白銀雪殿
「この先が、白銀雪殿よ」
私は薊に約束通り白銀雪殿へ連れて行ってもらっていた。
渡は念のため屋敷でお留守番している。白銀雪殿は所々厳重な魔法での結界があるそうで、それがきっかけで渡の存在が露見する可能性が僅かながらあるからだ。
薊が紫竜殿の最奥にある扉に手をかけ、木が軋む音をさせながらゆっくりと扉が開いた。
少しづつ、視界に真っ白な光が射し込み、白銀雪殿の幻想的な姿が私の瞳を輝かせた。
「綺麗……」
真っ白な建物に銀の装飾が施してあり、それが太陽の光に反射して、まるで雪で出来た建物のように錯覚させた。
ここに私達が倒すべきとして言い渡された雪羅がいるのか。会うのは無理だろうけれど、彼女の噂ぐらいは聞けるといい。
そのまま、薊に案内されるまま白銀雪殿の中へ入る。
屋敷の中も白く透明感のある内装になっていた。小綺麗な格好をしてこいと薊に言われ、一張羅の着物を下ろしてきたが、それでも私はこの屋敷にはそぐわない見窄らしい存在だった。逆に作業着の方が出入りの業者感が出て馴染めたのではと思うくらいだ。
廊下を歩き、地下へと続く階段を下りていく。この白銀雪殿は地下へ深い構造になっており、地下部分は地上階の輝くような美しさはなく、良く言えば落ち着いた、一般的な建物の内装になっていた。
普段働く部屋までキラキラしていたら落ち着かないであろうし、少し残念ではあるが仕方のない選択なのかもしれない。
地下一階へ下り、奥にある観音開きの扉の前まで案内された。
「ここが殿下の仕事部屋よ、柚子葉ちゃんを紹介するわね」
「ありがとうございます」
殿下ということはここには水仙が働いているのか。まさか水仙と会うことになるなんて緊張する。
「殿下ー、いますー?」
薊が軽い感じで、ノックもせずに扉を開けた。この無遠慮さは親しさがなせる技なのだろうか。怒られやしないか心配になる。
薊に続いて私も中へお邪魔したら、部屋の奥にデスクで居眠りをする男の人がいた。
黒い髪に三本の角、寝顔しか見えないが、牡丹に似た雰囲気がある。この人が四竜殿の大黒柱であり、摂政・時雨水仙なのか。
「殿下、また寝てるのですかー? 起きてくださいよー」
薊は水仙を左右に大きく揺さぶるも、水仙は苦しそうに呻るだけで目を開ける様子はない。薊も容赦ないがこれで起きない水仙も大したものだ。
起きない水仙を見下ろし、薊は第二の行動に移った。
彼女の持ち歩く水晶玉を翳すと中に紫苑の姿が映り込み、その水晶玉の紫苑が喋り出した。
『また仕事中に寝ていたのですか?いい加減起きなさい!』
「ひっ、紫苑!?」
水晶から発せられる紫苑の声に反応したのか、熟睡していた水仙が飛び起き、怯えた様子で部屋中をキョロキョロと見て声の主の姿を探していた。そして水晶を掲げる薊に気が付き、安心したように胸を撫で下ろした。
どうやら水仙は紫苑には頭が上がらないらしい。
「薊か……、驚かせるようなことをするな」
「だって、何度も起こしたのに起きないのですもの。お客さんも連れて来たのに」
「客?」
そこで、水仙は私の存在に気が付いたようだ。目を細めて私を凝視し、記憶にないというように首を傾げた。
「は、はじめまして、柚子葉と申します」
「柚子葉?」
水仙は訪ねるような視線を薊に向けた。
何故自分に私を紹介したのかわかりかねる様子だ。それはそうだろう、私も何故突然水仙に会わせたのか今すぐ薊に聞きたいくらいだ。
「殿下、彼女は巷で話題の“掃除婦”ですよ。太師が拾われて大事にしている女の子です」
そこで、水仙は合点がいったようで、目を丸くし、ゆっくりと頷いた。水仙は一つ一つの動作がのんびりしており、マイペースなタイプなのだろう。薊が前に言っていた牡丹の倍鈍いというのは間違いではなさそうだ。
「はじめまして、時雨水仙だ。君とは一度話してみたいと思っていたんだ」
水仙はこちらの方へ歩みを進め、扉の前で立ち止まり、それを開け、私達を外へ促す仕草をした。
「ここでは何だ、茶室で少し話そうではないか」
そのまま、水仙に連れられ私達は茶室へと向かった。
執務室から少し離れたところにある茶室は、こじんまりとしており、部屋の中心に赤く丸い四人掛けのテーブルが置いてあった。
そこに、薊を挟んで私と水仙が向かい合うように座った。目の前には花の水仙の香りがするというお茶が置かれている。
牡丹が私を物珍しそうに、マジマジと見つめてくる。
「柚子葉さんだったか? 君も大変だったようだね、いせか……ゴフォッ!」
水仙が急に呻き声を上げ、椅子から落ち、脛を抱えて倒れ込んだ。どこかに打ってしまったのだろうか、すごく痛そうだ。
「殿下、大丈夫ですか!」
薊が水仙に駆け寄り助け起こす。
暫く脛を摩り、動けるようになった水仙は薊を不審そうな目で見ながら再度席に戻った。
「お騒がせしてすまなかったね。で、柚子葉さん。生活はどうかな?不便はしていないか?」
「はい、太師にもよくしていただいておりますので」
「そうか、息子が役に立っているようで良かった」
水仙はお茶に手を伸ばし、一口それを飲んで息をついた。独特の間合いのある人で、一つ一つの挙動が本当にのんびりとしている。
「そうだ、君に聞きたいことがあったんだ」
「はい」
「知っていたらでいいのだけど、牡丹が私を暗殺しようとしているようなんだ。何か聞いていないかい?」
「暗殺?」
暗殺って何?なにかの隠語?何故私にサラっとそんなこと聞くのこの人は?
「も、申し訳ございません。私にはよく……」
「そうですよ、殿下。何、女の子に変なこと聞いているのですか」
「知らないならいいんだ。一緒に暮らしているようだからもしやと思って聞いただけだなんだ」
牡丹はとても良い人で、親切にしてくれて、とても実の親の暗殺を計画するような人には見えないし、水仙は何か勘違いしているのではないのかな。
「失礼ですが、何故そんな事を思ったのですか? 太師はそんな悪い事をするような人には見えませんが……」
「気のせいならいいのだけれど、数年前からやたらと私に敵意を向けて殺そうとしてくるのだよ。最近は止めたのか準備期間なのかないが、一年くらい前は食事に毒は入っているわ、罠が仕掛けてあるわで毎日のように驚かされて大変だったんだがな」
「驚いて大変で済まさないでくださいよ……」
薊が呆れた様子で水仙にツッコミを入れた。水仙は毎日のように暗殺されそうになったのに飄々とした様子で語り、まったく危機感を感じていないようだった。
それが、性格から来るものなのか実際に大した事ないのかは私にはまだわからない。
ただ、牡丹が水仙を暗殺する理由に心当たりがないわけでもなかった。水仙が死ねば、牡丹は百合と結ばれることが出来、桔梗もあの部屋から出てくる事ができるだろう。
私は薊を見て話していいか確認するが、私にだけわかるように首を横に振る。それもそうか、簡単にはなせていたらこんなややこしい自体にはなっていないはずのだから。
その後、水仙と他愛のない話をして別れた。薊は水仙とまだ話があるとのことで私だけ一人で解放されてしまった。
水仙に鍵がかかっていないところは自由に歩いていいと言われ、私は城内をアテもなくぶらついていた。
城内ですれ違う掃除婦に雪羅のことを聞いてみたりしたが、雪羅は地下深い階層におり、滅多に出歩く事はないため、ここら辺の担当の者は会話はおろか、見た事すらない者も多いとのことだ。
水仙に会えたのは収穫だが、雪羅の方はめっきりだった。
「あれ?」
やる事もなくなり、地上に出て庭で休もうと思い、引き返そうとしたところ、どこかから声が聞こえてきたような気がした。
『……こっちへ……』
気のせいかと思う程の小さな声だが、間違いない、確かに聞こえる。
何故か無視してはならないような気がして、私は声の元を探した。
廊下を奥へ奥へと行くと少し戸の開いた部屋が見つかった。声はどうやらその部屋から聞こえているようだ。
慎重に様子を見ながらその部屋へ入ると、そこはなんの変哲もない空き部屋だった。
耳を澄まして再度どこかから声が聞こえるのを私は待つ。
『……掛け軸……』
掛け軸?私は声に従い部屋にある掛け軸を裏返すとそこには隠し階段があった。
「隠し通路?」
私は少し躊躇いながらも、その階段をゆっくりと降りていった。




