白竜殿
「柚子葉」
私を呼ぶ声がして振り向くと、そこには何と牡丹がいた。
私以外の仲間達は主の存在に気が付くと、膝をついて顔を伏せた。
「気にするな、面を上げろ」
牡丹は三人に向かい声を掛けた。皆は顔を上げる。
私はどうしていいかわからずその場で戸惑うばかりだった。
今度じっくりマナーの練習を叩きこんでもらわないとダメだな。ここでの常識がわからなすぎる。
「太師何か用でしょうか?」
「少し頼み事がある。仕事が終わってからでいいからこれを白竜殿に届けてもらえないか?」
「わかりました」
牡丹から何やら書状と板を渡された。板には牡丹の名前と刻印が記されている。
「その板を見せればお前でも中へ入れる、使いが終わったら俺の部屋へ返しに来い」
牡丹が私へ近づき、そっと耳打ちをした。
「百合に直接手渡ししろ、いいな」
「は……はい」
何だろう、大事な手紙なのかな。少し緊張する。
それだけ伝えると牡丹はさっさとどこかに行ってしまった。
主が去ったことにより、その場の張りつめた空気が解かれる。
「ひゃー緊張したぁー」
珠晴が大げさに胸をなでおろし、鈴雨の美雲もホっとしたような表情をしていた。
「太師と直接顔合わせたの私初めてかも」
「私もです、たまに遠くからお見掛けすることはありましたけれど」
同じお屋敷内で働いていてもあまり会うことはないのか、確かにとても広いお屋敷だからそれも致し方ないのかもしれない。
三人が言うには牡丹が女官を使って何か指示することはあっても、本人が直接出向き下々の者に使いを頼むなんてことは滅多にないそうだ。
これだけ規模が大きければ確かにそんなものだろう。
「それにしても……」
「ねぇ……」
「太師って……」
三人が哀れみの視線を私に向けてくる。
一体何だと言うのだ。
「柚子葉ちゃん大丈夫?」
「さすがに白竜殿に使いは……なぁ」
「太師は無神経すぎます」
白竜殿ってそんな酷いとこなの?心配される意味がよくわからず私は戸惑った。
一体どういうことかと、思考を巡らせ考える。
白竜殿……百合……そうか!
私は一応太師の恋人設定だから、本命の百合のところへお使いに行かせるなんて酷いってことか。
確かに事実であれば、女の争い煽ってるようにしか思えない行動だ。
本当のところ私は、事情をわかってる便利な小間使い程度の存在なのだけれども。
それから同僚達の好意で私だけ早目に仕事を切り上げていいとのことで、白竜殿までお使いに出かけた。
白竜殿までは西へまっすぐに行けばいいと言われたが、敷地が広いため結構な距離を歩かされた。結局、白竜殿まで辿り着くのに数十分はかかったと思う。
初めての場所でわかるか心配だったが、白竜殿は真っ白な建物で見ただけですぐに、ここがそうだとわかりやすく有難かった。
お屋敷の出入り口の見張りの人に牡丹から借りた板を見せたらすんなりと中に入ることができ、屋敷に入り女官へこれを再度見せて、白竜殿姫に会いたいと申し入れたらそのまま百合の部屋の前まで案内された。
部屋の戸の前まで私を案内すると案内してくれた女官はさっさと立ち去ってしまった。
どうやって訪ねていいかわからず途方に暮れる私。
とりあえず、声を掛ければいいのかな?
「白竜殿姫、あ……あの、太師から、て、手紙を届けにきました」
噛み噛みになってしまった。恥ずかしい。
「どうぞ、お入りになって」
粉雪のような、ふわふわとした柔らかく儚い声が部屋から聞こえてくる。
私は緊張しながらゆっくりと戸を開けると、部屋の中心に白い髪に白い肌、金の瞳の美しい百合の花が咲いていた。
この前は夜だからよく見えなかったが、改めて日の明るいうちに見るとその美しさが際立っている。
身分もあり女性から引く手数多であろう牡丹が、長年想い続ける理由が一目でわかってしまった。
「あの時の人間の女の子よね?元気そうで良かったわ」
「あ、あの時はありがとうございます、太師に助けるように進言してくださったようで……」
私は戸を閉め、中へ足を踏み入れた。
百合に促されるまま、用意された座布団へ正座する。
「私は、時雨百合、白姫と呼んでね」
「ゆ、柚子葉です、よろしくお願いします」
「あの後、牡丹はよくしてくれた?あの人気が利かないところがあるから」
「いえ、十分です。屋根があるところでまともにご飯をいただけるだけで涙が出てきそうです」
緊張して変なテンションになってしまっている。そんなテンパる私の様子を、百合は包み込むような優しい視線で見守ってくれている。一見しただけでは義理の息子と不倫する悪女にはとても見えない。
「あの、太師から預かっていて、これを渡すようにって」
「あら、ありがとう」
私が手紙を差し出すと、百合は白くて細い手で優雅にそれを受け取り、ゆっくりと中身を確認した。
右から左へ視線を滑らすよう移し、すべて読み終わると百合はクスリと小さな笑いを零した。
「どうかしましたか?」
「牡丹がね、柚子葉さんとの恋仲が噂の的になっているけれど、それは柚子葉さんをここに置くための嘘だからどうか誤解しないでくださいってわざわざ書いて寄越してきたのよ」
「そうなのですか、よっぽど白姫様に夢中なのですね」
あの少し無愛想な男が百合のことを思って筆をしたためる姿を想像して、私も思わず吹き出してしまった。
「こんな文を寄越すために貴女を動かすなんてダメな人ね」
口では攻めているけれど、表情は柔らかく牡丹への愛が伝わってくる。
「そういえば、角、似合っているわね」
百合が私の仮角を見ながら言った。
「鬼に見えますか?」
「ええ、違和感はないわ」
「でも鬼族の方って目の色が赤い人と金の人が多いですよね、私みたいな茶は少ないので目立たないか心配です」
「そうでもないわよ、たまたまこの屋敷に赤か金の瞳の人が多いだけで茶の人も沢山いるのよ、紫色は珍しいから目立つけれども」
「紫の方もいるのですね、青い瞳の方はいないのですか?」
「鬼の子供は皆青い瞳をしているのだけれど、大人になるにつれてそれぞれ色が変わっていくの。だから青い瞳の大人は鬼にはいないわ。紫の瞳も本当に珍しくて今まで出会った中では第一夫人の紫苑様くらいしか見たことがないの」
「そういうものなのですか……」
瞳の色が成長で変わるなんてまるで猫みたいだ。
そこで私は異世界に来て初めて会った双子の姫のことを思い出した。
人間の国にいたのはわずかな時間だったが、双子の姫以外はみな茶色の瞳をしていた。
何故彼女達だけ瞳の色が赤と青だったのだろうか。
「どうかしたのですか?」
「あっすみません、考え事をしていて」
私は取り繕うような笑顔を作った。
人といるのに考え事をしてしまった、申訳ない。
「では、私はそろそろ行きますね」
「あっ、じゃあ最後にお願いがあるの」
私が立ち上がろうとしたところで、呼び止められる。
「はい、何でしょう?」
「もし、よければ息子に会ってから帰ってもらえる?」
「息子さんがいるのですか?」
「そうなの、桔梗というのだけれど、最近部屋に閉じこもりっぱなしで誰とも会わないのよ」
まさかの子持ち、その子がまさかの引きこもり。
「大変ですね、でも誰とも会わない子が私と会ってくれるか……」
「柚子葉さんのことはまったく知らないから逆に何か話してくれないかと思って、私達も手を焼いているの、ダメ元でお願いできないかしら?」
「まあ……ダメ元でいいのなら……」
私はそのまま女官に連れられ、桔梗の部屋の前まで連れていかれた。




