異空間
どこまでも続く真っ白な空間。どこが天井でどこが床かもわからない。
遠くを捉えようようとすると、脳の想像の限界を超え、内側から破壊されるような感覚に襲われる。
私がこの奇妙で不愉快な空間に来るのは二度目――、前回の“ゲーム”の勝利宣言をされて以来だ。
「柚子葉ちゃん、元気?」
「ヘンタイ先輩」
先輩はまるでパっと電球が光るように、突然私の前に姿を現した。
彼は白い着物に赤く染め上げられた絹の帯を巻いた簡素な格好だったが、普段見ない服装のせいかどこか神秘的な印象を受けた。
常日頃から浮世離れした雰囲気があるが、白い着物とこの場所の特殊さが彼を神らしく見せているのかもしれない。
「何ですかいきなり、こんな所に呼びつけたりなんかして」
「灰桜鴇と会ったようだからね、俺を含めた神々から君に勝利条件の説明がある」
「戦を食い止める以外にまだ何かあるのですか?」
「勿論だ」
「えー」
「『えー』じゃない。君のためにこの舞台を用意するのにどれだけの労力がかかったと思っているのだ。神々は柚子葉ちゃんの事をゲームの駒として偉く気に入っているし、遊び道具として期待しているのだよ」
道具か……。神にとっては矮小な人間など、その程度のものなのだろう。
むしろ道具として見られているだけ有難いのかもしれない。
「迷惑な話ですね」
「柚子葉ちゃん、自分が無茶なお願いしたって自覚ある? 柚子葉ちゃんの頼みじゃなかったら俺絶対聞いてないからね」
「光里でも?」
「うっ、それはそれ。ともかく俺を含めて八百万の神総動員でそれはそれは長時間掛けて準備したの。労働に見合った成果を神々だって期待をしているのだよ」
要はこの世界の今の状況は、私のための盤面というわけか。
そう考えると、渡と命が結ばれた事や鴇と偶然再会した事も、ある意味神の導きによるものなのかと思ってしまう。
「それで、私はどうすればいいのですか?」
「灰桜鴇、蘇芳真朱、杜若瑠璃。もし彼等を生かしたかったら彼等自身が強く元の世界に戻りたいと願うしかない」
「強く願う?」
「そう。柚子葉ちゃん以外の彼等はこの世界では長く生きていけないようになっている。いずれ衰弱して死ぬ事になるだろうね。俺はそれでもいいけど」
「そんな!」
私が戦を止めて、最終的に誰か一人死ねばそれで解決という単純な話ではないようだ。
先輩は私へぐいっと近づき、屈んで私の顔を覗き込んだ。ヘンタイ先輩の左右で少し色が異なる神秘的な瞳が、私を捕まえ、縛り付けた。
こうなると私は彼から目が離せなくなる。
センパイの事は、今は好きでも何でもないけど、やっぱり魅力的な人だと思う。絶対本人には言わないけれど。
「柚子葉ちゃんのやる事は、彼等を説得し元の世界に強く戻りたいと思わせる事」
「だから、先輩は彼等のことを調べろと言ったのですね」
先輩は人差し指を口元にあて、秘密だよと言うようにウィンクをした。
どうやら、先輩は私のためにギリギリのところでヒントを出してくれていたようだ。
「ヘンタイ先輩、ありがとうございます」
「俺は柚子葉ちゃんが幸せになるためなら、何でもするって決めてるからね」
その時、先輩が私を通して誰かを見ているような気がした。
でも、今それを口にするのは野暮だろう。
私は気が付かないふりをし、再度先輩にお礼を言った。
「私がやるべき事は、戦を止めつつ、みんなを見つけ出し、元の世界に戻りたいと思うように誘導する事ですね」
「それと、最後に空を殺す事だ。空がもし自殺したらその死は無効になる。必ず戦った上で命を勝ち取る事。もし自殺したら他の誰かが死ななければ帰れなくなるから気を付けて」
「わかってますよ。自殺なんかされたらゲームが面白くないですものね」
「そう言う事。後この事は君以外の誰にも言えないようになってるから」
やる事が多過ぎる気がするが、神様に無茶なお願いをしたのだから、それに見合った労働が発生するのは仕方がないだろう。
「わかりました、皆んなを集めて最後に杜若先輩を殺します」
「俺は立場上柚子葉ちゃんを手伝えないけど、君のことを最大限に応援しているよ」
「それは、心強いです」
自分の事を見守って信じてくれている人がいる。
それだけで私はこのゲームを勝ち抜いてやろうという闘志が燃え上がってくるものだ。
それがどんな人だろうと。
「じゃあ、柚子葉ちゃん。そろそろ時間だ」
先輩は私から一歩離れた。
「あの、先輩。最後に一つ聞きたい事があるのですが……」
「ん? 何でも答えるよ」
包み込むような優しい瞳で私を見る先輩に、私は先ほどからずっと気になっていた疑問をぶつけた。
「ヘンタイ神って先輩のことですか?」
ヘンタイ先輩の顔がみるみると赤くなる。
「ち、違うから! いや……確かに俺の事なんだけど、あんな変な信仰頼んでないから! あそこの村人が勝手にやっているだけで、俺は許可も推奨もしていないし、神のルールで手出しも口出しも出来ないわけで!! あー、最悪だ」
先輩は叫びながら、しゃがみ込んでワカメみたいな髪をワシャワシャと両手で掻き回した。
こんなに取り乱すヘンタイ先輩を初めてみたかもしれない。
「先輩はこっちの世界でもヘンタイ呼びされているのですね」
「あぁ、それは色々あって……別に俺がそう呼べとお願いしたわけじゃないのだけど」
悔しそうに、下唇を噛む先輩から悲哀を感じる。
先輩は先輩で苦労しているようだ。
「ともかく、俺はあの村とは関係ないから! それじゃあ本当にもう時間だから行くね」
その台詞を聞き終わったと同時に、私の意識は鴇と握手を交わした場面へと戻った。
気が狂いそうな白い空間はなく、青空の下の長閑な農村にほっと胸を撫で下ろす。
「唐金、大丈夫か? 一瞬意識飛んでた気がしたけど」
「ううん、大丈夫。ちょっと疲れが出たみたい」
「そうか、無理すんなよ。そうだ、今日はこの村で休め」
「ありがとう」
鴇は私を教祖に紹介すると言い、後を付いて来るように私を促した。
今気が付いたが、鴇とヘンタイ先輩の身長は同じくらいだろうか。
私は鴇の大きな背中を眺めながら、彼の五歩後ろを歩いた。




