古の勇者
私はお祭り会場から、おぼつかない足取りでなんとかお屋敷まで戻ろうと、来た道を戻っていた。
道中で何度も嘔吐くがもう吐くものはないため、ただ不快な喉が焼け付くような感触だけが口内を支配した。
「柚子葉さん、大丈夫?」
背後から誰かに呼ばれ振り向くと、そこにいたのは狐のお面を付けた薊だった。
「あざ……みさん?」
薊は薄い笑みを向け、こちらへ歩み寄ってきた。
暗い道で月明かりに照らされた彼女はとても不気味な妖しさを携えており、知り合いでなければ妖が化けた人間だと思ったかもしれない。
「具合が悪そうね、もしかして食べ慣れない物でも食べてしまったのかしら」
その通りだ。私は食べてしまったのだ……。
薊もこの祭で何が出るのか理解していたのか。
しかし、彼女は人肉食のことは気にも留めてないのか、面白おかしそうに、ケタケタと笑っていた。
私は彼女に対して、どういう態度を取ればいいのかわからず困惑し、無言で薊の方を見る事しか出来なかった。
「柚子葉さん?」
「すみません……吐き気で頭が上手く働かなくて……、その、食べました」
自分で食べたと口にした途端、また言い知れぬ嘔吐感に襲われた。
薊は私へ近づいて、背中をゆっくりと撫でてくれ、水と薬をくれた。それから暫く、そのままの状態で私が落ち着くのを待っていてくれた。
「ありがとうございます、もう大丈夫です」
「そう」
薊は私の背から手を退け、私の隣へ立った。
「四竜殿まで帰るのでしょう? 付き添うわ」
「あ、ありがとうございます。薊さんは他に用事がないのでしょうか?」
「私もお祭りから帰る途中なの」
「そうなのですか……、申し訳ないです」
薊の肩を借りながら、私は彼女と帰路を共にした。
彼女は一人で祭りに参加していたのだろうか、正直私へ接触してきた理由が“帰り道に偶然会った”だけだとは思えないが、深く考察している余裕なんかないため、この場はそのまま受け入れた。
「薊さんも人間なのですよね。“あれ”を食べたことあるのですか?」
「あるわよ」
薊は胸を張って、はっきりとそう肯定した。
そこに迷いや葛藤は見られなかった。
「嫌じゃなかったのですか?」
「鬼が人間を食べるのは知っていたからかしらね。鬼の人肉食は人間の国でも文化として認められていて、鬼の国で食用に飼育された人間や罪人として処刑された者の肉は自由に食べていいと協定で決まっているの。でも沢山手に入るものではないから高級品で、こんな祭りでもなければ庶民は普通食べる機会はないわね」
「そうだったのですか」
文化……そう言われると否定することが出来ない。
まして、鬼と人間は違う生き物なのだから、自然界として間違った行為ではないのだろう。
ただ、鬼も人も見た目が近いため、どうしても気持ち的に折り合いがつかないものがあった。
「貴族は普通によく食べているのでしょうか」
「そうね食卓に並ぶことは珍しくないわね。鬼は人間が一番の好物だから。私はあまり美味しいと思えないから殆ど食べないけれど」
「鬼は人間が好物なのですか」
「そうよ、昔はそれはもう沢山食べられていたそうよ」
それから、私は薊にこの国の歴史を教えてもらった。
昔、鬼は人を狩猟しその肉を喰らっていたそうだ。ただ人間も黙って狩られているわけではなく、必死に抵抗し、それがいつしか戦争になった。鬼と人は領土を分け激しい戦いが長きに渡って続いたそうだ。
そして、その戦を収めたのが、異世界から一人の勇者だった。
勇者は圧倒的な力で戦を終わらせ、人間と鬼に食肉協定を結ばせた。それにより、大きな戦争は終わり、領土を争う戦がたまに行われる程度に落ち着いた。
それから勇者はインフラの整備や税金の見直しや色々な改革をし、この世界から去っていったのだそうだ。
それが、この国に伝わる勇者伝説だ。
「勇者は人間だったのですか?」
「らしいわね。人間の長が鬼を駆逐するために異世界から呼び寄せたそうよ。ただの伝説だし作り話の部分も多いでしょうから、どこからどこまでが本当かなんてわからないけどね」
古の勇者の伝承は物語のように語り継がれており、どの程度が真実かはわからないらしい。
彼是数百年前の話のなため、噂に尾ひれはひれは付いているだろうとは薊の談だ。
「薊さんは何故お祭りに?」
「ただ、遊びたかっただけよ。お屋敷に籠っていても退屈でしょう」
「内府は心配しないのですか?」
「私がいなければ他の姫のところへ行くでしょう」
金雀枝なら十分あり得るな。
薊もあまり金雀枝の元へは帰っていないようだし、自由なのはお互い様なのだろうか。
彼女は、おもむろに狐のお面で完全に顔を隠した。
「ねぇ、柚子葉さん。たまにはうちの金雀枝とも遊んであげてね」
「いやぁ~、私では身分が釣り合わないですから」
「そんなこと言わないで。ひと月後に町で伝統工芸の祭りがあるのよ。その日、金雀枝に付き合ってあげてくれないかしら」
「何故、私が……」
「彼を町に誘って連れまわせるのが、貴方ぐらいしかいないから」
「でも、内府が賛同するかどうか」
「お願い。どうしても彼にその日家にいて欲しくないの」
薊の表情は狐の面で隠れてまったくわからない。彼女は何を思ってそんなことを言い出したのだろうか。
しかし、今日彼女の肩を借りたのは事実だし、どんな企みがあるのか知らないが、恩は返さねばなるまい。
「わかりました。その日一日くらいなら……」
「ありがとう」
薊は私の手を取り、両手で包み込んだ。
その手はとても冷たく、私は妙な胸騒ぎがしてならなかった。




