薊
綺麗なウェーブのかかった薊のオレンジの髪が、ふわりと風に舞った。彼女の大きな瞳が私をしっかりと捉え、吸い込まれていくような感覚に陥る。
今、この場で主導権を握ったのは間違いなく彼女であった。
「柚子葉さんでしたっけ?」
「はい。あの、何故私が“人間”だとわかったのですか?」
「感覚っていうのかな? 私も人族だからなんとなくわかるのよ」
「鋭い方なのですね」
「たまたまよ。貴方は不思議なオーラがあるから」
異世界から来たのまでバレているとかはないよね。
薊の瞳はすべてを見透かしていそうで、居心地の悪さを少し感じる。
この場から逃げたい気持ちが湧き出るが、己の目的を思い出し、その場に踏み止まった。足の裏に滲む汗が気持ち悪く、私は靴の中で足の指を何度も動かしてしまっていた。
彼女は何が目的なのだろうか。
何故、見透かしたような目で私を見るのだろうか。
「どうしたの? 気分が悪い?」
「へ、平気です」
飲み込まれてはダメだ。彼女は金雀枝の最後の妻。金雀枝との馴れ初めを聞き出さなければならない。
「四の姫様は何故人の身で、ここに嫁がれたのですか?」
四の姫は単純に四番目に結婚した妻のことだ。お屋敷の主でない妻のことは、取り敢えずこう呼んでおけと教えられた。
「私は、殿下に連れられて“ある理由”があってここへ連れて来られたの……そして彼の妻になった」
その時の様子を薊は詳しく語ってくれた。
ある日、国の政治の中心のような存在である水仙は、人の国から薊を連れ鬼の国へ帰還した。そして自宅である紫竜殿へ牡丹と金雀枝を呼びつけたのだ。
水仙は予告なしに、いきなり二人のどちらかに薊を妻に娶るように言い渡した。
いきなりの申し出に二人の息子は戸惑ったが、父親の言う事に逆らうつもりはなさそうだった。
話の流れは独り身の牡丹の嫁に、という流れで、牡丹も特に拒否する様子もなかったが、唐突に金雀枝が強く希望したため、薊は金雀枝の妻になったとのことだ。
「一体どういう流れでそういうことに……」
「そこは秘密」
「そ、そうなのですか」
どういう流れになったら、息子に連れてきた女の人と結婚しろという流れになるのだろうか。
そもそも、何故彼女はここへ連れて来られたのだろうか。
秘密と言われると余計気になって仕方がない。
「ねぇ、そんなことより、私のことは薊と呼んで? 曙では名前で呼び合うのが普通だから役職呼びが慣れないのよ。二人きりの時だけでいいから、ね?」
「わ、わかりました。薊さん……」
「ありがとう」
彼女の艶やかな笑みに、私は同じ女ながらそれにドキリとしてしまった。
「柚子葉ちゃんはどうしてここのお屋敷で働いているの?」
「私ですか?」
いきなり話を振られて戸惑う。どこまで話したらいいのやら。
「えーっと、実は私は妖に食べられて鬼の国へ来てしまったのです。なんとか脱出できたけれど、土地勘のない私は迷ってしまい、また妖に出会って襲われてしまったところを太師に助けてもらい、ここで働かせてもらっています」
「そうなんだ。どうしてここで働くことにしたの? 人の国へ帰らずに」
「そ、それは、助けてもらった恩を返したくて」
「そっか、柚子葉ちゃんは義理堅いのね。もっと他に何か理由があるのかと思った」
この人鋭いな。一番の目的は仲間と合流することだし、それと渡の想い人を探すことである。
私は誤魔化すように空笑いした。
「柚子葉ちゃん、私占い師なの。良ければ何か占う? 今好きな人とのこととか」
「好きな人!? い、いないです」
「そうなの?」
「本当です、いないです!」
「あれ? 太師と恋人なんじゃなかったっけ?」
「そ……それは……」
「違うの?」
しくじった、今からその嘘を突き通すのは難しそうだ。ここは正直に話してしまうか。
「実はそれは嘘なのです。 太師が私をこの屋敷に置くために適当についたもので……ただ、紫姫様に認められたのでもう嘘をつく必要はないのですけど、訂正するのも面倒なのでそのままに……」
「そうだったの、太師の後先考えず適当なことを言うところは父親の殿下そっくりね」
「そうなのですか……、私、殿下にお会いしたことないのです。どんな人なのですか?」
私が勤める四竜殿の主だが、水仙は基本的に勤め先の白銀雪殿に籠っており、お屋敷へ帰ることは久しくないのだという。
牡丹も仕事以外で会うことが滅多にないのだそう。
自宅のはずの紫竜殿にも年に数える程しか帰らないため、今後も私が会えるタイミングはほぼないに等しい。
「殿下はねぇ、とっっても鈍いのよね」
「鈍い?」
「そう、太師の三倍は鈍いわね。 仕事になると鋭いのだけれど、それ以外のことはてんでダメ。人を傷つけるようなことも平気で言うのだから」
「そ、そうなのですか……」
「しかもね、酷いのよ。この前なんか占いして欲しいというから行ったら、結果だけ聞いて、さあ出てけよ。お茶くらい出してもいいと思わない? しかもそれを何の悪気もなくやるから性質が悪いのよ」
水仙のことになると薊は饒舌になり、一行に話が止まる気配がなかった。よっぽど不満が溜まっているのか話の内容は水仙への愚痴百パーセントである。
私が引き気味で話を聞いているのに気が付いたのか、薊は急に大人しくなりマシンガンを下した。
「あら、ごめんなさい。 私殿下のこととなるとどうしても自分のことを抑えられなくなってしまうの」
「そうなのですか……大変ですね……」
「まあ、あの鈍さも悪いところばかりじゃないのだけどね。それに良い所も沢山あるし」
薊は北の方を向き、遠くを見る用に目を細めた。その方角に水仙がいるのだろうか。
この様子を見るに、薊は水仙の事は嫌いなだけではないようだ。
「そうだ、柚子葉ちゃん。 お願いがあるのだけどいい?」
「お願い?」
薊は手を前で合わせて、上目使いで私をみた。
なんだろう、嫌な予感がする。
「退治して欲しい妖がいるのだけれど、いい?」
「妖ですか?」
どういうことだろう。何故掃除婦の私に頼むのだろうか。他にもっと動かせる兵士がいるだろうに。
「そうよ、柚子葉ちゃんにしか頼めないの。極秘でこっそりと退治してくれない? 妖から生き残ったのならお強いのでしょう?」
「いやぁ、そうでもないのですが……」
毎日忙しいし、戦えることはあまり公にはしたくないため、出来れば断りたい。
「もし、倒してくれたなら、白銀雪殿へ今度連れて行ってあげるわ。とっても綺麗で素敵なところなのよ」
「本当ですか!?」
それは、有り難い。情報収集中の身としては、喉から手が出る程魅力的な申し出だ。
雪羅のことも倒すべきかどうか正しく見極めるための材料にもなりそうだし。
「行ってくれる?」
「行きます」
「やったぁ~、ありがとう」
薊は嬉しそうにその場で飛び跳ねて喜んでいた。
長いドレスの布を踏みつけないか少し心配だ。
「詳しくは後で手紙を出すわ、それで確認してちょうだい」
「わかりました。ところで何故妖を退治して欲しいのですか?」
「大したことじゃないのだけれど、個人的にこっそり行く土地に妖が住み着いて、そこに行けなくなって困っていたのよ。こっそり行っていたものだから他の人にも頼めないし」
牡丹といい金雀枝といい薊といい、ここの貴族達はお屋敷から抜け出すことが多いのだろうか。
そういう奔放なところが魅力でもあるのだろうけど、抜け出した先で何かトラブルに巻き込まれたらどうするつもりなのか心配でもある。
そうして、私は薊に頼まれて、妖退治へと出かけることになった。
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赤竜殿の数ある応接室の一つに、牡丹と薊はいた。
薊は水晶を覗き見て、細く笑みを浮かべている。それを牡丹は横目で見ながら、退屈そうに指を動かしていた。
「柚子葉を妖退治に行かせたのは何故だ、掃除婦だから妖退治ではなく掃除をさせていた方が鍛えられると言ったのはお前だろう」
「彼女を有名にしたいのよ、彼女の後に続いて検非違使を三人行かせたわ、妖退治したとこを見せて噂を広げるの。きっと上手く行くわ。人は実際に見たものの方が真実味があるし早く広く彼女の話が拡散するもの」
「噂?」
「そうよ、噂。それによって逃げた勇者ちゃんを炙り出すための一つの鍵になる」
「同じ異世界から来た人間だからといって、そんなに簡単にあいつが食いつくのか?」
「だから、鍵の一つよ。やらないよりかはマシ」
「マシねぇ……」
薊は水晶から視線を戻し、牡丹の方を見つめた。
「柚子葉ちゃんを育てているのだってそうでしょう。やらないよりかはマシ」
「それもそうだがな……」
牡丹は“勇者”のことを思い出していた。
数年前、白銀雪殿へ閉じ込めていた勇者がある日突然失踪した。鍛え強くし、ある役割を押し付ける予定だったのに消えてしまったのだ――。
未だに見つからない“勇者”のことを考え牡丹は唇を強く噛んだ。牡丹は色々手を掛けてやり、さらに雪羅で釣ったにも関わらず、“勇者”に逃げられたことが悔しくて仕方がなかった。その上、輝夜の手に渡ったらと考えると、逃げられた当初は夜も眠れない程だった。
一人では逃げ出せるとは思えないし、状況を考えると雪羅が協力したとしか思えなかった。牡丹は雪羅を拷問にかけて吐かせようとしたが、途中で水仙にバレてしまい、拷問は止められた。
水仙は牡丹にとってはまさに目の上のたんこぶであった。あの時雪羅を国家反逆罪で拷問して置けば、勇者は見つかり自分はこんなに苦労していなかった、それ以外にも色々と水仙のやり方に牡丹は不満があった。その上、簡単に手を出せない相手なのが余計腹立たしい。
「おい、薊。どこかに強い妖はいないのか? 野党でもいい、戦いたい気分なんだ。占いで見つけろ」
「はいはい、今探しますよ」
今のままでは牡丹は政治のトップに立つことは出来ない。
放っておいても先に死ぬがそれでは遅い。牡丹は父親を暗殺するために、より強くなる必要があった。




