柚子葉の長い一日③
「杜若先輩……」
壊れた天井から覗く空の姿はずっと化けていた夕霧のものではなく、元の杜若空の容姿に戻っていた。
少し気弱そうな少年は堂々と天井から降り立ち、周囲を見渡した。
突然の勇者の来訪にその場は皆凍り付いた。
空はあどけなく笑い、中指で己の唇を軽く二回叩いた。
「皆さんお久しぶりです。勇者です」
その場の皆が水仙にどうすればいいのか指示を求めるような視線を向けた。
当の水仙は様子を見るように勇者をじっと眺める。
鬼にとって勇者は喉から手が出る程求めていた存在だろう。しかし、すぐに手を出さないのは勇者の強さを計っているのかもしれない。
私はどう行動したらいいのかわからず、その場で考えあぐねていた。
空には協力したいけれど、鬼の皆も傷つけたくはない。
「雪羅……いや葵。やっと会えたね」
空は天井から現れた時からずっと泣きそうな顔で彼を見つめる少女へ呼びかけた。
葵は雪羅の本当の名前だ。葵と呼ばれ、雪羅は涙を流して顔を赤く染めた。
「葵。君が好きでもない男と結婚するだなんてやっぱり見ていられないよ」
雪羅の方を見ながら、空はゆっくりと歩いていく。彼は雪羅を攫いに来たのだろうか。
水仙は警戒し、立ち上がって雪羅の前を塞いだ。
「全員下がれ」
水仙はその場の者全てに手出しをしないように指示を出した。
我もと前へ出ようとした牡丹も水仙は制止し下がらせた。
空は不穏な様子も物ともせず雪羅だけを見つめ語りかける。どこか空の目に色がない気がするのは気のせいだろうか。
「でもね、葵。僕はどうしても君に恋する事ができない。僕の恋しい人は死んでしまったけれどこの想いは消す事ができないんだ」
雪羅は物悲しそうに空の話を聞いている。彼女も空の気持ちは理解した上で彼を愛していると言っていた。わかってはいても、はっきりと言われるのは切ないものであろう。
「それでも、君は僕を未だ想ってくれているのかな? 君の気持ちを教えて欲しい」
雪羅はただゆっくりと頷いた後、か細い声で「夕霧が好きよ」と言った。
空は満足そうに目を細めた。これで雪羅を攫う大義名分ができたということだろうか。
もし二人が映画さながら二人で結婚式から抜け出すなら、そっちを手伝いたいと思い、私はこっそりと二人を手伝えそうな位置に移動する。
「僕はずっと迷っていたんだ。君を愛せない僕といても君は幸せになれないし、そんな男といる君は見ていられない。けれど、君が好きでもない男と婚姻を結ぶのも見ていられないし、助けてあげたい。だから……」
空は瞬間移動のような素早さで移動し、雪羅の前に跪き彼女の手を取った。
「葵、一緒に死のう」
接近を許した水仙が焦り、魔法をかけようと空の方へ手をかざす。
私も“死”という言葉に反応し、彼を止めようと水圧を使い高速で飛びかかった。
咄嗟に横にいた桔梗が雪羅の手を引き、空は雪羅を掴み損ねる。
空は仕方なく一人で上方へ飛び、私達の攻撃を回避した。
「勇者を捕まえろ! なるべく殺さずだ」
水仙の命令を受けその場にいる戦える者全てが一斉に勇者へと飛び掛った。
私は雪羅と桔梗の元へと向かう。
「雪羅様、小三郎様、ご無事でいらっしゃいますか?」
「僕は平気だが、雪羅は……」
雪羅にも怪我はないようだが、精神的にはノーダメージとは行かないようだ。
放心状態で視線も覚束ない。
「僕も雪羅との結婚は政略的なものだし雪羅が男と逃げるならそれでもいいけど、流石に殺すのは違うだろう」
桔梗は雪羅を抱きながら、怒りを露わにした。私も空の意見は正直自分勝手過ぎると思う。
「雪羅様、ここは危険です逃げましょう」
私が手を差し出すも雪羅はそれを見つめるだけけで手を取ろうとしなかった。
雪羅は息を飲み込み、桔梗の腕をふりほどく。
彼女は見晴らしの良い所へ駆けだし、己の存在を示すかのように両手を広げ立ちはだかった。
薊が水仙の腕に抱かれ影響されたのもあるのだろうか。彼女はまともな判断を下せなくなっていた。
「空! 私はここよ」
攻撃を避けるばかりで逃げ回っていた空は雪羅に気が付き、彼女を真っ直ぐ見つめた。
間に合うか――私は全力で雪羅へ向かって飛んだ。雪羅の腕を思い切り引き彼女を桔梗の方へ飛ばす。
咄嗟に雪羅の立ち位置に出た私に空の魔法が襲い掛かった。
「っ!!!!」
ぐつぐつと沸き立つように血が煮えたぎる。
身体が焼けるように熱いこれは、前に真朱に掛けられた魔法と同じ金の魔法だろう。
私に魔法が降りかかった事に気が付き、空はすぐに魔法の発動をやめたのかすぐに身体の熱は引いていった。
空を見ると、彼は安堵の色を浮かべた。
良かった、私を心配する余裕があるということはまだ彼は正気が残っているようだ。
説得すれば応じてくれるかもしれない。
空に語り掛けようとしたその時、私の身体が再度熱くなる。
(また金の魔法――!?)
空を見るも彼は苦しむ私に驚き、彼を襲う鬼による無数の攻撃を避けながら周囲をキョロキョロと見渡している。
空ではない、ならば誰だ、ここで金の魔法を使える者は……。
以前、水仙の第二夫人の菊に聞いた事を思い出した。ここに金の魔法を使い熟せる者が一人いると。
そうだ、魔法に詳しい家系の菊はその魔法の使い手の研究も含めここへ嫁いで来たのではないのだろうか。
それなら、一人しかいないではないか。
私が見上げると、目の前に時の摂政が目の前にいた。
「殿下……」
鬼の国の権力者、時雨水仙は苦しむ私を見つめながら、笑っている。
どうにか反撃したいのに、身体のどこも動かない。熱い熱い熱い。
このまま熱で細胞が死に、沸騰死するのではないか。
意識が途切れ、全てが真っ黒に染まり死んだと思った瞬間――、水仙に髪を掴まれ思い切り腹部を殴られた。
腹部への痛みと共に急激な吐き気に襲われ、私は周囲に吐瀉物をまき散らした。
その吐瀉物はびちゃびちゃというさらなる悪心を催す音ではなく、重いものがゴトゴトといくつも落ちるような音だった。
喉が熱い、どこかに水はないかと縋るように思い薄っすらと目を開けると、目の前には数センチ程の大きさの金の塊が散らばっている。
金……? 何故私の足下に金が落ちている?
さらなる吐き気に襲われ、喉から固いものが迫り上ってくる。私の口から金の塊が一つ吐き出され落ちた。
これは、もしかして私の身体から出て来たものなのか。
人体から金が吐き出されるなんて誰が想像するだろう。
水仙が金の塊を一つ手に取り、それを天高くかざす。
普通と見た目は違うとは言えゲロ目立たせるとか恥ずかしいから本当にやめてくれ。
しかし、私は今それを訴える力を持っていない。水仙に腕を掴まれ立っているのがやっとなのだから。
水仙は金を見せつけながら、その場にいる部下全員に再度指示を出す。
「金のなる木は彼女だ! 勇者は用済みだ、殺して良い」
鬼共が一旦それに釘付になった後に歓声を上げた。
空に対する攻撃が先程までの遠慮がちなものから、全力の攻めへと切り替わる。
皆が皆勇者を殺そうと襲い掛かる。
とてもじゃないが、今から雪羅に手を出すなんてことは無理だろう。
私は目の前の水仙へ視線を移した。水仙は最高に気分が良いという顔をした。
「金の魔法は耐性がないものは一瞬で破裂してしまう魔法だ。先程勇者の魔法に耐えたからまさかと思ったが君がそうだとはね……」
「金の魔法……」
「異世界から来た者のさらにほんの一部の者にしか耐える事が出来ないものだ。我々は勇者がそれだと思っていたがまさか“掃除婦”だなんてな。予備として取っておいて正解だった」
「……話が見えないのですが」
「柚子葉さん。私達のために金製造機になってくれないか?」
無理です。
こんな苦しみ何回も味わうとか無理です。お断りします。
声が出せないため、睨むことで返事をした。
私は水仙の足下にワックス床をこっそりと作り、そこに剥離剤を流した。
久々登場滑る床だ。
掴まれた腕を思い切り引っ張ると、剥離剤を踏んだ水仙が足を滑らせ思い切りコケる。
私が水仙から逃げようとすると、目の前に牡丹が立ちはだかった。
「柚子葉。別に俺たちはお前を殺そうというわけじゃない。そう怖がるな」
「苦しい思いした上に腹パンされるとか人生で一回で十分です」
「仕方ないな」
牡丹が私に対し刀を向けると、突然、牡丹の身体が横に飛んだ。
視界の中心にいた牡丹が消え、代わりに金雀枝が現れた。
金雀枝が思い切り牡丹に体当たりしたようだ。
「柚子葉逃げろ!」
「内府、ありがとうございます」
金雀枝が牡丹を引き留めているうちに私は空の元へと向かった。
さすがに空を置き去りにしてここから逃げるわけにはいかない。
さらにここから逃げ出せても私室に置き去りにしている渡も回収しないとならないだろう。
空がぶち壊した天井の穴には弓兵がおり、そこから勇者を狙っている。
あの穴から逃げるのは無理そうだ。やはり出入り口から逃げるしかないだろう。
私は一直線に天井へと飛び、今まで無限に物が入る道具袋に溜めて置いた妖の死体をまき散らした。
頭上から降ってくる肉塊に地上の兵士は集中がそがれ攻撃の手が止まる。
その隙に私はワックスと剥離剤で滑る床を再度作りだした。
私は掃除婦の特性で剥離剤で滑ることはない。
兵士と同じく床に足がもつれた空の元へ駆けつけた。
「唐金さん、僕を置いて逃げろ。君が逃げるまでは時間を稼ぐ」
「嫌です!」
「それなら、雪羅を殺してしまおうか」
「杜若先輩は雪羅様を殺しません。貴方の目的は何ですか?」
あの後考えたのだが、空は一度も本気で雪羅を殺そうとはしていなかった。
金の魔法の発動位置だって私があの場に飛び出していなかったら雪羅にも誰にも当たらない位置だった。
誰も彼も即死させることができる金の魔法を使い、偶然狙いを外したとなれば本気の殺意は周囲に伝わる。それを私が邪魔をしてしまったのだ。
「唐金さんは鋭いね。一つは雪羅に嫌われたかった、今は無理でも長い目を見て冷静になった彼女にあんな男と一緒にいなくて良かったと思ってもらいたかった。あと一つは薊が鬼に食い殺されたという事実を消したかったのだ。僕がここで暴れれば外的には僕の手によって殺されたということにもできる。薊が殺されるまでに間に合えば一番良かったのだけれど侵入が難しくてね……」
「薊? 薊に何があるのですか?」
そこで私達の元へ火弓が向かってくる。今は悠長に話している場合ではなかった。
私達の行動が遅れ、避けきれないと思った時――火柱が立ちその弓がかき消される。
視界の端で菊がウィンクしているのが見える。どうやら彼女がこっそりと助けてくれたようだ。
私は彼女に心の中で感謝する。
「唐金さん、ともかく君は逃げろ」
「嫌です……先輩が死んだら私……また一人になってしまいます」
空を涙ながらに見ると、彼は私に憐れみを向けた。
「ごめん、ここを脱出するまでは付き合うけれど、その後は別行動だ。一緒にいれば狙われる。僕は君に被害が及ばないように動き続けることを約束しよう。大丈夫、まだ死ぬつもりはない」
「なら脱出までは共闘ですね」
さすが、鬼の城。手練れが多く、才能はあるが戦闘経験の浅い私達二人では攻撃を防ぐのが精一杯だ。
ここから正攻法で逃げるのは難しいだろう。
私の誰でも一瞬で殺すことができる技で全滅させることは出来るけれど、正直皆殺しはしたくない。ここには仕事で世話になった人も多いのだ。
けれどそれなしでは突破は不可能だろう。
ならば――被害者はなるべく少なく、私は大きく息を吸い込んだ。
「みなさーん! 私はこの場にいる生き物すべてを一瞬で殺すことが出来ます! 一瞬です、抵抗不可です」
私達を攻めていた鬼の全ての動きが止まった。
私の言葉が真実かそうでないか疑ってはいるが、異世界から来た人間だからあり得ないとは言い切れないのだろう。全員ひとまず大人しくなった。
「今から私に近づいたり、攻撃してきた方は容赦なく屠ります。なので絶対にそこから動かないでください」
「唐金さん……君は」
鬼は様子見をしている、あとは空と二人で脱出するだけだ。
私達が出入り口の扉へ辿り着きた時、金雀枝を振りほどいた牡丹がこちらへ駆けて来た。
彼は私の言葉を信じなかったようだ。
「柚子葉。その言葉偽りないかどうかこの俺で試してみろ」
牡丹が私へ本気で斬りかかってくる。
鬼の皆は良くしてくれたし恩は返したいけれど、ここで捕らえられて生涯、金を生成して死ぬわけにはいかないのだ。
私は仲間達を虐殺した真犯人を捕まえなければならない。
殺すしかないのか。
殺すしかないだろう。
一人殺せば、私達の命は保障される。殺さなければここで生け捕り。
ならば答えは一つしかない。
牡丹は計算があったとはいえ私に最大限親切にしてくれたと思うし、少し抜けてるところもありとても親しみやすい鬼だった。
けれど、さようなら、牡丹。
私が殺意を持って彼を見ようとした時、右肩を風が通り抜けた。




