しばし共に……
私が白銀雪殿にある自室へ帰ると、「ああ……」と生返事をしながら渡は死んだ魚の目で私を迎え入れた。
渡の想い人の鬼の姫の正体が判明し、それが相当ショックだったようでここの所彼の元気がないのである。
こればかりは渡に同情する。
なにせ姫だと思っていた相手の正体は時雨桔梗――“男”だったのだから。
これでも回復した方で、片想いの相手が男と知った時の渡の落ち込みようはすごく「玉の輿……」と繰り返しぼやきながら一日中項垂れていた。
その時の独り言から、渡が玉の輿狙いと知って私は少しショックを受けたけれど、住んでる世界が違うので渡とどうこうなる気はないし、ひっそり好きでいるだけならあまり関係ないよねと私は持ち直したのだった。
「柚子葉殿は今日は何をしていたのでござるか?」
「真朱君と夕霧に会ってきた」
「何故一人で!? 危ないでござる」
「ごめんね、一人で来いって言われていて……」
「ん? 柚子葉殿、血が……」
渡が私に付着した返り血の存在に気が付く。
そういえば返り血を浴びていたのだった。血の臭いもするだろうしお風呂に入らなければいけないな。
「大丈夫だよ渡。これは私の血じゃないから」
渡は察するものがあったのか気の毒そうに、私に憐れみの目を向けた。
今はとてもじゃないけれど、私の身に合ったことを話せる気分ではない。
その日は渡に何も打ち明けずにそのまま布団に潜って寝た。
その後、私が渡に今日合ったことを話せるようになるまで三日を要した。
起こった事を話している最中、私は何度も泣いてしまい上手く話すことができなかったが、渡は私の支離滅裂な説明を拾い上げ正しく理解してくれた。
渡の賢さに感心するのと同時に、私の馬鹿さ加減に嫌気が差す。
何故自分はこうも愚かなのだろう。
泣けるような立場でもないのに泣いて、優しさに甘えて関係ない渡も巻き込んで、本当に最低の人間だ。
ダメだ。
このままではいけない。異世界で一人で生きていくために強くならないと。
私は決心しなければならない時が来たのかもしれない。
「ねぇ、渡……」
「何でござるか?」
「そろそろお別れしない? 渡は仕事があるんだよね。片想いの姫も結局小三郎様だったし帰った方がいいんじゃないかな」
「……柚子葉殿」
渡は少しムッとして、私の頭を軽くチョップした。
「な、なによ……人が真剣なのに」
「拙者がこんな状態の柚子葉殿を置いて行くわけないでござろう」
「でも……渡は偉い人なのでしょう」
「それは、柚子葉殿が気にする事ではないでござるよ」
「今更だけど、私はこれ以上、渡に迷惑は掛けたくない」
私の今の状況はあまりにも不安定である。
仲間との再会が一つの目的だったが、それも適わなくなってしまい、自分がどこに向かっているのか、どこへ向かえばいいのかすらわからないのだ。
仲間が来ないのであれば鬼ヶ島に留まる理由すらない。
今までは渡には片想いの相手を探すという目的がありここに滞在する理由にもなっていたが、それすらなくなってしまった今彼を拘束する理由は何一つない。
それに私は恩は返しがしたいからまだしばらくはここで働く気ではいるけれど、いつかは仲間達を殺した犯人を特定し何かしらの制裁を与えたいと思っている。
そんな危険な橋を渡るのは自分一人で充分だ。
「柚子葉殿……拙者の主である輝夜姫は少し帰りが遅いくらいで首を切るような真似はしないでござるよ」
「そうなの?」
「拙者は輝夜姫の服を何回剥いても首にはならなかった男でござる。不在が続くくらい今更何か言うお人ではござらん」
「えっ服を……!? ああ……そういえばそう言う体質だったね」
そうだ、渡はラッキースケベ属性持ちだった。
最近あまり見かけないから忘れていた。
渡は自信満々に胸を反らしているけれど、全然自慢にならないのだけれど。
「ん……でも、ありがとう。じゃあ迷惑にならない程度にもう少し傍にいてくれる」
「勿論でござる」
渡は笑って、私の手を握った。
もう少しこの人に甘えてもいいのだろうか。
さすがに私の復讐に付き合わせるつもりはないけれど、ここで働いて恩を返す間だけなら危険もないだろうしいいのかな……。
躊躇いながらも、私は渡の手を握り返した。
※
柚子葉が寝静まった後、渡は一人屋敷を抜け出していた。
小さくなって移動すれば誰も渡を見つけることなど出来ないため脱出は容易だった。
渡のこの体質は一般的なものではない。例外中の例外である小さくなる人間になど警備は対応していないのだ。
渡が指定の場所へ辿り着くと、桃次郎が闇から現れた。
桃次郎は渡を見て怪しく微笑んだ。
普段絶対にしない部下の表情に渡は居心地の悪さを感じた。
「やっと来たか」
「遅くなりました。姫が桃次郎の身体を使うだなんて余程ですね」
「依代に使っていた器がこの前壊されてしまってね。まあ……仕方なく」
渡の目の前にいるのは渡の直接の上司であり、人の国を治める王輝夜の意思だった。
輝夜は身体を乗っ取る腕飾りを付けている者の身体を自由に動かす事ができる。
渡達親衛隊は報告や命令等を潤滑に行うため、輝夜に身体を貸せるように常に腕飾りを持ち歩いていた。
輝夜からの要請があればそれを装着し、彼女に身体を貸すのが決まりだ。
わかってはいるのだが、渡は桃次郎の身体に傅く事に不快感を感じずにはいられなかった。
「して、何用でしょう。手紙ではなく直接伝える必要がある程重要なことなのでしょうか」
「ああ」
輝夜は桃次郎の顔で、狂気を纏うような笑顔を作った。
口は笑ってはいるが目は憎しみを帯びている。
「渡に観察してもらっていた柚子葉という女だが……」
「何でしょう」
渡は嫌な空気を感じた。この先を聞かずに逃げ出してしまいたくなる。
「殺せ」
聞かなければよかった、そう渡が今更後悔しても仕方がない。上司の命令に逆らうなど渡には出来ないのだから。
「……理由を聞いてもいいでしょうか」
「そんなの私の目指すところの邪魔になるからよ。命令よ、必ず殺しなさい」
「柚子葉殿は強い。そう簡単に殺すなど出来ません」
「貴方だって強いでしょう。だから貴方を雇っているの。まあ期間はある程度設けてもいいわ、けれど必ず殺しなさい」
輝夜は完全にヒステリーを起こしている。こうなっては誰も止めることなど出来ない。
渡は目を閉じ、数秒何かを考えるように沈黙した。そして……
「……かしこまりました。彼女が隙を見せたらその時に――」
「よろしい」
満足そうに仰け反ると、輝夜は桃次郎の身体から出て行ったようだ。
桃次郎はふらりと体勢を崩し、地面に尻もちをついた。
「……ここどこ?」
見た事のないような場所で突然身体を返され、桃次郎は辺りをキョロキョロと見回している。
「あっ、鳥塚?」
渡は桃次郎を一睨みし、そのまま小さくなって駆け出した。
「あっ待て、置いていくな! せめて場所を……」
桃次郎を振り切って、渡は柚子葉の眠る部屋へ帰る。
明かりの届かない暗い部屋で、少女瞼をひくつかせ小さく呻きながら苦しそうに眠っていた。
悪夢でも見ているのだろうか、ここのところ毎晩寝苦しそうにしている。
渡は柚子葉の喉元に剣を突き立てた。
完全に渡を信じきった柚子葉を殺すなど造作もないことなのだ。
しかし、渡は刀を下げる。
柚子葉はまだ力を隠し持っている。命を奪うのは全力で彼女と戦って勝ち取ってからにしたかった。
ただ、目の前の憐れな少女を、一方的に隙を突いて殺すなどという事は渡には出来なかった。
どうすれば柚子葉は本気でやる気になるだろうか。
手の掛かる妖を一瞬で倒したあの強さをどうしたら引き出せるのか。渡は一人苦悩した。




