲物が喚くのが聞こえているのだ。
しかし、警戒心から、獲物を狩る前に再度周りの様子を観察した。彼女は低く唸り、返ってきた音で付近の地形を推測した。それによれば、周りは広く、木は少ない。不自然に平らな壁で囲まれており、前方には規則的に何本かの円柱が立っている。そして、そこから強い血の匂いと、やかましい唸り声が発せられていた。
彼女は態勢を低くし、獲物の正確な位置を探った。獲物はエイズから一飛びで喰らいつける位置にいた。だが、向こうはこちらに気づいていないのか、もしくはあまりの出血でもう身動きがとれなくなっているのか、逃げる様子を見せなかった。
エイズは狩の瞬間を悟り、脚に力を入れ、思い切り空へかけだした、そして重量に身を任せ、弧を描きながら落下し、勢いよく獲物に食らいついた。
だが、その瞬間、強烈な違和感が彼女を襲った。獲物から鋭い鉄の塊が突き出し、彼女の上顎と下顎のそれぞれに突き刺さったのだ。同時に、なにか別の、恐らく人間が叫ぶ声があたりにこだました。
刹那、耳元で激しい爆発音と熱風が起こった。体毛はチリチリと焼かれ、耳はバツンという音を最後に聞こえなくなった。鼓膜が破れたのだ。
彼女はなにが起きているのか理解していなかったが、通常の顛末ではないと確信し、その場を離れようと試みた。だが、どういうわけか食った獲物に引っ張られ動けない。なんとかもがいている内に、複数のなにかが自分の身体を登ってきた。
直後、口内の鋭い痛みに加え、両耳と鼻に熱湯をかけられたような熱さと激痛が伴った。彼女は身体を登ってきた何か──匂いからして恐らく人間──を振り落とすために身を震わせた。
人間を振り払うことはできたが、耳の感覚がない。鼻は深く抉られはしたが、まだあるようだ。しかし、自分から発せられる血の香りが強すぎるせいで周りの匂いを識別することができなくなっていた。
続けて身体に次々に鈍痛を加えられた。彼女はこの感覚には覚えがあった。人間やエルフが使う、蔓などのしなりを利用して石を飛ばす道具だ。
それが同時多発的に身体に痛みを与えてくる。つまり、自分の周りには複数の人間がいるのだ。
彼女はようやく、自分が人間の罠に嵌められ、危機的状況に陥っていると理解できるほどの思考をするだけの落ち着きを取り戻した。
──殺される。
彼女は恐れた。本能からくる恐怖だ。種の保存という観点から見て好ましくない事が起きているという自然界からの警告が身体を駆け巡った。
そしてそういった時、獣は覚醒する。命の危機に瀕した時、命はようやく全てを投げ出して生きるということに全力に注ぎ始める。彼女の全身の血が二倍の速さで駆け巡り、心臓が肋骨をカチ割って飛び出そうとしている。
まず、群れる人間どもを蹴散らすために自由に身動きが取れるようにしなければならない。
彼女は口内の鋭い痛みの一切を無視し、四本の脚と全身の力で地を掴んだ。そして顔が引きちぎれんばかりに獲物を引っ張った。その間にも身体には鈍痛が加えられ続けたが、最早それを気に留めてはいなかった。
メキメキと上顎が音を立てて外れていく。口内が裂け、彼女自身の血が彼女の喉を潤した。
「ガアアアアアアアァァァァ──ッ!!」
頭の上半分が千切れ、下顎は完全に裂けた。しかし同時に、彼女は拘束から解き放たれた。そのグロテスクな自身の姿を彼女が見ることはない。しかし、頭の半分を失って尚生き生きと活動する姿は、人間達の目におぞましく映った。
「ア"ア"ア"ア"ア"ア"ァァァァァ!」
上顎を失った彼女の叫びは、喉から直接発せられた。そして、彼女自身の血を、彼女自身が飲むことにより、彼女の鼓膜は再生が完了し、聴覚を取り戻しつつあった。耳がないせいで以前のようにソナーの真似事をすることはできないが、周りの音を識別し、音の発信源を特定する程度の事ができるほどに回復していた。
「ひぃぃ!」
すぐ左から人間の鳴き声が聞こえた。彼女はそこを鋭い爪を備えた前足で叩いた。
ベチャという音と、何かが潰れる感触があった。一匹仕留めたのだ。
彼女は仕留めた獲物に顔を埋め、千切れかかった舌で器用に血を舐めとった。血の癒しにより、体がグツグツと煮えるように熱くなり、メキャメキャと音を立てて頭蓋が再生されていく。
完全に再生すれば、彼女また優れた聴覚で獲物を発見できる。彼女はそのために必死で血を啜った。しかし、頭蓋が再生し、皮膚が張り付いた頃、背中に、今までとは違う痛みを伴った。
それは鋭い異物であり、次々に彼女の背中に突き刺さる。そして、刺さった場所から身体の力を吸われるような異様な怠惰感が流し込まれた。
必死に抵抗するが、体は次第に重くなり、立つこともままならなくなっていく。そのまま地に這いつくばり、次第に遠のく意識をなんとか繋ぎとめていたが、最後には倒れ伏し、眠るように絶命した。