スキー場殺人事件―ニセコ編―(改訂版)
穴だらけのストーリーと、突っ込みどころ満載の推理ながら、若気の至りの記憶として、掲載させて頂きます。
もしかしたら、今回の事件では誰も死んでないかも?
じゃあ、「殺人事件」じゃないじゃん(笑)。
スキー場殺人事件―ニセコ編―(改訂版)
これは、一九八八年十二月に、僕が友人と、ニセコアンヌプリスキー場へ行った時の話である。
我が友人、伊藤雅志が『ファミリア フルタイム4WD』を買ったから、是非スキーに行こう、と言い出した。そこで、僕が、彼に無理を言って、わざわざ僕らの住む浜松から、北海道のニセコまで行ってもらったのである。もちろん、ガス代は僕持ちである。
仙台からフェリーに乗って苫小牧まで直行し、そこで一泊した後、千歳―中山峠経由で、ニセコへと向かった。
途中、ファミリアが、中山峠で雪にタイヤをとられた。何だか嫌な予感がしたのは、その時からであった。
『ロッジ・アンヌプリ』に着いたのは、二十一日の夜だったので、チェック・インした後、飯も食わずに寝てしまい、二十二日の朝、猛スピードで飯をかっ込むと、猛然とスキー場へと突進した。
早朝の、まだ人もまばらなスキー場ほど、清々しい場所はない。気温はマイナス7度Cと、絶好のスキー日和である。
早速、一日券を買い、ファミリー第一、第二、ダウンヒル第二、第三、そしてジャンボ第四リフトを乗り次いで、一気にてっぺんまで登りつめた。
「あれ、もう来てる人がいたのか」
伊藤雅志が呟いた。
「ほんとだなあ。僕らがー番乗りだと思ったんだがなあ…」
伊藤雅志の言う通り、このてっぺんにも、既に二十人ほどのスキーヤーが登って来ていた。
「どうでもいいや。行こうぜ!」
伊藤雅志はそう言うと、二三歩スケーティングをすると、勢いよく滑り出した。
「おい、ちょっと待てよ!」
僕も同じように滑り出した。
二人のスキーの腕は、初心者以上中級者未満といったところだ。チャンピオンコース、ダウンヒルコース、パノラマコースと、一度もコケることなく、休み休みではあるが、滑り降りて来た。
「さてと、ここからどう行こうか?」
僕は言った。コースは僕らが居る場所から、二つに分かれている。パノラマからダイナミックに至るコースと、林間コースのようになって、山をまわって一気に麓まで降りるジュニアコースと、である。
「ダイナミックコースは、急だっていうからなぁ…」
伊藤雅志が、情ない顔をして言った。しかし、僕も、彼のことは笑えなかった。なにしろ、同じ顔をしていたからだ。
「ジュニアコースに行こうな」
二人で相談がまとまった時、僕らのかたわらを、猛スピードで滑り降りていった者がいた。そして、スピードをゆるめることなく、ジュニアコースへと突入した。
「あ、あんにゃろう、生意気にも俺と同じスキーウェアを着やがって」
伊藤雅志が呻った。彼は、腰に赤いワンポイントの入っている白い『キリー』のワンピースを着ている。僕はといえば、『デサント』のジャケットにラジパン。黒ずくめである。
「ようし、あいつを追っかけようぜ」
伊藤雅志が言った。
「よし、行こう」
僕も同意した。"生意気だ"とは、むしろ僕らの前を行く彼のセリフであろうが、僕らは二人とも、自分の技術は棚上げにして、『キリー』の男を追った。
ジュニアコースも半ばまで滑って来たが、『キリー』との距離は、いっこうに縮まらない。
「畜生、速えなぁ…」
そう呟いた僕の耳に、ギターの弦を弾くような音が聞こえた。かすかな音だったが、何故か、聴こえたのだ。
(何の音だろう…)
「あっ!」
伊藤雅志の声が、僕の思考を中断した。僕が前を見ると、丁度『キリー』の右足が、彼の太ももから投ぶところだった。
「ギャーッ!」
男は、悲鳴を上げると、左膝を中心として円を描く、不自然な倒れ方をした。
「止まれっ!」
男の悲鳴が聞こえたのと同時に、僕は叫んだ。伊藤雅志は、僕に言われるまでもなく、ターンを切って止まろうとしたが、勢いがあまって、雪面に突っ込んだ。
僕も、強引にエッジをきかせて止まろうとしたが、いかんせん勢いがありすぎた。僕は突作に、ストックを立てたまま、進行方行に突き出した。
ビィ~ンッ
ストックに当たった何かが切れた。僕は、腰のあたりを中心とした円を描いて、ひっくり返った。当然スキーは両方ともはずれたが、流れ止めのお陰で、両足にぶら下がっている。
「おーい、大丈夫か一」
伊藤雅志が、上から滑って来た。頭が雪まみれではあるが、別にケガもしていないようだ。それより…。
『キリー』が、右足をおさえてのたうちまわっていた。彼の右足は、『ノルディカ』のリアエントリーをはいたまま、雪面に突き立ったスキーのビンディングに残っており、無残な断面を晒してる。かの『キリー』の傷口からは、まだ血が止まらない。ただ寒さのせいで、この大外傷でも出血は少ない。
「伊藤さん、ひとっ走り、レスキュー隊を呼んで来てくれ。僕はこの人を見てるから」
「判った」
伊藤雅志はひとつ頷くと、直滑降で滑り降りて行った。それを見送って、僕は『キリー』に向き直った。男の顔は、寒さと貧血とショックとで蒼白い。
「おい、気を確かに持てよ。今にレスキュー隊が来るからな」
僕はそう言うと、スキーをしばるためのゴムバンドで、男の傷口を縛った。そして、ジャケットを脱ぐと、彼に着せた。
「さてと…」
男に、眠らないように二三発平手打ちを食らわしてから、僕はさっき自分が転んだ場所まで行った。男の血があちこちに散っているが、彼の足を切断した凶器は、残念ながら発見できなかった。
レスキュー隊が来たのは、それから十分後だった。
「イヤな予感」は、適中してしまったのである。
「あ~っ、疲れた」
宿に帰って来ると、伊藤雅志は畳の床にごろりと横になった。まだ午後四時であるが、もう、今日は滑る気がしなかった。午前十時から、午後三時まで、ずっと警察で調書をとっていたのである。
「あの『キリー』、右足切断されて、左足も半分切れかかっていたんだってな」
「らしいね」
僕は伊藤雅志の言葉に、上の空で答えた。少々考えねばならないことがあったのだ。伊藤雅志は、僕の態度に気づいていない。天井を見つめたまま、続ける。
「まあ、命に別条はなかったってんだから、よかったといえば、よかったんだよな」
「そうらしいなァ」
「警察が言うには、ありゃカマイタチだっつ一けど、たかがカマイタチが、人間の脚を一本ぶっち切っちまうなんてこと、あり得るのかなァ」
「そうらしいなァ」
あまりに頓珍漢な返事をしてしまった。伊藤雅志が身を起こす。
「どうしたんだ、お前。ボケーッとして」
「いや、実はね、警察にも言ってないことがあるんだ…」
僕はそう言うと、急須に湯を注いで、茶を二杯分入れた。それを一口すすってから、話を続ける。
「実はね、あの『キリー』が足を切られる直前に、変な音を聴いたんだ」
「変な音?」
「そう、ギターの弦を弾いたような音さ」
「俺には聞こえなかったなァ」
「あれは、絶対にカマイタチじゃないぞ」
僕は、唐突に言った。伊藤雅志は、いきなり話の脈絡を断ち切られて、目をむくと、茶を一口すすった。
僕はちょっと唇をなめると、口を開いた。
「僕はね、あの男の足を切断したものに、ぶつかったんだ」
「へっ?」
ちゃぶ台の上の盆に盛ってあった瓦せんべいに伸ばしかけていた伊藤雅志の手が、宙ぶらりんになった。
「こいつを見てくれよ」
僕はそう言うと、部屋の下駄箱にたてかけておいた、『ブルーインパルス』のストックを持って来た。
「お前のストックじゃないか。何でそんな物を持ち込んだんだ?」
「まあ、ここを見てくれ」
僕が指さした場所には、横一直線に塗料がはげて、へっこんだ、妙な傷が残っていた。
「これは?」
「『キリー』の足を切断した物と闘った結果さ。さて、ここで君に問題です。細くて丈夫で、場合によっちゃあ人体の切断も可能な、よくミステリー物でも使われる道具といったら、何でしょう?」
「――――!そうか、ピアノ線か!」
「ピンポーン、ご正解」
「それにしても、よくそんなことを見抜いたな」
「いやなに、あの時にコケちゃって、『キリー』と同じ場所に突っ込んでったんだよ。そこで突作にストックを突き出して―――」
「九死に一生を得た、と」
「そういうこと」
それからしばらく、二人は黙って、茶をすすっていたが、湯呑みが空になると、伊藤雅志が口を開いた。
「明日の行動は決まったな」
「明日は、スキーはなしだ」僕が続ける。「『キリー』を襲った犯人は誰か?」
「そいつをつき止めるまでは帰らない」
「銭の続く範囲でね」
「ようし、今から探偵局の開局だ。絶対に真犯人を挙げるぞ!」
「お―――っ!」
そのあとは、お決まりの呑み会となった。
その翌日、僕と伊藤雅志は、ファミリアを駆って昨日のニセコ警察署へと赴き、まんまとファイル室へと入り込んだ。
「ところでさあ、お前、何て言って、ここに入れるよう頼んだんだ?」
伊藤雅志が、目を丸くして僕に訊いた。
「簡単さ。大学の卒論で『スキー場における娯楽と安全性』ってのをやるからだ、と言ったら、ー発でO.K.してくれたよ」
「なるほどねェ……」と、伊藤雅志はひとつ領いて、「それはさておき、ここに来た、その真意は何だい?」
「なにね、僕が思うに、今回の事件は、決して無差別でも偶然でもない、と思うんだ」
「つまり、根が深いと…」
「その通り。それに多分、この『カマイタチ』は、今に始まったことじゃないと思うんだ。だから、今回のようなモノと、同じ事件をたどって行けば……」
「おのずと原因に行きあたる、と…」
「そういうこと。早速始めよう」
僕達は、一番新しい(1987)ファイルから調べていった。こうやって見て行くと、スキー場での事故が、意外に多い、という事実に気付いた。報道されたモノの、実に二十倍近くある。スキー場の評判に響くってんで、寄ってたかって隠匿したのだろうが、この『隠匿』がバレた時のほうが、なおさら評判に響くと思うのだが、どうだろう?
まあ、それはともかくとして、『カマイタチ』と類似した事件をピックアップし終えた。件数は十九件。三年に渡っていて、それより前には一件も見当らない。ちなみに、所要時間は二時間半であった。
「さて」署の二階にある休憩室をー室借りて、僕達は検討を始めた。「『カマイタチ』は、全部で十九件。その被害者全員が、片脚、あるいは両足切断の重傷だ」
僕はそう言うと、テーブルの上に置いたメモを、指でつついた。「ファイルには、ガイ者の写真が貼ってあったよな」
「ああ。あんまり気持ちのいいもんじゃないけどな」
「その、ガイ者に共通した物に、気付いたかい?」
「共通していた物……?」伊藤雅志は首をひねった。
「判らなかったかな?」僕は、いささか自慢げに言った。「スキーウェアだよ。ガイ者は全員」ここでわざと間を置いて、「腰に赤いワンポイントの入った『キリー』を着用していた」
「あ、なァるほど……」
そう頷いた伊藤雅志ではあるが、次の瞬間、どうやら自分の立場に気づいたようだ。
「ち、ちょっと待てよ…。赤いワンポイントの『キリー』ってことは、俺も狙われているってことだな?」
「この状況を考え合わせればね」
僕は、Mr.スポック並みの冷淡さで言った。
「ますます他人事じゃなくなって来たな」
伊藤雅志が呟いた。僕は頷く。
「そういうこと。とにかく、これだけ手掛かりが手に入ったんだ。今度は、犯人を割り出そうぜ」
僕らは、再度ファイル室へと赴いた。今度は、割と楽である。例の『カマイタチ』事件は、3年前以前には起こっていない。すなわち、三年前と、四年前のファイルの中から、『キリー』に、何らかのウラミ―――例えば、事故に巻き込まれたとか―――を持っていそうな者を、探し出せば良いのだ。
ところが、で、ある。楽だと思っていたその作業は、非常に地味な事件であるために、『カマイタチ』のように、パッと目につくことがない。つまりは、目をそれこそ皿のようにして、丹念に読み込んで行かなければならないのである。
「こりゃ、大変な仕事になりそうだな…」
この、僕の呟き通りになってしまった。午後二時から始めて、終ったのが、何と午後六時四十分!細かい、きたない字を長時間にわたって見続けていたため、頭はガンガンするわ、署の事務課の人には白い眼で見られるわで、心身ともにくたくたになってしまった。
宿に帰っても、しばらくは何もする気が起きず、相談を再開したのは、豪華ではないが、心づくしの料理を堪能し、僕らを除いて4組しかいない泊り客―――そのうちの一組は、二人連れの女子大生で、これがまた、二人とも可愛くて、明日、アフタースキーはディスコでフィーバ一をしよう、と約束をした。あ、脱線した―――と談笑し、大浴場で一汗流し、風呂上がりの生ビールを一杯、一気に飲み干した後である。もうとっくに九時をまわっていた。
「さてと、これが容疑者だ」
僕は、ちゃぶ台の上の置いたメモを指さしつつ、言った。結局、四時間四十分かけたあの作業で、挙がった容疑者は、僅か四人。しかも、1984のファイルから出て来たものであり、僕が調べた、1983のファイルには、ー件も該当する事件がなかったのである。つまりは、無駄骨折りであった。まあ、そんなことは、どうでもいいや。
「では、これから、容疑者の吟味に入る」
僕は、芝居がかって、厳かに言った。メモのー枚を手に取り、読み上げる。
「第一の容疑者、川瀬正高、三十四歳。白い『キリー』のスキーウェアを着た、若い男と衝突。右足骨接、全治三ケ月。犯人は逃走」
「骨接……か」伊藤雅志が呟いた。「たかが骨接じゃあ、動機が弱すぎるよなあ」
「僕も、そう思う。じゃ、これパスね」
僕はそう言うと、手の中のメモをちゃぶ台の上に置き、ニ枚目を取り上げた。今度は、『ウィーク・エンダー』風に読み始める。
「第二の容疑者、利根川進、二十九歳。ファイルによりますと、昭和五十九年二月十日、ゲレンデを滑走中の彼は、いきなり、横から、小栗一・二十三歳にぶつけられ、転倒。左腕を折ったそう―――です」
「で、その小栗ってのは?」
「過失傷外で、書類送検されて、賠償金七十五万円を払わされたそう―――です」
「警察が介入しているなら、利根川さんは、まず白だ」
伊藤雅志は、そう言いながら、茶を入れてくれた。僕は、それで喉を潤すと、三枚目を読み上げた。
「第三の容疑者、水上貞雄、四十五歳―――あ、駄目だ、こりゃ」途中で、僕はメモを放り出してしまった。「この人じゃ、ありえないよ」
「どうしてさ?」と伊藤雅志。落ちたメモを取り上げる。「第一印象だけで、容疑者を取り消すのは、良策とは言えないぜ…」そう言いながら、メモを読んだ。「あっ」
「判ったかな?」
「なんてこったい、よく読んでみると、『キリー』を着ていたのは、被害者本人じゃないか」
「だろ?」
うん、と、伊藤雅志は頷いた。「これもパスだ」
「じゃあ、最後の一枚、いくぞ」
僕は、最後の一枚を取り上げた。「え一っと、名前は藤田信一、三十九歳。昭和五十九年一月二十日、『キリー』のスキーウェアを着た男と、彼の一人息子が、接触事故。少年は、頸骨骨接で、四時間後に死亡」
「ひでェなあ…」
「犯人は逃走。線(非常警戒線)も突破され二日で捜査は打ち切り…」
「たった二日で打ち切りかよ」
「どうせ、線なんかロクに張らずに、打ち切っちまったんだろう。どの道、日本中のスキーヤーが集まってくる所だ、『キリー』を着ている人だって、ゴマンといるだろうし、もともと捕えるのは不可能に近いよ」
「そうかなァ…」
伊藤雅志は、まだ納得しかねるようであったが、今は、警察の怠惰さを責めている時間はない。そもそも、その怠惰さ故に、今、僕らは、こうして一日、スキーを断念して、苦労をしているのである。僕は、言った。
「この人には、完壁な動機があるぞ」
「―――う、うん。そうだな」伊藤雅志も、気を取り直した。「一人息子を殺されて、逃げられたんじゃあ、実際の話、怨み骨髄ってところだろうなぁ」
「全くだ…。よし、明日は、朝一番で、この人の所へ行こう」
「行って、どうするんだ?」
「もし、彼が真犯人だったら、自首させるか、こんなことは、もう止めさせる」
「それにしても、何も『キリー』を着ている者全てを目の仇にすることはないと思うんだけどなあ…」
そう呟く伊藤雅志に、僕は枕をぶつけた。
「とにかく、全ては明日だ。彼は、モイワのふもとで、ペンション『セルデン』を経営しているそうだから、とりあえず、客のいなくなる、午前十時頃に押しかけよう。上手く行けば、明日の昼には、事件は解決さ」
「あれっ!?おかしいなァ…。確かに、ここらだと思ったんだけどなァ」
翌朝、僕らは、ファミリアを駆って、モイワのふもとまでやって来たのだが……。
『セルデン』があるはずの場所は、小さな駐車場であった。『セルデン』は、影も形もない。
「場所、間違えたんとちゃうか~?」
僕は、少々皮肉を込めて、冗談を言ったつもりだった。しかし、伊藤雅志はムキになった。
「絶対に、ここで間違いないハズなんだ!『虻田郡ニセコ町ニセコ、電話53一33XX』っていうと、このあたりになるんだ!」
「判った判った。とにかく、『セルデン』が、ここにないっていうのは、事実なわけだよ」
「そうだよなァ、ない物は、ないよなァ」伊藤雅志はそう言うと、ダッシュボードを開けた。中には、昨日、容疑者として挙げた4人―――一人はずしたから三人―――のメモが入っている。「―――もう一人、当たりそうな人がいただろう……えーっと、…あ、あった、これだ。川瀬正高。この人のところへ行ってみようか?この人は、ニセコ町宮田に住んでいるから、行こうと思えば、すぐ行けるぜ」
「いや」僕は、ちょっと考えてから言った。「近所の人に、何か訊いてみるのも、悪くないんじゃないかな。『捜査は訊き込みが一番』って、かの露ロ茂――ヤマさん――だって言っているじゃないか」
「そんなこと、言ってたっけな?」
首をひねる伊藤雅志を置いて、僕はファミリアを降りた。
駐車場の隣に建っているロッジ『ハイクローツ』に当たってみることにした。出て来たのは、オーナーの奥さんで、この奥さんが、また美人。年齢は三十八だそうだが、十は若く見える。ここへ来て、もう八年になるのだそうだ。
この奥さん、美人なのはいいのだが、大変世話好きで、その上お喋りであった。コーヒーとお茶を一度に出し、山のように菓子を積み上げ、時節の挨拶に四十分も費してしまった。しかし、伊藤雅志の巧みな話術のおかげで、なんとか、話の本筋に入ることが出来た。
「隣りの駐車場、ありますね」僕は、『白い恋人』をコーヒーで呑み下すと、話に入った。「あそこに、『セルデン』ってロッジが、ありませんでしたか?」
「ええ、ありましたよ。小ぎれいで、いい宿でしたよ。大学のサークルの人たちが、ちょくちょく利用してましてねぇ…」
「それで、『セルデン』は、今、どうなっているんですか?」
「実はねェ…、ご不幸があって、店を閉めてしまいましてねェ…」ここで、奥さんは、身を乗り出した。「そのご不幸ってのがねェ…」
「お子さんが、亡くなられた」
「そうなのよ。それも、スキーヤーにぶつけられて。なにしろ、あの藤田さんご夫婦ときたら、ー粒種だったもんですから、まァそれこそ、目の中に入れても痛くない、というくらいの可愛いがり様でしたからねェ。でもね、ご不幸っていうのは、それだけじゃないのよ」
「ほかにも、何か?」と伊藤雅志。
「ええ、あのぼっちゃんが亡くなってから、急に奥さんの具合が悪くなって、倒れてしまったのね。それで、一週間昏睡状態のままで、そのまま、眼をさますこともなく、逝ってしまったの。それで、藤田さんは、宿をたたんでしまった、というわけ」
「なるほど」僕は呟くと、コーヒーをーロ飲んで続けた。「で、今、藤田さんは、何処に住んでいるか、判りますか?」
「全然。ここから姿を消したっきりで。全く音沙汰ないんですよ」
「そうですか。―――どうも、ありがとうございました」僕と、伊藤雅志は、頭を下げた。「お騒がせしました」
「いえいえ、こちらこそ」
北海道の女性は、あったかい人が多い、いうのは通説だが、この奥さまは、少々行きすぎのようだ。なにしろ―――。
「いやあ、まいったまいった。いくら美人でも、あんまり世話好きでお喋りってのは、ちょっと困りものだな」
伊藤雅志は、かがみ込みながら、言った。なにしろ、彼も僕も、お菓子やらワインやらで両手が一杯で、地面に物を置かないと、車のドアすら開けられない状態なのである。
ドアを開け、菓子類をリアシートに放り込むと、僕は言った。
「いいのかな、こんなにたくさんもらっちゃって」
「いいさいいさ。今日の夜は、このお菓子を、あの女子大生に『プレゼントです』なんつって、渡してさ…」
「その前に」僕は、声を高くして、伊藤雅志にくぎを刺した。「今は、それどころじゃないだろう。―――さっきのお喋り美人妻の話によると、ロッジ『セルデン』のオーナーであった藤田信一は、『キリー』によって、溺愛していたー粒種の息子を失い、さらに、それがもとで、奥さんまで亡くしている…」
「うーむ、こりゃ、川瀬なんとかなんぞ、足元にもおよばない、憎悪を抱いているだろうな」
「とにかく、彼の居場所をつきとめなきゃ。―――今度は町役場だ」
「OK」
フルタイム4WDは、うなりを上げてUターンした。
「全く、何も僕らに怒ることないだろうに…」
僕らは、ニセコ町役場の正面玄関から、憤然として出て来た。
僕らは、藤田の居場所を調べるべく、町役場へやって来たわけだが、係のおっさんがえらく態度のでかい奴で、こちらの質問には一言、吐き捨てるように答えただけで、後は延々と、藤田さんは税金を払わないとか、光熱費が未納だとか、何だかんだと苦情を並べ立ててくれた。訛りがほとんどなかったから、おそらく彼は、札幌あたりから『左遷』されたのだろう。
「藤田氏の事で、なして俺らがガミガミ言われなきゃならんよ」
「んだ」
随分長い間まくし立てられたので、伊藤雅志も僕も、思わず北海道弁が染ってしまった。
「と、とにかく」と伊藤雅志。アクセントが、遠州弁に戻った。「藤田氏の居場所は判らない、というわけだ」
「それにしても」と僕。僕は、六年程北海道民だったから、アクセントもそのままである。「近所はともかく、役場にさえ届出をしてないなんて、やっぱり、そうとうショックが大きかったんだベなァ」
「だべなァ、じゃないよ。藤田氏に逢うにも、手掛かりゼロだぜ」
「うん、そっだな。手掛かりが一つも無いな」
「どうするんだ、一体」
「―――実は、一つだけ、藤田さんに逢える方法があるんだ」
僕は、奥歯にものをはさんだような言い方をした。
「どんな…」
言いかけた伊藤雅志は、僕の言葉のウラに隠された含みに、気がついた。
「…!ま、まさか。お前、まさか俺を…」
「そっ、エサに使う」
「じょ、冗談言うな!俺は『キリー』みたいに、右足切断なんて、なりたくないぜ!」
「じゃあ、せっかくここまで来たのに、あきらめちまうのけ?」
「ぐっ…」
伊藤雅志は、言葉に詰まった。彼だって、あと一歩、というところでやめたくはないのだ。僕は、追いうちを掛ける。
「もし、君がエサになれば、藤田氏を見つけることも出来るし、これ以上の被害者を出さなくても済むんだ」
「しかし…」伊藤雅志は、最後の反撃を試みた。「素人が、これ以上介入するのは、危険だよ。ここはやっぱり、本職の警察にまかせようぜ」
「彼は一度、警察に裏切られているんだ。そんな彼を、警察に追い回させる、というのは、あまりに哀れだよ。それに……」
僕はー度、言葉を切った。伊藤雅志に、決定打を溶びせるためだ。たっぷり間をおいて、僕は再び口を開いた。
「僕らの手で解決したくないのかい?」
「うーー」
「呑み会の時の誓いを忘れたか」
「うー一」
と、いうわけで結局、伊藤雅志は、自らエサになることを承知した。
僕らは宿に戻ると、早速スキーウェアに着替えて、ゲレンデに急行した。
6人乗り高速ゴンドラに乗り込んだ時、伊藤雅志が、周りの人には聞こえないくらいの声で、僕に囁いた。
「死んだら、化けて出てやるからな」
ゴンドラを降りた僕らは、パノラマコースを滑り降り、ノンストップで、ジュニアコースへと滑り込んだ。
僕も、伊藤雅志も、スキーなどどうでもよかった。二人とも、全身を耳にして、前回の事件の直前に、僕が聴いた『ギターの弦を弾くような音』を聴き逃すまいとしていたのだ。
すると……。
聴こえた。あの音だ。伊藤雅志も聴こえたようだ。
「伊藤さん」
「わかってる」
僕らは、今までやっていたウェーデルンを止め、クロウチングスタイルとなり、ストックを盾代わりとして、自分の前に突き出した。僕が、前回突作にやって、九死に一生を得た、あの方法である。
クロウチングの直滑降は、未経験者には想像もつかないほど、スピードが出る。万全の体勢で突っ込んで行けば、ピアノ線など、ひとたまりもない。鋭い音を発して切れた。手ごたえがあったのと同時に、僕らは、急制動をかけ、止まった。
「藤田さん」
僕は、姿の見えない彼に向かって、呼びかけた。声の届く範囲にいることは、判っているのだ。
「藤田さん。僕の話を聞いて下さい。確かに、あなたは三年前に、『キリー』のスキーウェアを着た男に、一人息子を殺され、それがもとで、奥さんにまで死なれて、さぞ悲しかっただろうと思います。しかし、だからといって、『キリー』の男を、目の仇にしたって、何の意味もありませんよ。むしろ、あなたの息子さんや奥さんは、きっと悲しんでいらっしゃるでしょう」
僕は、ー気にそう言うと、言葉を切って、相手の反応を窺った。何の反応もないが、立ち去っていないことだけは確かだ。エゾ松の向こう側に、気配がある。僕は続けた。
「あなたは息子さんの復讐をしているつもりなのでしょうが、それは間違っています。復讐では、死者の心は安らぎませんよ。それよりも、あなたが心を込めて二人を弔った方が、ずっと、二人のためになります。どうですか?僕達は、警察に訴える気はありません。どうか、あなたも、このような行為はもう止めて……」
僕の長弁舌は、雷のような轟音によって、断ち切られた。僕の左側に、突然雪煙が上がった。
「おい。相手は銃を持ってるぜ」
僕の右側にいる伊藤雅志が、小さい声で言った。
と、僕らの右手から、一人の男が出て来た。相当年代ものの『ブルーインパルス』のジャケットを着て、青いオーバーズボンをはいている。手には、『レミントン』の12ゲージ・ショットガンが握られている。
僕らは初めて、藤田信一の顔を見た。帽子はかぶっていない。山親父のように、髭も髪も伸び放題である。
僕は、彼の眼を見た。瞳孔が開き切っている。確か、狂犬病の犬が、そんな眼をしていた。
「伊藤さん、こりゃ、話し合いの余地は無さそうだぞ」僕は、目は藤田氏に向けたまま、言った。「完全にプッツンしてるぞ」
「こりゃ、逃げるしかないな」
「うん。一、二の三で、二手に分かれて、林の中に入ろう、離れていれば、一度に二人とも、やられてしまうことはない」
「判った」
「いくぞ。一、二の三!」
僕と、伊藤雅志はパッと左右に別れると、それぞれ藤田の左右をすり抜けて、林の中へと飛び込んだ。今まで僕らのいた場所に、轟音とともに雪煙が上がった。
この林は、斜面になっていて、山頂から続いている沢筋へと降りている。コースの外であるので、積もったままの雪と、林立する木のお陰で、相当滑り難いが、ゲレンデよりも見通しが悪いため、狙撃されずに済む。
僕と伊藤雅志は、沢の底でおち会った。
「まいたかな?」
伊藤雅志が呟くのと同時に、轟音が鳴り響き、僕らの頭の上に、枝と雪とがドサリと落ちて来た。
位置を変え、そこで一息ついたが、またも、銃声が鳴り響いた。一度も発も。そのうち1発は、僕に散弾が直撃した。幸い、距離があったのだろう、僕に当たった散弾には、殺傷力はなかった。
そして、パタリと銃声がやんだ。銃声は、まだ山中に谺している。
「やっこさん、あきらめてくれたかな?」と伊藤雅志。
「そうだといいけどね」僕も呟く。
僕らは、30分近く、身じろぎもせずに、相手の動きを待った。しかし、相手の動く気配はない。それどころか、彼がいる、という気配さえない。
「どうやら、いなくなったようだな」
「確かめてみようか」
伊藤雅志と僕は、互いに言い合うと、沢の一番底の部分へと降りて来た。ここは、山頂から左にカーブしてはいるが、ほぼ一直線、全く障害物がない。つまり、上からも、下からも、まる見えなのである。それはこちらにも言えることで、沢全体が見渡せる。
「どうやら、本当にいなくなっちまったようだな」
伊藤雅志が、呟いた。僕も溜息を絞り出す。
「助かったか」
が、僕らの考えは、甘かった。突然、二発の銃声とともに、僕らの手前三メートルほどの所の雪がはじけ飛び、僕らにふりかかった。
僕らは、恐る恐る、斜面の上を見た。
いた。
二十メートルほど上にいる。
「だめだ、この距離じゃ、逃げられん」
僕は呟いた。二十メートルなら、散弾はまだ十分殺傷力を持っている。しかも、散弾のパターンが大きく広がるので、左右に逃げても、二人とも弾を喰らってしまうのである。
「ほらみろ。やっぱり化けて出てやるからな」
そう言う伊藤雅志の言葉を、僕は聞いていなかった。先ほどの銃声の谺が、消えないのである。いや、かえってさっきより、音が大きくなっている。
藤田も、不審に思ったのだろう。僕らを警戒しつつも、上を見上げる。
その時である。
なかなか鳴り止まなかった音が、強大な地鳴りに変化した。足許の雪面が、波のように揺れる。そして、山頂付近から、巨大な雪煙が押し寄せて来た。
「雪崩だ!伊藤さん、直滑降だ!」
僕は、轟音に負けじと叫ぶと、素早く向きを換えて、クロウチングで直滑降に入った。伊藤雅志もついて来る。
「一体どうするんだ!?」
僕の横に並んで、伊藤雅志が叫んだ。僕も叫ぶ。
「スピードをつけて、横の斜面を一気に登るんだ!」
僕は叫びながら、チラリと後ろを見た。藤田も、直滑降で振り切ろうとしているようだ。
「よし、登るぞ!」
僕は叫ぶと、右に曲がっている沢のシュプールを無視して、正面の斜面を一気に登った。猛スピードが出ていたので、五十メートルほど登ることが出来た。
「木につかまるんだ!早く!」
僕は叫ぶと、木にしがみついた。伊藤雅志も、あわてて同じ行動をとる。
その時、藤田が、僕らと同じ目的でこの斜面に突っ込んで来た。しかし彼は、斜面を登る直前で、膨大な雪の津波に呑まれた。
雪崩は、僕らからほんの二メートルほどのところで、ようやくベクトルが右へと向いた。雪崩は、僕らをかすめるようにして、流れて行く。僕らの斜面も、雪崩のエネルギーに共鳴して、上から雪がどんどん落ちてくるが、木にしがみついている僕らは、それに流されずに済んだ。
僕らは正に「九九九九死に一生を得た」のである。
警察での調書取りも終わり、僕らは宿に帰って来た。
「終わったーーっ!」
僕は叫んで、畳にゴロリと横になった。
「ちょっと藤田氏には哀れな気もするが、とにかく解決したんだ。『カマイタチ』は、もう起こらない」
そう言って、伊藤雅志も、ゴロリと横になった。
「あっ!」
突然、僕は大声を上げた。伊藤雅志が飛び上がる。
「なんだよ、突然大声出したりして」
「そう言えば、今日は二十四日――クリスマス・イブなんだな」
「あ、そうだったな。色々とあったから、忘れてた」
と、そこへノックの音。
「どなた?」と僕。
「私よ、裕子よ」
「あ、そうだったっけ」昨日、僕らが声をかけて、ディスコへ行く約束をした、あの女子大生達である。ちなみに、二人の名前は、裕子さんと、佐紀子さん、で、ある。伊藤雅志が裕子さん、僕が佐紀子さん、と、既にパートナーも決まっている。
「もうそろそろ、クリスマス前夜祭が始まっちゃうわよ」
「判った。すぐ行くから、ちょっと、外に出て、待っててくれる?着替えるから」
彼女たちを待たせている間に、僕らはいそいそとラフなスタイルに着替えをする。
僕は、着換えをしながら、これからの段取りを考えていた。
まず、ディスコで踊って、その後はバーにでも行って、今回の推理劇を肴に肴に酒でも飲んで、二人でほろ酔いになったところで……。
僕は思わずニヤついて、伊藤雅志を見ると、彼も同じようにニヤついていた。
「おい、伊藤さん、もしかして……」
「俺達、同じこと考えてたのかな……」
僕と、伊藤雅志は、お互い顔を見合わせた。次の瞬間、僕らは大笑いをしながら、部屋を出た。
――クリスマスイブの夜も更けて――
終わり
※この物語はフィクションである。
1988年作品
2016年10月17日改訂