金雀枝
金雀枝に掴まれているところが少し痛む、女の子の腕を思い切り掴むとは失礼な男だ。
「ああ、ごめんね、痛かった? 逃げようとしなければこんなことしないから安心して」
まったく安心なんか出来ないのですが。
この男がそこら辺のゴロツキなら今すぐにでも倒して逃げるのに。後々の人間関係を考えるとそれが出来ないのが辛い。
「そんな警戒しないの、俺は女の子には基本的に優しいんだよ? 妻も四人いて、皆んな俺と上手くいってる」
それお金目当てなんじゃないの? と思ったが黙っておこう。
「あの……、本当に何の御用なのですか?」
私が再度尋ねると、金雀枝は返事をせずに、私をいきなりお姫様抱っこの形で抱き上げた。
「今日は俺の屋敷に泊まれ、牡丹の女に興味がある」
「なっ!? 嫌です!」
何を言い出すんだこの男は。絶対に言いなりになんぞなるものですか。
金雀枝は牡丹に比べ力もないし、隙も多い。手荒な真似をすれば簡単に抜けられそうだけれど、体勢を崩して変に怪我をさせても面倒そうだ。とりあえずこのまま運んでいただいて、降ろしてもらった段階で逃げるのがお互いに安全かな。
抵抗が出来ないふりをして、大人しく捕まっていたところ、金雀枝がいきなり悲痛な叫び声を上げた。
「いった! いてててっ」
咄嗟に金雀枝が手を下ろしたため、私はそのまま地に落とされた。
いきなり落とされたため、受け身を上手く取れず、私も地味に痛い思いをした。
金雀枝は痛そうに血が出る踵を見ていた。ぐっさりと鋭い何かが刺さったようだが、原因となったものが辺りに見当たらない。
「何だ、枝か?」
「申し訳ないです」
金雀枝は痛そうに、自分の足を触った。
足に刺さるような危険なものを取り除けなかったのは、ここで掃除婦として働く私も責任がある。これに関しては本当にすまないと思う。
「まあ、大した事ない。ともかく行くぞ」
金雀枝は舌打ちしながら立ち上がり、私の腕を強く掴み引っ張った。
「どうかなさいましたか?」
私達の背後から、理知的な声が聞こえる。
振り向くとそこには花梨がいた。
「内府、足下にお怪我をされているようですが」
「げ、花梨か……大したことない、気にするな」
金雀枝の顔が、花梨を見て一瞬引き攣ったように見えた。苦手な相手なのだろうか。
「赤竜殿で内府がお怪我をされたのは、私の監理不行き届きでございます、今すぐ責任持って治療させてくださいませ」
「別に構わない。咎めるつもりもないから去っていいぞ」
「内府は本当に慈悲深いお方なのですね、その掃除婦はキツく叱りつけておきますので、どうぞこちらへ置いていってくださいまし」
「こいつには、屋敷まで付き添ってもらう、それぐらい構わないだろう」
「付き添いならば私が致しましょう、掃除婦よりかは気が周りましょう」
「大したことないから、こいつで十分だ。去れ」
金雀枝と花梨が火花を散らして睨み合っている。
花梨は、金雀枝の去れという言葉を聞くつもりがないようでその場から動く気配はない。
「命令だぞ、さっさと去れ」
金雀枝に強めに指示を出され、花梨は一歩下がり、頭を下げた。
「それでは、私は急いでこの件を太師へ知らせて参りましょう」
花梨が顔を上げ、射貫くような目で金雀枝を見た。
金雀枝は悔しそうに顔を歪め、口の両端に牙が覗き出ていた。
私を掴んでいた手を離し、金雀枝は花梨の元へ大股で近寄り、彼女をキツく睨んだ。
「牡丹には絶対に言うなよ」
それだけ吐き捨てると、私を置いて金雀枝は去っていった。本当に始終感じの悪い男だった。
「お怪我はありませんか?」
花梨が私の方へゆっくりと近寄ってきた。
「はい、この通り無事です」
「そうですか」
「あの……助けていただいてありがとうございます」
花梨は黙り込んでしまった。気まずい空気が周囲を包む。
助けてもらったのは自惚れではないと思うのだけれど、私のために彼女が動いたなんて解釈するのは図々しかっただろうか。
「内府は稀に他の館に現れては見目の良い娘を無理矢理攫っていくのです、太師にはそれを出来る限り阻止するようにと言われています。私はその命に従っただけ、お礼を言うのであれば太師へ言いなさい」
「太師にも言います。けれど北尚書にも言いたいです、ありがとうございます」
花梨は不機嫌そうにそっぽを向いて、顔を伏せてしまった。
怒らせてしまったのかと思ったが、髪で隠れていない耳が赤く染まっており、単に照れているのだとわかりほっとした。
この前怒って乱入してきた事からも、この人は良くも悪くも素直な人なのだろうとわかる。それなのに無理して感情を表に出さず、冷静な自分を演じているのだろうか。上に立つ人間の苦労が垣間見えた。
「この前は……」
彼女が小さな声で何か話し始めたため、私は聞き漏らさないように耳を傾けた。
「この前は貴方を怒鳴ってしまい申し訳ございませんでした。混乱してしまっていて失礼な振る舞いを……」
「主の横に変な女がいきなり現れたら混乱するのも無理はないです、北尚書の立場であれば当然のことでしょう」
「違います、私は……」
花梨は唇を噛み締め、言葉を詰まらせてしまった。私は聞こえないふりをして、話を変えた。
「内府は太師に頭が上がらないのですね、太師の名前を出したら簡単に去っていってしまいました」
「太師はお強いですから、内府も畏怖するところがあるのでしょう。ただそれもその場だけのことで、注意したら一旦鳴りを潜めるのですが、またすぐに悪さをし出しす本当にどうしようもない方なのです」
花梨が額に手を置き、やれやれとした様子でため息をついた。
金雀枝はいかにも金持ちのボンボンという印象だった。我儘を我儘だと思ってないところがあり、そこがまた性質が悪いのだ。皆が手を焼いている様が容易に想像できる。
正直もう二度と会いたくないが、この屋敷で働く限りそういう訳にもいかないだろう。
金雀枝は私が鬼ヶ島に来て、初めて心底感じが悪いと思った相手だった。それ以外はみんな良い人で、とても住み心地はいいため、彼の存在が残念でならない。
今回の事で変に恨まれていなければいいのだけど……。
「そういうわけなので、内府には気を付けるように」
「はい」
それから私は花梨に付き添われて、自室の前まで連れ立ってもらった。
戸の前で彼女が去るのを見届けてから戸を開けると、そこには正座した渡がいた。
渡は怒っているような表情で、静かにこちらを見据えていた。




