昇級試験3
「天野さん。先生は確かに貴女のタイミングで始めていいと言いましたが、いくら何でも遅すぎますよ」
アーロン先生は呆れたような声を出す。
あふれる涙を両手で擦って拭いた私は力強く正面を向いた。
覚悟の決まったその瞬間、私の胸の奥に、かつて体験したことのない熱さを感じた。左手に握っていた杖が暖かな緑色の光を帯びている。
――これはもしかして、魔力……?
「天野! いきます!」
私は胸の奥に感じる熱さに意識を集中させる。
集中すればするほど、その意識は大きく、拡大していき、やがて全身を包み込んだ。
出来る。私には出来る。
見ていてルーシー。私はあなたとの約束を必ず守ってみせるから。私はめいいっぱい息を吸って杖を振り上げた。
「『ケテル・エヘイエ』馬になれ!!!」
掲げていた杖を全力で振り下ろす。
少し間を置いて、恐る恐る窓に写る自分の顔を確認する。
私の顔は人間のままだった。
ああ。駄目か―—。
ワン
犬の鳴き声がした。まさか、馬への変身には失敗してしまった代わりに犬を召喚してしまったのだろうか? もしそうなら2つ目の課題はクリアだ! 結果オーライ!
期待を込めて鳴き声の方を見る。そこに犬は居なかった。
代わりに四つん這いのアーロン先生が居た。
「ワンワン!」
先生はおっしゃった。
舌を出し、はっはっはっはと短い感覚で息をする彼はまるで犬だ。私は察した。
ヤバい! 間違えてアーロン先生を犬にする魔法を掛けちゃった!
せめて馬になってくれれば良かったのに!
しかも挙動だけ犬になってて完全に不審者だよ。どうしよう!
後ろで先生たちがざわめき始める。
「天野さん! これはどういうことですか!」
「アーロン先生が犬のような恰好をしている!」
「馬はどうした!」
あわわわわわわ……ど、ど、ど、どうしy
ええい! 押し切るしかない!!!
私は鋭くアーロン先生を指さした。
「御覧ください! 馬です!!!」
先生たちは目を丸くして静かになった後、またどよめき始めた。
「いやおかしいだろ!」
「馬って言い切ったぞ!」
「犬だろあれは!!」
「先生を馬呼ばわりして良いと思っているのか!」
「そもそも君が変身する試験だろ!」
全部びっくりするくらい正論だけど、怯んでる場合じゃない。
「確かに私が馬に変身するための試験でした。ですが! アーロン! カモン!」
私の言葉に反応したアーロン犬はこちらを向き、犬っぽい笑顔になる。
そして四つん這いのままバタバタと私の方に近づいてきた。
うわ本当に来た! キモ!
「待て!!」
指示通り私の足元で良い子にお座りするアーロン犬。
「見てください! この忠犬っぷり!!! 私が馬になるよりも! プライドの高いアーロン先生を犬に変える方が高度で難しいんじゃないでしょうか!!!」
私の気魄に押される先生たち。
まさか私が本当に魔法を使えるようになってびっくりしていたのも大きいんじゃないかな。
「いやでも……」
「馬になるのが私であろうが! アーロン先生であろうが! それは大した問題じゃないと思います! ということで二つ目の課題『召喚魔法』いきます!!!」
先生たちが「馬じゃないだろ」とざわめく中、私は再び杖を掲げる。
今度はしっかりやらないと……!
『アレフ・ベートノ・ギメル』
私が詠唱を始めると杖からキラキラと黄色い光があふれ始める。この魔法はルーシーが教えてくれた召喚魔法で、私には特別な思い入れがあった。
今度は行けるはず!
私は夢中で杖を振り下ろした。
「いでよ! 光の精霊ナッスーンメ!」
ナッスーンメは光の精霊で、人の傷を癒す、穏やかな心の持ち主だとルーシーが言っていた。
「……お呼びでしょうか、ご主人様」
やった! 召喚できた!
声のする足元を見ると、そこにはやはりアーロン先生がいた。
先生の胸のあたりには先ほど私の杖が発していた黄色い光が漂っている。
あれ……?
「なんでもお申し付けください、ワン」
先生は言った瞬間私の左足に抱き着いてきた。
「クンクンクン! 生足! 若い子の生足! 最高だワン!!!」
「ひゃあああ!?」
気持ち悪すぎて全身の毛が逆立つ。
先生たちからドン引きに近いどよめきが起こる。
「またアーロン先生が標的に!」
「絶対狙ってるぞ!」
「しかもワンって……たぶん犬と変態が混じってるぞ!!」
「リリスさん! ナッスーンメは確かに精霊ですけど性格はマゾの変態ですよ!!!」
先生の一人が叫んだ。
ってことは犬の上からナッスーンメを上書きしちゃった!?
「でも、この精霊は人の心を癒すんだってルーシーが……!」
「その精霊をひっぱたいた人は確かに心が穏やかになると言われています!」
それって ひっぱたいて気晴らししてるだけじゃんか!
もう! どうして全部アーロン先生に入っちゃうの!!! やっぱり押し切るしかない!!
私は自分の足の臭いをかぐ変態を鋭く指さしながら言った。
「見てください! 光の妖精です!」
「嘘つけ!」
「なんの説得力もないぞ!」
「どこに光要素があるんだ!」
「プレイを楽しむオッサンだろ!」
「ただの変態じゃないか!」
「本当に変態にしか見えないぞ!」
「犬も混じってるし!」
先生たちから抗議の声が上がる。
「ご主人様! その気高き足で私の頭を踏んでくださいワン!」
追い打ちをかけるように変態が叫ぶ。お望み通り、とばかりに私は右足で思いきり頭を踏みつけてみた。
喜びの声を上げる変態。
「ただのマゾのオッサンじゃないか!」
「そうですマゾのオッサンです! アーロン先生の中で、犬とマゾのオッサンが完璧な調和の基に融合しています! これぞ世界平和! 次ぃ!!!」
窓の方に向き、強引に杖を振り上げる私。
途中で「飼い犬プレイは最高だワン」という声が聞こえるが無視する。
私は目を閉じスッと大きく息を吸い込む。
さっきは急ぎすぎて失敗しちゃったけど、今回は大丈夫。
――もっと踏んで!
見ていて。父さん、母さん、ルーシー。私は必ず合格して見せる。
――ご主人様! 早く! あっ! もしかして焦らしプレイかな!?
私は目の前の蝋燭を見つめた。よし!
『ゲブラー・レーシュ』
杖の先端が夕日に負けじと赤く輝く。
お願い届いて!
「火よ! 起これ!」
杖の先端から放たれた赤い光が蝋燭に向かって飛んでいく。
届いて……!
フワフワと飛ぶ赤い光は吸い寄せられるように蝋燭の方へ飛んでいくかと思いきや横に90度進路を変え、置いてあったカバンを包み込んで、ものすごい勢いで燃え盛り始めた。
それはこの世の物とは思えないほど黒に近い赤さで、薄暗かった教室が暖炉の中にいるかのように明るくなる。
「ああ! あれはアーロン先生が大切にしているヴィトンのビジネスバッグ!」
先生の一人が叫ぶ。
アーロン先生のカバンはもはや原型も分からないほど強い炎で焼かれている。
うん! ダメだこりゃ!(笑)
ああ、私の学園生活もあのカバンみたいに燃えて終わりだなあ。
――ご主人様!早く踏んで!ひっぱたいて!
{ぐおおおおおお!!!}
その声は私の声でもなく、先生たちの声でもなく、足元の変態の声でもなく、燃え盛るビジネスバッグの方から聞こえてくる。
まさかと思い視線を向けると、なんと炎の中に邪悪な顔が浮かび上がっている!
しかも苦しみで歪んで私の方を見ているようだ。
{貴様!なぜ分かった!この邪神メムがカバンに隠れていることが何故分かった! そして私が地獄の業火に弱いとなぜ分かったぁ!}
……え?
{これで終わったと思うなよ。私は何度でもよみがえる……! せいぜい震えているがいい! フハハハハハ……!}
その声の終わりとともに炎は小さくなり、やがて完全に消え、細い灰色の煙が一筋立ち上っているだけだった。
――ああ! ご主人様! いい! もっと強く踏んで!!
誰もが静まり返った後には変態の声だけが響いていた。
***
あとから先生に聞いた話では、どうやら「メム」というのはこの学園が出来るより前にこの地を支配していた邪神で、ずっとこの学園に悪さをし続けていたらしい。そんなものをどうして私が退治できたのだろうか?メムは地獄の業火がどうとか言ってたけど、もしかしたら私が悪魔と契約したからそんな物騒なものまで使えるようになったのかな。
何はともあれメムを倒した功績により私は退学を免れた。
明日からまたこの学園に通える!
……のは良かったんだけど、試験のあとに魔法を使おうと試してみたら、何故か全く使えなくなっていた。
うーん。まだまだ偉大な魔法使いへの道は長そうだなあ。
おわり
お読みいただきありがとうございました!




