渡と桃次郎
屋敷に戻り、私は渡を部屋に置いて牡丹の元へ向かった。
必要ないとは言われたものの、一応薊に桃次郎が来たことを伝えようと思い、牡丹の元へ行き薊に会えないか交渉してみた。
しかし、彼から帰ってきたのは拒否の言葉だった。
「薊は無理だぞ。今は遠くに行っているからな」
「ああ、お出掛け中だったのですね」
「どうしたんだ。いきなり薊に会いたいなど」
「桃次郎さんっていう、内府の四の姫様の昔馴染みの方と会ったので声を掛けておこうかと思いまして……」
「とうじろう……? 桃次郎!?」
牡丹は途端に引き攣った顔になり、そわそわとし出した。
「知り合いなのですか?」
「お前こそ知らないのか。人間だろ」
「先程お会いしたので一応知り合いですが」
「そうじゃない」
そんなに有名人なのだろうか。渡も桃次郎の事を知っているようだったし……。
牡丹は眉間に指をあてて、大きく溜息をついた。
「桃次郎は何故ここへ?」
「四の姫様に会いに来たとのことです、内府の妻になったのならばもういいとおっしゃってましたよ」
「そうか……、帰るのか……良かった」
桃次郎と会わずに済むと分かると、牡丹は安堵の胸をなで下ろした。
「太師は桃次郎さんのことがお嫌いなのですか?」
「あいつの事を好きな奴がいるものか」
「申し訳ございません。私本当に桃次郎さんのこと詳しく知らなくて、太師とお知り合いということは身分のある方なのですか? すごい方の息子さんだと聞いたのですが……」
「そうだな……、桃太郎という人間側で有名な軍師がいてな、その息子が桃次郎だ。輝夜の近衛隊の二位の実力者で俺も何度か会ったことがあるのだが……ともかく会話が噛みあわないし上から目線だし、話すのが嫌になるというか、うんざりするというか、気が滅入るというか……」
確かに牡丹の言う通り、私も彼との会話を苦手に感じた。
桃次郎の背後にいた侍従達からも好かれていないようだったし、人望のないタイプであることは間違いないようだ。
「近衛隊の二番手の方が、鬼ヶ島に数人のお供だけ連れて来るなんて、近衛隊って案外自由なのですね」
「そこまで自由ではないはずなのだがなぁ……」
牡丹も不思議そうに首を捻った。
「桃次郎には輝夜も手を焼いているようだったし、近衛隊長の鳥塚渡が残っていれば何とかなるから許したのではないか?」
「鳥塚渡……?」
「渡のことも知らなかったのか? 曙一の剣の使い手だろう。一寸武士と言われて有名だろう。人間なら誰でも知っているのではないか?」
「渡のことは知ってます。知ってはいるのですが……」
同姓同名じゃないよね……? 一寸武士の鳥塚渡と言ったら一人しかいないだろう。
渡って近衛隊の隊長で国一番の剣の使い手なの!?
だからやたらと身分を隠したがっていたのかな。
渡が桃次郎を嫌っていたのも仕事関係での知り合いだったからなのか。
剣の腕があるのはわかっていたが、渡がそんなにすごい武士だったなんて……。
ちょっと待てよ、渡と桃次郎が今鬼ヶ島にいるということは、近衛隊の一、二番手が不在ってことじゃないの? 大丈夫なのか輝夜姫の近衛隊。
「柚子葉どうした?」
「すみません、少し疲れているようです。今日はこれで失礼します」
混沌とした思考が脳内で駆け回り、とてもじゃないが他人と会話を続けられる状態ではない。
急ぎ部屋に戻って渡にこの事を聞いてみよう。
※
「確かに近衛隊隊長の肩書があるのは間違いないでござるよ」
先程牡丹から聞いたことを話したら、渡はあっさりと答えてくれた。
今まで渡に何を聞いてもはぐらかされたため、もっと渋るかと思えばそんなことはなく、淡々とした様子で己が身分を認めた。
「そんなに、あっさり認めるなら隠さず話してくれても良かったのに……」
私は少しいじけたように口を尖らせた。
「自慢みたいに聞こえるのが嫌なのでござるよ」
「そんな自慢だなんて思わないよ。凄いことだし事実なんでしょう」
私は前屈みになり、正座する渡の顔を下から見上げた。
「柚子葉殿は何でそんなに機嫌が悪そうなのでござるか?」
「き、機嫌なんか悪くない。渡の素性に少し驚いただけ」
渡に隠し事をされていたモヤモヤが表に出ていてしまったようだ。
渡が私に渡す情報の取捨選択をした結果の事なのに、それに対して機嫌を悪くするなんて本当にダメだなぁ。
気を入れ替えなければ。私は頭を振って渡への不満を掻き消す。
「そういえば、渡だけでなく桃次郎さんまで抜けて近衛隊は平気なの?」
「桃次郎はいてもいなくても大した問題はないでござる。今すぐ死んでもいいくらいに」
「渡、まだそんな事言ってるの?」
「柚子葉殿もやつの性悪っぷりは先程感じたであろう。他人の命令は聞かない、口を開けば自慢と他人を下げる発言を連発する、女ばかり追いかけてまともに仕事をしない。拙者が常日頃どんだけあいつに手を焼いているか……あぁ、頭が痛くなってきたでござる」
私へ隠す必要性がなくなったからか、火をつけたように桃次郎への不満を語り出した。
その日はそれから暫く桃次郎への愚痴を聞いていたのだった。
愚痴を聞くのは本来苦痛を伴うものでもあるが、渡が自分のことを私に話してくれるのが私は嬉しくて、何度も頷きながら彼の目を見つめ、一言も漏らさぬように彼の言葉を拾っていた。
今までなるべく考えないようにしていたけれど、もう無理だ。
気持ちが溢れ出て、止まらない。
私は渡の事が好きだ――。
異世界に来て、洞窟で独りぼっちになった私の前に現れて、それからずっと一緒にいてくれた人。
私にとって渡はいつの間にか心の支えになっていたのだ。
気持ちを認めた途端に幸せな温かさが沸き上がってくるのと同時に、胸を刺す傷みを感じた。
渡は時雨氏の姫に一目惚れしてここまで来たのだ。私の出る幕などない。
いや、それ以前に私はこの世界の者ではない。
だから、彼を好きになる資格などないのだ。
そこには悲劇しかないのだから。
ああ、でも今は、この甘い思いに浸っていたい。密かに想うくらいなら神様だって許してくれるであろう。
恋は盲目というけれど、私は渡に夢中で、この話の中に隠された矛盾を見落としていた。
“桃次郎は何故、地上から鬼ヶ島へ入り堂々と過ごしており、渡は地下の洞窟からここへ入りそして身を隠しているのか”
こんな簡単な事に気づかぬ程、この時の私は愚かだったのだ。




