杜若
私が所属する化学の部長であり、美化委員会の委員長でもある“変態先輩”のこれまた数少ない友人——それが、杜若空先輩だった。
変態先輩が何故変態たらしめるのかは話が長くなる上、この事実には関係ないため割愛する。
要は知人の友人が杜若空だったのだ。
杜若空の事を私はよく知らない。優しそうな毒にも薬にもならないような、学校一の美少女と名高い妹の瑠璃とは違い、平凡で目立たない地味な男だった。
ただ、アクが強く付き合い辛い“変態先輩”の隣で、彼がよく笑っていたのが印象的で覚えている。
「何故、柚子葉殿は夕霧が勇者だとわかったのであるか? 姿も形も違えばわからないものであろう」
「それはね、さっき混乱の最中に彼が瑠璃ちゃんを『瑠璃』と呼び捨てにしていたの。最初は単純に会わない間に呼び方を変えたのかと思ったけど、正気が戻って来た夕霧は『瑠璃さん』と言っていた。それともう一つ。私の事を『唐金さん』と呼んだの。それは即ちここに来る前に私と交流があったという証拠よ。柚子葉ではなく唐金の方が呼び慣れていた人物——そうするともう一人しかいない、寂しいことにね」
それに夕霧という名を与えた勇者がいると雪羅に教えて貰っていたからというのもあるが、これはまだ秘密にしておこう。
「勇者か……、それなら仲間を殺すだけの実力はあるでござろうな」
渡は顎に手を当て、勇者の存在について少々思案した。そこで思い付いたかのように、宙を見ていた視線を私へ向けた。
「柚子葉殿。今日はもう休んだ方がいいでござるよ。疲れたでござろう」
「そうだね、そうする」
私は布団に入り頭から掛布団を被った。
瞼を閉じると嫌でも今日起こった悲劇を思い出して、涙が溢れてしまう。
みんなに会って、あの時のことを謝りたかったのにもう出来ないのだ。その上、生き残った仲間には犯人扱いされてしまった。
瑠璃も鴇ももういない……、再会して今度はきちんと仲間として旅をする夢はもう叶わないのだ。
渡に聞かれたら恥ずかしいのに、泣き声が止まらない。腕を噛んで声を押し殺しながら私は嗚咽した。
そんな風に泣いていたら、掛布団の上に渡の手が置かれるのを感じた。
「柚子葉殿。顔を出すでござる」
「いや」
「いいから」
渡に掛布団を剥ぎ取られ、泣いてボロボロになったみっともない姿が晒される。
「まったく、柚子葉殿は……そうやって我慢して抱え込んで」
「渡……」
「そういうところが子供っぽいのでござるよ」
渡は軽くデコピンした後に私の額に手を置き、ゆっくりと撫でてくれた。
私はそのまま渡に撫でられながら、今日起きた悲しみを全て吐き出したのだった。
「渡……。私、あなたがいて良かった。本当に良かった。渡、一緒にいてくれてありが……とう……」
泣き疲れてしまったのか、私はそこから後の記憶がない。
その後に「渡、大好きだよ」と赤面ものの発言をかましたような気がするが、半分寝ておりそれが現実なのか夢なのかわからないまま私は眠りに落ちた。
※
夜中、ふと眠りが浅くなり、目を薄っすらと開けると渡が月明かりを頼りに紙に何か書いていた。あれは、手紙だろうか。
真剣な顔で筆を進める彼の横顔は美しく、この世の誰よりも魅力的に思えた。
しかし、渡はそれを途中で書くのを止め、捨ててしまった。
私はそこで再度眠気に襲われ、そのまま夢の中へ旅立って行った。遠くで渡に名前を呼ばれたような気がしながら……。
※
朝起きて、仕度を済ませ出勤する。
鴇と瑠璃の殺害方法はある程度予測がつくのだが、何故それを選んだのかがわからない。
それに、夕霧がいる今、鬼達が勇者を欲する理由も知りたい。
私は両頬を軽く叩き、己に気合いを入れた。
掃除の仕事をしていると、いつものように牡丹がふらりと現れ、私に百合へ渡すように手紙を持たせた。
牡丹は最近忙しく、百合に会う間もないようだが、その変わり毎日のように筆をしたため、彼女に愛の言葉を送っていた。
「毎日すまんな」
「いえいえ、これくらいお安い御用ですよ」
私は手紙をしまい、それを届けずにそのまま仕事を開始した。
その日、仕事が終わったら私は貯め込んでいた報酬を持って質屋でお金に換算した。それを使い、アクセサリー屋で、珊瑚で出来たブレスレットを買った。
まさか自分が高いアクセサリーを買う日が来るとは思いもしなかった。現代ではオタク事と最低限の必要なものだけあればいいと思っていたし。
次の日もその次の日も、牡丹から預かった百合への文は届けたふりを続けた。牡丹は一々確認しないため少し文を届けなくてもバレることはない。
そして、四日目。買ったブレスレットをつけ、私は遂に百合の元へ手紙を届けに行った。
百合は心待ちにしていたかのようにそれを受け取った。
「彼はまだ忙しいの?」
「ええ、まだ後数週間はお会い出来ないそうです」
「そう……」
悲しそうに伏せた目の睫毛は長く、まるで人形のようで、現実離れした美しさに目的を忘れて見入ってしまいそうになった。
「そういえば、それ綺麗ね」
百合が私がこの前買った一張羅のブレスレットを指差して言った。
「ありがとうございます。実は太師から頂いたものなのですよ」
「彼が……?」
「はい。二日程前に二人で会った時に」
「そ、そうなの」
百合は少しよろけ、手元にあった鏡にぶつかりそれを倒してしまった。
酷く動揺しているようだ。彼女の美しい瞳が曇り、揺れている。
「それでは私は失礼いたします」
「ちょっと待って」
「何でしょう?」
「お茶を容れるわ。とっても美味しいものが手に入ったの。少しお話ししましょう」
「申し訳ございません、太師に呼ばれているのでこれで失礼いたします。お茶はまたの機会に」
百合は目を丸くし、顔色を青くした。
私は彼女のそんな様子を見て見ぬフリをして、その場から立ち去ったのだった。




